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ベートーヴェン:交響曲第9番

3.8 5つ星のうち3.8 15個の評価

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曲目リスト

1 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」 - 第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーゾ
2 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」 - 第2楽章:モルト・ヴィヴァーチェ
3 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」 - 第3楽章:アダージョ・モルト・エ・カンタービレ
4 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」 - 第4楽章:プレスト-アレグロ

商品の説明

メディア掲載レビューほか

バイロイト祝祭管弦楽団他の演奏による、`51年録音盤。ベートーヴェン「交響曲第9番 合唱」を収録。 (C)RS

登録情報

  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 14.09 x 12.63 x 1.37 cm; 80.32 g
  • メーカー ‏ : ‎ EMIミュージック・ジャパン
  • EAN ‏ : ‎ 4988006650169
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 16 分
  • レーベル ‏ : ‎ EMIミュージック・ジャパン
  • ASIN ‏ : ‎ B00005GJ58
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 15個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
15グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年7月14日に日本でレビュー済み
>戦後の記録を見ると、フルトヴェングラーは異常に頻繁に「合唱」を振っているのが判る。

異常に頻繁というほどではない。戦後の資料(オーケストラに関係なく指揮した全ての回数)によれば、総計35回。《運命》は72回も振っている。「ブラ1」は45回。

>これまでは、彼がこの曲を好んでいたからだと考えていたし、一般の理解も、彼の考えと
>「合唱」の精神は合致するから何回も指揮したのだ、ということになっていた。

それは書き手の思い込み。でも、まあ先に行こう。考え方は人それぞれ。

>では、なぜ、ヒトラーの誕生日に「合唱」が何度も繰り返し演奏されて来たのだろう。

フルトヴェングラーは、さんざん口実を構えては逃げていた。ヒトラー生誕祭で指揮したことはやむを得ない1回だけだ。《カラヤンとフルトヴェングラー》幻冬舎新書も読んでいないのか?

>皆さんも考えて下さい。ここにいるのは、人類愛にあふれた、人間性に富んだ指揮者では
>ありません。自分の理想と歴史と言う現実に押しつぶされそうになりながら、もがき、苦しみ、
>抗う、一個の人間、、、ではありませんか。

どういう思考回路で言っているのか解らない。結局、何が言いたい? フルトヴェングラーが人類愛にあふれていたかは知らないが、人間らしいことは確かだ。フルトヴェングラーの「自分の理想」とは何だ? 「歴史と言う現実」というのは意味不明な日本語だな。

>フルトヴェングラーは理想の指揮者などではありませんでした(理想はクライバーの父とフリッツ・ブッシュ)。

自分の理想を勝手に万人の理想にするな。エーリヒ・クライバーとブッシュは確かにいい指揮者だ。だが戦後のドイツでは、フルトヴェングラーほどには歓迎されなかった。一般民衆は、「あの暗黒の時期に我々と運命を共にしてくれた」という気持ちから、後者にいっそう親近感を持った、と考えられる。(《フルトヴェングラー》岩波新書)

>彼の指揮はめちゃくちゃで、ベルリンフィルは「我々は、あの悪夢に耐えたのです」とこぼしています。

「めちゃくちゃ」とか「悪夢に耐えた」とか、このような意見は非常に少数だっただろう。特に「悪夢に耐えた」というのは初耳情報だ。どういう資料を読んだのか?
これまでの証言はこうだ。

「フルトヴェングラーの『指揮法』がどうのこうの、そんなバカな事いうのは日本だけですよ。彼は音楽をもってそこに立ってるだけなんだ。棒の振り方がどうのなんていうのは素人ですよ」
「フルトヴェングラーの演奏中、指揮台上には全く音楽に陶酔し切った人がまさに立っている。それで楽員はインスパイアされるんです。銘器と言われたベルリン・フィルだって、全員が名人揃いだったわけじゃない。しかしフルトヴェングラーの指揮だと自分の力以上の事をやる。そこには信頼の絆があった。その絆が全員と1対1で結ばれている、いわば100本の絆ですよ」(以上、近衞秀麿)
「長身痩躯だったフルトヴェングラーが、指揮棒をもってステージに姿を現わすと、オーケストラ・メンバーはその瞬間、全員が心からの尊敬をもって起立して迎える。その光景は何度見てもすがすがしいもので、思わず客席のこちらも心が引き締まってくる。そして演奏者も聴衆もこれから始まる音楽に精神が集中される。その強度な集中の中心にフルトヴェングラーは立っているのだが、そこに流れているものは、音楽そのものであり、他のいかなる雑念も存在する余地はなかった」(諸井三郎、これまで《フルトヴェングラー》河出書房新社より)

これを覆す資料を紹介してもらいたい。

>正しい指揮法を身に着けていないのを補うため、彼は深夜までスコアの研究の没頭しました、常に
>睡眠不足で、自己不全感に悩み、風邪をひきやすく、強いペニシリンに頼りました。

