「HERO」のメジャーヒット後、初のアルバムながら、「HERO」が未収録なのが、彼らのこの曲に対する多少屈折した思いを物語っているような気がする。
「裏切りの街角」に続く「かりそめのスウィング」(私の中では、未だに不動のツートップなのだが・・・)が、青年らしい青臭い拘り(矜持に属するよい意味のいきがり・抵抗・反発)によって、商業的には空振りに終わったこととは対照的に、「HERO」の次作として「感触(タッチ)」を選んだことには興味深いものがある。
大人になったのだとすれば、徹底的に青年であり続けてほしかったのが本音だが、悪い曲ではない。
穿ち過ぎなのかもしれないが、敢えて「HERO」を外したのは、ある種の屈服を恥じて釈明する気持ち、せめてもの慎みの表れだったのかもしれない。
自叙伝を思わせる「噂」や「熱狂(ステージ)」には、当時の彼らの戸惑いや揺れが露骨に表れているが、生身の存在としての偽らざる心情が綴られた「ステージ」の方には、深い共感を覚える。
ラストナンバーのこの曲は、それまでのバンドとしての歩みを総括した(締め括ったと言ってもよい)ひとつの到達点だったように思えてならない。
パイプオルガンが奏でる讃美歌を思わせるイントロもそうだが、淡々としたどちらかと言えば落ちいたメロディーに乗せられた心情は、驚くほど素直で、それを伝える甲斐の悪声が耳に心地よい。
強烈だったはずの甲斐の癖声も、むしろ捻りのない素朴な歌唱に聞こえる。
ひとつの目標を成し遂げた彼らが、この曲でファンに送った感謝と覚悟のメッセージは、偽らざる真実であったに違いない。
”ライトの海”や”拍手の波”などの象徴表現も健在だ。
夜汽車などという時代錯誤の小道具も、違和感なく胸に沁みてくる。
収録曲の中で「熱狂」以外に、私の感性にストレートに響いてくるのは「100万$ナイト」で、長く風変わりなトランペットソロで静かに始まり、徐々に盛り上がって、魂の雄叫びにも似た昂揚を経て、再び静かに収束する絶妙な起伏が、複雑なアンジュレーションを持つ独創的なグリーンにも似て、内なる琴線を刺激してくる。
短い曲ではなく、顰蹙を買うのを承知のうえでカラオケで選曲し、己に酔う姿を晒したこともある。
この頃の私は、次作『地下室のメロディー』で、微妙な違和感(ある種の変質)を覚えることになることを知らなかった。
そして、その違和感は、次の『破れたハートを売り物に』で増大し、更にその次の『虜-TORICO-』で決定的なものとなる。
長くなり過ぎたが、それにしても「タッチ」で歌われる手すりは一体何で、どこから地面に降りることを切望しているのだろう。