仁義の墓場 [DVD]
フォーマット | 色, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | 安藤昇, 深作欣二, 渡哲也, 鴨井達比古, 梅宮辰夫, 藤田五郎 |
稼働時間 | 1 時間 34 分 |
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商品の説明
Amazonより
敗戦後の日本の復興と逆行するかのように破滅していく若きヤクザ・石川力夫(渡哲也)の壮絶な青春像を赤裸々に描いた、深作欣二監督のヤクザ映画総決算ともいえる傑作。
昭和21年、粗野で凶暴な性格の持ち主である新宿・河田組の石川は、池袋・親和会との抗争のさなか、若い娘・地恵子(多岐川裕美)を犯して妻とし、池袋との対立を回避した組長・河田(ハナ肇)を刺して刑務所入り。やがて出所した彼は大阪に流れて麻薬中毒となり、彼を諭す友人の今井(梅宮辰夫)をも射殺する…。
「大笑い、三十年の馬鹿騒ぎ」の辞世の句を遺して自らの命を断った石川は深作監督と同郷の茨城県出身であり、より一層の想いをこめて彼の狂気と衝撃は熱く語られていく。そこには深作監督自身の深い戦争の傷跡と焦燥感も多分に盛り込まれているのだ。(的田也寸志)
レビュー
監督: 深作欣二 原作: 藤田五郎 脚本: 鴨井達比古 出演: 渡哲也/梅宮辰夫/安藤昇
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988101099917
- 監督 : 深作欣二
- メディア形式 : 色, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 34 分
- 発売日 : 2002/12/6
- 出演 : 渡哲也, 梅宮辰夫, 安藤昇
- 販売元 : 東映ビデオ
- ASIN : B00006LF09
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 134,991位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 515位日本のヤクザ映画
- - 1,639位日本のアクション映画
- - 6,280位日本のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死ぬ程好きな映画!渡さん多岐川さん含め役者さん達皆気合入ってるし実在の人物で遙か昔に本も読んでるし、大好きです!石川力夫さんの墓も行きましたし!実在の人してはダメなのでしょうが、映画としては登場人物スト-リ-、サントラ全て最高です後の新仁義を評価する評論家や一般いますが比べるものではないです!次元が違う!あちらはクソ!(笑)見てますがあの役者のなりきり度が鼻に尽くしわざとらしさが出過ぎで本家を意識し過ぎの空回り演技!とんぼと竜二を比べるヘッポコ共と一緒!渡さん東映作品最高傑作です!芹明香と青大将ポン中毒も(笑)最高。
2019年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
見る前は、どうしようもない狂犬が最初から最後までひたすら暴れまわる映画かと思ってたけど、意外とそうでもなかった。
見て思ったこと
・(少なくとも序盤は)わがままで頭悪いけど、根っからの狂犬じゃない。純粋な子供みたい。
奥さんも多分そこに惚れたんじゃないかなあ…
・奥さんかわいそうって人多いけど、自分の意思でやってるように見えるからそこまでかわいそうに見えない。
てかこういうダメ男に尽くしちゃう女の人っているよね
・ヤクザなのに、周りの人がやたらと優しい。でもそれが主人公を増長させてる。
・芹明日香の存在感はさすが。けど色情めす市場の芹はヤクやってないと思う。
・ヤクをやってからは、暴れてるというよりヤクに突き動かされてるだけになってる。
魂抜けてて幽鬼とか死神みたいに見える。
・単純な狂犬ぶりなら野獣死すべしの松田優作の方が上。
