なんといったらいいんだろう。ストーリーは単純だが、シーンは一つ一つがアートになっていて、色彩や形状の意外性が不思議に面白く、見る者の目を飽きさせない。単なるイメージというよりも、一つ一つのシーンのイメージー「絵」―が魅力的で、不思議な力を放っている映画だ。
物語の前半はチャス(ジェームス・フォックス)が前面で動き、真ん中あたりから、ターナー(ミックジャガー)が前面に出てくる、そして二人の人格が劇的に交換されたように描かれ、終わり近くになると、二人が相貌まで入れ替わったように描かれる。登場からずっと髪は短く整髪されていたチャスは、終わりでは、ぐちゃぐちゃのパーマ頭と部屋着姿になる一方で、ターナーは逆に一糸乱れない整髪されたヘアスタイルとスーツ姿に変身する。二人はまるで黒と赤の絵具がぐるぐると混ざり合わされ、渦巻きを描くように進むように見える。いやそれは錯覚かもしれない。なんとも奇妙な映画である。ニコラス・ローグの監督の色彩感覚とドナルド・キャメル監督の大胆なハチャメチャさが融合した創造性溢れる実験的作品に仕上がっている、と言うべきなのだろうか。
映画が始まって約42分過ぎた頃に、朝日を浴びる大きな道を横断する二人の人間(たぶん母親とその娘)をカメラがパンニングしながらフォローするシーンがある。二人が道を渡って白っぽい建物の入り口に向かう。その手前に壊れた家具の一部や自転車などが捨てられている薄暗いゴミ捨て場のような場所が映るが、しかし汚いのにも関わらず、そのシークエンス全体の放射する力は、妙に人を惹きつける。建物の階段を上りながら娘が「ママ、クリスマスはまだ?」と聞くところでそのシーンは終わる。それだけのシーンなのだが、すごく記憶に焼きついて離れなくなる。
チャスがターナーの地下室を借りようとその建物に向かうシークエンスも絶品だ。タクシーに乗ったチャスが「ポイズ広場」へと言ってそのシークエンスは始まる(約37分)。タクシーを降りて建物に向かって歩くだけのシークエンスなのだが、空が薄く黄色い。サウンドトラックのギターが効いている。チャスの主観ショットの風景がきれいに見える。そのシーンは約30秒間ほど続いて、玄関の前に立つチャスに切り替わる。ただそれだけの短いシークエンスだが、ここも忘れられなくなる。
この映画は、いたるところで、シーンから放出されるエネルギーが並大抵のレベルではないのを感じる。それをアートと呼んでいいのであれば、見はじめると、ニコラス・ローグ監督の提示するアートのようなシーンに片時も目が離せなくなる。ストーリーは推進力として働いているように見えるが、だんだんどうでもよくなってきて、付随的に感じられ、それよりも監督がアートを一つ一つのシーンとして見せているような錯覚に陥らせる。不思議だが、何回でも見たくなる映画である。