バーバー ― 2枚組 DTSスペシャルエディション (初回生産限定版) [DVD]
フォーマット | ドルビー, ワイドスクリーン, DTS Stereo |
コントリビュータ | ビリー・ボブ・ソーントン, スカーレット・ヨハンスン, イーサン・コーエン, フランシス・マクドーマンド, ジョエル・コーエン, ジェームズ・ガンドルフィーニ |
言語 | 日本語, 英語 |
稼働時間 | 1 時間 56 分 |
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商品の説明
Amazonより
1949年夏のカリフォルニア。義兄が営む理髪店で毎日客の髪を刈り続ける寡黙な男エド・クレイン(ビリー・ボブ・ソーントン)は、当時のベンチャービジネスでもあったドライクリーニングと出会い、クリーニング屋を始めるための資金稼ぎとして、妻の不倫相手をゆすってしまう…。
イーサン&ジョエル・コーエン兄弟の9作目にして、初の全編モノクローム作品(カラー・フィルムで撮影し、そこからモノクロ・ネガフィルムに現像)。いつもは技巧を凝らす彼らの映像美も今回はやや抑え目(ただし、今回は実は多分にSFチックなので、観て確かめたし)で、ドライクリーニングのために人生を狂わされていく主人公およびその周りの人々を、文字通りドライに描いていく。ただし、彼らならではのそこはかとないユーモアセンスも俄然健在だ。(的田也寸志)
レビュー
製作・脚本: イーサン・コーエン 監督・脚本: ジョエル・コーエン 撮影監督: ロジャー・ディーキンズ 音楽: カーター・バーウェル 出演: ビリー・ボブ・ソーントン/フランシス・マクドーマンド/ジェイムズ・ガンドルフィーニ/スカーレット・ヨハンスン
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語, 英語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988126201425
- 監督 : ジョエル・コーエン
- メディア形式 : ドルビー, ワイドスクリーン, DTS Stereo
- 時間 : 1 時間 56 分
- 発売日 : 2002/12/21
- 出演 : ビリー・ボブ・ソーントン, フランシス・マクドーマンド, ジェームズ・ガンドルフィーニ, スカーレット・ヨハンスン
- 字幕: : 日本語, 英語
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 5.1), 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : アスミック
- 生産者 : イーサン・コーエン
- ASIN : B00007B58U
- ディスク枚数 : 2
- Amazon 売れ筋ランキング: - 6,565位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 149位外国のミステリー・サスペンス映画
- - 507位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
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イメージ付きのレビュー
5 星
コーエン兄弟が描く「そこにいなかった男」、エド・クレインの迷路のような半生
ストライプのバーバーの回転塔のように同じ毎日が続く生活。理髪師エド(ビリー・ボブ・ソーントン)の存在感と、彼と世界との距離感の描写に舌を巻いた。Lookは40年~50年代のノワール、ハードボイルドのそれに近いのが、シャープなモノクロにもかかわらず全編を支配する浮遊感の正体は何か。物語はみなさまが書かれているので略しますが、本頁の「内容」の言う典型的なクライム・サスペンス、というとミスリードしそう。独白があるにもかかわらず、ブラックボックスのようにエドの内面はうかがい知れない。人生にちょっとしたツイストが欲しかっただけかも知れないが、ひとひねりどころか彼を思わぬところまで連れて行ってしまう。そういえばハードボイルド・タッチで始まるが、最後は違うところに着地したように思える。ドライ・クリーニングとロズウェル事件の新聞記事にはニヤリとさせられた。なんと皮肉な。「あれ、俺の見ていたのは虚構じゃなかったのか」・・。本作のエドはその無個性、匿名性のかたまりのようなキャラクターだと感じたが(でもほとんどのカットでタバコを喫っているのが印象的)、実はこの特質はこれまであまり見られなかった独創的なものではないかと思う。