エル・スール [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー |
コントリビュータ | ビクトル・エリセ, オーロール・クレマン, ソンソレス・アラングーレン, オメロ・アントヌッティ, ロラ・コルドナ, イシアル・ボリャン |
言語 | スペイン語 |
稼働時間 | 1 時間 35 分 |
この商品を見た後にお客様が購入した商品
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
商品の説明
レビュー
内戦の苦悩を内に秘める父と、彼を静かに見つめる娘を静謐なタッチで描く。ビクトル・エリセの、『ミツバチのささやき』に続く10年ぶりの第2作。ライナーノーツ封入。
-- 内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
製作: エリアス・ケレヘタ 監督・脚本: ビクトル・エリセ 原作: アデライダ・ガルシア・モラレス 撮影: ホセ・ルイス・アルカイネ 出演: オメロ・アントヌッティ/ソンソレス・アラングーレン/イシアル・ボリャン/ロラ・カルドナ/ラファエラ・アパリシオ/オーロール・クレマン
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : スペイン語
- 梱包サイズ : 19.2 x 14.8 x 1.6 cm; 179.99 g
- EAN : 4933364710086
- 監督 : ビクトル・エリセ
- メディア形式 : 色, ドルビー
- 時間 : 1 時間 35 分
- 発売日 : 2000/6/30
- 出演 : オメロ・アントヌッティ, ソンソレス・アラングーレン, イシアル・ボリャン, オーロール・クレマン, ロラ・コルドナ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : スペイン語 (Mono)
- 販売元 : 東北新社
- ASIN : B00005HARO
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 116,583位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 11,150位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この映画は、素晴らしい映像美の中で静かに淡々とストーリーが進む。劇的なシーンもないが、悲劇は起こる。主人公の少女の目線で語られる物語のようで、激情も激しい悲しみも表現されないが、心の奥に秘められた感情は十分に観る者を感動させる。
2024年4月22日に日本でレビュー済み
前作「ミツバチのささやき」同様、いや前作にも増して、まるでベラスケスの絵画のような陰影と色合いが本当に美しい本作。これまた前作同様、スペイン内戦をうっすら背景にして、断片化された家庭(=それは内戦でバラバラになった国民の隠喩でもある)を色白の少女を主人公にじっくり描いてます。
さて、この作品は原作小説の前半のみで、後半は資金不足によりプロデューサーに制作を止められた未完作なのですが、主人公の少女が母の反対を押し切って南に旅立つシーンで終わることで、内戦を知らない新しい世代の主人公が父の過去(=それはスペイン国民が刻印された内戦の過去でもある)に対峙しつつ、新しい一歩を踏み出すお話として成立しています。エリセ監督としては苦肉の策だったのだろうけど、結果オーライで名作を生み出したところは才能と運に恵まれた監督だったということでしょう。
観ているときは少し唐突感を感じた終盤の展開(父の選択)だったので星を一つ削るか迷いました。迷いながら思い起こせば、終盤の娘との昼食で父は年頃の娘に精一杯近づこうと頑張るのだけれど、そのシーンはあくまで娘視点なので、少し彼を突き放したような描写なんですよね。その冷淡さが結局は娘の後悔と心の傷の元となり、家を出て南に向かうことに繋がっていくと整理するなら、父の選択をめぐる一見唐突な展開はやはり必然な訳です。原作の力もあるはずですが、構成力を感じる脚本なので、やはり星は満点付けました。
