1904年、静かなクリスマスの夜のダブリン。深々と降る雪。暖かい家。年に一度の機会に続々と集う人たち・・。踊り、語り、飲み、食事を楽しむ。歌は歌われ、皿は廻される。みな人生を折り返した者たちばかり。そして夜は更けゆき、集いは終わり、来年の同じ会を約して家路につく・・。
アイルランドにゆかりのあるヒューストンは最後の作品に、アイルランド作家ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』Dubliners の末尾を飾る中編「死者たち」The Dead を選んだ。そして実の娘アンジェリカを主役に、息子トニーを脚色に迎えた。
ヒューストン監督は最後にこんなに静謐な作品を残して世を去った。酸素補給をし車椅子で撮影に臨んだそうだ。これは私の妄想だが、以前は映画と「格闘」していたヒューストンが、格闘することを止め、映画が流れるままに撮りあげたように感じられた。「余計なことはしないぞ。映画の邪魔はしまい。そのまま撮ればいいんだ」。そんな監督の声が聞こえてきそうだった。
詩「破られた誓い」(結ばれなかった若い男女を詠んだ古い詩です)を朗読するシーン。老女がかろうじて歌う古い歌、数々の思い出の品々。ガブリエルのスピーチ。そしてアンジェリカ・ヒューストンが夜更けに耳にする古い民謡「The Lass Of Aughrim(オーリムの乙女)・・。この旋律と歌声。彼女にはある思い出があった。ここは本作の白眉。歌詞は書かないが、こうしている今も胸に迫る。
そして、このアンジェリカの横顔の憂いがいつまでもまぶたに残る・・。
一瞬に時空を飛び越えてありありと脳裏に甦る遠い昔。生者の中には死者がいる。今を生きる者の中には過去が生きている。そしてこれから多くの者を看取り、やがて来る自身の死を見つめる。「人はひとりずつ影になる」。
アイルランドに降る雪は、夜更けのダブリンにも舞い、生きている者にも、冷たい土の下に眠る者にも同じく吹付け、そしてすべてを覆う。ヒューストン監督はこれ以上ないラスト・ショットで映画人生を終える。本作は、監督のアイルランドへの、そして出逢ってきた節度ある人たちへの最後の感謝の手紙のようだ。と、こんな柄にもない言葉が浮かぶような、遠い追憶を呼び覚まし、自身の残りの時間を数えるような小品だった。
映画と格闘したあなたの作品を今も楽しむ者が世界中にはたくさんいる。私もその中の1人。これからも伝えられていくだろう。
いささか感傷的になるが、この作品を最後に残してくれたことを本当に感謝したい。お疲れ様でした。
The Dead 1987 U.S.