ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, CD, 2018/6/20
"もう一度試してください。" | CD | ¥1,456 | ¥1,179 |
CD, 2012/12/26
"もう一度試してください。" | 2枚組 | ¥3,501 | ¥2,064 |
CD, 限定版, 2001/5/16
"もう一度試してください。" | 限定版 |
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| — | ¥314 |
CD, 2001/5/16
"もう一度試してください。" | 1枚組 |
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| — | ¥2,980 |
CD, CD, 2016/12/7
"もう一度試してください。" | CD |
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曲目リスト
1 | 交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 第1楽章:躍動して、速すぎず |
2 | 交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 第2楽章:アンダンテ・クワジ・アレグレット |
3 | 交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 第3楽章:スケルツォ(躍動して)とトリオ(速すぎずに。如何なる場合も決して引きずらないで) |
4 | 交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 第4楽章:フィナーレ(躍動して、しかし速すぎず) |
商品の説明
Amazonレビュー
“録音された音楽”を完全否定し、生の演奏だけが本物の音楽であると主張し続けていた、ルーマニア生まれの孤高の大指揮者セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)。彼の最も得意とした作曲家がブルックナーである。その生前の演奏は、眼前に現れた神秘的な現象のように、1回1回が特別でかけがえがなく、聴き手の音楽観を根本から変えるほどの出来事であった。
この《ロマンティック》は、1988年10月に行われた演奏会のライヴ。第1楽章も第4楽章も、強い終結の和音は必ず柔らかく余韻を残して終わる。随所にあるこの不思議なフェイント感はチェリビダッケ独自の理論によるもの。慣れない聴き手には違和感があるかもしれないが、好きになると完全にやみつきになる。すべてのフレーズをこれほど優しく心を込めて演奏する指揮者はいないのだ。響きは常に透明で澄み切っており、音程の正確さには無類のものがある。休符をたっぷりとり、次のフレーズに移りゆくたびにゆったりとした呼吸が聴き手の全身をひたしていく。
晩年ミュンヘンに移ってからのチェリビダッケは、才気と精力に満ち溢れた壮年期とはまた違い、その芸境を深遠かつ巨大なものへと深めていった。特に好んで指揮したブルックナーでは演奏するたびに奇跡のように神々しい宇宙が現出した。冒頭のホルンだけでも別次元の世界へと誘われる第1楽章、胸も張り裂けんばかりの哀しみと敬虔さをたたえた第2楽章、どっしりとした安定した歩みがたまらない第3楽章、永遠に続くかと思えるほどの気が遠くなるクレッシェンドが終結部に待ち受けている第4楽章など、チェリビダッケ以外の誰にもなしえない至高のブルックナーがここにはある。(林田直樹)
メディア掲載レビューほか
1997年発表の、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団演奏による楽曲を収録したチェリビダッケ・エディション・シリーズを値下げしての再発売(第2回発売)。 (C)RS
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 14.09 x 12.63 x 1.37 cm; 80.32 g
- メーカー : EMIミュージック・ジャパン
- EAN : 4988006791190
- 時間 : 1 時間 19 分
- レーベル : EMIミュージック・ジャパン
- ASIN : B00005HYFP
- ディスク枚数 : 1
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- - 25,593位交響曲・管弦楽曲・協奏曲
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
まだほかにもCDを持っていたかな。
すばらしい演奏ばかり。
そして、ふと、チェリさんが聴きたくなる。
スタンダードでも極端でもなく、チェリに問いたい。
CDを入手してワクワクしながら聴いてみての最初の感想は、
「コンチクショー!!」。
ほんとはこの一言しかないのですが、
なぜ、コンチクショー!なのか??
