魂のジュリエッタ [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, レターボックス化 |
コントリビュータ | ジュリエッタ・マシーナ, フェデリコ・フェリーニ, マリオ・ピス, サンドラ・ミーロ |
言語 | イタリア語 |
稼働時間 | 2 時間 20 分 |
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商品の説明
Amazonより
結婚15年目の記念日の夜、映画プロデューサーの夫が酔っ払って大勢の客を連れてきたことから、平凡だが満ち足りた日々を送っていると信じ込んでいた主婦ジュリエッタ(ジュリエッタ・マシーナ)の憂鬱が始まり、やがてそれは幻想と現実、過去とが錯綜する世界へと変じていく…。
『8 1/2』で男の想念を描いた名匠フェデリコ・フェリーニ監督が、続いて女の想念を描いたとも思しき作品。フェリーニ映画初のカラー作品でもあり、豪華絢爛たる色彩美を強調したイメージの羅列はまさに彼の独壇場ともいえるもので、神秘思想的、大道芸的なそれらは時にシュールで掴みづらいところもあるにはあるが、フェリーニ映画の永遠のヒロイン、ジュリエッタ・マシーナの魅力がそれを巧みにカバーしている。フェリーニ・ファンならずとも一見の価値ある秀作である。(増當竜也)
レビュー
15年目の結婚記念日を迎えたジュリエッタは夫の浮気を疑うようになるが…。中年夫婦の結婚生活の危機とヒロインの魂の開放を幻想的な映像で綴ったフェリーニの名作。
-- 内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
製作: アンジェロ・リッツオーリ 監督・原作・脚本: フェデリコ・フェリーニ 脚本: エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ/ブルネッロ・ロンディ 音楽: ニーノ・ロータ 出演: ジュリエッタ・マシーナ/サンドラ・ミーロ/マリオ・ピスー/ルー・ジルベール
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- 言語 : イタリア語
- 梱包サイズ : 19 x 13.4 x 1.4 cm; 120 g
- EAN : 4933364710154
- 監督 : フェデリコ・フェリーニ
- メディア形式 : 色, ドルビー, レターボックス化
- 時間 : 2 時間 20 分
- 発売日 : 2000/9/27
- 出演 : ジュリエッタ・マシーナ, サンドラ・ミーロ, マリオ・ピス
- 字幕: : 日本語
- 言語 : イタリア語 (Mono)
- 販売元 : 東北新社
- ASIN : B00005HLXM
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 208,910位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 21,190位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Very good
2015年12月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公ジュリエッタは結婚15年、夫を今でも愛しているが、夫の方は表面は優しくても心はすでにジュリエッタから離れている。生活に不自由はないけれど、彼女の心は空しい。私はどうしたらいいのかと彼女は様々に思い悩む。実のところ、そんな女はどこにでもいるだろう。
