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冒頭、聖剣ノートゥンクの名を雄叫ぶドミンゴの朗々たる声! 思わずうっとりとため息が漏れてしまう。低い雲の垂れ込めたドイツの曇り空に一条の夏の光が差し込んできたかのような、ドミンゴの目覚ましく光り輝くような声。保守的なワグネリアンはもしかするとこの夏の光に拒絶反応を示すかもしれない。しかし、暗い神殿の礼拝場から、まぶしい陽光のもとに連れ出されたワーグナーの音楽が、窮屈に折りたたんでいた見事な翼ををゆっくり、のびのびと羽ばたかせている様子を見ると、こちらまでよみがえったような気持ちにさせられる。
20世紀最大のスーパー・テノール、プラシド・ドミンゴが1990年代以降最も熱心に新しいレパートリーとして開拓してきたのが、実はワーグナーである。イタリア・オペラの中心的レパートリーでは他の追随を許さないドミンゴが、年齢とともに厚みと深みを増してきた「今の」声をさらに駆使できる最適のレパートリーこそ、パルジファル、ローエングリン、ジークムント、トリスタンなどのワーグナー・オペラのヒーローであるということを、何よりもドミンゴ自身が感じていたのである。そして何よりも、ドミンゴという存在自体が、舞台上で、神に選ばれた者だけが備えた特別なオーラを発しているからこそ、ワーグナーのヒーローに適任なのだとも言える。
そのドミンゴがジークフリートをたっぷりと歌ったこのディスクは、想像をはるかに上回る素晴らしい出来栄えだ。百戦錬磨の声の表現力をもったドミンゴが、ジークフリートを歌うと、こんなにもワーグナーが違って聴こえるとは驚きである。
さらに、ここでのパッパーノ指揮ロイヤル・オペラ・コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団の演奏は、まるで黒光りするような、ギラギラと脂ぎった厚みのある響きがたまらない。バイロイト的に内声へ内声へとくぐもる神秘性よりも、もっと鮮烈に核心をえぐり出そうとし、要所要所でギクリとするほど真に迫る表現がある。やはりこのパッパーノ、若くして急成長し、音楽監督としてロイヤル・オペラを手中に収めただけあって、ただ者ではない。
このディスク、「リング」後半2作の聴かせどころが見事に抜粋されていて、大作「リング」のエッセンスを楽しむのにも絶好の1枚である。なお、共演者のなかでは、ジークフリートを導く小鳥の声にナタリー・デッセイを起用しているのも、豪華でうれしい。(林田直樹)
メディア掲載レビューほか
テノール歌手、プラシド・ドミンゴ、ソプラノ歌手、ヴィオレタ・ウルマーナの歌唱、アントニオ・パッパーノ指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団の演奏によるロンドンでの公演を収録したアルバム。 (C)RS