「喜びの歌」から聞いたので、その違いをごちゃごちゃと比較しながら書かせてもらう…
≪比較≫
[1手のなるほうへ] は序盤のアコギの鳴りの深さが浅く表面的。というかアコギは全編に渡ってそんなあっさりな感じ。メロ部分のドラムとピアノとボーカルだけで物足りなさが…しかもフェードアウトしないで、
[3朝]最初のSEがない。吹奏楽器(トランペットか?)ではなく、シンセ。ベースのなりも潜めている。最後のサビの歌詞も違う。だが、全体的に印象はメジャーと一番似てる。
[4シロイケムリ]フルート(?)?みたいなのはなし。BPMも少し抑え気味でゆっくりに聞こえる、本当はこっちの方が時間は短い。サビではコーラスが入る。サウンドオブウォールみたいな感じもなし。フェードアウトなし。
[9さんざんな午後]うねるようなベースでは始まらずに、アコギであっさりと始まる。全体的に軽い。メジャーだとだいぶダークなんだけど。
[10もしもうたえなくなっても]インディーズとメジャーでこうも違うのかと。1番はピアノとボーカルのみでSEもなし。サビはタンバリンぐらい。2番の歌詞も違う、『鏡に映る錆色の目が僕を見てる♪→昨日までの楽しかった夜、静けさだけ残り』ドラムも本格的には2番から入る。なんといっても、Cメロあとの間奏がない!『大きなものがあるから~♪』のあと『もしも~』と直ぐに繋がっていて、まるで山崎まさよしの「One more time,One more chance」ばりに畳みかける構成、声が半端なくでてる。
1、3、4,10曲のコーラスはなんと女性なんですね!意外と声の相性がいいんだなと驚きました。
≪その他の曲について≫
アレンジが前述の曲群よりもアレンジの完成度が高い。あんまりいっちゃもんのつけようがない。
「雨の降る日に」アコギのアルペジオが引っ張ってくれる。Aメロと、Bメロ・サビのアレンジの違いが明瞭で、またBメロとサビは流れるように繋がっている。サビのコーラスが切ない。シンプルなんだけどアレンジの完成度が高い。
[愛の時代]もアウトロのエレキのフェードアウトが他の曲にはない終わり方だし、味がでてる。
[サフランの花火]最後のサビがファルセットなしで地声で出し切ってるし、サビも高音の山がもう一つ多めにあるし、若さが溢れてびしゃびしゃの仕上がりになっている(もちろんいい意味ですよ!)
「愛をさがす旅」はGmでアコギのファンキーなリフがノリノリ!次作での「History」にあたるアルバムのポジション。
「かわらないもの」もEmでサビの「Yeah ~」のハモリが印象的なもの悲しさが…切ない。次作での「手のなるほうへ」とアレンジが似ている。
「夢のかけら」ほぼ全編引き語りでまさに次作の「今日の証」に当たる曲ですが、比較しちゃうと後者の方が佳曲。でも、まぁこっちの方が曲調も歌詞も明るい。後者は「お疲れ様」や「癒し」「労い」だったが、今作、つまり前者は「一歩踏み出す」「勇気」「激励」といったイメージかな。
≪総評≫
曲順からして次作メジャーデビューアルバムの「喜びの歌」のプロトタイプみたいだが…、実はそうでない。
少し物足りない、ちぐはぐだったり、編曲が地味だったり、曲同士のの印象が似たり寄ったり…と、アレンジはインディーズそのもの。
でも、そういった曲群は、次のメジャーデビュー第一作「喜びの歌」に継承された。
憶測にすぎないが…本人もそう感じたのだろうか。
あえて、もう一度アルバムに収録されて生き返らせられたのだ。蘇生され、納得いく形で、完成度を増してリメイクされたといってもいい。
そしてそういう顛末になった要因の一つは、インディーズであったからだけでない。
本作が全体的な「音」をバランスよくではなく、一人のシンガーソングライターとしての存在が強調されている傾向にあるのだろう。歌の中の、当時の広沢タダシの「声」「メロディー」「歌詞」それらが存分に表現されいる。それだけでも僕らに伝わるものはしっかり届いている。
2000年発売、弱冠22or23歳で到達した一つの到達点だといえるだろう。