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ザ・デッド/「ダブリン市民」より [DVD]

4.2 5つ星のうち4.2 11個の評価

仕様
価格
新品 中古品
DVD 通常版
¥5,172
DVD 通常版
¥6,480
フォーマット 色, ドルビー
コントリビュータ アンジェリカ・ヒューストン, ジョン・ヒューストン, ドナル・マッキャン, トニー・ヒューストン
言語 英語
稼働時間 1 時間 23 分

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商品の説明

Amazonより

ジェイムズ・ジョイスの初期短編を、ジョン・ヒューストン監督が映画化。舞台であるアイルランドのダブリンは、ジョイスの出身地であると同時に、かつてハリウッドに吹き荒れた“赤狩り”を逃れてヒューストン監督が移り住んでいた場所である。
1904年のダブリン。中年にさしかかったガブリエル夫妻は、年に1回開かれる舞踏会に向かう。平和なひとときを過ごした夫妻だが、帰路についたガブリエルは、妻グレタから思いがけない告白を聞くことになる。
終始押さえた色調の映像が上品で美しく、かつて『アスファルト・ジャングル』『マルタの鷹』などアクション、サスペンス映画を得意としたヒューストン監督の充実した晩年を象徴するかのような、静かな、しかし味わい深い小品である。グレタ役を監督の娘であるアンジェリカ・ヒューストンが演じており、かつて思い合った男性との顛末をガブリエルに告白する際の激しい演技に圧倒される。(斉藤守彦)

レビュー

製作: クリス・シュバーニヒ 監督・脚本: ジョン・ヒューストン 原作: ジェイムス・ジョイス 音楽: アレックス・ノース 出演: アンジェリカ・ヒューストン/ドナル・マッキャン/レイチェル・ダウリンング/キャスリーン・ディレーニー
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内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.33:1
  • 言語 ‏ : ‎ 英語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988102748418
  • 監督 ‏ : ‎ ジョン・ヒューストン
  • メディア形式 ‏ : ‎ 色, ドルビー
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 23 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2002/6/25
  • 出演 ‏ : ‎ アンジェリカ・ヒューストン, ドナル・マッキャン
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 言語 ‏ : ‎ 英語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
  • 販売元 ‏ : ‎ パイオニアLDC
  • ASIN ‏ : ‎ B0000677OH
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 11個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2014年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1904年、静かなクリスマスの夜のダブリン。深々と降る雪。暖かい家。年に一度の機会に続々と集う人たち・・。踊り、語り、飲み、食事を楽しむ。歌は歌われ、皿は廻される。みな人生を折り返した者たちばかり。そして夜は更けゆき、集いは終わり、来年の同じ会を約して家路につく・・。

アイルランドにゆかりのあるヒューストンは最後の作品に、アイルランド作家ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』Dubliners の末尾を飾る中編「死者たち」The Dead を選んだ。そして実の娘アンジェリカを主役に、息子トニーを脚色に迎えた。

ヒューストン監督は最後にこんなに静謐な作品を残して世を去った。酸素補給をし車椅子で撮影に臨んだそうだ。これは私の妄想だが、以前は映画と「格闘」していたヒューストンが、格闘することを止め、映画が流れるままに撮りあげたように感じられた。「余計なことはしないぞ。映画の邪魔はしまい。そのまま撮ればいいんだ」。そんな監督の声が聞こえてきそうだった。

詩「破られた誓い」(結ばれなかった若い男女を詠んだ古い詩です)を朗読するシーン。老女がかろうじて歌う古い歌、数々の思い出の品々。ガブリエルのスピーチ。そしてアンジェリカ・ヒューストンが夜更けに耳にする古い民謡「The Lass Of Aughrim(オーリムの乙女)・・。この旋律と歌声。彼女にはある思い出があった。ここは本作の白眉。歌詞は書かないが、こうしている今も胸に迫る。
そして、このアンジェリカの横顔の憂いがいつまでもまぶたに残る・・。