映画の中では、千々に乱れる彼女の思考や感情が幻想的なヴィジュアルとして表現されていて、私は何となくツインピークスの不思議な幻覚のような感じを思い出して、とても面白かった。
そして最後に彼女が見出した答は、自分は自由で幸福だということ。ラストシーンで彼女と共に歩んでいくのは「本当の友達」だけ。美しく愛らしく深い、とてもとても素敵な作品でした。
映画の中では、千々に乱れる彼女の思考や感情が幻想的なヴィジュアルとして表現されていて、私は何となくツインピークスの不思議な幻覚のような感じを思い出して、とても面白かった。
そして最後に彼女が見出した答は、自分は自由で幸福だということ。ラストシーンで彼女と共に歩んでいくのは「本当の友達」だけ。美しく愛らしく深い、とてもとても素敵な作品でした。
2017年11月25日に日本でレビュー済み
● 別の商品ページに書いていましたが、『アマルコルド邦盤』発売を祝してリニューアルし、こちらにお引越し。
『魂のジュリエッタ』も、パッケージ・デザイン一新して再発売されるといいですね。『カビリアの夜』や、『インテルビスタ』『そして船は行く』なども。
・・・
本作はフェリーニの長編初カラー作品です。
「『魂のジュリエッタ』は、物語そのものを色つきで思いついた」「カラーはうわべだけのものではなく、ストーリーや登場人物と一致したもの」といった内容の、フェリーニ自身の言葉をみたことがあります(記憶で書いているので文章そのとおりではありません)。
☆ 以下、解釈というような恐れ多いものではなく(笑)ちょっとした感想(内容にふれています)。
ジュリエッタの「基本色」は白。ふたりのチャーミングなメイドさんも白い衣装でクルクルと動きます。
ジュリエッタと夫の住む家は、庭の芝生や立木の色を滲ませたような緑の光が白の内装に映えてとても美しい。(「緑」は夫の色なのかも)
フェリーニとの実生活にかさなるという、夫の「女性関係疑惑」に悩むジュリエッタ。
思いきって行動をおこすとき、彼女は「赤」を身につけます。緑のコートに赤いスカーフ、手袋、パンプス、小さな赤にはじまって、やがて赤いケープ付き赤いワンピースのジュリエッタ。。
この映画の見どころは、現実と自在に入り混じるジュリエッタの過去や幻想、妄想シーン。
ニーノ・ロータの音楽、ファンタスティックな美術と溶けあい、めくるめく魔術的映像。
ここぞ! とばかりに鮮やかな色彩のうずまく、(サンドラ・ミーロ演じる)スージーの住む「お隣の家」。
欲望と快楽の響宴をくりひろげる中に、(15で失恋自殺した幼なじみの少女ラウラを、ジュリエッタに思い出させる)「失恋自殺未遂常連女」や、ひとの秘密(心)を見通すというスージーの祖母もいて。ジュリエッタへの、「ムリしないのよ」というような、祖母の視線が印象的。(結局ここでも、ムチャはできないジュリエッタ・・・)
・・・夫の「浮気疑惑」は「疑惑」にとどまらず、興信所での「浮気現場フィルム」映写シーン。
このシーン、大げさな仕掛けは何もありませんが、フェリーニの描写はパワフル。マッシーナの抑えた演技には気迫があって・・・(事が事だけに)監督と女優さん夫婦とはつくづく因果なものと思ったのでした。
それやこれやでふたりの間は煮つまり・・・
シンプルなチャイナ風「黒」のワンピースのジュリエッタは、ガブリエラ(← 夫が寝言で名を呼んだ女性)のところへと出向きますが・・・ガブリエラは顔を見せず、ふたりの短い電話対決にはおそろしく「切れ味」があって、フェリーニは自分たちのことをなんと客観視して映画にしたことかと。。
そうこうするうち映画は大詰めへと向かい、ジュリエッタの妄想もパワーアップ。
登場人物がぞろぞろ総出でたたみかけ、とてつもないフェリーニの世界へ「迷い込んでしまった」ような小さなジュリエッタ。いったいどうなるのかとみていると・・・