恐らく、他人様に伝えるなら、極端だと思います。
しかし、「コンチクショー」。
やりたいことをやっている人間への嫉妬。ふざけるな。
言葉の貧困が悲しくなりますが、そうなんです。
音楽用語を知らない、音楽教育を受けていない人間の劣等感。
しかし、オレにも感じるところはあるのだと訴えたい。
卑下。
卑下がコンチクショー。
その裏返しであるところの、
自分が賢明であると見られたい欲望。
高慢の裏返し。
はあ、チェリさん。
ワシ、ブルックナーに関しては、チェリさんです。
4番は特に。
pp?pppレベルの弦の刻み(これがすごく示唆的な響きをしていてゾクゾクする)をベースにして、これまた極めて抑制された木管金管のメロディ(弱音限界ギリギリだろうけど壊れていない)から、牛歩のように徐々に徐々にとクレッシェンドして、ついに最後のfffの強奏に至り、最後の全くつぶれていない和音を響かせるまでのプロセスが、「これぞカタルシスやー!」と叫びたくなるすばらしさ。
これを生で聴いてたら心臓麻痺で昇天していたかもしれない。
音楽芸術の一つの到達点と言っても過言じゃない、と心の底から思う。
一度聞きなおしてみようと選んだのが十八番のブルックナーの4番。勿論、手兵のミュンヘンフィルとの演奏である。
フルトヴェングラーやベームの流れをくむ正統派であることに聞きなおした。ライブ盤であり、彼は冒頭のブルックナー主題から気合を入れている。第二楽章では深い森の中に昇る朝日のごとき趣が、第三楽章のトリオ部のレントラー主題は鄙びた田園風景が浮かんで来る。最終楽章のコーダまで一つも緩むことなく純粋なロマン派音楽を恐れ入ったかとばかりに聞かせる。たちまちかの腕力にねじふせられてしまった。だが、心地よい。
それはかのゆったりとしたテンポゆえにより明確になってくるのである。今となってはもう少し聞いておいたらばと少なからず後悔している次第である。
他の国からのトップレビュー
A great recording in a crowded discography of Bruckner's 4th, replacing Karajan, G. Wand, and Jochum as my preferred reading and playing of this symphonic masterpiece.
2 x Celibidache mit den Münchner Philharmonikern (Warner Classics, SONY)
1 x Karl Böhm, Wiener Philharmoniker
1 x Kurt Masur, Gewandhausorchester Leipzig.
Diese Aufnahme vom Februar 1989 aus dem Großen Saal des Wiener Musikvereins ist für mich eine absolute Sternstunde, sowohl von Bruckners "Romantischer" als auch von Celibidache. Da kann auch der Mitschnitt vom 16. Oktober 1988 aus der Philharmonie am Gasteig (EMI / Warner Classics) nicht mithalten.
Trotz der getragenen Tempi, für die Celi berümt-berüchtigt war, (Ausnahme ist das Scherzo im 3. Satz, in dem er das Tempo deutlich forciert) hat diese Interpretation eine unglaubliche Dynamik und eine innere Spannung, die nie auch nur einen Moment abreisst. Celi dirigiert hier mit höchster Intensität, Variabilität und meisterlicher Agogik. Er führt die Münchner Philharmoniker durch die ganze Bandbreite an musikalischen Ausdrucksmöglichkeiten und tiefster, wahrhaftigster Gefühlsdichte. (Dagegen ist Masurs gehetzter Parforceritt ein Exempel an Oberflächlichkeit und musikalischer Belanglosigkeit.)
Die harmonischen Auflösungen im zweiten Satz dürften zum Schönsten und Innigsten zählen, was man in dieser Hinsicht jemals hören kann.
Der pulsierende Rythmus im 4. Satz hat nicht trotz, sondern wegen der Langsamkeit etwas druckvoll Vorwärtsdrängendes, wie ein Rennpferd, das nur mühsam zurückgehalten wird. Das ist ganz große Kunst. (Bei hektischem Maximaltempo ist genau dies unmöglich!)
Wo es angebracht ist, entfacht Celi mit "seinem" Orchester ein mächtiges Klanggewitter mit wuchtigen Schlägen, wobei der Klang selbst im maximalen Tutti-Fortissimo nie diffus oder intransparent wird. Es kommen immer wieder nie gehörte Details zum Vorschein.
Die Spannungsbögen sind phänomenal, das Finale schier unerträglich in seiner Steigerung (Stretto) und geballten Kraft!
There is alignment between Bruckner and Heidegger in their celebration of Pure Being and its radiance. Leibniz joins in the chorus with his wondrous question: why is there something rather than nothing? Celi is attuned to these considerations. Here, when the big chorale arises in the middle of the first movement in all its lambency, one is left awe-struck, just as much as the Apollo 8 astronauts were when they witnessed Earthrise over the Sea of Tranquillity. I have never heard anything like this - never. This is Bruckner as Creation. Not even Karajan in his DG performance imbues this passage with the same degree of celestial wonder. The slow movement is an excursion into the `forests of the night' and there has never been a more deep-domain exposition than this: Celi slows the music to a crawl thereby sucking the breath from the listener - and the climax which follows is seismic in its impact. The Scherzo is a bucolic interlude. Celi is famous for his `Stairway to Heaven' treatment of the finale's coda. Here, it is much better realised than the EMI alternative: Farewell to the Shadowlands indeed.
The slow tempo notwithstanding, everything here is masterfully sustained. Nothing sags. Other than Karajan's performance of the Eighth from 1944, I'm hard-pressed to think of any other Bruckner performance (in whatever symphony) that comes anywhere near this account in terms of sustained mastery and Real Presence. This is life-changing. It is Sign. Can you not read the runes on the Wall?"