・渡哲也の演技がすごい。マジで病気にしか見えない。と思ったら本当に病気だった。
この映画はこの演技にかなり助けられてる。
・暗い映画と言われているけど、笑いどころは結構ある。兄貴分を自分で殺しておいて、「ホトケを拝ませてくれませんか」って通夜にくるところとか
追い返されるに決まってるだろ、、
・有名な骨をしゃぶるシーンもコントに見えなくもない。「親分に迷惑をかけましたが、、家を持ちたいと思ってるんです」って、お前親分ぶった切って破門にされたんじゃないのかよ!ってツッコミたい。
それに対する親分の「お、おう… いいよ…」ってリアクションも笑える
・ちなみにあの骨をしゃぶるシーンは石川力夫じゃなくて実在の俳優がやったエピソードを基にしてるらしい。
誰だよそいつ。そいつが一番やべーだろ。
全体を見て、狂気に犯された狂犬の映画というよりは、ワガママで傍迷惑な子供が暴れまわって勝手に自滅している映画だな、と思った。
ヤクザ映画というよりは一種のカルト映画なので、そういうのが好きな人は見たらいいと思う。
見て思ったこと
・(少なくとも序盤は)わがままで頭悪いけど、根っからの狂犬じゃない。純粋な子供みたい。
奥さんも多分そこに惚れたんじゃないかなあ…
・奥さんかわいそうって人多いけど、自分の意思でやってるように見えるからそこまでかわいそうに見えない。
てかこういうダメ男に尽くしちゃう女の人っているよね
・ヤクザなのに、周りの人がやたらと優しい。でもそれが主人公を増長させてる。
・芹明日香の存在感はさすが。けど色情めす市場の芹はヤクやってないと思う。
・ヤクをやってからは、暴れてるというよりヤクに突き動かされてるだけになってる。
魂抜けてて幽鬼とか死神みたいに見える。
・単純な狂犬ぶりなら野獣死すべしの松田優作の方が上。
・渡哲也の演技がすごい。マジで病気にしか見えない。と思ったら本当に病気だった。
この映画はこの演技にかなり助けられてる。
・暗い映画と言われているけど、笑いどころは結構ある。兄貴分を自分で殺しておいて、「ホトケを拝ませてくれませんか」って通夜にくるところとか
追い返されるに決まってるだろ、、
・有名な骨をしゃぶるシーンもコントに見えなくもない。「親分に迷惑をかけましたが、、家を持ちたいと思ってるんです」って、お前親分ぶった切って破門にされたんじゃないのかよ!ってツッコミたい。
それに対する親分の「お、おう… いいよ…」ってリアクションも笑える
・ちなみにあの骨をしゃぶるシーンは石川力夫じゃなくて実在の俳優がやったエピソードを基にしてるらしい。
誰だよそいつ。そいつが一番やべーだろ。
全体を見て、狂気に犯された狂犬の映画というよりは、ワガママで傍迷惑な子供が暴れまわって勝手に自滅している映画だな、と思った。
ヤクザ映画というよりは一種のカルト映画なので、そういうのが好きな人は見たらいいと思う。
2020年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
敗戦後の混乱期に実在した若きヤクザ・石川力夫(渡哲也)の壮絶で“破滅的な生き様”を描いた
実録ヤクザ映画の傑作。
「道を極める」という意味合いで、ヤクザのことを「極道」と呼ぶのだろうが、複数の人間が
寄り集まって作るコミュニティ(道)である限り、極道社会にだって、その社会なりの“ルール”
というやつは当然ある。
彼等の社会が我々堅気社会と異なる点は、「国家の定めた法律の内側に居るか、外側に居るか」の違いであり、だからこそ“アウトロー”と称されるわけだが、法の外に存在し、その法に守られる事を放棄しているために、血縁のない者同士を“親子・兄弟”と呼び合う「擬似家族」を構成してお互いを守る(相互扶助する)ことが重要になってくる。
「一般社会のルールーに従わない分、仲間内の“掟”だけは厳守しないと生存に関わる」というわけだ。
かくして彼らは、見方によっては堅気社会よりよっぽど“堅苦しく”“人間的な結びつきが濃い”「掟」で自分たちのコミュニティを統制することになり、そこで極めて理想的なアウトローの“徳目”として持ち出されるのが「仁義」※の二文字。
