今、40歳前半。当時、ライブ映像が深夜TVかなんかで流れてて「青い空」を演ってて、うわぁーめっちゃいいー!から20年位たった今も、その時の衝撃は今も心に残ってて、やっぱりいいんですよね。
なんなんあのリフ。最高じゃん!
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CD, 限定版, 2005/9/22
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曲目リスト
1 | イントロ |
2 | マーチ |
3 | 青い空<アルバムMIX> |
4 | ミレニアム |
5 | 惑星づくり |
6 | 窓 |
7 | チアノーゼ |
8 | ピアノガール |
9 | ABULA |
10 | 屏風浦 |
11 | 街 |
12 | ロシアのルーレット |
13 | ホームラン |
14 | ガロン<ガロ~ンMIX> |
15 | 宿はなし |
商品の説明
Amazonレビュー
パワフルでスピーディなサウンドに、ハイテンションな手拍子がフィットした<3>、電車が大好きというヴォーカルの岸田繁が、地元を走る京阪電鉄の車窓風景や、街への思いを歌ったバラード<11>、音響派の代名詞、Jim O'Rourkeとのコラボレーションで作り上げたテクノ感覚のインストゥルメンタル<5>など、3人組バンドの枠にこだわらず、多彩なアプローチと、ライヴバンドらしいアグレッシヴな演奏を披露する、くるりのセカンドアルバム。(武村貴世子)
メディア掲載レビューほか
TBS『リズムBaby』11月度エンディング・テーマ「街」他を収録したセカンド・アルバム。ジム・オルーク他が参加。
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 14.2 x 12.4 x 1 cm; 100 g
- メーカー : ビクターエンタテインメント
- EAN : 4988002396023
- 時間 : 57 分
- レーベル : ビクターエンタテインメント
- ASIN : B00005GXSB
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 65,182位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 22,710位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2007年9月7日に日本でレビュー済み
くるりが他の音楽とは違うと感じるのは、自分との境目をあまり感じないというところ。
そういう意味でのなまなましさがあり、自分の核心の部分を動かされてしまう。
図鑑というアルバムはくるりの中でも一番なまなましく、切実だと思う。
楽曲の前半はとても濃いイメージで、心が暴れだしそうになる。
けれどわたしは中盤から後半にかけての半無重力のような曲がとても好きで、
ロシアのルーレット、ガロン、宿はなし、は
前半のインパクトにやられてしまって飛ばしてしまいがちな曲なのですが
何度も無意識に聴いていくうちに、自分に溶け込んでしまっていることに気付いて
大好きな曲になりました。
くるりの曲は本当に、自分と一体化していくようなものが多いです。
その中でも図鑑は、とても貴重なアルバムだと思います。
そういう意味でのなまなましさがあり、自分の核心の部分を動かされてしまう。
図鑑というアルバムはくるりの中でも一番なまなましく、切実だと思う。
楽曲の前半はとても濃いイメージで、心が暴れだしそうになる。
けれどわたしは中盤から後半にかけての半無重力のような曲がとても好きで、
ロシアのルーレット、ガロン、宿はなし、は
前半のインパクトにやられてしまって飛ばしてしまいがちな曲なのですが
何度も無意識に聴いていくうちに、自分に溶け込んでしまっていることに気付いて
大好きな曲になりました。
くるりの曲は本当に、自分と一体化していくようなものが多いです。
その中でも図鑑は、とても貴重なアルバムだと思います。
2019年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
