シビル・ガン 楽園をください [DVD]
フォーマット | ドルビー, ワイドスクリーン, 色 |
コントリビュータ | ジム・カヴィーゼル, トビー・マグワイア, ジェフリー・ライト, スキート・ウーリッチ, ダニエル・ウッドレル, ジョナサン・リース・マイヤーズ, アン・リー |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 2 時間 18 分 |
商品の説明
商品紹介
愛を求める、戦場の狂気たち。南北戦争に身を投じた若者達の青春
◆『グリーン・デスティニー』アン・リー監督作品
◆トビー・マグワイア、スキート・ウーリッチ、ジョナサン・リース・マイヤーズ、ジム・カヴィーゼル…熱い男たちの華麗なる競演!
★1999年ロンドン映画祭・オープニング作品
★ トロント映画祭・特別招待作品
★ドーヴィル映画祭・特別招待作品
【ストーリー】
1861年、南北戦争。ドイツ移民ながらミズーリ州で育ったジェイクは、北軍派に父親を虐殺された親友ジャックとともに南軍派ゲリラ部隊に加わった。青春の日々を非情な戦いに明け暮れる中で、未亡人スー・リーに出会い恋に落ちたジャック。しかし激しい銃撃戦の果てにジャックは若い命を散らす。親友を失い、戦う意味すら見失うジェイク。さらに激しい狂気に染まってゆく戦場。彼らが目指す先には、果たして“楽園”はあるのだろうか。
【キャスト】
トビー・マグワイア
スキート・ウーリッチ
ジョナサン・リース・マイヤーズ
ジム・カヴィーゼル
ジェフリー・ライト
ジュエル
【スタッフ】
監督:アン・リー
衣装:マリト・アレン
音楽:マイケル・ダナ
【特典】
●ミュージック・ビデオ
●予告篇
*特典および仕様は変更になる可能性があります。予めご了承ください。
レビュー
若さのなかにある理想と現実のせめぎ合い――もちろん天と地ほどの差はあれ、どんな人生にもかならず存在するそんな感覚がヒリヒリと伝わってくる作品だ。ある意味で、その後のアメリカの発展と運命とを決した“シビル・ウォー=南北戦争”。北と南の狭間におかれ、その位置の呪縛に翻弄され続けたミズーリ州を舞台に、正規の軍隊ではないそれぞれの武装シンパによる故のない憎しみと狂気の発露と、そのなかで必死にアイデンティティを求める主人公。しかし感じてほしい。それは中部アフリカや東欧のいまの姿でもあるのだ。 (佐藤篁之) --- 2001年10月号 -- 内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
製作総指揮: デイヴィッド・リンディ 製作・脚色: ジェイムズ・シェイマス 製作: テッド・ホープ/ロバート・F.コールズベリー 監督: アン・リー 原作: ダニエル・ウッドレル 撮影: フレデリック・エルムズ/A.S.C. 音楽: マイケル・ダナ 出演: トビー・マグワイア/スキート・ウーリッチ/ジョナサン・リース・マイヤーズ/ジム・カヴィーゼル/ジェフリー・ライト/ジュエル 声の出演: 浪川大輔/森川智之/竹若拓磨/相沢正輝/辻新八/石塚理恵
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 83.16 g
- EAN : 4988126200442
- 監督 : ダニエル・ウッドレル
- メディア形式 : ドルビー, ワイドスクリーン, 色
- 時間 : 2 時間 18 分
- 発売日 : 2001/8/3
- 出演 : トビー・マグワイア, スキート・ウーリッチ, ジョナサン・リース・マイヤーズ, ジム・カヴィーゼル, ジェフリー・ライト
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo), 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : 角川書店
- ASIN : B00005LJV7
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 78,485位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 551位外国の戦争映画
- - 6,235位外国のアクション映画
- - 7,239位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ただ、断ち切るにはある程度の力は必要なのでしょうね。
俺も髪切ったし(関係ないか)楽園めざします。
ただ、もう少し、しがらみを断ち切るのに日数がかかりそうだ・・・
アン・リー監督はなぜ彼にこんな役を与えたのか…尋ねてみたいです。もったいないキャスティングですね。メンタリストのサイモン・ベーカーの演じた役なんかが良かったです。ただ友情やアメリカの大自然もヒロインも美しかった。なので、☆三つです。
