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裸の島 [DVD]

4.5 5つ星のうち4.5 29個の評価

仕様
価格
新品 中古品
DVD 通常版
¥10,500 ¥4,180
DVD 1枚組
¥4,200
フォーマット ブラック&ホワイト, ドルビー, ワイドスクリーン
コントリビュータ 乙羽信子, 田中伸二, 堀本正紀, 新藤兼人, 殿山泰司
稼働時間 1 時間 35 分

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商品の説明

商品紹介

瀬戸内海の孤島で力強く生きる貧しいひとつの家族を台詞無しで描く映画詩。モスクワ国際映画祭グランプリ受賞。

モスクワ国際映画祭グランプリ、ベルリン映画祭セルズニック銀賞。国内外問わず高く評価された。瀬戸内海の孤島で力強く生きる貧しいひとつの家族を台詞無しで描く映画史。

■キャスト
乙羽信子、殿山泰司

■スタッフ
監督:新藤兼人

レビュー

製作・監督・脚本: 新藤兼人 撮影: 黒田清己 音楽: 林光 出演: 乙羽信子/殿山泰司/田中伸二/堀本正紀
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 2.35:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988126200381
  • 監督 ‏ : ‎ 新藤兼人
  • メディア形式 ‏ : ‎ ブラック&ホワイト, ドルビー, ワイドスクリーン
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 35 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/8/10
  • 出演 ‏ : ‎ 乙羽信子, 殿山泰司, 田中伸二, 堀本正紀
  • 販売元 ‏ : ‎ 角川映画
  • ASIN ‏ : ‎ B00005LJV0
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 29個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.5つ
5つのうち4.5つ
29グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2019年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全編ほぼセリフなしの実験的映画で、冒頭こそやや戸惑うものの、シーンが進むにつれて次第に惹きこまれ、見終わった後には深い充足感が残る、そんな映画だった。生きること、生活すること、働くことの崇高さを描いた人間讃歌。この一作だけでも新藤兼人は世界的映画監督と呼ぶに足る。新藤監督の盟友、殿山泰司の唯一の主演作でもある。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年7月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主要な俳優は乙羽信子と、殿山泰司だけ。イメージだけでこれだけ伝わるのかと感心。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年7月1日に日本でレビュー済み
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セリフも少なく、白黒映画で、最初映画館で見たような感動を受けました。
2021年9月6日に日本でレビュー済み
離島に住む家族の生活を台詞なしで描いた、日本の実験的な映画。監督・脚本は、野心的な作品群で知られる日本のインディペンデント映画の先駆者の新藤兼人。モノクロ。シネマスコープ。96分。

夫の千太(殿山泰司)と妻のトヨ(乙羽信子)、8歳の息子の太郎と6歳の息子の次郎の4人の家族は、瀬戸内海の小さな島に住んでいた。

電気も水道もないその島には、彼らの他には誰も住んでいなかった。彼らは島の頂上に藁葺き屋根の小屋を建てて住み、段々畑で麦とサツマイモを栽培しながら暮らしていた。

千太とトヨの日課は、隣の島から水を運んでくることだった。彼らは毎日、小船を漕いで隣の島まで行き、手桶に水を汲み、天秤棒で担いで水を島の頂上まで運ぶ。トヨは小船で、隣の島の小学校に通う太郎の送り迎えもしていた。

彼らがなぜ、ギリシャ神話に出てくるシジフォスの労苦のような労働をしながら離島で不便な生活を続けているのかについては何の説明もなく、映画は彼らが小船を漕ぎ、天秤棒を担いで斜面を登り、畑に水をまく様子を克明に描写する。

ある日、太郎が高熱を出す。千太は隣の島に行き、医者を探す。

本作は瀬戸内海の広島県三原市沖の島々でロケーション撮影された。本作で家族が住んでいる島は宿禰島(すくねじま)で、隣の島は佐木島である。宿禰島は当時はほぼ無人の島だった。家族が市街地を訪れる場面は広島県尾道市で撮影された。

殿山泰司と乙羽信子以外の出演者はすべて地元の人々である。

本作の音声は、林光作曲の劇伴音楽と声を含む自然音のみで構成されており、話し言葉による台詞はない。劇中で何度も繰り返されるメインテーマ曲が印象的。

題材と作風は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『揺れる大地』(1948年)のようなイタリアのネオレアリズモ映画に似ており、ドキュメンタリー風の生活描写を含んでいるが、本作はリアリズムよりも象徴的な表現を重視しており、生き延びるためにこつこつと働く農民の家族の物語を通して、労働と人生という普遍的かつ根源的なテーマを扱った、一種の映像詩として観賞することができる。

本作は1961年のモスクワ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞し、世界60カ国以上の国々で上映された。
2014年10月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
台詞なしの感動がそのまま残されていた。俳優の面影もそのまま残っていた。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年4月21日に日本でレビュー済み
「限られた土地」 「乾いた土」 「耕して天に至る」 (本編冒頭の字幕より)