☆ このあとラストにもふれます。
サーカスの踊り子(こちらもサンドラ・ミーロが演じます)と駆け落ちした、ジュリエッタの祖父がらみのとってもフェリーニなシークエンスから脱出劇を経て、ジュリエッタがニッコリ微笑む解放感あふれるエンディングへとつづきます。
夫の浮気に心を痛めたことの他にも、ジュリエッタには、思うままにのびのびふるまいたい気持ちと(幼いころからの宗教教育などによる)抑圧との、せめぎ合いがありました。
( 殉教劇の聖少女役を与えられたジュリエッタ。「子どもになんてことを!」と阻止する祖父は皆に白い目で見られ、ジュリエッタは泣きじゃくるというエピソードが中盤にあり、ジュリエッタはその小さな自分を最後に火刑台から解きます。映画の最初には「降霊術(コックリさん)」シーンもあって・・・「イリス」「オーラス」と名のる、ジュリエッタの相反する二つの心が争うように現れます。「イリス」=お隣のスージーでもあり、サーカスの踊り子でもある・・・)
初めての恋で結婚したジュリエッタにとって、「全世界だった」という夫。彼にどう思われているかにも必要以上に拘っていましたが、「自分を信じて、自分で考えて行動すればいいんだ」と心底思えた瞬間に、ジュリエッタは幻想からもいろんなことからも「解放」されたのだと思います。
・・・と、まとめましたけど。夫の「檻」に囚われてしまった場合(笑)、ほんとに解放されるには夫のことを「屁とも思わなくなる」他ないのでないかというのが持論なのですが(笑)、「ジュリエッタ・マッシーナ」はそうではありませんでしたね。
P.S. マッシーナのシンプルな衣装デザインはフェリーニ自身だそうです(帽子も)。他の人たちの装飾的な衣装はピエロ・ゲラルディ。サンドラ・ミーロ、衣装に負けずよく似合ってお美しかったです(笑)。
『魂のジュリエッタ』も、パッケージ・デザイン一新して再発売されるといいですね。『カビリアの夜』や、『インテルビスタ』『そして船は行く』なども。
・・・
本作はフェリーニの長編初カラー作品です。
「『魂のジュリエッタ』は、物語そのものを色つきで思いついた」「カラーはうわべだけのものではなく、ストーリーや登場人物と一致したもの」といった内容の、フェリーニ自身の言葉をみたことがあります(記憶で書いているので文章そのとおりではありません)。
☆ 以下、解釈というような恐れ多いものではなく(笑)ちょっとした感想(内容にふれています)。
ジュリエッタの「基本色」は白。ふたりのチャーミングなメイドさんも白い衣装でクルクルと動きます。
ジュリエッタと夫の住む家は、庭の芝生や立木の色を滲ませたような緑の光が白の内装に映えてとても美しい。(「緑」は夫の色なのかも)
フェリーニとの実生活にかさなるという、夫の「女性関係疑惑」に悩むジュリエッタ。
思いきって行動をおこすとき、彼女は「赤」を身につけます。緑のコートに赤いスカーフ、手袋、パンプス、小さな赤にはじまって、やがて赤いケープ付き赤いワンピースのジュリエッタ。。
この映画の見どころは、現実と自在に入り混じるジュリエッタの過去や幻想、妄想シーン。
ニーノ・ロータの音楽、ファンタスティックな美術と溶けあい、めくるめく魔術的映像。
ここぞ! とばかりに鮮やかな色彩のうずまく、(サンドラ・ミーロ演じる)スージーの住む「お隣の家」。
欲望と快楽の響宴をくりひろげる中に、(15で失恋自殺した幼なじみの少女ラウラを、ジュリエッタに思い出させる)「失恋自殺未遂常連女」や、ひとの秘密(心)を見通すというスージーの祖母もいて。ジュリエッタへの、「ムリしないのよ」というような、祖母の視線が印象的。(結局ここでも、ムチャはできないジュリエッタ・・・)
