1969年7月録音(『People in Sorrow』)、1970年7月録音(『Les Stances a Sophie』) Label:Pathé-Marconi
単体では入手困難な、初期アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEOC)のアルバム2枚が
1枚に集約されている。
フリー・ジャズは、オーネット・コールマンが西海岸からNYに進出した時に表面化する。
その1959年はマイルス・デイヴィスが『Kind of Blue』をリリースし、ジョン・コルトレーンが
『ジャイアント・ステップス』を発表した年としても記録されている。
そこから5年経つと、フリージャズの受容と理解が進む。オーネットは一時期、沈黙状態に
なっていたが復帰し、ヨーロッパで演奏活動を開始。『ゴールデン・サークル』のような
力作をブルーノートから出す。
マイルスは念願の黄金クインテットを結成。フリー・ジャズへの返歌として、新主流派と
呼ばれるスタジオ・アルバムの制作に入る。
コルトレーンはオーネットを除くバンドメンバー(ドン・チェリー)でアルバムを作る
という大失敗からフリーへの接近を開始し、エリック・ドルフィーとの共演を経て、
黄金カルテットで『A Love Supreme』に到達。さらに進んでファラオ・サンダースと
アルバート・アイラーらを加えて『アセンション』を録音する。5年間でフリー・ジャズは
ジャズシーンに浸透し、大きな影響力を発揮する。
そこからさらに5年が経ち、アート・アンサンブル・シカゴの『People in Sorrow』の
誕生となる。この頃になると、「ジャズにおける自由」というものが持つ意味は正確に
把握され、それぞれが理解し、欲する自由の表現ということになる。この1969年と
いう年に、ECMレコードが活動を開始する。
ジャズ・シーンのメイン部分では、1970年から「リターン・トゥ・フォーエヴァー」や
「ウェザーリポート」といったマイルス・スクーラーたちの次の動きが顕在化し、AEOCの
『Les Stances a Sophie』のようなアルバムも制作され、ということになる。
マイルスたちがスタジオ・アルバム4枚で示して見せた新主流派ジャズで、アコースティックな
モダンジャズが極まりながらる終焉し、4ビートジャズがひとつの不変の完結したスタイルと
して古典化する。
電化したジャズは、ポップ・フィールドと地続きになりスムース・ジャズとなっていく。
これらに加えて、ニューエイジやECM的な静謐系なジャズと、AEOCがやってみせたジャズ・
ファンク・サウンド。流れとしては4つ、生命力を保持していく。
『People in Sorrow』は、タイトルナンバーの「パート1」と「パート2」で構成されているが、
重厚な組曲を聴いた気分になる。『Les Stances a Sophie』は、映画音楽ということもあって、
ずいぶん聴きやすい。モータウン的なジャズ・ファンクのノリ。こういう音楽が渋谷とかのライブ
ハウスで演られていたら今でも十分ウケるはず。ソウルフルな女性ボーカル・ナンバーも2曲あるし、
余白をたっぷり取った「Proverbes」のような曲もある。