1996年の映画。全体的な自分の感想はBBC-TV版のレビューで書いてしまったので、ここでは相違点だけを書きます。
①内容の劣化
・まず原題は「ある婦人の肖像」であり「貴婦人」ではない。話の内容がイザベルに偏っているので、彼女のエゴ(自惚れ)ぶりが嫌になる。オズモンドと結婚後は「コップの
中の嵐」の痴話話を長々と観ることになる。正直うんざりする(苦笑が出る)。
・映像に凝るのは良いが、受ける印象は全体的に暗く厭きてくる。反面舞踏会等の映像は過剰に華やか。原作者は主
要テーマから読者の目をそらす為、わざと美しい描写を挿入する技巧を用いるが、まんまとこれに引っ掛かった。
ここまでは、只金をかけただけの凡作に見えるが、非常に光るものがある。それは
②原作者の意図の映像化
・原作には「絵画の女性の美しさは変わらないのに、変わり果てた自分を嘆く」重要な場面があるが、本作にはこれ
を匂わせるシーンがある。原題名の「ある婦人の「肖像」」を思い出して欲しい。
・オズモンドのようなヨーロッパの 世俗に染まった 「無国籍者」とは違い、グッドウッドはイザベル以上に活動的
、現実的で判断力もある典型的な 「アメリカ人」である。原作は「デェイジー・ミラー」と共に作家の初期の代表
作であり、この時期原作者は 「旧世界=ヨーロッパ 」と「新世界=アメリカ」との文化、思想の違いをテーマとした作品を書いていた。
自惚れたイザベルを騙し「金蔓」としてか思っていないオズモンド。イザベルへの想いから(それが叶わぬことを知りながら)何度も大西洋を越える グッド ウッド。この二人の対比が本作の一番の見所ではないかと思う。
蛇足だがモードの弾くシューベルトのピアノ曲は「即興曲 作品90の4 D899」(エンドロールから分かった)。