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昼顔 [DVD]

4.0 5つ星のうち4.0 58個の評価

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新品 中古品
DVD 通常版
¥7,800 ¥2,400
DVD 通常版
¥9,980 ¥1,478
DVD 通常版
¥1,203
DVD 1枚組
¥1,500
フォーマット ドルビー, 色, ワイドスクリーン
コントリビュータ ジャン・ソレル, ルイス・ブニュエル, ミシェル・ピコリ, カトリーヌ・ドヌーヴ
言語 フランス語
稼働時間 1 時間 40 分

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商品の説明

レビュー

監督・脚本: ルイス・ブニュエル 出演: カトリーヌ・ドリーヴ/ジャン・ソレル/ミシェル・ピコリ
--
内容(「CDジャーナル」データベースより)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語
  • EAN ‏ : ‎ 4988102778514
  • 監督 ‏ : ‎ ルイス・ブニュエル
  • メディア形式 ‏ : ‎ ドルビー, 色, ワイドスクリーン
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 40 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2002/12/21
  • 出演 ‏ : ‎ カトリーヌ・ドヌーヴ, ジャン・ソレル, ミシェル・ピコリ
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語 (Mono)
  • 販売元 ‏ : ‎ パイオニアLDC
  • ASIN ‏ : ‎ B00007B93G
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.0 5つ星のうち4.0 58個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4つ
5つのうち4つ
58グローバルレーティング

この商品をレビュー

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鈴の音と馬車が運ぶものは贖罪か喜びか・・?
5 星
鈴の音と馬車が運ぶものは贖罪か喜びか・・?
なんだか水の底を歩いているような不思議な浮遊感、奇妙な遊離感が漂います。スーパーナチュラルなことは画面上、描かれていないのですが、白昼夢のような非現実感を感じます。それは時折り挿入される時間的空間的つながりの薄い、夢とも幻想ともつかぬシーンに留まりません。後述するよう鈴の音が、観客までもめまいのような彼女の妄想に引きづりこみます。こちらまでボーッとしてしまいます。一方で、本作の底に流れる宗教的イメージ。私はキリスト教に明るくありませんが、カソリック系の儀式の際に、聖体(ウェハース様の白い煎餅みたいなもの)を司祭さんが信者?の口に含ませるシーンを見かけます。本作にも出てきます。少女時代のセヴリーヌがこれを頑なに拒むシーンがあります(回想なのか比喩なのかは判然としませんが)。現在の彼女の行為や妄想は、「聖」と呼ばれるものへの無意識の反発からくる、被虐的で正直な汚れ堕ちる背徳の歓びか。信仰しない神への贖罪(あるいは不感症の罪悪感の罰)として、汚れ堕ちることの受け入れか。愛せない愛さない人間との行為に喜びを覚え、愛する者とはできないということも描かれる。いくつかのシーンで、馬車(馬)あるいは鈴の音がシャンシャン響きます。これが(彼女の)耳に鳴り響くとき、性的な妄想や恍惚の昂まりが表されているように感じられます。冒頭の森の加虐。牛追いの西部らしきところでの言葉責め&泥プレイ(?)。そして謎の大金持ちの郊外のお城での「棺プレイ」(?)。夫とユッソン(ピシェル・ピコリ)の決闘シーン。木に縛り上げられたセブリーヌを奪い合う男たち。謎の東洋人、初めてエクスタシーを感じた(と思われる)「初仕事」の相手の手首の鈴もそうです(行為後のベッドに伏せた顔をあげた時の「オンナ」であることを再発見したお顔の艶めかしさ・・)。そして一見不合理で謎めいたラスト(車椅子。パリ自宅から観る森。オープニングと違い、2人が乗っていない馬車)。どこが現実でどこが妄想か。娼館にまつわるところと夫の後遺症のところが幻想なのか。森の馬車、鞭打ち、泥投げ、決闘シーンのみが幻想なのか(つまり娼館シーンは現実。「商売」を経て、彼女の罪悪感は治癒されたのか。快楽を受け容れられるようになったのか)。これらもドヌーブの心理や原因をストレートに説明したり、共感を与えるなんて無粋なことをブニュエルはしないところが偉い。とはいうものの、こんな理屈をこねてもこねなくても、ストレートに観れば、性癖さまざまなユニークな男たち、人妻の押さえられた欲望、深層心理、二重生活、性嫌悪の解消とこれらを巡る夫との関係修復の物語と美しいドヌーブにため息をつく作品として面白い。あらゆるものが美しく、謎めいて滑稽で醜悪で観る者の眼を惹き付けてやまない。ドヌーブのすべては言うに及ばず、曇り空の秋のパリや緑と赤の鮮やかな森や公園(撮影はサッシャ・ヴィエルニ。アラン・レネ、グリーナウェイ作品、『私生活のない女』『アメリカの伯父さん』)アブノーマルで欲望に忠実で赤裸々な男たちの本音・素。一点の曇りもない娼館女主人アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ!。『シャーロック・ホームズの冒険』(こっちの方がお綺麗でした。70年、ワイルダー監督)でのホームズの永遠の人・・)。ピエール・クレマンティ演じるマルセルの不安定さ、執着、幼稚さが印象的でした。ピシェル・ピコリの位置付け、内面が私には謎です。ブニュエル監督は初鑑賞ですが、本作はそれまでのブニュエル作と一味違うような意見もお見受けします。ぜひ追々観ていきたいですが、ブラックで辛辣で不条理な皮肉な作風と少し異なり、リアルと妄想の間を行きかうとそのまま受けっとっても面白いチャレンジ作かとも思いました。監督の「ははは。はったりや遊びに騙されて理屈こねやがって」「おれは撮りたいように撮っただけ。欲望に忠実に」という嘲笑が聞こえるかも知れません。一筋縄ではいかない方のようですから。多様な解釈が面白く(しなくても面白い)迷路みたいな本作。ニューロテックでサタイア。新たな気づきや魅力が再発見できそうな不思議な静謐感(音楽が一切ない)な1作でしたBELLE DE JOUR 1967 FR=ItalyTheatrical Aspect : 1,66:1 画質は可もなく不可もなく。関連キーワード:妄想・幻想、夫婦、二重生活、娼館、贖罪、セックス、パリ、特殊性嗜好、馬車、鈴、車椅子、杖、鞭、不感症
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上位レビュー、対象国: 日本

