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ツィゴイネルワイゼン [DVD]

4.2 5つ星のうち4.2 92個の評価

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フォーマット 色, ドルビー
コントリビュータ 樹木希林, 鈴木清順, 原田芳雄, 藤田敏八, 大谷直子, 内田百ケン
言語 日本語
稼働時間 2 時間 24 分

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商品の説明

Amazonより

「ツィゴイネルワイゼン」の蓄音盤に作曲家サラサーテの声が入っているという内田百けんの「サラサーテの盤」や、その他多くの短編をもとに繰り広げられていく、鈴木清順監督の斬新かつ大胆な幻想譚。士官学校教授の青池(藤田敏八)は、友人・中砂(原田芳雄)の無頼に振り回されていくうちに、いつしか現実とも幻ともつかない世界に惑わされていく。やがて青池の妻(大楠道代)と中砂の妻(大谷直子)も、その世界に巻き込れていき…。

1980年、東京タワーの下に銀色のドーム型テントの移動映画館「シネマプラセット」を建て、そこで上映されロングラン・ヒットしたことでも話題になった作品。同年度のキネマ旬報ベスト・テン第1位ほか数々の受賞に輝く名作である。(的田也寸志)

レビュー

製作: 荒戸源次郎 監督: 鈴木清順 原作: 内田百聞 脚本: 田中陽造 撮影: 永塚一栄 音楽: 河村紀 出演: 原田芳雄/大谷直子/藤田敏八/大楠道代/真喜志きさ子/麿赤児/樹木希林
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.33:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988102642518
  • 監督 ‏ : ‎ 鈴木清順
  • メディア形式 ‏ : ‎ 色, ドルビー
  • 時間 ‏ : ‎ 2 時間 24 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/9/21
  • 出演 ‏ : ‎ 原田芳雄, 大谷直子, 藤田敏八, 樹木希林
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語 (Mono)
  • 販売元 ‏ : ‎ パイオニアLDC
  • ASIN ‏ : ‎ B00005NS42
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 92個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.2つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年3月6日に日本でレビュー済み
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ストーリーがいい
2024年3月18日に日本でレビュー済み
1 原案小説『サラサーテの盤』のストーリー
内田百閒は漱石全集の校閲者であり、現代日本語の基礎作りに携わったエラい人として知られるが、晩年、芸術院会員に推薦されそうになると「イヤダカラ、イヤダ」とメモに書いて断わったひねくれ者でもある。映画界のひねくれ者、鈴木清順が監督復帰第2作として百閒の短編を原案にした作品を撮ったのも、似た者同士の親近感を抱いたためだろうか。

百閒作品はエッセイが有名な一方、小説では幻想恐怖小説を得意とし、『サラサーテの盤』は意味がよく分からないくせに怖いという奇妙な読後感を残す。
小説では語り手の友人中砂が亡くなった後、彼の後妻おふさが何度も夜遅くに語り手宅を訪れ、生前貸していた本やレコードを返却するよう催促にくるさまを描く。それは先妻の遺した幼い娘が半醒半睡のまま、しきりに亡き夫と話をして、それを伝えてくるからだという。
サラサーテ自奏『ツィゴイネルワイゼン』のSP盤を返しにおふさ宅を訪ねると、彼女は中砂が先妻に入れ込んだままあの世に行ってしまい、自分はほったらかしだと奇妙な不満を口にする。そして、せめて娘だけは夫に渡さないと言う。
返されたレコードをかけ、やがて流れてきたサラサーテと思しき声に、おふさは激しく拒絶の言葉を述べ、娘を隠そうと慌てて探す。
作品の核は死者が常に現世に目を光らせ、口出しして左右さえしている不気味さにあると言えるだろう。(文学的にはモダニズムの実験的小説という評価もあるが、それは脇に置いておく)

2 映画作品について
(1) 原案小説との相違
原案小説には旅芸人の話とか、語り手と中砂の夫婦交換紛いの話や、骨がどうとかは出て来ない。映画は、例えば狐に化かされる『短夜』等の他の作品も交えて、これをかなり膨らませていることがわかる。
とはいえストーリーの中軸は、死者が死んだ後も生者を操っている不気味さにある点で同じ。むしろそれを強調するために、中砂のキャラクターを社会常識の枠内に収まり切れないエキセントリックなものとしている。
また、原案ではかすかに匂わせているだけの語り手・青地の妻と中砂との不倫関係を前面に出して、友人夫婦同士で夫婦交換紛いの関係に陥らせてしまったり、さらに中砂の娘の実の父親は青地だと仄めかしたりしている。これにより主人公は死後の中砂の非難の視線を浴び、余計に恐ろしくなるという仕掛けである。