※儒教の主要思想である、「五常の徳」(仁・義・礼・智・信)の内、仁(じん)は、孔子がその思想の中心に据えた倫理規定で人間関係の基本。人間にとって最も普遍的で包括的、根源的な愛を意味し、平たく言えば「他人に対する親愛の情や優しさ」のこと。義(ぎ)は、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられ(※義利の辨)、「正しい行いを守る」こと。この「仁」と「義」を合わせて「仁義」と呼び、古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目として中国の伝統的な社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方であると云われている。
中国古代において倫理観が乱れに乱れた乱世「春秋戦国時代」の思想として確立された「儒教」が“倫理規定の重要項目(徳目)”とした「仁義」を、乱世で未成熟社会であった「日本の戦後」に生きたアウトローが自分達の“倫理規定の最重要徳目”として採用した事は、当然と言えば当然で、「乱世が日常」或いは「乱世であるほど美味しく“シノぐ”ことが出来る」彼らのコミュニティを統制するた為の“徳目”として、これほど有用なモノはない。
“大きなコミュニティ”が「安定した社会」としての体を成していない時(※この映画の時代背景「戦後の混乱期」)には尚更、この手の“徳目”を戴いて、「世の中は信用しないが仲間だけは信用する小さな(アウトロー)コミュニティ」は俄然力を発揮するからである(※勿論、暴力性を併せ持っているから有効なのだが…)。
この映画の中にも、安藤昇が演じる“ヤクザ上がりの代議士”が登場するが、堅気の国家や警察が地域コミュニティの利権を守る治安機構として脆弱であった時代(戦後の混乱期)においては、こうしてアウトローから堅気の権力中枢に迫るほどの力を得る者(顔役)も出てくる。
但し、彼等アウトロー・コミュニティに属する構成員の一人一人は、一般の堅気の人々より人格的に優れているわけではなく、むしろ劣っている者が多い。せいぜい「己の利益を守る為、躊躇わずに発揮される暴力性」が突出しているぐらいだ。
そういう「暴力性」をコミュニティの内側に向かわせず、コミュニティの外側に向ける“威嚇力”として機能させる為にこそ、「仁義」という徳目が強調される。この「仁義」を全く守ることなく、その仲間内でも飛び切り突出した「剥き出しの暴力性」を、なんら躊躇うことなく、己が属する極道コミュニティの内側へ“激しく”向けたのが、この物語の主人公・石川力夫。
よって彼は、死後数十年を経た現在も、自ら属したアウトロー社会からさえ「伝説の外道」と、極道的倫理観に則って嫌悪され続けている“稀有な”存在だ。だが、面白い事に彼自身は「仁義」を自分に都合よく勝手に解釈していたのか?、他者(※義兄弟や親分)に対しては、“大いに「仁義」を要求した”のである(笑)。
つまり、「仁義という価値観は素晴しい」という認識はあるのに、その内容については全く理解しておらず、自分が全く仁義を守らないことを棚に上げて、「周りの奴等は俺に対して「仁」も「義」も著しく欠いているじゃないか!」 と独り憤ったまま、破滅への道をひた走るのだ。そして、己の墓石には「仁義」の文字を刻ませる。凄まじい“オチ”である(笑)。
近年、流行している言葉に「KY」(※空気が読めない)というのがあるが、石川力夫の場合は、まさに“化け物じみたKYぶり”。空気が「読めない」どころではなく、そんなものが 「あることさえ知らない」 と言った方がいいぐらいか・・・。
本能に任せて強姦した堅気の女を妻にし、その妻を“シャブ中地獄”に引き摺り込んで自殺させたかと思えば、その遺骨を抱えて自分がかつて殺そうとした親分の元へ、「俺にシマ(縄張り)を分けてくれ」と頼みにいく。勿論相手は、そんな無茶な頼みを聞くはずもないのに、断られると骨壷から取り出した妻の遺骨を齧りながら逆ギレするのである(笑)
近現代を生きた人間として、これほど“社会性を欠きまくった存在”というのは、或る意味“奇跡的”なのではないだろうか?
