ジャズ史に名を刻んだ名プレイヤーなら大抵、ジャズの歴史に刻まれるべき傑作を残しているものだ。マイルス・デイヴィスならKind of Blue、ジョン・コルトレーンなら『至上の愛』、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』などがそうだ。問題はこれらの傑作をいつ聴くべきかということだ。なぜならジャズの歴史に刻まれた傑作は分かりにくいことも少なくないからだ。マイルス・デイヴィスのKind of Blueはモード奏法を導入した作品として知られるが、いったいモードとは何か、楽器を演奏できない者には皆目見当がつかない。そもそも60年代においてさえモードを理解していたミュージシャンは決して多くなかった、マイルスとコルトレーンの周囲にいた、ビル・エヴァンス、マッコイ・タイナー、エリック・ドルフィーらを除くと、おそらくSo Whatをレパートリーとしていたジェレミー・スタイクやライヴでImpressionsを録音し、コルトレーンともプレイしたと言われるウェス・モンゴメリーなど一握りのプレイヤーにすぎない。そうだとすれば、ジャズを聴き始めたばかりの初心者にKind of Blueを理解することは不可能だ。宗教的な荘厳ささえ感じさせる『至上の愛』も難しいし、特定の曲を弾くのではなく、完全即興によって録音された『ケルン・コンサート』も取っつきにくいかもしれない。傑作は初心者にとって分かりにくいのが普通なのだ。だからマイルスやコルトレーンの場合も、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』や『ブルー・トレイン』のような分かりやすい作品から聴くのが普通だろう。だがパット・メセニーのLetter from Homeは例外だ。この作品は1975年のデビュー以来、ジャズを牽引してきたスーパー・ギタリストの紛うことなき最高傑作でありながら、同時にパット・メセニーに興味を持った者が真っ先に聴くべきパット・メセニー入門盤でもあるのだ。
このアルバムの第一の注目ポイントは、パット・メセニーが長い時間をかけて培ってきたポップなメセニー・サウンドがここに頂点を極めたということだろう。メセニー・サウンドは初期のSan Lorenzoあたりから顕著になり、First Circleで飛躍的に発展した。これがLetter from Homeで頂点に達する。パット・メセニー・グループは21世紀まで継続するが、Letter from Homeを凌駕するほどの作品を生み出すことはできなかったように思われる。もう一点はブラジル音楽を取り込んだことだろう。三曲目Better Days Aheadは80年代初頭からライヴで演奏されてきたが、(おそらくここで初めて)サンバのリズムで演奏される。メセニー・サウンドの頂点を極め、ブラジル音楽の導入という実験的な側面さえ持つこのアルバムがなぜ聴きやすいメセニー入門盤でありうるのだろうか。一曲目のHave you heardを聴いてみよう。この曲は80年代にライヴのオープニングを飾った「フェイズ・ダンス」に代わって90年代のオープニングの定番となったパット・メセニーの代表曲だ。明るく親しみやすいメロディを持つこの曲の何がすごいのか。ギターを持っている人はテーマだけでも弾いてみると良い。これほど分かりやすいメロディにもかかわらず、決して簡単に弾ける曲ではないということが分かるだろう。ここからパット・メセニーが同時期にデビューしたアル・ディ・メオラとは異なるタイプのギタリストであることが分かる。超絶技巧ギタリストの名をほしいままにしていたアル・ディ・メオラが作曲した曲は、彼のテクニックを見せつけるための場として作曲されているのに対して、パット・メセニーにおいてはメロディが優先されており、その曲を弾くためにテクニックが求められているにすぎない。だからテクニックを見せつけるための場として作曲された曲にありがちな嫌味がメセニーの曲にはない。そのため、メセニーの曲は技巧的でありながら、親しみやすいのだ。Have you heardだけではない。以下、最後のLetter from Homeに至るまで外れなし、楽しい曲が続く。