・・・夫の「浮気疑惑」は「疑惑」にとどまらず、興信所での「浮気現場フィルム」映写シーン。
このシーン、大げさな仕掛けは何もありませんが、フェリーニの描写はパワフル。マッシーナの抑えた演技には気迫があって・・・(事が事だけに)監督と女優さん夫婦とはつくづく因果なものと思ったのでした。
それやこれやでふたりの間は煮つまり・・・
シンプルなチャイナ風「黒」のワンピースのジュリエッタは、ガブリエラ(← 夫が寝言で名を呼んだ女性)のところへと出向きますが・・・ガブリエラは顔を見せず、ふたりの短い電話対決にはおそろしく「切れ味」があって、フェリーニは自分たちのことをなんと客観視して映画にしたことかと。。
そうこうするうち映画は大詰めへと向かい、ジュリエッタの妄想もパワーアップ。
登場人物がぞろぞろ総出でたたみかけ、とてつもないフェリーニの世界へ「迷い込んでしまった」ような小さなジュリエッタ。いったいどうなるのかとみていると・・・
☆ このあとラストにもふれます。
サーカスの踊り子(こちらもサンドラ・ミーロが演じます)と駆け落ちした、ジュリエッタの祖父がらみのとってもフェリーニなシークエンスから脱出劇を経て、ジュリエッタがニッコリ微笑む解放感あふれるエンディングへとつづきます。
夫の浮気に心を痛めたことの他にも、ジュリエッタには、思うままにのびのびふるまいたい気持ちと(幼いころからの宗教教育などによる)抑圧との、せめぎ合いがありました。
( 殉教劇の聖少女役を与えられたジュリエッタ。「子どもになんてことを!」と阻止する祖父は皆に白い目で見られ、ジュリエッタは泣きじゃくるというエピソードが中盤にあり、ジュリエッタはその小さな自分を最後に火刑台から解きます。映画の最初には「降霊術(コックリさん)」シーンもあって・・・「イリス」「オーラス」と名のる、ジュリエッタの相反する二つの心が争うように現れます。「イリス」=お隣のスージーでもあり、サーカスの踊り子でもある・・・)
初めての恋で結婚したジュリエッタにとって、「全世界だった」という夫。彼にどう思われているかにも必要以上に拘っていましたが、「自分を信じて、自分で考えて行動すればいいんだ」と心底思えた瞬間に、ジュリエッタは幻想からもいろんなことからも「解放」されたのだと思います。
・・・と、まとめましたけど。夫の「檻」に囚われてしまった場合(笑)、ほんとに解放されるには夫のことを「屁とも思わなくなる」他ないのでないかというのが持論なのですが(笑)、「ジュリエッタ・マッシーナ」はそうではありませんでしたね。
P.S. マッシーナのシンプルな衣装デザインはフェリーニ自身だそうです(帽子も)。他の人たちの装飾的な衣装はピエロ・ゲラルディ。サンドラ・ミーロ、衣装に負けずよく似合ってお美しかったです(笑)。
2013年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
女性版『8 1/2』とも言われている作品
『8 1/2』では、モノクロの男の世界
今作では、華やかに彩られた女性の世界
フェリーニにとって最初の実験的なカラー作品
フェリーニとジュリエッタは当初は、おしどり夫婦と呼ばれていたが
不和の噂も囁かれるようになり、自作自演で自分たちの関係をさらしてます。
快楽の象徴のような存在を演じていたサンドラ・ミーロの怪演っぷりも必見。
『8 1/2』では、モノクロの男の世界
今作では、華やかに彩られた女性の世界
フェリーニにとって最初の実験的なカラー作品
フェリーニとジュリエッタは当初は、おしどり夫婦と呼ばれていたが
不和の噂も囁かれるようになり、自作自演で自分たちの関係をさらしてます。
快楽の象徴のような存在を演じていたサンドラ・ミーロの怪演っぷりも必見。
2014年8月2日に日本でレビュー済み