くるりさんは、音が優しいです。
自分を上に置こうとはしない
必要以上にカッコいい音にしようとする、背伸びがなく、音が伸びやかなので安心します。
ロックであって、なんか、畳で聴いてるロックっぽくない空気。
一応ロックでいいのですよね、小椋佳とか思い出すのですが。(本人たちは洋楽オンリーって言ってましてわでそんなの聴いてないような気がしますが)
自分を上に置こうとはしない
必要以上にカッコいい音にしようとする、背伸びがなく、音が伸びやかなので安心します。
ロックであって、なんか、畳で聴いてるロックっぽくない空気。
一応ロックでいいのですよね、小椋佳とか思い出すのですが。(本人たちは洋楽オンリーって言ってましてわでそんなの聴いてないような気がしますが)
2010年1月12日に日本でレビュー済み
他の曲は好きなんだけど 宿はなしだけは幾ら聞いても
SASの原由子の花咲く旅路に余りにも酷似していて妙な気分になる
SASの原由子の花咲く旅路に余りにも酷似していて妙な気分になる
2022年5月5日に日本でレビュー済み
くるりの最新作は、2023年夏時点では2021年に発表された「天才の愛」である。このアルバムはくるり版”Sgt Pepper’s”とも呼べるような、コロナ禍においてライブでの再現性をある意味度外視して作り込んだ究極のスタジオ録音盤であり、これまで以上に先進的な音楽的冒険と緻密さの際立った作品であった。メンバー自身、「(やりすぎて)ファンも「?」になっちゃったかな?」みたいな反省(?)を口にしていたが、音楽的な実験とポピュラー音楽としての完成度の調和はこれまでのくるり作品の中でも卓越しており、J-popの一つの到達点として屹立していた。その一方で、フツーの音楽ファンには、そこまでついて行けない感があったかもしれない。
現在の日本の音楽ファンの多くは、洋楽より邦楽をメインに聴いており、世界の音楽の動静も、先進的な邦楽アーティストを介して紹介(あるいは翻訳)されたものを間接的に知り得る構造になっている。これが本格化したのは、おそらく、くるりがデビューした90年代後半くらいからだ。平均的日本人リスナーが洋楽至上主義を掲げていたのは、MTVがミーハー人気を博した80年代がピークで、GrungeやBrit Pop、オルタナが主流となった90年代には、洋楽を聴くことは、既にそれほど「カッコいいこと」ではなくなりつつあった。音楽に限らず若者の嗜好が内向きとなり、洋楽のブランド的価値が以前より低下してきたのである。その結果、いくつもの洋楽専門誌が休刊となった。一方で、くるりたちは、ポストMTV時代の、より多様化、繊細化した洋楽シーンを丁寧に追いかけていた。そこには70年代のような“一般教養的”なスーパーグループはほぼ影を潜め(例外はU2, RHCP, REMくらい)、インディーとメジャーシーンの曖昧化した境の元で、様々なアーティストが独自の音楽性を追求していた。もう一つ、この世代に共通して登場した価値観は、売れるための“鉄板的”なスタイルの確立よりも、柔軟に変化を求め続ける音楽スタイルをより志向するようになった点である。それまでは殆どのロックバンドが、他バンドと差別化するための独自のスタイルを一度確立すると、後はその持続に血道をあげていた。これとは全く対照的に、90年代以降のアーティストには、脱構築的なアプローチの継続を恐れず、それに成功して生き残るものも珍しくなくなった。代表例がRadiohead, Wilco, Beckであろう。
この時点でくるりは、自分たちに影響を与える同時代の全ての音楽的背景を取り込む方向性、ある意味焦点の定まらないように見えるリスクのある方向性を選択した。選択した、と言うより、彼らが特定のジャンルのみを取捨選択することができなかった、と言う方がたぶん正しいのだろう。このようなアプローチの嚆矢は、古くはThe Beatlesの“White Album”に遡る(今昔問わずに取り込む方向性まで含めたら、The Bandの最初の2枚、あるいは70年代のYMO以前の細野晴臣のソロも、同様のアプローチを採用していたと言える)。岸田氏が同アルバムをフェイバリットに上げるのも、うなづける。本当は2枚組にしたかったんじゃないかな(ありえないけど)。