一瞬に時空を飛び越えてありありと脳裏に甦る遠い昔。生者の中には死者がいる。今を生きる者の中には過去が生きている。そしてこれから多くの者を看取り、やがて来る自身の死を見つめる。「人はひとりずつ影になる」。

アイルランドに降る雪は、夜更けのダブリンにも舞い、生きている者にも、冷たい土の下に眠る者にも同じく吹付け、そしてすべてを覆う。ヒューストン監督はこれ以上ないラスト・ショットで映画人生を終える。本作は、監督のアイルランドへの、そして出逢ってきた節度ある人たちへの最後の感謝の手紙のようだ。と、こんな柄にもない言葉が浮かぶような、遠い追憶を呼び覚まし、自身の残りの時間を数えるような小品だった。

映画と格闘したあなたの作品を今も楽しむ者が世界中にはたくさんいる。私もその中の1人。これからも伝えられていくだろう。
いささか感傷的になるが、この作品を最後に残してくれたことを本当に感謝したい。お疲れ様でした。

The Dead 1987 U.S.
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年3月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 ジェイムス・ジョイスの短編集「ダブリン市民」(全15編)の最後にある中編"The Dead"の映画化作品。”Dubliners"はジョイスが、母国の人々の生き様をダブリンという町を舞台に、あらゆる年代の人物の言動を通して愛憎こもごも描いたもの。主人公は、概して病的で、行動はエキセントリックである。描かれる世界は陰鬱であり、そこにはspecial odour of corruption(腐敗の臭い)ージョイスの言葉が漂っている。こうした連作の最後にある、この中編は、ある種のカタルシスといっていいような清涼感がある。ジョイスは、この中編の前の14編があまりに辛辣にparalysis(麻痺、無気力)に描き続けたことへの反省か反動であると、識者は言う。
 映画は、ほぼ忠実に原作を再現するが、クリスマスのパーティに集い、ダンス、歌、詩の朗読、そして宴での語り合いの中で、20世紀初頭のアイルランドを伝えようとする。「死せる人々」というタイトルは、最後で語られる一夫婦の妻のかつての恋人の話が直截的であるが、これだけではなくパーティに集ってきた人々全てに影を落としている。監督のジョン・ヒューストンもアイルランド人である。彼は、死期の迫る中で、渾身の演出を行った。最後のナレーションは、母国を思うジョン・ヒューストンの遺言のように聴こえる。
 しかし、原作の格調高い英文や深遠な言葉のやり取りに比べると、どうしても映画は平板に映ってしまう。それは、いかんともしがたい文章と映像の差である。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年2月18日に日本でレビュー済み
俳優としても尊敬を集める、名監督ジョン・ヒューストン。
まさに、ロバート・アルドリッチ亡き後、最後の骨太な、一本筋の通った、アメリカ映画界を代表する人(映画監督)でした。
そのジョン・ヒューストンの最後の作品ですーーその格調高さからも、ヒューストンの最高傑作と考える人も多いかも知れません。アメリカ映画がこれほど格調をみせつけた作品も、……おそらくそれほどには無いでしょう(制作:英国)。

この映画を、ヒューストンは酸素ボンベを付けながら車椅子で監督したのでした。
これもまた、偉大な映画人の「魂の傑作」とも言えるでしょう。
この作品に限らず、数々のヒューストン作品をご覧いただけたらと思います。