まず、カラーの色彩の美しさに圧倒される。
原色を大胆に使いながらも、けばけばしい感じが全くしない。
ストーリーは、旦那の浮気を疑いはじめた妻が、妄想に駆り立てられ悩み苦しむ。
やがて夫の浮気が本当であることを知りさらに絶望するが、最後には過去の自分と決別し、女としての心の自立を確立するといった話。
フェリーニならではの幻想的なシーンを織り込みながら、イマジネーション豊かに美しい色彩で描いていく。
主演のジュリエッタ・マシーナがほんと上品で可愛いのが特に印象に残った。
原色を大胆に使いながらも、けばけばしい感じが全くしない。
ストーリーは、旦那の浮気を疑いはじめた妻が、妄想に駆り立てられ悩み苦しむ。
やがて夫の浮気が本当であることを知りさらに絶望するが、最後には過去の自分と決別し、女としての心の自立を確立するといった話。
フェリーニならではの幻想的なシーンを織り込みながら、イマジネーション豊かに美しい色彩で描いていく。
主演のジュリエッタ・マシーナがほんと上品で可愛いのが特に印象に残った。
2012年2月2日に日本でレビュー済み
イタリアの大監督フェデリコ・フェリーニが、妻の大女優ジュリエッタ・マシーナを主役に、夫の浮気について悩む妻の心を、この監督さんの得意の幻想的サーカス的映像で、これでもか状態に見せる映画です・・・
フェリーニという監督さんはその数々の映画の特徴を見ても、幻想的なイマジネーションを(特撮でもなく、もちろん今のCGでもなく)演劇的にセットや衣装やメイクで、まるでサーカスのように見せてくれる人ですが、頭の中がそういうイメージでいっぱいにあふれるような感性の持ち主だと思います。生前イタリアの大使館だか、そういう関係の場所で、フェリーニのスケッチ風の絵、映画用の絵コンテなどの展覧会を見たことがありますが、実に上手で、センス良く、イタリア人らしく、色がきれいで線がセンスの極みを感じさせ、しかもダイナミックさとユーモアがあふれた絵の数々で、感心しました。
このように、感性豊かな人は、きっと様々なことを感じ取って、その美や魅力や個性にいちいち酔いながら生きているのだと思うのですが・・・そういうのは、この世を生きていくのに、ちょっと不都合なものです。もっと安定して、感性をあそばせるのはいいけど、ほどほどにしておく、という地に足の付いた、愛のある視点を持っていないと、あふれるイマジネーションに振り回されては不安で生きられるものではありません。たぶん、フェリーニの妻、ジュリエッタは、その辺を大変堅実に暖かく、判断し行動できる人なんだと思います。容姿は人を惑わすような美女、というのではないし、どちらかというと、信頼できる先生、という存在感です。なので、フェリーニにとって、ジュリエッタの存在は、ほんとうに生きていくうえで欠くことのできない、頼りの道しるべ、フラフラと感性の赴くままに冒険した後の、帰るべき港、のような存在だったのではないでしょうか。
そして、どんなによその美女の色香に惑わされ、人間の感性のジャングルに冒険しさまよって味わったとしても、そんな冒険好きの少年が疲れて帰ってきたのを暖かく迎えてくれる、母親のような妻、が、俺は、こんなに愛されているんだ、と自慢だったのではないでしょうか。こんなに素晴らしい、中身のある女性を所有してるんだ・・・なんて。
だから、そのジュリエッタが観音様のように何の迷いもなく、存在しているのでは面白くなくて、こんなに自分の冒険(夫としての浮気も含む)に、やはり妻として女性として、悩み苦しみながらも、やはり自分は貞淑なまま、夫を待つんだ、という、そういうのを、これでもか状態に描いて!それを妻に演じさせた、という・・・才能ある、しょってる男のやりたい放題、の映画である、と私は見ました!