しかし、Beatlesと同じようなタイトルをつける二番煎じを選択するわけにはいかなかったので、代わりに「(音楽)図鑑」というタイトルを選んだわけだ(あるいは「(様々な音楽によって表現される人間の)図鑑」かもしれない)。Beatleの大傑作に競争を挑むとは、なんという野心と自信!この頃の彼らがやりたかった音楽と、レコード会社が求めてきた楽曲にかなり乖離があったことは、その後メンバーがよく言及していたところである。メンバーの目論見は、さらに多彩な楽曲だったという。一方で、この時点で彼らにはまだ、自分たちが数多のバンドの中から本当に生き残れる一握りの中に入れるか、確信はなかった。岸田氏が森氏のドラミングにイラついてばかりいたのも、そのせいだろう。楽曲の多様性を表現する際に最もゴマカシが効かないのは、ドラムだから。そういえば、Beatlesの“White Album”のレコーディング時にも、リンゴ=スターの一時的脱退事件が起きている。
くるりのもう一つの特徴は、世界の様々な音楽の影響を自分たちの楽曲に反映(引用)する際、今流行りのJ-Pop化しすぎないように、ある程度原型をとどめることで聴き手が出自を辿れるように配慮している点であろう。食べ物で喩えるなら、インドのカレーを日本に導入して、今や日本人の国民食化した「カレーライス」にまで変質化するのではなく、(インド、スリランカ、ネパールそれぞれの)カレーはカレーのまま、そこに別のものを付け加えてフュージョン料理のように提供しているのだ。そこでは、日本の音楽も同等に一つの材料として扱われている。加えて、元ネタとなったそれぞれの音楽と、その背景に存在する文化に対する平等な、深い敬意が感じられる。彼らのアプローチは昨今、世界のジャズシーンで行われているdiversityの拡張と共通している。
話を戻すが、「図鑑」には明らかに「天才の愛」と共通点がある。音楽の多様性への強い志向である。くるりの楽曲全てに共有されるドローンとも言えるかも知れない。くるりは自らを、「旅するバンド(=ひとところに止まらないバンド)と規定するバンドであり、それはデビュー当時から一貫している。「天才の愛」には、それを実現して有り余る(平均的な音楽ファンをおいてきぼりにしかねないほどの)様々な音楽に対する知識と経験、発明、それらの円熟がある。一方で、「図鑑」には当然ながら若気の至り的な面や荒削りさも見られる。しかし、その目指すところはバンド形成後30年近く経った今とも全く変わりなく、「図鑑」は前述のような野心と自信を裏打ちする確かな才能と広い視野が際立った、素晴らしく多彩で自覚的で才気走った作品なのだ。その後、数多くの才能ある若手邦楽アーティストにとって羅針盤的存在となったのは、十分得心できる。
現在の日本の音楽ファンの多くは、洋楽より邦楽をメインに聴いており、世界の音楽の動静も、先進的な邦楽アーティストを介して紹介(あるいは翻訳)されたものを間接的に知り得る構造になっている。これが本格化したのは、おそらく、くるりがデビューした90年代後半くらいからだ。平均的日本人リスナーが洋楽至上主義を掲げていたのは、MTVがミーハー人気を博した80年代がピークで、GrungeやBrit Pop、オルタナが主流となった90年代には、洋楽を聴くことは、既にそれほど「カッコいいこと」ではなくなりつつあった。音楽に限らず若者の嗜好が内向きとなり、洋楽のブランド的価値が以前より低下してきたのである。その結果、いくつもの洋楽専門誌が休刊となった。一方で、くるりたちは、ポストMTV時代の、より多様化、繊細化した洋楽シーンを丁寧に追いかけていた。そこには70年代のような“一般教養的”なスーパーグループはほぼ影を潜め(例外はU2, RHCP, REMくらい)、インディーとメジャーシーンの曖昧化した境の元で、様々なアーティストが独自の音楽性を追求していた。もう一つ、この世代に共通して登場した価値観は、売れるための“鉄板的”なスタイルの確立よりも、柔軟に変化を求め続ける音楽スタイルをより志向するようになった点である。それまでは殆どのロックバンドが、他バンドと差別化するための独自のスタイルを一度確立すると、後はその持続に血道をあげていた。これとは全く対照的に、90年代以降のアーティストには、脱構築的なアプローチの継続を恐れず、それに成功して生き残るものも珍しくなくなった。代表例がRadiohead, Wilco, Beckであろう。