さて、この作品は原作小説の前半のみで、後半は資金不足によりプロデューサーに制作を止められた未完作なのですが、主人公の少女が母の反対を押し切って南に旅立つシーンで終わることで、内戦を知らない新しい世代の主人公が父の過去(=それはスペイン国民が刻印された内戦の過去でもある)に対峙しつつ、新しい一歩を踏み出すお話として成立しています。エリセ監督としては苦肉の策だったのだろうけど、結果オーライで名作を生み出したところは才能と運に恵まれた監督だったということでしょう。
観ているときは少し唐突感を感じた終盤の展開(父の選択)だったので星を一つ削るか迷いました。迷いながら思い起こせば、終盤の娘との昼食で父は年頃の娘に精一杯近づこうと頑張るのだけれど、そのシーンはあくまで娘視点なので、少し彼を突き放したような描写なんですよね。その冷淡さが結局は娘の後悔と心の傷の元となり、家を出て南に向かうことに繋がっていくと整理するなら、父の選択をめぐる一見唐突な展開はやはり必然な訳です。原作の力もあるはずですが、構成力を感じる脚本なので、やはり星は満点付けました。
2017年10月5日に日本でレビュー済み
語り手は少女ですが、主人公は父親です。父親には失った恋人や帰らない故郷があるわけですが、語り手の少女にとってそれははっきり掴めないものであり、見る側にも掴めないぼんやりしたものとして提示されます。けれど、その父親がもっている大きな暗い穴のような喪失感は映画全体の基調になっています。美しい映像ですが甘くはない、重さを感じる作品です。
2020年12月6日に日本でレビュー済み
窓がボ〜と明るくなり、「アウグスティーン!」の呼び声と犬の鳴き声が聞こえる。
(高校生くらいの)少女エストレーリャが箱から「振り子」を取り出して、「これが枕の下にあったからもう父は帰らないと思った」と、彼女のナレーション。
初めて見たとき、油彩のような美しさのopに目を奪われ、もしあまりストーリーを語らないイメージを連ねてゆくタイプの映画だとしても、それを見るだけでも良いと思えたが実際は、(物語の行き先全てを語りはしないが)必要なことはきちんと語り切っている素晴らしい映画だった。美しいプロローグのあと、彼女の記憶をたどる回想がこの映画の中味です。
<内容にふれています>
生まれる前にエストレーリャが女の子ということを当てたパパには、「水脈」を見つけたりといった特殊な才能があった。それを「振り子」に象徴してこの物語は進む。「振り子を習う」小さいエストレーリャと父を暗闇の中に浮かび上がらせるシーンはとくに美しくて神秘的。エストレーリャを演じる2人の女優さん、どちらも自然な演技で生き生きと少女の内面を見せてくれています。
小さい時は父に全幅の信頼を置き、神秘的な才能も「パパなら当たり前」と思う彼女にとってパパには何も「謎」はなかったが、ある日、南に住む父親(エストレーリャのおじいさん)との確執をママから聞き、パパのそうした部分がまずエストレーリャにとって「謎」となった。と同時にまだ見ぬ「南」へのあこがれ大きくなってゆく。
(『ミツバチのささやき』にも少し出てくる独特な色調の)南の風物の絵葉書を宝物箱にしまって眺める静止画のようなシーンは美しく印象的で、ラベルの曲がとても効果的に使われている。
そんなある日、エストレーリャの「初聖体拝受」のために「南」から、昔パパの乳母だったミラグロス(『ミツバチのささやき』にも同じ名前の乳母さんが登場します)と、母親(エストレーリャのおばあさん)がやってくる。彼らと久々に会うパパとママ。「初めまして」のエストレーリャ。
ミラグロスは、おじいさんとパパの正反対の「立場」をわかりやすく説明する。「内戦前の共和制の時はパパ、フランコが勝った後は、おじいさんの立場が大手を振る」という「勝てば官軍」的なことを、「どっちが悪いのだろう?」と考えるエストレーリャに教えてあげるのだ。「それまでに会ったどの女の人とも違う」とエストレーリャが大好きになるミラグロスは、学のある人ではないが頭が良く率直(そんな彼女の説明はわかりやすくスペイン内戦関連をそう知らなくてもだいじょうぶ)。
(自分の孫のような)エストレーリャの「初聖体拝受」がとても嬉しそうなミラグロス。彼女にとってこういった宗教的なことはとても大切なのだと思う。が、それとは全く違った考え・立場で、教会に出向こうとしないパパが心配だったが今日は、「教会へきてくれた!」とエストレーリャは大喜び。このあと会食で父と娘の踊るアコーディオン伴奏の♪「エン・エル・ムント」は本当に素敵だ!