ジュリエッタは派手な美女ではありませんが、髪もメイクも衣装も、とてもとても美しく、撮られています。
そして映画の中で、どんなにできた女ジュリエッタでも、夫の浮気の疑惑にとても苦しめられます。
夫の浮気、とは、妻と離婚する気がない以上、気晴らし、現実逃避の夢、ロマン、本当は何人もの女と恋をしたい・・・というような男の本能であるのでしょう。
しかし、フェリーニの理想の妻ジュリエッタは、自分がだからと言って浮気し返す気にもなれず(差し出される幻想の浮気相手の男のイケメンなこと!!!現実離れ、この上ない!!!)、かといって夫の浮気旅行にはつらい気持ちを抱きつつ、責めたりもせず、悟りの境地にいたったのか、にっこり笑って美しい、夫がいざとなったら帰るべき整った家のなかに、彼女は住んでいる、ここからは出ていかない、というイメージで終わるのです。
ジュリエッタとフェリーニの夫婦は、実際離婚した、というので、やはりできた女ジュリエッタにとって、つらいと感じる気持ちはあったのでしょう。でも、男としての意地を大監督としても主張しつつつも、安定した暖かいジュリエッタが必要であったフェリーニにとっては、彼女なしでは結局不安であったでしょうし、頭のよい暖かいジュリエッタはそれを理解して、最後死ぬまでフェリーニには寄り添ったのではないでしょうかねー
あんまり冒険が過ぎる夫を持つのは、やはり妻も弱い人間である以上、しんどいことでしょうねー
でも、夫が離婚を望まない以上、男は冒険したくなるものだ、と少しは割り切る必要があるでしょう。その中でできる範囲で夫を愛せれば、妻もよい人生を送ったことになると思います。
この映画でのフェリーニの幻想的描写は、面白いのですが、意味としては妻の葛藤、ですから、多すぎるなー、と思う時もありましたが、やはりその映像つくりが美術的に見飽きないのと、やはりこのくらい描くくらい、妻の苦しみは大きい、ということだ、と思うと、まあ、軽くは扱えないなー、と思ってみたりしました。
60年代の映画であるため、色やファッションや、当時はやっていたらしい降霊の集まり、とか、私の好きな美しさや興味、でした。また、これぞイタリア美女、のシルバ・コシナ、味のあるヴァレンティナ・コルテーゼを見れたのも、うれしかったです。
フェリーニという監督さんはその数々の映画の特徴を見ても、幻想的なイマジネーションを(特撮でもなく、もちろん今のCGでもなく)演劇的にセットや衣装やメイクで、まるでサーカスのように見せてくれる人ですが、頭の中がそういうイメージでいっぱいにあふれるような感性の持ち主だと思います。生前イタリアの大使館だか、そういう関係の場所で、フェリーニのスケッチ風の絵、映画用の絵コンテなどの展覧会を見たことがありますが、実に上手で、センス良く、イタリア人らしく、色がきれいで線がセンスの極みを感じさせ、しかもダイナミックさとユーモアがあふれた絵の数々で、感心しました。
このように、感性豊かな人は、きっと様々なことを感じ取って、その美や魅力や個性にいちいち酔いながら生きているのだと思うのですが・・・そういうのは、この世を生きていくのに、ちょっと不都合なものです。もっと安定して、感性をあそばせるのはいいけど、ほどほどにしておく、という地に足の付いた、愛のある視点を持っていないと、あふれるイマジネーションに振り回されては不安で生きられるものではありません。たぶん、フェリーニの妻、ジュリエッタは、その辺を大変堅実に暖かく、判断し行動できる人なんだと思います。容姿は人を惑わすような美女、というのではないし、どちらかというと、信頼できる先生、という存在感です。なので、フェリーニにとって、ジュリエッタの存在は、ほんとうに生きていくうえで欠くことのできない、頼りの道しるべ、フラフラと感性の赴くままに冒険した後の、帰るべき港、のような存在だったのではないでしょうか。
そして、どんなによその美女の色香に惑わされ、人間の感性のジャングルに冒険しさまよって味わったとしても、そんな冒険好きの少年が疲れて帰ってきたのを暖かく迎えてくれる、母親のような妻、が、俺は、こんなに愛されているんだ、と自慢だったのではないでしょうか。こんなに素晴らしい、中身のある女性を所有してるんだ・・・なんて。
だから、そのジュリエッタが観音様のように何の迷いもなく、存在しているのでは面白くなくて、こんなに自分の冒険(夫としての浮気も含む)に、やはり妻として女性として、悩み苦しみながらも、やはり自分は貞淑なまま、夫を待つんだ、という、そういうのを、これでもか状態に描いて!それを妻に演じさせた、という・・・才能ある、しょってる男のやりたい放題、の映画である、と私は見ました!
