カラヤンがシュターツカペレ・ドレスデンと録れた唯一のオペラである。聞くところによれば、バルビローリが振るはずだったところ政治的理由でキャンセルしてしまい、急遽代役としてカラヤンが東独入りしたという。よくぞ、あの多忙なカラヤンが引き受けてくれたものだ。
カラヤンにとっての運命のオペラといえば《トリスタン》ということになろうが、無論《マイスタージンガー》もしばしば取り上げており、得意とする演目である。しかし、シュターツカペレとの共演というのはは珍しい。
カラヤンが得た最初の職はウルムの市立歌劇場の音楽監督、次いで、アーヘン市立歌劇場、そしてベルリン国立歌劇場で《フィデリオ》や《トリスタン》を振って時代の寵児となった。
その後のカラヤンの活躍の場は、何といってもバイロイトとウィーン国立歌劇場、そして、ミラノ・スカラ座であった。
カラヤンは、それぞれの拠点で彼にしか出来ない素晴らしい仕事をしたが、もっとも重要なワーグナーの楽劇のセッション録音は、主兵であるベルリン・フィルと行ってきた。バイロイトでも、ウィーンでも、ミラノでも、《指環》《トリスタン》《マイスタージンガー》を上演し、その成果はライヴ盤にも残されているが、そうした経験と実績を踏まえて、ザルツブルグ復活祭音楽祭で大きく花開くこととなった。
音楽祭に先立ってレコーディング・セッションが持たれフェスティバルのパトロンには新譜が配布されるのが慣わしだった。カラヤンは、ザルツブルグで《タンホイザー》を除く殆どの作品を舞台にかけたが《マイスタージンガー》だけはセッションを組まなかった。このことは同時期に同じ会社がオペラの全曲盤をリリースすることの難しさを表しているのであろうが、カラヤンがこの作品に関しては、セッションを噛まずに本番に臨めるくらいに手の内に入れていたということの証明でもあろう。
そうであればこそ、この一大プロジェクトの代役も務まったのだろうが、実際、いったい他の誰がバルビローリの代わりにこの大作を振れるというのか? おそらく、クーベリックか、ショルティか、ヨッフム、或いはベームくらいではないか?
難しいのは、演奏の良し悪しもさることながら、レコードが売れるかどうかという点だ。最近では、オペラ全曲盤のセッション録音は殆どなされなくなった。採算が合わないことが明確だからだ。
結果として、カラヤンとシュターツカペレの《マイスタージンガー》は、いつの世になろうと、これ以上望むことが難しいくらいの名盤となった。
名曲だけに、他にも優れたレコードもある。オペラを上演するにあたり、すべての面で満足する配役を行うことは、歌手のコンディションやスケジュールに加え契約関係の問題などもあり不可能に近く、シーズン・オフの夏場に開かれるバイロイト音楽祭やザルツブルグ音楽祭くらいしか望めないが、そうした制約の中にあって、このキャスティングは素晴らしい。とりわけ、個々の歌手の歌唱ばかりでなく、アンサンブルとしてのチーム・ワークには目を見張るものがある。
そして何より嬉しいのが、カラヤン指揮するシュターツカペレの味わい深い演奏だ。力強いベルリン・フィルの響きもよいが、この歴史と伝統のある古豪のサウンドが活かされた名演が刻印されたことを喜びたい。
人類史上に永遠に残る名盤といってよいだろう。