(2) 映像と世界観に見る清順の意図
ヌーベルバーグの一人に数えられる清順の作品でストーリーを云々するのはあまり意味がない。それは単なる枠組みに過ぎず、描かれた核心は別のところにあるからだ。
では、清順の意図は何か? 小生は、映像的には「レトロで贅を尽くした大正美学に包まれた時空間を創造すること」、観念的には「この世は食欲と性欲で生を享楽する人に満ち、男女関係に起因する諍いも絶えないが、実はあの世と境界が曖昧で死者が生者を操っている――そんな世界観を描くこと」にあると受け止めた。

①レトロで贅を尽くした大正美学に包まれた世界
本作はSPレコードに蓄音機の針を落とし、雑音だらけの『ツィゴイネルワイゼン』を聴く場面から始まる。場所は中砂邸の書斎、中砂は和服、青地はツイードのスーツで、コニャックを啜り、テーブルの前には洋書をぞんざいに並べた書棚がある。それらの落ち着いた色調と、大道具、小道具の趣味の良さ。
青地邸も見事な洒落た洋館で、壁には絵画が飾られ、妻周子はモガ風の服と帽子を身に纏う。中砂の妻園は対照的に和服で通し、この和洋混在がそこはかとなく大正モダニズムのレトロな雰囲気を醸し出す。

社会の上層部ではこうした贅を限りの生活を営んでいるのに対し、最下層の盲目の旅芸人3人組は垢と脂に塗れた身体にボロボロの和服を着て、琵琶を奏でながら門付けして歩く。歌うのは直近の日露戦争時の『戦友』を替え歌にした春歌で、若い女芸人は下着も履かない下半身を、歌に合わせて開脚して局部を見せつつ生計を維持している。彼らも大正の大衆社会における、最も淫靡で下世話な美学を纏っているのである。

これら全体で「大正美学」の時空間を創出し、これを映像として定着させること。それが清順の第一のテーマだったのではないかと思う。

②食欲と性欲で生を享楽すると同時に三角関係に起因する男女の諍いが絶えないこの世
冒頭のサラサーテのSP演奏後、映画は電車内の旅芸人たちの食事シーンに移る。彼らはお握りを喰らい、青地はウイスキーを呑んでいる。
その後すぐに鰻の蒲焼を肴に日本酒を呑む青地と中砂。そこに小稲が加わる。
次いで割烹料理屋の一室の青地と周子にフラッシュバック。朱塗の上品な小鉢が大きな食卓に夥しく並び、それらに盛られた様々な料理に盛んに箸を運ぶ健啖家の青地夫妻。
中砂の結婚後は、ぐつぐつ煮立つ牛鍋と山盛りの千切り蒟蒻を囲む中砂夫婦と青地。
露天の長椅子に置かれた天婦羅蕎麦をぞんざいにたぐりながら日本酒を呑む青地と中砂。
腐りかけの水蜜桃を啜る周子…。
他方、周子の妹は不治の病で入院しているが、生に執着するかのように「兄さま、鱈の子お食べになりましたか」と問いかけながら死んでいく。中砂の前妻園の最後の言葉も「引き出しの千切り蒟蒻を青地さんに差し上げて」だった。
これらは生の享楽を食欲によって描いているシーンである。

生の享楽の別の側面は性欲である。本作では男女の関係は、つねに男2人女1人の不安定さを孕む三角関係として描かれている。
初めに登場する三角関係は門付けして歩く旅芸人だ。一見老爺と子2人かと思いきや、実は老人と若い女が夫婦で、若い弟子の男は冷遇されている。ところが門付けして歩く道々、力関係が変化してしまい、若い男女が夫婦になり、老爺は除け者にされるようになる。その行き着く先は戦いか妥協か――という三角関係の基本テーマが彼らで提示される。

次に描かれるのは中砂の妻園と青地の不倫だ。
中砂に相手にされない園は心を病んだ挙句、訪れた青地をキツネが穴に誘い込むように自宅に引き入れて、キツネが化かす如く青地と肉体関係を結んでしまう。清順の性的表現は官能的ではないが、意外性や美しいシーンの積み重ねで面白いものとなっている。
中砂と青地の妻周子との不倫はキツネの化かし合いではなく、子供の追いかけっこを洋館中で繰り広げた挙句に、花粉アレルギーに病んだ身体を抱くという独特の面白い性的シーンになっている。

こうしてスワッピング状態になったことを中砂はいち早く感づいており、だから園の生んだ娘に青地の名前から一字取って「豊子」と名付ける。それは彼の弱みを握っているという暗黙の威迫であり、やがてその弱みに付け込んで「取っ換えっこしようか」と持ちかけるのである。それは夫婦交換のこととも骨の交換とも、さらに両方とも受け取れるが、弱みを握られた青地ははっきりした拒絶ができず曖昧なまま受け入れてしまう。