この時点でくるりは、自分たちに影響を与える同時代の全ての音楽的背景を取り込む方向性、ある意味焦点の定まらないように見えるリスクのある方向性を選択した。選択した、と言うより、彼らが特定のジャンルのみを取捨選択することができなかった、と言う方がたぶん正しいのだろう。このようなアプローチの嚆矢は、古くはThe Beatlesの“White Album”に遡る(今昔問わずに取り込む方向性まで含めたら、The Bandの最初の2枚、あるいは70年代のYMO以前の細野晴臣のソロも、同様のアプローチを採用していたと言える)。岸田氏が同アルバムをフェイバリットに上げるのも、うなづける。本当は2枚組にしたかったんじゃないかな(ありえないけど)。しかし、Beatlesと同じようなタイトルをつける二番煎じを選択するわけにはいかなかったので、代わりに「(音楽)図鑑」というタイトルを選んだわけだ(あるいは「(様々な音楽によって表現される人間の)図鑑」かもしれない)。Beatleの大傑作に競争を挑むとは、なんという野心と自信!この頃の彼らがやりたかった音楽と、レコード会社が求めてきた楽曲にかなり乖離があったことは、その後メンバーがよく言及していたところである。メンバーの目論見は、さらに多彩な楽曲だったという。一方で、この時点で彼らにはまだ、自分たちが数多のバンドの中から本当に生き残れる一握りの中に入れるか、確信はなかった。岸田氏が森氏のドラミングにイラついてばかりいたのも、そのせいだろう。楽曲の多様性を表現する際に最もゴマカシが効かないのは、ドラムだから。そういえば、Beatlesの“White Album”のレコーディング時にも、リンゴ=スターの一時的脱退事件が起きている。
くるりのもう一つの特徴は、世界の様々な音楽の影響を自分たちの楽曲に反映(引用)する際、今流行りのJ-Pop化しすぎないように、ある程度原型をとどめることで聴き手が出自を辿れるように配慮している点であろう。食べ物で喩えるなら、インドのカレーを日本に導入して、今や日本人の国民食化した「カレーライス」にまで変質化するのではなく、(インド、スリランカ、ネパールそれぞれの)カレーはカレーのまま、そこに別のものを付け加えてフュージョン料理のように提供しているのだ。そこでは、日本の音楽も同等に一つの材料として扱われている。加えて、元ネタとなったそれぞれの音楽と、その背景に存在する文化に対する平等な、深い敬意が感じられる。彼らのアプローチは昨今、世界のジャズシーンで行われているdiversityの拡張と共通している。
話を戻すが、「図鑑」には明らかに「天才の愛」と共通点がある。音楽の多様性への強い志向である。くるりの楽曲全てに共有されるドローンとも言えるかも知れない。くるりは自らを、「旅するバンド(=ひとところに止まらないバンド)と規定するバンドであり、それはデビュー当時から一貫している。「天才の愛」には、それを実現して有り余る(平均的な音楽ファンをおいてきぼりにしかねないほどの)様々な音楽に対する知識と経験、発明、それらの円熟がある。一方で、「図鑑」には当然ながら若気の至り的な面や荒削りさも見られる。しかし、その目指すところはバンド形成後30年近く経った今とも全く変わりなく、「図鑑」は前述のような野心と自信を裏打ちする確かな才能と広い視野が際立った、素晴らしく多彩で自覚的で才気走った作品なのだ。その後、数多くの才能ある若手邦楽アーティストにとって羅針盤的存在となったのは、十分得心できる。
2011年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もう10年以上前のこと。
4年間付き合った恋人と別れて、悲しいのかどうかもよく分からないくらい
自分の感情がぐちゃぐちゃなときに、部屋でよくこのアルバムを聴いていた。
なんというか、もやもやとした衝動を胸に抱えながら、やみくもに全力疾走しているような。
足元がぐらぐらするような。
そんな不安定な気持ちになりながらも、なぜか心の奥底がかすかにわくわくしている自分がいたのを覚えている。