中心が抜け落ちているような彼の眺める世界は、なんだか彼から遠く遠く離れていくように見える。エドと世界の間に分厚いガラスがあって、世界の音が入って来ないようなところにいる感じというか、世界から遊離していくような、深い海の底にいるような・・。例えればゴーストみたいな感じ。彼の眺める街行く人々のカットには被現実感・傍観者の視点が感じられる。その中で友人の娘バーディ(スカーレット・ヨハンソン)とのエピソードでは、世界の非現実感も薄らぐのか、エドもどこか世界と繋がっているように見えて面白い。車中のあのシーンはひっくりかえりましたけど。エドは彼女をどのように思っていたのか・・・。ベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」(?)がうまく使われていた。ヨハンソン、そして妻役のフランシス・マクドーマンドをどのように位置付けするべきなのか、実はまだよくわからない・・。でも妻へのラストのあの独白は彼岸を感じさせてちょっと悲しい。似たような彼のセリフにもあるとおり、まるで迷路のすべての分かれ道を間違えて進んでしまった人の人生。それを高見から離れて見ることができれば・・。そうすれば、さてラストは悲劇なのか、救いなのか。同じ人が観てもある時は前者に思え、ある時は後者に思えるラストではないか。本人には悲劇だがこちらから見れば喜劇、と見る向きもあるだろうが、私は本人には喜劇だがこちらから見れば悲劇、と今は思う。撮影はロジャー・ディーキンス。コーエン兄弟の諸作、スコセッシの『クンドゥン』、ラフェルソンの『愛と野望のナイル』などで知られる。カラー・フィルムで撮影されたがモノクロにしている(劇場公開時)。この2枚組のDisc2はカラー版。オリジナル音楽は、これまたコーエン兄弟の常連、カーター・バーウェル。伸びなくてもいい髪を切り、ゴミ箱に捨てるだけの人生。邦題は『バーバー』だが、原題はThe man who wasn’t there. 「そこにいなかった男」。ますます幽霊的だ。人生の大事な局面でいつも「そこにいなかった男」・・。迷路のような現実世界で、生身の肉体と生活を手にしようとした・・、世界にコミットしようとしたゴースト(のような男)のお話しなのか。変な映画だ。もう1回言うが変な映画・・。よくわからないが素晴らしい。The man who wasn’t there 2001 U.S.=U.K.
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年1月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
みないと、ダメです。そして、流れは、あることを中心に、その周縁と結末を眺める感じです。コーエン兄弟は、いつも思うのですが、こちらの、映画に関する固定観念を揺るがす映画を撮ります。ウィキペディアでは少ししかネタバレしてないので、先に少し観てから見ることをお勧めします。予備知識ないと、キビシイです。
2017年11月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
点数は3.3
ビリー・ボブ・ソーントンは、心に突然吹き込んできた異常の風に、訝しがりながらも凧を上げるような役を演じている。
ビリー・ボブ・ソーントンは、心に突然吹き込んできた異常の風に、訝しがりながらも凧を上げるような役を演じている。
2017年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いくつかレビューで「◯◯(他の作品)のような~」というのが散見されますが
何に似てるって、どう考えても『アメリカン・ビューティー』でしょう!
一見満ち足りたアメリカ中流家庭の冴えない旦那の日常が壊れていく。
「人生ってまぁ、こんなもんだよね」という、諦観にも近い目線。
静かなモノローグに白黒の画で一見退屈ですが、ストーリーは最後までしっかり動いているし
最後は収まるべき所に収まっている感じがして、後味はそんなに悪くない。
アメリカン~の方はオスカーまで獲りましたが、これも劣らずいい作品だと思います。
P.S.
若き日のスカヨハ可愛い
何に似てるって、どう考えても『アメリカン・ビューティー』でしょう!
一見満ち足りたアメリカ中流家庭の冴えない旦那の日常が壊れていく。
「人生ってまぁ、こんなもんだよね」という、諦観にも近い目線。
静かなモノローグに白黒の画で一見退屈ですが、ストーリーは最後までしっかり動いているし
最後は収まるべき所に収まっている感じがして、後味はそんなに悪くない。
アメリカン~の方はオスカーまで獲りましたが、これも劣らずいい作品だと思います。
P.S.