フルトヴェングラーが「深夜までスコアの研究に没頭」というのは、どのような証言があるのか。仮にあったとして、それが「正しい指揮法を身に着けていないのを補うため」などとどうして言えるのか? フルトヴェングラーはその気になれば明快な打拍ができたが、わざといつもはそうしなかったということを知らないのか? 何かをまっとうに論じるなら、もっと周辺の本を読め!
フルトヴェングラーは不眠症だった。だからいろいろな策(ベジタリアンになるとか)を講じたことは妻が証言している(《人間フルトヴェングラー》朝日文庫)。
だが、「自己不全感に悩み」、「強いペニシリンに頼」ったとはどこからの情報か。読んだことも聞いたこともない。
最後は風邪をこじらせ肺炎で死んだが、フルトヴェングラーは常に体調が優れていたわけではなくとも、特に「風邪をひきやすく」というのはこれも聞いたことがない。根拠を教えてもらいたい。

>そして、聴衆は彼が指揮台の上で、もがき、のたうち、苦しむのを、楽しんだのです。彼が振ると
>チケットはすぐに完売、コンサート会場は満員の観客で溢れました。

書き手はタイムマシンにでも乗って、半世紀以上前のドイツに行ったのか? 初耳なことばかりで困惑する。断言するからには資料出典を明記すべき。「もがき、のたうち、苦しむのを、楽しんだのです」というのは壮絶だなあ。こんなことを聞いたこともない。事実でないとしたら書き手の相当な妄想だ。

>おそらく、聴衆から「ブラボー」を受ける時だけが、彼が苦しみから逃れられる唯一に時間だったの
>でしょう。この録音は指揮者の苦悶の記録なのです。

ここはどうやら個人的意見のようだ。かなりバカバカしいが、先に行こう。

>なぜなら、いつまでたっても、何も、何一つ、解決しないからなのです。責任の放棄、情報の隠蔽、
>富の正しい分配、権力者の腐敗、文化の堕落、文明の崩壊、理想の実現、キリストもアラーも
>マルクスもリンカーンも、誰も解決など出来はしない、出来なかった。

これも個人的意見のようだからパス。わか国では、言論の自由も信条の自由も保証されている。

>ただ、しかし、一度だけ、たった一度、あの、チョビ髯の男なら解決してくれる、と夢を見た

誰が? 何を? それに、なんだか文章が変に途切れているな。

 こんな芸能人のゴシップみたいな文章をここに投稿する阿呆がいるとは思わなかった。新説かと思いきや、出典もなく、根拠とする資料も何一つ附記されていない。このレビューの投稿者に言っておくが、ここはクラシックCDのレビュー欄だ。アイドルのスキャンダル報道に対して、妄想で歪んだ書き込みをするような勘違いをするな。
 一般的な聴き手の誰もが、このような論者の相手にならずに笑ってスルーしているのだろうが、この狂人に等しい投稿者の意図はまったく不明。途中の、
「なぜなら、いつまでたっても、何も、何一つ、解決しないからなのです。責任の放棄、情報の隠蔽、富の正しい分配、権力者の腐敗、文化の堕落、文明の崩壊、理想の実現、キリストもアラーもマルクスもリンカーンも、誰も解決など出来はしない、出来なかった」
のあたりは、相当に書き手が精神的にかなり鬱屈していることと、社会悪や矛盾を嘆き、憎んでいるつもりの青臭い自己陶酔が見事に出ていたけど、痛過ぎてあまりに笑えないなあ・・・。
 せめて言っとくが、ここで現実の世間社会の矛盾への嘆きを書き連ねるな。自分の思い通りにいかないのが、社会だし人生だ。常に正義が勝つわけでもない。そんなことは大人になれば誰もが承知している。
 それから、人々に時空を超えて偉大とされ、敬意を払われる偶像を本気で引き倒したいのなら、もっともっと正確に調べなければ駄目だ。嘘や知ったかぶりは絶対にバレる。思い付きや思い込みばかりで、公に出す文章を書くなよ。恥をかくのは書き手だから。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年11月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
解説はEMIジャパンとしており、EAN番号は東芝TOCE59721のCD番号である。写真のCDはPristine Audio XR PASC261である。全く違う写真である。訂正の要あり。写真のCDを購入するならどの出品者に申し込めばいいのかな。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ではありますが、バイロイトの第9はライヴですので、DELTAから出ているCDの方が音質もよく、おすすめです。
ちなみに、フルトヴェングラーの第9はこれも1942年のベルリンフィルの第9もライヴならではのよさです。
第9を普通に聞きたい方は、フルトヴェングラーならニコライの第9やルツェルンの第9、もしくはバーンスタインをおすすめします。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 バイエルン放送から発売されてる同日別録音があるので,当CDが戦後再開されたバイロイトの祝祭のライブ録音かどうかについては,論争があるらしい.ネットなどでは,バイエルン盤が実際のライブ録音で,当CDはリハーサル録音という説が一番有力らしい.張りつめたような緊張感も,終末のオケが破たんするほどの興奮と熱狂もライブならではと思っていたので,ちょっと驚いた.バイエルン盤は,もっとゆとりをもって,澄み切った境地で演奏されているように感じる.たぶん,ライブのほうがいろいろの雑念が入り込みそうで,聴き比べても,当CDがライブ盤と感じてしまう.しかし,種々の証拠を検証しての論争だろうから,自分のような全くの素人が口をはさむのはよそう.というより,論争そのものにあまり興味がない.