自由になりたいけど、自由とは……というテーマなのだろう。
主人公は南部正規軍に入らず、ゲリラ部隊に入隊して、北部正規軍に攻撃を喰らわしていく。
だが、やっている事は戦争というにはほど遠い。平気で民間人も殺していく。ローレンスでの殺戮も行っている。
それでもみんな、己の自由のために戦っている。正しいと思っている。
近所の白人に助けられ、自由を与えられた黒人。助けられた白人からは、「こいつは親友だ」と言われた。
「だけど、あいつが死んだ時、初めて自由になった気がしたんだ。自由は与えられる物ではない」
その言葉が突き刺さる。
最後、仲間達はバラバラになる。自分達の自由に向かって歩き出す。
バットエンドとは言えない。でも、パッピーエンドというには難しい。
自由になり、初めて歩き出した。それまでの苦難の道のり。そういう風に見えた。
B級で目新しさを狙っているような題だ。
はっきりいってそぐわない。
丹念な作品なのだ。
主人公の正しくも悪くもない、あるいはそのような絶対的な価値観をもてずにいる、中途半端な人間だ。彼らを丹念に描くことで、正邪を単純に主張するより、矛盾した世界で生きることがいかに不安定であり困難で、だからこそ素晴らしいかを、語っている。
原題のRIDE WITH THE DEVILは作品の空気を的確に伝えている。このままの題のほうがいい。
静かだが、好感の持てる作品だ。
再観に耐えうる作品である。
1999年公開で、原題は”Ride With The Devil”(悪魔と馬に乗って)ですが、邦題『シビルガン 楽園をください』はなんとも意味不明なものになっています。
ビデオ化されたときレンタルで最初観たのですが、DVDを購入して久しぶりに見返しました。
物語はアメリカ南北戦争期(1861-65)の話で、南部派ゲリラ隊(ブッシュワッカー)にくわわった青年、いやむしろ少年たちを描いています。主人公の少年ジェイクを演じるのが『スパイダーマン』(2002年)でヒーロー役を演じたトビー・マグワイアです。
ゲリラ隊というのは、正規の南軍ではなく、北軍と戦うばかりか、戦争の混乱に乗じて町や農民を襲って略奪や殺戮をおこなったことで知られています。映画には北軍派のゲリラ隊(ジェイホーカーズ)も登場してきます。
ただ戦争中はこうしたゲリラ隊だけでなく正規軍のほうも南軍北軍問わず略奪や虐殺をおこなったとされています。
この映画では、ドイツ系移民の子ジェイクが、北軍派ゲリラに父親を殺された親友ジャック・ブルとともに、ブラック・ジョン率いる南軍派ゲリラ隊に入り、北軍との銃撃戦やそれによるジャックをはじめ仲間の死のあと、1863年8月にはクワントリル大佐率いるゲリラ隊に合流の上、カンザス州ローレンスの町を襲撃して多数の市民を虐殺するところが描かれています。アメリカ史上「ローレンスの虐殺」と呼ばれる事件です。
それにしてもアメリカ南北戦争を正面からとりあげた映画というのは意外にも少ないような気がします。
北軍黒人部隊という特異なテーマを描いた『グローリー』(1989年)があるほかは、純愛ロマンスながら南北戦争によって翻弄される人びとの様子を点綴した、ニコール・キッドマン主演の『コールドマウンテン』(2003年)などが思い出されるだけです。
もちろん「ローレンスの虐殺」を同じく描いたレイ・エンライト監督、オーディ・マーフィ主演の西部劇『命知らずの男』(1950年)は忘れてはなりませんが。この映画ではオーディ・マーフィ演じるジェシー・ジェイムズがクワントリル大佐のゲリラ隊にくわわったことになっています(史実としてもそうだったようです)。小粒な西部劇ながら、きちんと撮られた作品でした。
(追記:そういえば、少年兵の進軍場面やウィリアム・ホールデンのエプロン姿がいまなんとなく記憶に残っているだけですが、ジョン・ウェインが北軍将校を演じるジョン・フォード監督の『騎兵隊』(1959年)もたしか南北戦争を描いていたはずですね)
くりかえしますが、アメリカでこれまで数多くの映画が製作されてきても、南北戦争を真正面からとりあげた作品がきわめて少ないということです。
それは、映画を撮るにもこの戦争自体を公平に、つまり北軍・南軍両方の視点に立って俯瞰的に捉えることがむずかしいからでもあるでしょうし、『グローリー』のような北軍黒人部隊という「政治的に正しい」テーマならともかく、どちらかに完全に肩入れした映画を撮るといまなおアメリカではたちまち一方から激しい非難の嵐が起こって上映自体が困難になるからかもしれません。
いいかえれば、それほどまでにアメリカ国民はこの南北戦争の深い傷からまだ癒えていないということでもあるのでしょう。