若き日のスカヨハ可愛い
2017年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ファーゴ Fargo 」(1996年)「ノーカントリー No Country for Old Men 」(2007年)などで知られるJoel and Ethan Coen.、いわゆるコーエン兄弟の作品。古い映画見えるが、原題 "The Man Who Wasn't There"という2001年度 British-American neo-noir crime film である。
原題の意味は、よく、わからない。無口な床屋のエド(Billy Bob Thornton)が、無実の殺人罪で電気椅子に送られるまでの経緯を、淡々と、エド自身が物語る形で映像が進行していく。風変わりな映画で、小説のAudio版を聞いているような錯覚に陥る。映画を観たというより、一編の小説を読んだという印象。どんな小説かというと、ありふれた日常にありふれた事件が起こって、ありふれた手続きで死刑判決に至るという、アルベール・カミュの「異邦人」のような印象。
死刑を待っている間、エドは、パルプ雑誌に売る告白記事を書いていた。書いているうちに、ぱらばらのパズルが整理されて、事件の全貌が見えてきた。そのうちに、誰もいなにのに独房の扉が開かれる。引きつけられるように、刑務所の外に出てみると、夜空にUFOが浮かんでいるという不可解な現象を目撃する。
最後に、エドは電気椅子の上で自分の運命を顧みたが、何も後悔することはなかった。ただ、あの世でドリス(妻)と再会することだけを願った。この世界の不条理から解放されて。
そこで、いささか、唐突に思い出すのが、仏教的世界観。
「『過去における心は捉えることができない。現在における心は捉えることができない。未来における心は捉えることができない』
(金剛般若経第十八)これは、諸仏の学び究めたところである。捉えることができない心のうちに、過去・現在・未来のあり方があ
るのである。」(道元「正法眼蔵」第八 中村宗一訳)
原題の意味は、よく、わからない。無口な床屋のエド(Billy Bob Thornton)が、無実の殺人罪で電気椅子に送られるまでの経緯を、淡々と、エド自身が物語る形で映像が進行していく。風変わりな映画で、小説のAudio版を聞いているような錯覚に陥る。映画を観たというより、一編の小説を読んだという印象。どんな小説かというと、ありふれた日常にありふれた事件が起こって、ありふれた手続きで死刑判決に至るという、アルベール・カミュの「異邦人」のような印象。
死刑を待っている間、エドは、パルプ雑誌に売る告白記事を書いていた。書いているうちに、ぱらばらのパズルが整理されて、事件の全貌が見えてきた。そのうちに、誰もいなにのに独房の扉が開かれる。引きつけられるように、刑務所の外に出てみると、夜空にUFOが浮かんでいるという不可解な現象を目撃する。
最後に、エドは電気椅子の上で自分の運命を顧みたが、何も後悔することはなかった。ただ、あの世でドリス(妻)と再会することだけを願った。この世界の不条理から解放されて。
そこで、いささか、唐突に思い出すのが、仏教的世界観。
「『過去における心は捉えることができない。現在における心は捉えることができない。未来における心は捉えることができない』
(金剛般若経第十八)これは、諸仏の学び究めたところである。捉えることができない心のうちに、過去・現在・未来のあり方があ
るのである。」(道元「正法眼蔵」第八 中村宗一訳)
2017年11月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔といえど、指紋を調べれば犯人は一発。それをスルーさせてのストーリー展開はちょっと無理があったかな。やけにかっこつけすぎな演出も空回りな感じ。
2019年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
コーエン好きにも知らない方にもお勧めのDVDです。
なんと最初に作られた白黒版とカラー版の2枚組 映画も面白いですがお得です!
なんと最初に作られた白黒版とカラー版の2枚組 映画も面白いですがお得です!