2022年7月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あのカトリーヌ・ドヌーブがこんな役をやっていたとは……。
それに、フランスにおける売春の実情を知るよい資料になります。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
カトリーヌ・ド・ヌーブが主演です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年3月15日に日本でレビュー済み
フランソワ・オゾンが『8人の女たち』で
オマージュを捧げた作品を観よう企画'@

昼だけ売春宿に身を置くお金持ちの妻。
ゆがんだハッピーエンドがいい。

お客様は変わった性癖目白押し。
主人公のトラウマが物語を貫いているけれど
それはなくてもよかった気がして、それがなければ
「いい女優をメタメタな話でいじめてみました☆」って
より有名な萌え映画になった気がする。

そんな内容なのに、どぎつくないから安心して観ていられる。

お人形のような身体と、ごつい顔。
ドヌーヴには、「かわいい」よりも「美しい」が似合う。
気品がある。
(「プライド」という一条ゆかりの漫画のシオさんは
 この人がモデルだと思う。
 どんな境遇でも気品でぴんとしている人)

『シェルブールの雨傘』でも思ったけれど
若い娘さんの役よりも30代、40代の方がよさそう。
次はその辺のが観たい。

フランス映画ではこういうごつい顔の女性がしばしば
「美しい人」の役柄で出てくる気がする。
顔が大きいのはインパクト的にプラスなんだろうか。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年11月6日に日本でレビュー済み
【ネタバレあり】

カットバックで、少女時代のセヴリーヌが聖体拝領のイエスのパンを拒むシーンがありますが、
これは、性的いたずらを受け入れてしまった体験による罪の意識のために
拒んでしまったのだと思います。