全編台詞なしという冒険的な作り・・・多彩な表情をみせる音楽・・・驚くほど美しい映像・・・半世紀以上前の作品とは思えない時代を超えた普遍性・・・それが本作だ。

舞台は瀬戸内海の小さな島。農業を営む四人家族が主人公だ。島には他の住民もライフラインもない。耕作地は斜面だけ。島の頂上まで 「限られた土地」 を耕しているのだ。しかも、井戸もなく水も出ない島で作物を育てるには、対岸まで小舟(←もちろん人力である)で水を汲みにいかなければならない。強い日差しのなか、水で満杯の桶を天秤棒で担ぎ上げるのだ。急斜面に細いあぜ道。流れる汗。しなる天秤棒が肩に食い込む。そして畑にすこしづつ水をかけていく。 「乾いた土」 は僅かな水を直ぐに吸い込んでしまう。また、汲みにいく。斜面を担ぎ上げる。かける・・・。 これを一日中 ‘反復’ する。表情も変えず淡々と、黙々と・・・。

物語は単純そのものだ。ひたすらに ‘反復’ が描かれる。まるで ‘修行’ か ‘祈り’ のように・・・。そして ‘反復’ の合間にある ‘ささやかな楽しみ’ と ‘一つの事件’ が描かれる。 ‘事件’ の後はまた ‘反復’ 。生活は続いていくのだ。島にあるものが ‘全世界’ であるかのごとく ‘反復’ が続く。

そんな本作 ツマラナイ と感じる方もいるような気がする。しかし、逆に支持する方も多いはずだ。現に本作は第二回モスクワ映画祭グランプリなど高い評価を得ている(アレクサンドル・ソクーロフ監督は本作を ‘近代映画を大きく変えた一作’ としている)。 ・・・と、書きつつ ‘娯楽映画’ と言えないのも確かだと思う。内容は単純で語り口も平易なのだが ‘前衛的’ と感じる方もいるかもしれない。本作の最大の特徴  ‘台詞がない’ という面があるからだ。

本作は無声映画ではない。だが台詞はない。代わりにあるのは音楽だ。 その音楽、採用されている旋律は僅か三つ程度である。そのうちメインテーマともいえる旋律は印象深い。 ‘労働の場面’ ‘楽しい場面’ ‘悲しい場面’ とアレンジを変えながら繰り返される。これもまた ‘反復’ である。この ‘反復’ ・・・同じ旋律にも関わらず多彩な表情が現れ驚かされる。音楽が台詞以上に雄弁なのだ。この旋律なしの本作は考えられない。海外でもこの曲は印象深かったらしく、フランスではこの曲に歌が付けられたという(しかも二種類・・・コメンタリー参照)。

 「映像のみを追求しようと思った(新藤監督)」

そして、その音楽以上に大事なのは映像だ。まず、ロケが素晴らしい。 絵画のような構図、 溢れる自然、 端正なモノクローム映像の美しさは時にハッとするほど魅力的だ。印象的な映像はやはり ‘天秤棒で桶を担ぎ上げるシーン’ だが、他にも ‘夜間、対岸にあがる花火を見る(まるで魂を見送るかのような)幽玄なシーン’ など枚挙に暇が無い。そして、日々の細やかな描写・・・ 台詞が一切ない本作(上記のように字幕は若干ある)は 映像で全てを表現 しなければならないのだ。それは当時の、半世紀前の、市井の生活。まるで ‘名も無き家族のドキュメンタリー’ のようだ。 
しかも本作では台詞を廃することによって ‘心情を言葉に置き換えたり’ していない。・・・そこに在る暮らしを、 世界を、 空気を、 時間を、 厳しい労働を、 五右衛門風呂の気持ち良さを、 家族の絆を、 ・・・それらを描きながら ‘言語で表現しない(変換しない)’ のだ。それが、対象に対して普遍性ある距離感を醸成していく。
その距離感と美しい映像で表現される ‘反復’ 。まるでそこが ‘全世界’ であるかのような 裸の島。 
このあたりに本作の核があるのではないだろうか。そこに・・・市井の生活に密着した映像に・・・ ‘神性’ のようなものが宿っているように感じられるからだ。・・・または、 ‘反復’ のなかに ‘全世界’ が凝縮して映りこんでいるように感じられる・・・と書くべきだろうか。

低予算だったという本作、達成したのは驚くべき完成度。この作品が古くなることは無いだろう。ここには一つの世界があるのだから・・・ 時代を超えた普遍性 を備えているのだから・・・。
まさに 「耕して天に至る」 のである。反復される祈りにも似た労働 ・・・叙事詩か ・・・寓話か ・・・神話のように。