ちなみに、この石川力夫という男、茨城県(※監督の深作欣次と同郷)の田舎で過ごした幼少時代には「勉強もよく出来て、頭が良い」という評価を受けていたそうである。
実録ヤクザ映画の傑作。
「道を極める」という意味合いで、ヤクザのことを「極道」と呼ぶのだろうが、複数の人間が
寄り集まって作るコミュニティ(道)である限り、極道社会にだって、その社会なりの“ルール”
というやつは当然ある。
彼等の社会が我々堅気社会と異なる点は、「国家の定めた法律の内側に居るか、外側に居るか」の違いであり、だからこそ“アウトロー”と称されるわけだが、法の外に存在し、その法に守られる事を放棄しているために、血縁のない者同士を“親子・兄弟”と呼び合う「擬似家族」を構成してお互いを守る(相互扶助する)ことが重要になってくる。
「一般社会のルールーに従わない分、仲間内の“掟”だけは厳守しないと生存に関わる」というわけだ。
かくして彼らは、見方によっては堅気社会よりよっぽど“堅苦しく”“人間的な結びつきが濃い”「掟」で自分たちのコミュニティを統制することになり、そこで極めて理想的なアウトローの“徳目”として持ち出されるのが「仁義」※の二文字。
※儒教の主要思想である、「五常の徳」(仁・義・礼・智・信)の内、仁(じん)は、孔子がその思想の中心に据えた倫理規定で人間関係の基本。人間にとって最も普遍的で包括的、根源的な愛を意味し、平たく言えば「他人に対する親愛の情や優しさ」のこと。義(ぎ)は、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられ(※義利の辨)、「正しい行いを守る」こと。この「仁」と「義」を合わせて「仁義」と呼び、古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目として中国の伝統的な社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方であると云われている。
中国古代において倫理観が乱れに乱れた乱世「春秋戦国時代」の思想として確立された「儒教」が“倫理規定の重要項目(徳目)”とした「仁義」を、乱世で未成熟社会であった「日本の戦後」に生きたアウトローが自分達の“倫理規定の最重要徳目”として採用した事は、当然と言えば当然で、「乱世が日常」或いは「乱世であるほど美味しく“シノぐ”ことが出来る」彼らのコミュニティを統制するた為の“徳目”として、これほど有用なモノはない。
“大きなコミュニティ”が「安定した社会」としての体を成していない時(※この映画の時代背景「戦後の混乱期」)には尚更、この手の“徳目”を戴いて、「世の中は信用しないが仲間だけは信用する小さな(アウトロー)コミュニティ」は俄然力を発揮するからである(※勿論、暴力性を併せ持っているから有効なのだが…)。
この映画の中にも、安藤昇が演じる“ヤクザ上がりの代議士”が登場するが、堅気の国家や警察が地域コミュニティの利権を守る治安機構として脆弱であった時代(戦後の混乱期)においては、こうしてアウトローから堅気の権力中枢に迫るほどの力を得る者(顔役)も出てくる。
但し、彼等アウトロー・コミュニティに属する構成員の一人一人は、一般の堅気の人々より人格的に優れているわけではなく、むしろ劣っている者が多い。せいぜい「己の利益を守る為、躊躇わずに発揮される暴力性」が突出しているぐらいだ。
そういう「暴力性」をコミュニティの内側に向かわせず、コミュニティの外側に向ける“威嚇力”として機能させる為にこそ、「仁義」という徳目が強調される。この「仁義」を全く守ることなく、その仲間内でも飛び切り突出した「剥き出しの暴力性」を、なんら躊躇うことなく、己が属する極道コミュニティの内側へ“激しく”向けたのが、この物語の主人公・石川力夫。
よって彼は、死後数十年を経た現在も、自ら属したアウトロー社会からさえ「伝説の外道」と、極道的倫理観に則って嫌悪され続けている“稀有な”存在だ。だが、面白い事に彼自身は「仁義」を自分に都合よく勝手に解釈していたのか?、他者(※義兄弟や親分)に対しては、“大いに「仁義」を要求した”のである(笑)。