2015年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ストライプのバーバーの回転塔のように同じ毎日が続く生活。理髪師エド(ビリー・ボブ・ソーントン)の存在感と、彼と世界との距離感の描写に舌を巻いた。Lookは40年~50年代のノワール、ハードボイルドのそれに近いのが、シャープなモノクロにもかかわらず全編を支配する浮遊感の正体は何か。物語はみなさまが書かれているので略しますが、本頁の「内容」の言う典型的なクライム・サスペンス、というとミスリードしそう。
独白があるにもかかわらず、ブラックボックスのようにエドの内面はうかがい知れない。人生にちょっとしたツイストが欲しかっただけかも知れないが、ひとひねりどころか彼を思わぬところまで連れて行ってしまう。そういえばハードボイルド・タッチで始まるが、最後は違うところに着地したように思える。ドライ・クリーニングとロズウェル事件の新聞記事にはニヤリとさせられた。なんと皮肉な。「あれ、俺の見ていたのは虚構じゃなかったのか」・・。
本作のエドはその無個性、匿名性のかたまりのようなキャラクターだと感じたが(でもほとんどのカットでタバコを喫っているのが印象的)、実はこの特質はこれまであまり見られなかった独創的なものではないかと思う。
中心が抜け落ちているような彼の眺める世界は、なんだか彼から遠く遠く離れていくように見える。エドと世界の間に分厚いガラスがあって、世界の音が入って来ないようなところにいる感じというか、世界から遊離していくような、深い海の底にいるような・・。例えればゴーストみたいな感じ。彼の眺める街行く人々のカットには被現実感・傍観者の視点が感じられる。
その中で友人の娘バーディ(スカーレット・ヨハンソン)とのエピソードでは、世界の非現実感も薄らぐのか、エドもどこか世界と繋がっているように見えて面白い。車中のあのシーンはひっくりかえりましたけど。エドは彼女をどのように思っていたのか・・・。ベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」(?)がうまく使われていた。ヨハンソン、そして妻役のフランシス・マクドーマンドをどのように位置付けするべきなのか、実はまだよくわからない・・。でも妻へのラストのあの独白は彼岸を感じさせてちょっと悲しい。
似たような彼のセリフにもあるとおり、まるで迷路のすべての分かれ道を間違えて進んでしまった人の人生。それを高見から離れて見ることができれば・・。そうすれば、さてラストは悲劇なのか、救いなのか。同じ人が観てもある時は前者に思え、ある時は後者に思えるラストではないか。本人には悲劇だがこちらから見れば喜劇、と見る向きもあるだろうが、私は本人には喜劇だがこちらから見れば悲劇、と今は思う。
撮影はロジャー・ディーキンス。コーエン兄弟の諸作、スコセッシの『クンドゥン』、ラフェルソンの『愛と野望のナイル』などで知られる。カラー・フィルムで撮影されたがモノクロにしている(劇場公開時)。この2枚組のDisc2はカラー版。オリジナル音楽は、これまたコーエン兄弟の常連、カーター・バーウェル。
伸びなくてもいい髪を切り、ゴミ箱に捨てるだけの人生。邦題は『バーバー』だが、原題はThe man who wasn’t there. 「そこにいなかった男」。ますます幽霊的だ。人生の大事な局面でいつも「そこにいなかった男」・・。迷路のような現実世界で、生身の肉体と生活を手にしようとした・・、世界にコミットしようとしたゴースト(のような男)のお話しなのか。変な映画だ。もう1回言うが変な映画・・。よくわからないが素晴らしい。
The man who wasn’t there 2001 U.S.=U.K.
独白があるにもかかわらず、ブラックボックスのようにエドの内面はうかがい知れない。人生にちょっとしたツイストが欲しかっただけかも知れないが、ひとひねりどころか彼を思わぬところまで連れて行ってしまう。そういえばハードボイルド・タッチで始まるが、最後は違うところに着地したように思える。ドライ・クリーニングとロズウェル事件の新聞記事にはニヤリとさせられた。なんと皮肉な。「あれ、俺の見ていたのは虚構じゃなかったのか」・・。
本作のエドはその無個性、匿名性のかたまりのようなキャラクターだと感じたが(でもほとんどのカットでタバコを喫っているのが印象的)、実はこの特質はこれまであまり見られなかった独創的なものではないかと思う。
中心が抜け落ちているような彼の眺める世界は、なんだか彼から遠く遠く離れていくように見える。エドと世界の間に分厚いガラスがあって、世界の音が入って来ないようなところにいる感じというか、世界から遊離していくような、深い海の底にいるような・・。例えればゴーストみたいな感じ。彼の眺める街行く人々のカットには被現実感・傍観者の視点が感じられる。
その中で友人の娘バーディ(スカーレット・ヨハンソン)とのエピソードでは、世界の非現実感も薄らぐのか、エドもどこか世界と繋がっているように見えて面白い。車中のあのシーンはひっくりかえりましたけど。エドは彼女をどのように思っていたのか・・・。ベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」(?)がうまく使われていた。ヨハンソン、そして妻役のフランシス・マクドーマンドをどのように位置付けするべきなのか、実はまだよくわからない・・。でも妻へのラストのあの独白は彼岸を感じさせてちょっと悲しい。