前半部分はこうして食欲と性欲の追求と、それに伴う三角関係の懊悩が描かれた、いわば「この世パート」とでもいうべきものだろう。

③この世とあの世の曖昧な境目
「この世パート」の半ば、園と青地はアーチ橋の上で花火を見物する人々を目撃する。これはもちろん「我々の生のような花火」と登場人物の呟く芥川龍之介『舞踏会』の引用である。この世は花火のような一瞬の煌めきに過ぎないと言っている。中砂、周子、青地、園の4人が夜中に節分の豆撒きをするシーンも同じ意味合いに違いない。

映画は、砂丘で身体じゅうを縄で縛られた中砂のシーンから、後半の「あの世パート」に移行する。縄で縛られているのは、彼のように本能のまま生きる男にとって、この世はルールで雁字搦めの棲み難いものだからだ。

中砂の死後、後には後妻の小稲と豊子が残されるのだが、何故か小稲はしばしば夜に青地邸を訪問して、中砂の貸していたドイツ語辞典や語学の参考書を返せ、レコードを返せと取り立てに来るようになる。この辺はほぼ小説の通りであり、いわば死んだ中砂が娘を通じて小稲を操るという不気味な成り行きである。

そして最後、『ツィゴイネルワイゼン』のSPからサラサーテと思しき人物の声が聴こえるや、小稲は激しく動転して娘を死者から隠そうとする。しかし、豊子はもはや中砂の使者と化しており、あの世へと青地を誘っていく。
この世とあの世の境目ははっきりせず、死者は生者を見つめ、左右さえしているのだ――そうした不気味な世界観が描かれているのである。
その根底に死者の権威で虎の威を借りる左右の政治勢力や、自分を冷遇した映画界の各方面への皮肉がある…と言ってはこじつけに過ぎるだろうかw
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2020年1月1日に日本でレビュー済み
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色彩感覚が綺麗で、物語も面白かった。

ラストは衝撃的だった。

また見直したい映画。
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2015年12月1日に日本でレビュー済み
1980年公開。鈴木清順監督作品。

4人の男女が、サラサーテ自ら演奏する「ツィゴイネルワイゼン」のSPレコードを取り巻く、妖艶な世界へと迷い込んでいく。

1980年キネマ旬報ベストテン第1位、ベルリン映画祭特別賞、ブルーリボン賞最優秀監督賞、第4回日本アカデミー賞最優秀作品賞等受賞。上映時間2時間24分。

薄汚くて野性的な男がファックしまくりつつ、終始画面に薄気味悪い雰囲気が漂い
続ける大正ロマン風怪談話。

『どですかでん』風の盲目の旅芸人3人組を見て、生きて行くのが嫌になる。露悪的
すぎやしないだろうか。 幻想的かつ官能的という評価が高いが、目玉舐めたりとか
気持ち悪すぎる。 生理的に無理なシーンが多かった。

『捨てがたき人々』の三輪ひろみとか、『冷たい熱帯魚』の神楽坂恵みたいな官能
を希望したい。

西島秀俊主演の『真木栗の穴』って映画にとてもよく似ていて、おそらくこの作品から影響を受けているんだと思う。 どちらも鎌倉が舞台で、切通しのシーンとかそっくり。

気持ち悪い作品でした。
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2024年2月19日に日本でレビュー済み
映像の素晴らしさが命のこの作品。
その4K UHD は大歓迎です。
 
尚、ATG作品と勘違いしている方がいますが、この作品は荒戸源次郎氏が率いたシネマ・プラセットにより製作された作品でATGとは無関係です。
2022年11月14日に日本でレビュー済み
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三年に一度くらいは観返したくなる作品!
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2022年6月22日に日本でレビュー済み
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サラサーテのレコード、“ツィゴイネルワイゼン”のある箇所に人の声が聞こえる。士官学校ドイツ語教授藤田敏八は、親友の長髪に髭の原田芳雄と旅館で鰻を食い、弔い帰りの芸者を呼ぶ。その翌年、原田は山陰の名家から細君をもらう。細君は芸者と瓜二つだった。すき焼きを食った藤田はサラサーテと女房の妹の話をして帰った。原田はまた旅に出た。藤田は細君に出会い「どうしたんです、何処へ行かれるんですか」と尋ねた。それから数ヶ月して原田の細君は女の子を産んだが、翌年スペイン風で亡くなった。原田は乳母に瓜二つの芸者を呼び入れた。「これはまた、楽しいね。こうして会えるんだからね」「そうですわね。この人と夫婦になったんですもの」「結婚なんて冗談じゃない」それからまた、原田は旅に立った。藤田のところへ原田が山の中で事故死した連絡が入る。5年後、藤田は細君と娘に会い、家に細君がサラサーテのツィゴイネルワイゼンがあると言って来る。原田の家へ出かけていってレコードを掛ける。「参りましょう」藤田が外へ出ると、その先の海辺で娘が白菊を飾った小舟とともに待っていた。想念と幻覚的映像の鈴木清順監督作品。
2022年8月3日に日本でレビュー済み
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最初から最後まで???で苦痛だった。見たあとも???で評価できない。
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