この曲の演奏でこれくらいガッカリした演奏も余りない。少なくともアルゲリッチはかなり好きな演奏家であったから期待も大きかったからだろう。
何が不満だったかといえば、曲そのものに対する姿勢(解釈?)と録音に関してのエンジニアのセンスの無さである。
三者は知らぬ者ないテクニシャンであり、その点では文句の付けようもないし、トリオとしての息の合いようも見事で、見世物(いや聞かせもの)としのは実力発揮には脱帽しましたと申し上げたい。
しかし、感情移入の極ともいえるアプローチでルバート、アゴーギク、やりたい放題で名妓を披露したのではまるで安っぽい“演歌”になってしまってはいないだろうか!と。
もともと作曲の動機からして悲痛な悲劇的感情をもとにして創られている曲と、私は踏んでいるから、素直(ザッハリヒ)に奏されても曲の内面は十分に伝わって来る。特別な泣き落としは必要としないのではないか?ストレートに奏したのでは、あるいはこのお三方にとっては何の楽しさも無かったのかもしれないが。
尤も演歌がつまらないと決め付けることも無いが、聞き手も好き勝手が可能だ。
次に録音。現場を知らないので確定的にはいえないけれど想像で、これはかなりな近接マイクで収録し、エンジニアのミキシングによって仕上げられたのではと思う。
故にホールの雰囲気とか奥行きが全く感じられないし、第一楽器の音が生き生きと聞こえない。繊細な音も捉えられてはいるようだが、何か不自然で荒々しさも圧縮されていて迫力は感じられない。壁に張り付いた音のようだ。
グラモフォンの録音の傾向が昔とは違ってきていると思う。モニタースピーカにいったいどんなものを使っているのか、残念でならない。
憎まれ口をきくのは憚られるが、率直な感想、ファン諸氏にはゴメンナサイ。