(余談かもしれないが・・・私にとって、本作のラストカットはタルコフスキー監督 『惑星ソラリス(1972)』 のラストカットを強く連想させる ・・・それは映像が似ているというだけでなく、意味として・・・ ‘全世界’ が凝縮して映りこむ、という点も含めて・・・)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 最後にソフトについて簡単に書いておきたい。
締りの良いモノクロームの映像は安定感もあり非常に美しい。音声も制作時期を考えればそこそこである。映像・音声ともに安心してみることが出来る。
仕様について書くと・・・
予告編等の映像特典は一切ないが、代わりに新藤兼人監督と音楽林光氏のオーディオコメンタリーが全編に渡って付いている。これはなかなか興味深い。低予算を逆手にとり約二ヶ月間、最小限のスタッフで撮影された、という当時の状況や裏話がいろいろと語られている。ジャケットデザインも端正で、全体として良いソフトだと思える。

・・・しかし、現在本DVDは絶版となっている(私はレンタルで観ました)。海外版ブルーレイでもいいような気がするが、やはり絶版。残念である。このままの仕様で問題ないと思うので是非再販して欲しいところだ。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年4月18日に日本でレビュー済み
初見は旅行で時間が余ったとき、外国の小さな映画館ででした

ですので、この最後のシーン、小島を俯瞰でとらえるシーンでは「この島自体が日本国を現している。我々は奴隷のように地べたに這い蹲って一生涯を終えるしかないんだわ!!!」なんて青い顔して思ったものですが

急峻な山で、海に囲まれ平地もなく、水道インフラもなく不便に暮らしている

この地理的条件ですと、世界の中でも、日本をはじめとして確かに限定された地域だけかもしれません。が、果たして人間の営みに、それほど例外があるものでしょうか

人々の暮らしは、かくも単調で、かくも地味で、かくも一歩一歩の積み重ねですね
定住者にとっては、とくに農業従事者にとってはそれの繰り返しだと思います。ロシアで特に反響を呼んだらしい?のもむべなるかなでしょう

これを撮影した当時の新藤監督が、日本を哀れに思ってこの作品を撮ってない事のみを祈ります

死人が出ても、感情を爆発させるのは本当に一瞬、やがてまた日常が待ち受けています
抜き差しならない目の前に広がるいつもの作業が、泣く暇も与えぬほどに待っているのです

けれど、これは、束縛されていると言えると同時に、翻せば我々のアイデンティティを形成している重要な構成物なのではないでしょうか?
誰かのレビューが砂の女との対比をしていますが、砂の女では、結局主人公はその、束縛の中に帰ってきますね

それが、本当に不幸なことなのかどうか。もちろん、幸福かどうかもわかりませんが

初見で、とてもショックを受けロシア革命党に入りそうな勢いでこの作品を噛み締めた若い頃ですが、現在見て考えるに、あの音楽を流して寂しい気持ちにさせるほど、ひどい生活と言えるのかどうか?

あそこで、トトロの歩こう歩こう、みたいな曲を背景に流すと、案外、この暮らしも捨てたものではない・・・・と思えてくるかも知れませんね(笑

とはいえ、貧しいかつての日本を通ってきた先達の思いも含め、これは日本を代表する傑作でしょう

この、日々の労働が嫌ならば、愚痴をこぼしてまくって溜飲を下げるか、デイトレになるか、の二択しかないでしょう、などとは・・・・・・・思ってませんから!!!
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年6月16日に日本でレビュー済み
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 私が、この映画(『裸の島』)の名を知ったのは、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ガン病棟』等の作品で知られるロシア(ソ連)の作家、ソルジェニーツィンが、1970年前後に、日本の新聞(東京新聞であったと記憶する)によるインタビューの中で、この映画(『裸の島』)について語って居るのを読んだ時の事だった。−−彼は、そのインタビューの中で、『裸の島』を、「強烈な印象を与えられた」と言ふ言葉で絶賛して居た。−−それから、数年後、都内の自主上映でこの映画を観た時、私は、ソルジェニーツィンがこの作品を絶賛した理由が分かった気がした。言葉の無いこの映画が私に語る物は、強烈であり、深かった。この映画は、言葉を持たない故に、上のソルジェニーツィンの賞賛がそうである様に、世界のあらゆる人の心を、直(じか)に打つのである。−−数年前、アメリカの或る音楽家にこの映画のビデオをプレゼントした事が有る。この映画を観た彼女の感動も深い物だった。
 この映画は、『砂の器』(野村芳太郎監督・1974年)に似て居るかも知れない。それは、この映画が、かつて、この国に在った貧しさを、美しい自然の中で描く事によって、見る者に、その貧しさの悲劇をより鮮烈に印象ずけて居るからである。
 若い世代に見続けて欲しい、日本映画の名作である。小学校の総合学習で、生徒達にこの映画を見せたら、とても良いのではないだろうか?(日本の学校は、生徒達に、日本映画の名作を見せる時間を設けるべきである。)

(西岡昌紀・内科医/畠山彩香ちゃんの冥福を祈りながら)
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