「振り子」「南」「ダンス(エン・エル・ムント)」を絡めて進む記憶の物語はやがて・・・パパの「謎」が増えてしまうという、エストレーリャとママにとって(パパにとっても)少々厄介な別の女性との昔の愛のようなものが影を落としてくる・・・が、過剰に湿っぽくはなく、何とかパパのことを分かりたいと思うエストレーリャの感じがとてもいい。
ママにとっては「理解」といった問題ではないので、厳しい顔つきの増えるのも仕方ないが、ママとエストレーリャの対決のように見える「赤い毛糸シーン」にふたりの気持ちを詰め込み、あとはもうさほどママの心情は追わないエリセ監督の方向性が上手いと思うし好み。(女優だったパパの昔の恋人の出演映画をパパが見るという「再会シーン」の古いノワールによく似合う恋人役のオーロール・クレマンが素敵です。)
そうこうしてパパの謎の増えたエストレーリャ。
風見のカモメのあるこの家の横の並木道を自転車でスーッと向こうに行った「小さい彼女」が戻ってくると「大きい少女」へと変わる大好きなシーン(子犬もこのあと成犬へと変わる!)を経て、彼女自身少々面倒な男子とかかわるが、こういう所もお手伝いさんとのやり取りや、パパとの会食シーンを通して独特のテンションで語られドヨ〜ンとしないのがいい。
<ラストにふれてしまいます>
会食のグランドホテルでは、ちょっとアンゲロプロスを彷彿させるムードの結婚式が行われており、(「初聖体拝受」の後パパと踊った)「エン・エル・ムント」が聴こえてくる。「あの曲だね。」というパパの輝く顔。エストレーリャはパパの悩みの深さに気づかず、「学校サボれ!」ともっと彼女といたそうな父に「何言ってるの?!」と思うのだった・・・
この後、opシーンに続くエピローグ。エストレーリャはミラグロスからのお誘いで南へと向かう。パパの形見のスーツケースの一番上に、宝物箱の絵葉書と振り子と、パパの最後の電話代のレシート(知らない宛先)を並べたショット。白いシャツ、ベージュのクルーネックのセーター、茶系の千鳥格子のジャケットのエストレーリャ・・・すべてとてもに端正に進む(のが、ジャームッシュに似てると思う)ビクトル・エリセの『エル・スール』。
(高校生くらいの)少女エストレーリャが箱から「振り子」を取り出して、「これが枕の下にあったからもう父は帰らないと思った」と、彼女のナレーション。
初めて見たとき、油彩のような美しさのopに目を奪われ、もしあまりストーリーを語らないイメージを連ねてゆくタイプの映画だとしても、それを見るだけでも良いと思えたが実際は、(物語の行き先全てを語りはしないが)必要なことはきちんと語り切っている素晴らしい映画だった。美しいプロローグのあと、彼女の記憶をたどる回想がこの映画の中味です。
<内容にふれています>
生まれる前にエストレーリャが女の子ということを当てたパパには、「水脈」を見つけたりといった特殊な才能があった。それを「振り子」に象徴してこの物語は進む。「振り子を習う」小さいエストレーリャと父を暗闇の中に浮かび上がらせるシーンはとくに美しくて神秘的。エストレーリャを演じる2人の女優さん、どちらも自然な演技で生き生きと少女の内面を見せてくれています。
小さい時は父に全幅の信頼を置き、神秘的な才能も「パパなら当たり前」と思う彼女にとってパパには何も「謎」はなかったが、ある日、南に住む父親(エストレーリャのおじいさん)との確執をママから聞き、パパのそうした部分がまずエストレーリャにとって「謎」となった。と同時にまだ見ぬ「南」へのあこがれ大きくなってゆく。
(『ミツバチのささやき』にも少し出てくる独特な色調の)南の風物の絵葉書を宝物箱にしまって眺める静止画のようなシーンは美しく印象的で、ラベルの曲がとても効果的に使われている。