(これはまあ、日本の幕末から維新にかけての内戦も、幕府方と薩長方、そこに攘夷もからめて複眼的に描くのは容易ではないのと同様なのかもしれません)
国を二分して互いに国民同士が戦う内戦というのは、国と国との戦争以上にときに目を疑うような、あるいは目を覆うような残虐行為がすぐ市民の目の前で起こりえます。つい昨日まで仲の良かった隣人どうしがたちまち憎み合い、残酷に殺し合うような悲劇が生まれるからです。実際記憶に新しいユーゴスラヴィアの内戦ではそういうことが起こりました。
(ジェイクは、ゲリラ隊に捕まった、北軍兵士になっていた顔見知りの友を理由をつけて解放してやるのですが、その助けてやった友はしかし町にもどると残忍なやりかたでジェイクの父親を殺すというようなエピソードが映画にあります。上に挙げた『コールドマウンテン』でも目をそむけたくなる残酷なエピソードがいくつも描かれています)
現代ではさきほど触れたユーゴスラヴィアの内戦のほかルワンダの内戦の悲劇がよく知られていますが、アメリカ南北戦争とほぼ同時期の日本では、これは市民同士では必ずしもなかったものの、やはり内戦ともいえる幕末の争乱から戊辰戦争を経て西南戦争までの経過をみると、暗殺(明治の元勲伊藤博文は若き日は暗殺も行ったテロリストでもありました)、斬殺、切腹、斬首や梟首(江藤新平は、維新後、自身裁判制度など近代司法の整備に尽力した功労者であったにもかかわらず、明治6年政変による下野のあと関わった佐賀の乱で討伐され、捕まった後ほとんど即決で死刑、それも梟首刑に処させられました)などの残酷な行為や刑が数多く行われました。当時はまあ人権意識などなかったので仕方ない面もありますが。
(西洋列国が、日本にとって不平等条約であった、1858年に結んだいわゆる「安政の五か国条約」の改正をなかなか認めようとはしなかったのは、そこに含まれていた領事裁判権(治外法権)を失ってしまうと、西洋人が日本で犯した罪は、当時まだ日本では法や裁判などで人権にもとづいた近代的な司法制度が整備されていなかったため旧来の刑罰法にしたがって斬首・梟首、磔などの残酷刑に処せられる可能性があったからだともいわれています。)
また、隣の朝鮮半島では解放後から朝鮮戦争にかけての時代が思いおこされます。たとえば映画化された『太白山脈』ではそういう住民たちどうしの悲劇が描かれていますね。
内戦のさなか同じ国民どうしのあいだで行われたそうした残虐行為を知れば知るほど、人間はどうしてこんなことをするのか、なんでこんなことができるのかという気持ちになって、怖ろしくなります。
映画では、春の鮮やかな緑したたる風景から冬枯れした灰褐色の野山へ、そしてまた緑あふれる春へと季節が移り変わってゆき、時間の経過がおのずと感得されるようになっています。『グリーン・デスティニー』を撮ったアン・リー監督ならではの美しい緑を見ることができます。
またマグワイアはじめ出演する若き男優たちは、戦争のさなかということもあって肩まで髪を伸ばし、髭も剃らないままなのでみんなキリスト顔になってしまっていて、最初だれがだれだか区別がつかないのが観るものにはちょっと困りものですね(笑)。
なお、アン・リー監督には、この映画に先だって、ジェイン・オースティンの『分別と多感』を原作にした『いつか晴れた日に』という 1995年公開の映画があります(原作に忠実な映画化ではありませでしたが)。
これは19世紀初頭のイギリスを舞台にしているのですが、アメリカ南北戦争といいイギリス階級社会での恋愛と結婚といい、それぞれの国における、外国人にはなかなか分かりにくいディープなテーマをアジア人ながらよくぞ映画化したものだとあらためて驚くと同時に感心もしてしまいます。
主戦場から遠くはなれ、略奪や焼き討ちといったゲリラ戦という汚い仕事を、愛国心や郷土心にかられて、率先して取り組んでいく若者たちの姿には、現代の盲目的愛国心が幅を利かせるアメリカの状況と照らし合わせても、考えさせるものがある。
こういった重い調子で映画は進み、延々と無意味な殺戮が繰り返されるが、最初に言ったように、この物語はラブストーリーであるから、このままでは終わらない。
あたかも焼け野原から下から芽をだした一輪の花のように、”希望”が生まれ、静かに映画はエンディングへと進む。
このへんが憎い演出だ。悲劇のなかでみつけた幸福は何倍も大きく感じられるというわけである。
この映画を見た人は、最後は前途に希望をもって”少しだけ”幸せな感じがするのではないだろうか。
そしてとどめは、ヒロインのスー・リー役のジュエル・キルシャーが歌うエンディングテーマ、「What's Simple Is True」が胸を打つ。フォークシンガーである彼女の歌と演技には特に注目だ。
単なるトビー・マクガイアファンにも十分に楽しめるし、静かに見るのにも適している、これはそういう映画である。