ちなみに。
黒澤明は、この作品とともに、そのヒューストンの監督としての姿勢に強く心打たれたといいます。
また、ジョン・ヒューストンは、1980年(?)テレビの生出演に遅刻して来て、興奮気味にいま鑑てきた映画のことをいきなり喋り出したといいますーーその映画とは「影武者」。黒澤は、アメリカのファンからの手紙で ”ジョン・ヒューストンに御礼を伝えたらいかがでしょう?” とこの話を教えられたということです。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年10月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かの名匠J・ヒューストン監督の遺作とのことだが、その題材といい内容といい、異色の小品ではあるが、重厚な作品である。舞台劇のように限定された空間の中、様々な人物たちが集い、そして会話を交わす。それは決してことさらドラマティックな展開ではないが、映画の進行とともにそれぞれの人々の喜びや悲しみ、苦悩といった人生そのものが明らかになっていく。そしてその背景となるのが夜の闇と降りしきる雪である。数々の骨太なドラマで私たちを魅了してきた監督のこれは辞世の句であり、映画好きの人々への遺言ともいえよう。必見である。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年3月3日に日本でレビュー済み
ヒイラギの実の赤さが際立った年の冬は寒さが厳しい、とアイルランドの人々は言う。この言い伝えを想起させるような一本の映画が『ザ・デッド』(『死者たち』)だ。演出はジョン・ヒューストン。映画完成後に長逝した。

1904年冬、ダブリン。ある家のクリスマス晩餐会に20人ほどの人々が招かれた。大学教師の主人公は妻を伴い出席した。盛会のうちに晩餐会は終了した。人々は心を込めて挨拶を交わし、雪のなかを馬車で帰って行った。
淡々としたこの物語が破れるのは、宴のあとである。
帰りがけ、『オーグリムの乙女』というバラードが歌われる。恋人に裏切られ、死を選んだ少女を歌う感傷的な歌だが、調べは人々の胸にしみ入る。オーグリムはアイルランド西部のゴールウェイにある村の名。主人公の妻の故郷もまたゴールウェイにある。
つねにない妻の深い表情に夫は感銘を受けた。情愛を込めて妻の手を取り口づけを与える。ところが妻の心ここにあらず。どこか遠くを眺めやるまなざし。その晩、思いもかけない過去が妻の口から吐き出された。
と書けば、なんだ、ありふれたメロドラマにすぎぬではないか、と思われよう。いかにも、と言いたいが少し待ってもらいたい。

ダンスの場面がある。主人公と組むのは旧知の女性。『デイリー・エクスプレス』紙に最近掲載された主人公の随筆を、英国に媚びるものと揶揄する。女性は共和派。アイルランド独立を目指す。宴なかばで辞去し、共和派の政治指導者ジェイムズ・コノリーの演説を聴きに行くところだ、と去り際に言う。他の招待客はいざ知らず、自らの順応主義を手厳しく叩かれた、と主人公は内心忸怩としないわけにいかなかったろう。

むろん歌われるバラードもたんなる装飾ではない。オーグリムの地はアイルランドの人々に自国の悲劇を思い起こさせずにおかないところである。1690年と翌91年、イングランドとアイルランドとの戦いにおいて激戦地となったのがこの地。住民の苛烈な虐殺を伴った。その記憶が、歌われるバラードに特別の意味を含ませる。

とはいえ、この夜主人公を真の惑乱に陥れたのが、妻の告白であったことも事実であった。
結婚する前、妻はゴールウェイで一人の若者と愛し合った。若者は『オーグリムの乙女』を好んで歌った。彼女が村を出る日の前夜、思いつめた若者は言った。君が行ってしまうなら、この世に生きていたくない、と。一週間後、若者は死んだ。自分のせいだと妻は言い、身をよじる。
戸外に舞う雪のように、想念が夫の脳裡を飛びちがう。自分は妻にとってなんだったのか。二人は夫婦でさえなかった。自分が長年暮らしてきたのは、妻という名の死者だった。

しかし、こういう印象的な一句もまた夫の脳裡をひらめき過ぎる。
「惨めに年老いて死ぬより、情熱をいだき、胸を張って、あの世に旅立ちたい。」
もしもわたしが主人公なら、この一句にこそ自己を見出そうとするだろう。現在を生きよ、なすべきことがまだある、と自分に言い聞かせるだろう。ヒューストン監督は死の間際に傑作を残した。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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