『図鑑』のくるりは、不安定で、歪んでいて、けれど圧倒的にすがすがしい。
うまく言えないけれど、そんな感じだ。
それにしても、
「もしもあなたに出逢わなかったらとか/もっと前に出逢っていたらとか/考える自分に吐き気がする」(M−7)
なんてフレーズには相変わらずぐっときてしまうなあ。
4年間付き合った恋人と別れて、悲しいのかどうかもよく分からないくらい
自分の感情がぐちゃぐちゃなときに、部屋でよくこのアルバムを聴いていた。
なんというか、もやもやとした衝動を胸に抱えながら、やみくもに全力疾走しているような。
足元がぐらぐらするような。
そんな不安定な気持ちになりながらも、なぜか心の奥底がかすかにわくわくしている自分がいたのを覚えている。
『図鑑』のくるりは、不安定で、歪んでいて、けれど圧倒的にすがすがしい。
うまく言えないけれど、そんな感じだ。
それにしても、
「もしもあなたに出逢わなかったらとか/もっと前に出逢っていたらとか/考える自分に吐き気がする」(M−7)
なんてフレーズには相変わらずぐっときてしまうなあ。
2006年3月23日に日本でレビュー済み
確かインタビューで岸田氏が「曲のなかに狂気をいれるのはあまり好きではない」と、このアルバムについて語っていた気がする。
確かに本人たちの二枚目のシングルのイントロをいきなり持ってきてフェイドアウトさせてはじまるアルバムのイントロや、「今が今日じゃなくて明日だということ信じるだけなのさ」という歌詞を見ると危ないなと思う。
どこのバンドでもそうだが二枚目は移行期で、次と前の間に悩まされるアルバムだと思う。どんな風に変ったのか、どんな風に変りたかったのかこのアルバムから読み取るようにして聞くといいと思いますよ。正直「ばらの花」が好きな人が聞くと結構意外な方向に飛んでます。
確かに本人たちの二枚目のシングルのイントロをいきなり持ってきてフェイドアウトさせてはじまるアルバムのイントロや、「今が今日じゃなくて明日だということ信じるだけなのさ」という歌詞を見ると危ないなと思う。
どこのバンドでもそうだが二枚目は移行期で、次と前の間に悩まされるアルバムだと思う。どんな風に変ったのか、どんな風に変りたかったのかこのアルバムから読み取るようにして聞くといいと思いますよ。正直「ばらの花」が好きな人が聞くと結構意外な方向に飛んでます。
2009年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
色褪せない。
色褪せないもの、時代も、もしかしたら国も取っ払っても通じるもの、それは「人間」の姿がそこにあるかどうかだと思う。
「今は只の平成12年だ」と「チアノーゼ」では歌われる。このアルバムが、平成21年の今もぐさりとささる。
まさに、不完全な、不完全だからこそ愚かで美しい普遍的な「人間」の姿がこのアルバムには宿っているのだろう。
愚かだが美しくありたいと願う「人間」の姿。
そして、私は今まさに20代前半を生きている。
漠然とした不安が心にはいつもモヤモヤとある。
そんな私の心に寄り添ってくれる、最高にロックで最高に優しい音楽。
まったく、音楽はこうでなくてはならない。
ありがとう、くるり。
そして私は、「街」の「夕暮れのスーパーマーケットの前で吸うタバコやそれを見て微笑む愛する君のまなざしも」というフレーズが、最高に好きだ。
色褪せないもの、時代も、もしかしたら国も取っ払っても通じるもの、それは「人間」の姿がそこにあるかどうかだと思う。
「今は只の平成12年だ」と「チアノーゼ」では歌われる。このアルバムが、平成21年の今もぐさりとささる。
まさに、不完全な、不完全だからこそ愚かで美しい普遍的な「人間」の姿がこのアルバムには宿っているのだろう。
愚かだが美しくありたいと願う「人間」の姿。
そして、私は今まさに20代前半を生きている。
漠然とした不安が心にはいつもモヤモヤとある。
そんな私の心に寄り添ってくれる、最高にロックで最高に優しい音楽。
まったく、音楽はこうでなくてはならない。
ありがとう、くるり。
そして私は、「街」の「夕暮れのスーパーマーケットの前で吸うタバコやそれを見て微笑む愛する君のまなざしも」というフレーズが、最高に好きだ。