そんなある日、エストレーリャの「初聖体拝受」のために「南」から、昔パパの乳母だったミラグロス(『ミツバチのささやき』にも同じ名前の乳母さんが登場します)と、母親(エストレーリャのおばあさん)がやってくる。彼らと久々に会うパパとママ。「初めまして」のエストレーリャ。
ミラグロスは、おじいさんとパパの正反対の「立場」をわかりやすく説明する。「内戦前の共和制の時はパパ、フランコが勝った後は、おじいさんの立場が大手を振る」という「勝てば官軍」的なことを、「どっちが悪いのだろう?」と考えるエストレーリャに教えてあげるのだ。「それまでに会ったどの女の人とも違う」とエストレーリャが大好きになるミラグロスは、学のある人ではないが頭が良く率直(そんな彼女の説明はわかりやすくスペイン内戦関連をそう知らなくてもだいじょうぶ)。
(自分の孫のような)エストレーリャの「初聖体拝受」がとても嬉しそうなミラグロス。彼女にとってこういった宗教的なことはとても大切なのだと思う。が、それとは全く違った考え・立場で、教会に出向こうとしないパパが心配だったが今日は、「教会へきてくれた!」とエストレーリャは大喜び。このあと会食で父と娘の踊るアコーディオン伴奏の♪「エン・エル・ムント」は本当に素敵だ!
「振り子」「南」「ダンス(エン・エル・ムント)」を絡めて進む記憶の物語はやがて・・・パパの「謎」が増えてしまうという、エストレーリャとママにとって(パパにとっても)少々厄介な別の女性との昔の愛のようなものが影を落としてくる・・・が、過剰に湿っぽくはなく、何とかパパのことを分かりたいと思うエストレーリャの感じがとてもいい。
ママにとっては「理解」といった問題ではないので、厳しい顔つきの増えるのも仕方ないが、ママとエストレーリャの対決のように見える「赤い毛糸シーン」にふたりの気持ちを詰め込み、あとはもうさほどママの心情は追わないエリセ監督の方向性が上手いと思うし好み。(女優だったパパの昔の恋人の出演映画をパパが見るという「再会シーン」の古いノワールによく似合う恋人役のオーロール・クレマンが素敵です。)
そうこうしてパパの謎の増えたエストレーリャ。
風見のカモメのあるこの家の横の並木道を自転車でスーッと向こうに行った「小さい彼女」が戻ってくると「大きい少女」へと変わる大好きなシーン(子犬もこのあと成犬へと変わる!)を経て、彼女自身少々面倒な男子とかかわるが、こういう所もお手伝いさんとのやり取りや、パパとの会食シーンを通して独特のテンションで語られドヨ〜ンとしないのがいい。
<ラストにふれてしまいます>
会食のグランドホテルでは、ちょっとアンゲロプロスを彷彿させるムードの結婚式が行われており、(「初聖体拝受」の後パパと踊った)「エン・エル・ムント」が聴こえてくる。「あの曲だね。」というパパの輝く顔。エストレーリャはパパの悩みの深さに気づかず、「学校サボれ!」ともっと彼女といたそうな父に「何言ってるの?!」と思うのだった・・・
この後、opシーンに続くエピローグ。エストレーリャはミラグロスからのお誘いで南へと向かう。パパの形見のスーツケースの一番上に、宝物箱の絵葉書と振り子と、パパの最後の電話代のレシート(知らない宛先)を並べたショット。白いシャツ、ベージュのクルーネックのセーター、茶系の千鳥格子のジャケットのエストレーリャ・・・すべてとてもに端正に進む(のが、ジャームッシュに似てると思う)ビクトル・エリセの『エル・スール』。
2016年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今僕はお金が無い、けれどこの作品だけは手元においておかねばならない、そんな作品。
2015年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美しい映像と音楽と。全てが素晴らしい。
好きすぎてまともな評価ができないくらい何度も観てしまいます。
好きすぎてまともな評価ができないくらい何度も観てしまいます。
