アルバム冒頭の「幸福な手 作品18」は、シェーンベルクが自分で台本を書いたワーグナー風の
音楽劇。全体で20分ほどの作品だが、内容は軽くない。主人公は孤独な男で、仕事が社会に
認められず、性的妄想に悩んでいる。彼が愛した女性は他の男と愛し合う。最終的に女は彼の
ものとはならず、男は生き埋めになる。
シェーンベルクは、どうしてもこの題材を自分の脚本で表現しなくてはならなかった。これは
彼の実体験だった。それと問題は、妻の不倫だけではなく、音楽的な突破の面からも重要だった。
1900年ごろ、シェーンベルクは先行する作曲スタイルであるワーグナーの語法を使いこなし、
管弦楽を拡大。調性的にも不協和音を連続させ、解決をなくす地点まで進んでいた。ではその先は
どうするのか、どうなるのか。壁にぶつかっていた。そのタイミングで妻マティルデ・シェーン
ベルクが、若き世紀末画家、リヒャルト・ゲルストルと関係を持ち、2人で出奔してしまう。
妻はヴェーベルンの説得で家に戻ったが、ゲルストルの方は作品を焼き払ったのち、縊死する。
このワーグナー的展開に戦慄したシェーンベルク。彼は2人の愛の深さも知っていたし、その破滅の
実相も他人事ではなかった。古い倫理や社会性と愛の間で板挟みになったゲルストル。それは古い
音楽語法と次の発展の間で苦悩する自分自身。
古い誤報に囚われていては、自分は音楽的に死ぬしかない。ではどうするのか。ゲルストルも
古いくびきを逃れて、愛の方へ奔ったならば、そこには大きな自由があっただろう。自分は
そちらを選択する。解決なき無調の方へ、大胆に一歩をと。そこで書かれたのが「ピアノ伴奏付き
歌曲”ゲオルグの架空庭園の書”」(1908)であり、「幸福な手」となる。
このアルバムの2曲目は、「管弦楽のための変奏曲 作品31」で、「架空庭園の書」から20年後の
作品だが、シェーンベルクがまず歌曲の分野で達成した新しい語法を大規模なオーケストラ作品に
使用した最初の例となっている。
アルバムを締めくくるのは、40年後に再び作曲家の注意を引いた初期作品「浄められた夜」の
弦楽オーケストラ版。