つまり、「仁義という価値観は素晴しい」という認識はあるのに、その内容については全く理解しておらず、自分が全く仁義を守らないことを棚に上げて、「周りの奴等は俺に対して「仁」も「義」も著しく欠いているじゃないか!」 と独り憤ったまま、破滅への道をひた走るのだ。そして、己の墓石には「仁義」の文字を刻ませる。凄まじい“オチ”である(笑)。
近年、流行している言葉に「KY」(※空気が読めない)というのがあるが、石川力夫の場合は、まさに“化け物じみたKYぶり”。空気が「読めない」どころではなく、そんなものが 「あることさえ知らない」 と言った方がいいぐらいか・・・。
本能に任せて強姦した堅気の女を妻にし、その妻を“シャブ中地獄”に引き摺り込んで自殺させたかと思えば、その遺骨を抱えて自分がかつて殺そうとした親分の元へ、「俺にシマ(縄張り)を分けてくれ」と頼みにいく。勿論相手は、そんな無茶な頼みを聞くはずもないのに、断られると骨壷から取り出した妻の遺骨を齧りながら逆ギレするのである(笑)
近現代を生きた人間として、これほど“社会性を欠きまくった存在”というのは、或る意味“奇跡的”なのではないだろうか?
ちなみに、この石川力夫という男、茨城県(※監督の深作欣次と同郷)の田舎で過ごした幼少時代には「勉強もよく出来て、頭が良い」という評価を受けていたそうである。
2023年4月13日に日本でレビュー済み
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うちの親父が好きなので見ていました
面白いの面白いのことです
面白いの面白いのことです
2018年5月13日に日本でレビュー済み
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無理やり貞操を奪い娼婦にして金を貢がせシャブ漬けにした挙げ句自殺した女は自殺する直前、婚姻届けに判を押し石川力夫の女房になった。現代人の私には全く理解不能だが彼女は石川力夫と心中する道を選んだのだろう。それを理解した石川は、かつての親分の所に出向き、金をたかりに行き、遺骨をバリバリ食べる名シーンの後、墓石を買い刑務所で「大笑い三十年ばか騒ぎ」と書き残し自殺した。自殺した女房の後を追ったのである。まさに仁義を通した!。
映画冒頭で「石川は頭が良くワガママで泣き虫な子供だった。」とある通り石川力夫は自分の生き方を貫いたのだ。
映画冒頭で「石川は頭が良くワガママで泣き虫な子供だった。」とある通り石川力夫は自分の生き方を貫いたのだ。
2022年1月23日に日本でレビュー済み
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信じてくれた親友を手にかけるとんでも
ない外道、身勝手で荒唐無稽な生き様。
周りの人を巻き込んで不幸にしてしまう。
暗い気持ちにさせる映画です。
異常性格で薬物乱用者。
渡哲也の演技には驚きました。
色情メス市場で好演した芹明香の
薬中娼婦役もリアルでした。
ない外道、身勝手で荒唐無稽な生き様。
周りの人を巻き込んで不幸にしてしまう。
暗い気持ちにさせる映画です。
異常性格で薬物乱用者。
渡哲也の演技には驚きました。
色情メス市場で好演した芹明香の
薬中娼婦役もリアルでした。
2017年2月16日に日本でレビュー済み
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🌟東京のアウトサイダーの一人。ルール無用で転がり続ける石のようだが、きっとこれも人生なんだと思う・・・そういう年齢に自分もなり、いつの間にか大きく越えているのです。この映画は、何度も見ていますが『Story』以外のものがいつ見ても新鮮味があり・好きな作品の一つです。滅びの美学ってこう云う事なんでしょうね。渡哲也作品では、一番好きです。