 ライブだろうが,リハーサルだろうが,当CDの演奏の素晴らしさは揺るぎようもない.宇宙の開始を思わせるような,極端な弱音による第一楽章のはじまりから,すさまじいまでの緊張感に,聴いているだけの身の自分さえ,心臓がドキドキし始める.そして,徐々にクレッシェンドしていって,テーマが最高潮に強奏されると,あまりのカタルシスに気を失いかけてしまいそうだ.

 第二楽章のその場その場の気持ちによって,微妙に揺れるリズム(たぶんちゃんと計算してるんだろうけど笑)に,もうこちらはジェットコースターに乗ってるかのように,振り回される.その快感!!

 第三楽章は,うって変って,じっくりとていねいに,おそらくベートーベンが書いたもっとも美しい音楽を奏でてゆく.落ち着いて聴けってことだろうけど,あまりの美しさに,心穏やかでないところが,私の哀れなところ(笑).

 そして,ついに最終楽章.何をか言わんや.第一楽章のテーマを否定し,第二楽章もだめ,あの第三楽章すら否定し,ついにオーケストラは歓喜のテーマを歌いだす.ああ,われわれ人類はみな兄弟なのだ!!ていうか,もうだめだ.かろうじて保っていた心の安定が完全に壊されて,ここから最後まで,体中に鳥肌がたって,目は涙でぼろぼろ.血圧はたぶん,ドクターストップがかかる領域まで上がっているが確実.最後の最後,世界中の興奮と感動を引っ張るフルトベングラーは,容赦なく疾走する.それ,ついてけ!!!しかし,かれの後には,誰もついていけない.彼は天高く,どこまでも高く上り詰めていく.

 彼の姿が見えなくなった頃,このCDを聴くという荒行から,やっと解放される.

 このCD毎日聴いてたら,間違いなく寿命が縮むね.みなさんもほどほどに(笑)

 え,なんの論争があるんでしたっけ.リハーサル?だから,何?
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
みなさん、注目されるにはそれなりの理由があるとおもいます。

もう一つのバイロイト盤を先に買ってしまったのですが、全然違います。

演壇に上がる足音、聴衆の拍手、オーケストラ団員の足踏みのアプローズなどが、ただ事ではない雰囲気を盛り上げます。

演奏それ自体では、極自然だとおもいました。モノラルのせいもあるでしょうか、録音が古いのは否めません。

でもナチス協力者の容疑がはれた、47年の第五も凄い迫力ですが、バイロイトの管弦楽団は、異常なテンションで曲を盛り上げます。多数の第九を11月に購入し、結局皆様の評価が高いここに戻ってきたわけですが

SACD盤はPCに録音出来ませんし、ハイレゾ音源も見つけていません。それがもっと緻密に当時の様子を描写しているなら、ハイレゾ音源で手に入れたいものだと想います。

新生ドイツの、静かな号砲一発を歌い上げる、名演奏だと信じて疑えません。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2017年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
やっぱり凄い表現だ。伝統的な演奏の代表盤でしょうね。新時代の演奏はヤルヴィ、新旧バランスをとるラトルーベルリンフィル盤、これら三枚で第九は必要十分だ、と思った。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年8月16日に日本でレビュー済み
バイエルン放送協会収録の「真正ライヴ」がリリースされた今となっては、EMI盤は「レッグ演出のバイロイトの第九」と称されるべきだ。

フルトヴェングラーの晩年の第九は、透徹した雰囲気がある(ルツェルンの第九はその端的な例)。「真正ライヴ」は、このEMI盤よりもずっと晩年のスタイルに近い。特に第1楽章は明らかに違う。EMI盤はプローベを中心に編集されたとされているが、そのため本番の境地に達しない粗さが目立つ。それを覇気と勘違いしている批評もあった。
第2楽章も違う部分がある。
第3楽章はほとんど違いがない。

第4楽章のvor Gottのクレッシェンドはプロデューサーのレッグが電気的に付加したものであることが分かる。本当の芸術家はこんなあざといことはしないものだ。
またEMI盤は一番最後の和音が完全に破綻しているが「真正ライヴ」はちゃんと弾いている。レッグはなぜこんな失敗した和音を採用したのか全く意図が分からない。

このCDは足音入りの拍手が入っている。これは日本のみのことだそうだ。しかし上記の通り、冒頭も最後も本番のものではない。ならば本当にこの公演での足音や拍手なのだろうか?演奏の編集と共に、フルトヴェングラーの真実を歪めていないのだろうか?
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年8月15日に日本でレビュー済み
確かに、そう聞こえます。現在の交響楽団なら、あるいはCD製造業者ならば、門前払いでしょうね。偶然が重なって、面白みがでている演奏(感想は個人の自由)とはいえても、現場で実際に聴いたとき、はたして、日本の評論家が主張しているような「感動」がホントに得られるかは、未知数。
 で、演奏の評価は保留とするしかない。だって、録音はサイアクに近いから。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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