2013年7月7日に日本でレビュー済み
『ミツバチのささやき』に続く巨匠の作品。前作ほどではないが、これまた難解な作品です。『ミツバチのささやき』では子供の内面性を描き、今回は外面(父親)に対する見方の変化が描かれています。ビクトル・エリセが捉えるものは単なる映像美のみならず、こういった心の変化や成長を映し出す天才だと思う。
2016年11月28日に日本でレビュー済み
強くも濃くもないが、深い感傷と共感。
強引に感動を強制したり涙腺を攻め混んできたりしません。
うでもどんな名作や大作、受賞作よりも人生や家族といったものに
思いを馳せさせるようです。
一度観ただけだと、ナニコレ?と消化不良な不審感にとらわれて
はたしてこれが映画の名作なのか?と感じるでしょう。
いわゆるアメリカンハリウッドなクライマックス造りや
日本風のトレンディなドラマ感とは違うので作品として不馴れなまま
終わりとも感じさせないまま幕は終わりエンドロールが流れます。
でも人生とかってこんなのかもしれません。
父親が失踪した朝、娘は枕元から父親が自分に置いていった形見を
見つけてそれで父親が死んでしまったことを覚ります。
そのあと映画は娘のモノローグで幼き日に父親が如何に自分を
いとおしく気にかけてくれていたかを思い出します。
そして自分もお父さんをどんなに好きであったかも。。。。。
ですが成長するにつれ父親には父親の悩みや過去の女や、
祖父と父親との確執と言ったものをひきずっていることが
少女にはわかってくるようになります。
自分はこんなにお父さんを好きなのに父親は当人以外には
わからない悩みを持ったりしていて決して当人以外には理解できない。
その深い悲哀。
でも自分の哀しみとは別に父は娘を、娘は父親を、
こんなにも思いやったり思慕することができる。
その眼差しの温かさ。その態度の優しさ。
その二つが共存しながら、相容れないこと。
そういうことが人生には訪れることがあるんだ。
そんなことを感じてしまいました。
強くも濃くもないが深い。。。。。まさにそんな手応えで、
何回も何回も観直すことになるだろうな。
そんな予感を与える作品でした。
強引に感動を強制したり涙腺を攻め混んできたりしません。
うでもどんな名作や大作、受賞作よりも人生や家族といったものに
思いを馳せさせるようです。
一度観ただけだと、ナニコレ?と消化不良な不審感にとらわれて
はたしてこれが映画の名作なのか?と感じるでしょう。
いわゆるアメリカンハリウッドなクライマックス造りや
日本風のトレンディなドラマ感とは違うので作品として不馴れなまま
終わりとも感じさせないまま幕は終わりエンドロールが流れます。
でも人生とかってこんなのかもしれません。
父親が失踪した朝、娘は枕元から父親が自分に置いていった形見を
見つけてそれで父親が死んでしまったことを覚ります。
そのあと映画は娘のモノローグで幼き日に父親が如何に自分を
いとおしく気にかけてくれていたかを思い出します。
そして自分もお父さんをどんなに好きであったかも。。。。。
ですが成長するにつれ父親には父親の悩みや過去の女や、
祖父と父親との確執と言ったものをひきずっていることが
少女にはわかってくるようになります。
自分はこんなにお父さんを好きなのに父親は当人以外には
わからない悩みを持ったりしていて決して当人以外には理解できない。
その深い悲哀。
でも自分の哀しみとは別に父は娘を、娘は父親を、
こんなにも思いやったり思慕することができる。
その眼差しの温かさ。その態度の優しさ。
その二つが共存しながら、相容れないこと。
そういうことが人生には訪れることがあるんだ。
そんなことを感じてしまいました。
強くも濃くもないが深い。。。。。まさにそんな手応えで、
何回も何回も観直すことになるだろうな。
そんな予感を与える作品でした。