似たような彼のセリフにもあるとおり、まるで迷路のすべての分かれ道を間違えて進んでしまった人の人生。それを高見から離れて見ることができれば・・。そうすれば、さてラストは悲劇なのか、救いなのか。同じ人が観てもある時は前者に思え、ある時は後者に思えるラストではないか。本人には悲劇だがこちらから見れば喜劇、と見る向きもあるだろうが、私は本人には喜劇だがこちらから見れば悲劇、と今は思う。
撮影はロジャー・ディーキンス。コーエン兄弟の諸作、スコセッシの『クンドゥン』、ラフェルソンの『愛と野望のナイル』などで知られる。カラー・フィルムで撮影されたがモノクロにしている(劇場公開時)。この2枚組のDisc2はカラー版。オリジナル音楽は、これまたコーエン兄弟の常連、カーター・バーウェル。
伸びなくてもいい髪を切り、ゴミ箱に捨てるだけの人生。邦題は『バーバー』だが、原題はThe man who wasn’t there. 「そこにいなかった男」。ますます幽霊的だ。人生の大事な局面でいつも「そこにいなかった男」・・。迷路のような現実世界で、生身の肉体と生活を手にしようとした・・、世界にコミットしようとしたゴースト(のような男)のお話しなのか。変な映画だ。もう1回言うが変な映画・・。よくわからないが素晴らしい。
The man who wasn’t there 2001 U.S.=U.K.
ストライプのバーバーの回転塔のように同じ毎日が続く生活。理髪師エド(ビリー・ボブ・ソーントン)の存在感と、彼と世界との距離感の描写に舌を巻いた。Lookは40年~50年代のノワール、ハードボイルドのそれに近いのが、シャープなモノクロにもかかわらず全編を支配する浮遊感の正体は何か。物語はみなさまが書かれているので略しますが、本頁の「内容」の言う典型的なクライム・サスペンス、というとミスリードしそう。
独白があるにもかかわらず、ブラックボックスのようにエドの内面はうかがい知れない。人生にちょっとしたツイストが欲しかっただけかも知れないが、ひとひねりどころか彼を思わぬところまで連れて行ってしまう。そういえばハードボイルド・タッチで始まるが、最後は違うところに着地したように思える。ドライ・クリーニングとロズウェル事件の新聞記事にはニヤリとさせられた。なんと皮肉な。「あれ、俺の見ていたのは虚構じゃなかったのか」・・。
本作のエドはその無個性、匿名性のかたまりのようなキャラクターだと感じたが(でもほとんどのカットでタバコを喫っているのが印象的)、実はこの特質はこれまであまり見られなかった独創的なものではないかと思う。
中心が抜け落ちているような彼の眺める世界は、なんだか彼から遠く遠く離れていくように見える。エドと世界の間に分厚いガラスがあって、世界の音が入って来ないようなところにいる感じというか、世界から遊離していくような、深い海の底にいるような・・。例えればゴーストみたいな感じ。彼の眺める街行く人々のカットには被現実感・傍観者の視点が感じられる。
その中で友人の娘バーディ(スカーレット・ヨハンソン)とのエピソードでは、世界の非現実感も薄らぐのか、エドもどこか世界と繋がっているように見えて面白い。車中のあのシーンはひっくりかえりましたけど。エドは彼女をどのように思っていたのか・・・。ベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」(?)がうまく使われていた。ヨハンソン、そして妻役のフランシス・マクドーマンドをどのように位置付けするべきなのか、実はまだよくわからない・・。でも妻へのラストのあの独白は彼岸を感じさせてちょっと悲しい。
似たような彼のセリフにもあるとおり、まるで迷路のすべての分かれ道を間違えて進んでしまった人の人生。それを高見から離れて見ることができれば・・。そうすれば、さてラストは悲劇なのか、救いなのか。同じ人が観てもある時は前者に思え、ある時は後者に思えるラストではないか。本人には悲劇だがこちらから見れば喜劇、と見る向きもあるだろうが、私は本人には喜劇だがこちらから見れば悲劇、と今は思う。
撮影はロジャー・ディーキンス。コーエン兄弟の諸作、スコセッシの『クンドゥン』、ラフェルソンの『愛と野望のナイル』などで知られる。カラー・フィルムで撮影されたがモノクロにしている(劇場公開時)。この2枚組のDisc2はカラー版。オリジナル音楽は、これまたコーエン兄弟の常連、カーター・バーウェル。
伸びなくてもいい髪を切り、ゴミ箱に捨てるだけの人生。邦題は『バーバー』だが、原題はThe man who wasn’t there. 「そこにいなかった男」。ますます幽霊的だ。人生の大事な局面でいつも「そこにいなかった男」・・。迷路のような現実世界で、生身の肉体と生活を手にしようとした・・、世界にコミットしようとしたゴースト(のような男)のお話しなのか。変な映画だ。もう1回言うが変な映画・・。よくわからないが素晴らしい。
The man who wasn’t there 2001 U.S.=U.K.