ジュリエッタは派手な美女ではありませんが、髪もメイクも衣装も、とてもとても美しく、撮られています。
そして映画の中で、どんなにできた女ジュリエッタでも、夫の浮気の疑惑にとても苦しめられます。
夫の浮気、とは、妻と離婚する気がない以上、気晴らし、現実逃避の夢、ロマン、本当は何人もの女と恋をしたい・・・というような男の本能であるのでしょう。
しかし、フェリーニの理想の妻ジュリエッタは、自分がだからと言って浮気し返す気にもなれず(差し出される幻想の浮気相手の男のイケメンなこと!!!現実離れ、この上ない!!!)、かといって夫の浮気旅行にはつらい気持ちを抱きつつ、責めたりもせず、悟りの境地にいたったのか、にっこり笑って美しい、夫がいざとなったら帰るべき整った家のなかに、彼女は住んでいる、ここからは出ていかない、というイメージで終わるのです。
ジュリエッタとフェリーニの夫婦は、実際離婚した、というので、やはりできた女ジュリエッタにとって、つらいと感じる気持ちはあったのでしょう。でも、男としての意地を大監督としても主張しつつつも、安定した暖かいジュリエッタが必要であったフェリーニにとっては、彼女なしでは結局不安であったでしょうし、頭のよい暖かいジュリエッタはそれを理解して、最後死ぬまでフェリーニには寄り添ったのではないでしょうかねー
あんまり冒険が過ぎる夫を持つのは、やはり妻も弱い人間である以上、しんどいことでしょうねー
でも、夫が離婚を望まない以上、男は冒険したくなるものだ、と少しは割り切る必要があるでしょう。その中でできる範囲で夫を愛せれば、妻もよい人生を送ったことになると思います。
この映画でのフェリーニの幻想的描写は、面白いのですが、意味としては妻の葛藤、ですから、多すぎるなー、と思う時もありましたが、やはりその映像つくりが美術的に見飽きないのと、やはりこのくらい描くくらい、妻の苦しみは大きい、ということだ、と思うと、まあ、軽くは扱えないなー、と思ってみたりしました。
60年代の映画であるため、色やファッションや、当時はやっていたらしい降霊の集まり、とか、私の好きな美しさや興味、でした。また、これぞイタリア美女、のシルバ・コシナ、味のあるヴァレンティナ・コルテーゼを見れたのも、うれしかったです。
2010年10月31日に日本でレビュー済み
はじめて観たが、
ジュリエッタ・マシーナの可愛らしさが
何ともいえずよかった。
冒頭の、交霊術の怪しい感じから、
最後の最後まで、不思議の国のジュリエッタ、
とでもいうようなフェリーニによる幻想が
ちりばめられていた。
変わらぬ可愛らしさを
みられるだけでも、何とも和める。
ジュリエッタ・マシーナの可愛らしさが
何ともいえずよかった。
冒頭の、交霊術の怪しい感じから、
最後の最後まで、不思議の国のジュリエッタ、
とでもいうようなフェリーニによる幻想が
ちりばめられていた。
変わらぬ可愛らしさを
みられるだけでも、何とも和める。
2011年5月31日に日本でレビュー済み
心の空想をそのままフェリーニ流で具現化した映像が
なんとも不可思議で悪趣味と孤高の中間あたりの感じです。
そんな映像が夫の不倫に苦しむ妻というだけの話を退屈させずに
見せてくれます。
そしてラスト・・・
彼女は自由に希望を見開くわけですが
現実にフェリーニ夫妻はこの映画の完成直後に別れているのですね。
幻想の映画ですが中身は本物だったわけです。
そこらへんを知ってみると興味深く観ることができるかもです。
なんとも不可思議で悪趣味と孤高の中間あたりの感じです。
そんな映像が夫の不倫に苦しむ妻というだけの話を退屈させずに
見せてくれます。
そしてラスト・・・
彼女は自由に希望を見開くわけですが
現実にフェリーニ夫妻はこの映画の完成直後に別れているのですね。
幻想の映画ですが中身は本物だったわけです。
そこらへんを知ってみると興味深く観ることができるかもです。