誰も、また彼等自身ですらさえも超えることの出来ない名曲であり、RCの「雨上がりの夜空に」のように、普段ロックを聴かない一般の老若男女にも、認知度の高い一曲と言えよう。
何回も連呼されるサビの”リンダリンダ”に意味なんか、求めてはいけない。
意味なんか知らなくても、一度、聴けば、大人も子供も
耳からこびり付いて離れなくなる。
それこそ、知り合いによると、まだ1才から3才の乳幼児でも、この曲には反応して、
カラダを揺さぶると聞いたことがある。
固定観念からすれば、大抵の人間にはそこに
意味、必然性を求めたがる。
往年のセクシー歌手”山本リンダからの引用⁈
もしくは外人女性の名前”リンダ”?(リンダロンシュタット⁉︎)
ちなみに清志郎は、ブルハが歌う前にRCの”あの夏のGo Go”という曲で
”リンダリンダ”と歌ってたから、オレが元祖だと
自慢気に話してたらしい。(お茶目な清志郎らしい)
そもそも”リンダ”という言葉自体はスペイン語で”美しい”という意味らしく、他の歌詞と辻褄が合うが、完全に後付け、深読みでしかない。
サビどころか、本体の歌詞自体、凄く素直で、
小学生にもわかる日本語しか使われていないが、
逆にこれが厄介で、いろいろな捉え方が出来る。
単純に言ってしまえば”一人の人間が、もう一人の他者に対し、性別年齢(国籍すらも)を越え、わかりあいたい”と発するコミュニケーション願望の歌である。
肝心なのは、此れが、チンピラみたいな格好したヒロトが、激しいビートにカラダを預け、飛び散らかしながらも目をひん剥いて、噛みしめるように
放たれるときにこそ、化学反応が起こるということだ。
あと、これは断じて主体は”オレ”でなく”僕”発信で発表されなければならなかった。
前述の清志郎こそ、”僕”主語のロックンロールの第一人者であるといっても、過言ではないが、
ヒロトもその清志郎のアンチマッチョイズムを無意識ながらも継承して、
初めて、日本国中に、市井の一市民として、
”個”の声、其の重要性を、いっぺんに拡散させた。
最初に”.意味を求めることなかれ”と言っておきながら、
つい深読みめいた話になってしまったが、
音そして歌の固まりだけで、十分過ぎるぐらい
影響力がある”自分宣言”である。
その後のヒロトとマーシーのバンド、ハイロウズやクロマニヨンズで、ブルハのナンバーが演奏されることはない。
それは彼等の美意識でもあるし、
ブルハの初期3枚で、彼等は既に根幹の部分を
テーマに伝え切っているから、改めて演る必要がないからである。
カップリングの曲も、その後ベスト等に収録されることもなく、日の目を見ないが、タイトルの文字通り、自分宣言の佳曲である。
テーマというと大袈裟になってしまうが、歌われてる内容は簡単そうで、難しいながら、不変的なメッセージである。
それが”詩”単独だけでは、届く範囲はひどく限られたであろう。
何度もいうとおり、
それが剥き出しな躍動するビートに”歌詞”として乗せられることにより、結果として世紀の発明品となったため、
発表後30年経とうが、ブルハが現存していなくても、この先も脈々と
信者を増やしていくことであろう。