独白があるにもかかわらず、ブラックボックスのようにエドの内面はうかがい知れない。人生にちょっとしたツイストが欲しかっただけかも知れないが、ひとひねりどころか彼を思わぬところまで連れて行ってしまう。そういえばハードボイルド・タッチで始まるが、最後は違うところに着地したように思える。ドライ・クリーニングとロズウェル事件の新聞記事にはニヤリとさせられた。なんと皮肉な。「あれ、俺の見ていたのは虚構じゃなかったのか」・・。
本作のエドはその無個性、匿名性のかたまりのようなキャラクターだと感じたが(でもほとんどのカットでタバコを喫っているのが印象的)、実はこの特質はこれまであまり見られなかった独創的なものではないかと思う。
中心が抜け落ちているような彼の眺める世界は、なんだか彼から遠く遠く離れていくように見える。エドと世界の間に分厚いガラスがあって、世界の音が入って来ないようなところにいる感じというか、世界から遊離していくような、深い海の底にいるような・・。例えればゴーストみたいな感じ。彼の眺める街行く人々のカットには被現実感・傍観者の視点が感じられる。
その中で友人の娘バーディ(スカーレット・ヨハンソン)とのエピソードでは、世界の非現実感も薄らぐのか、エドもどこか世界と繋がっているように見えて面白い。車中のあのシーンはひっくりかえりましたけど。エドは彼女をどのように思っていたのか・・・。ベートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」(?)がうまく使われていた。ヨハンソン、そして妻役のフランシス・マクドーマンドをどのように位置付けするべきなのか、実はまだよくわからない・・。でも妻へのラストのあの独白は彼岸を感じさせてちょっと悲しい。
似たような彼のセリフにもあるとおり、まるで迷路のすべての分かれ道を間違えて進んでしまった人の人生。それを高見から離れて見ることができれば・・。そうすれば、さてラストは悲劇なのか、救いなのか。同じ人が観てもある時は前者に思え、ある時は後者に思えるラストではないか。本人には悲劇だがこちらから見れば喜劇、と見る向きもあるだろうが、私は本人には喜劇だがこちらから見れば悲劇、と今は思う。
撮影はロジャー・ディーキンス。コーエン兄弟の諸作、スコセッシの『クンドゥン』、ラフェルソンの『愛と野望のナイル』などで知られる。カラー・フィルムで撮影されたがモノクロにしている(劇場公開時)。この2枚組のDisc2はカラー版。オリジナル音楽は、これまたコーエン兄弟の常連、カーター・バーウェル。
伸びなくてもいい髪を切り、ゴミ箱に捨てるだけの人生。邦題は『バーバー』だが、原題はThe man who wasn’t there. 「そこにいなかった男」。ますます幽霊的だ。人生の大事な局面でいつも「そこにいなかった男」・・。迷路のような現実世界で、生身の肉体と生活を手にしようとした・・、世界にコミットしようとしたゴースト(のような男)のお話しなのか。変な映画だ。もう1回言うが変な映画・・。よくわからないが素晴らしい。
The man who wasn’t there 2001 U.S.=U.K.
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