それからずっと、セヴリーヌは「罪の意識」と「罰せられたい」という思いを抱いて生きており、
それが馬車の馭者にムチ打たれたり「売女」と泥を投げつけられる妄想に表れています。

娼婦を辞めたあとマルセルが自宅に来るのは、セヴリーヌの夢でしょう。
それは靴の箱を開けたあとの出来事ですが、
マルセルが帰った後にメイドが部屋に入ってきて靴の箱を持ち去り、
そのあとセヴリーヌが起き上がる(つまり横になっていた)ことからわかります。
銃の音で目覚めたのですが、銃の音は夢の中で鳴ったものです。

夢でマルセルが自宅に押しかけてきて、夢の中で銃声が鳴り、
目が覚めて窓の外を見る。夫が倒れているところからは妄想です。
たまたま警官が事故を目撃していて、マルセルは都合よく劇的に殺されて消えてくれるのも
妄想だからです。
夫が車椅子になるのも、前に夫が通りすがりに「車椅子が気になる」と言ったことから
セヴリーヌの記憶に残っていて、妄想に採用されたのです。
そのうえ目も見えなくなり口もきけなくなる、そこまでの不具者になるのは妄想だからです。

妄想は
「自分のせいで夫をこんな重度の身体障害者にしてしまった」
「娼婦をしていたことを友人から夫にバラされて、夫の心までこんなに傷つけてしまった」
というものに変わり、

罰の妄想も
「献身的に尽くす(贖罪)」
「夫にバラされる(肉体的マゾから精神的マゾへ)」
に変化したのだと思います。

車椅子の部屋のシーンになる際、紅葉した木々とパリの建物の二重写しから始まるのも
このシーンが妄想だという意味だと思います。

ラストの夫がピンピンしているシーンは現実で、
馬車に何も乗っていないのは、彼女の深層心理で求めていること(妄想の内容)が
変わったことを表しているのだと思います。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
難解な作品も撮っているルイス・ブニュエル監督にしては、分かり易い作品です。当時23歳だったカトリーヌ・ドヌーヴも美しかったですが、個人的にはマダム・アナイスを演じたジェヌヴィエーヴ・パージュが好きです。このDVDは、挿入されている解説が大変充実していて面白いのですが、不思議な小箱(中身はわざと観客には見せない!)を持って訪ねてきた東洋人が、実は日本人という設定だったのには驚きました。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2007年3月20日に日本でレビュー済み
簡単な内容のようでいて、最後はいったいこれはどういう意味なのか?と
思った映画です。現実なのか。夢の中なのか?
ドヌーブの大胆なシーンもあり、驚きました。
シェルブールの雨傘とはまた違った大人のドヌーブの魅力があります。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年2月22日に日本でレビュー済み
*女の生きざま?単なるH好きな女の映画?妄想癖のある女?意味が良く解らなくて
 DVDレンタルしましたが2回目は(理解しようともう一度見ましたが)スキップ
 してしまいました。「シェルブールの雨傘」のままの・ドヌーブでいて欲しかった…
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2015年4月19日に日本でレビュー済み
なんだか水の底を歩いているような不思議な浮遊感、奇妙な遊離感が漂います。
スーパーナチュラルなことは画面上、描かれていないのですが、白昼夢のような非現実感を感じます。
それは時折り挿入される時間的空間的つながりの薄い、夢とも幻想ともつかぬシーンに留まりません。
後述するよう鈴の音が、観客までもめまいのような彼女の妄想に引きづりこみます。こちらまでボーッとしてしまいます。

一方で、本作の底に流れる宗教的イメージ。私はキリスト教に明るくありませんが、カソリック系の儀式の際に、
聖体(ウェハース様の白い煎餅みたいなもの)を司祭さんが信者?の口に含ませるシーンを見かけます。本作にも出てきます。
少女時代のセヴリーヌがこれを頑なに拒むシーンがあります(回想なのか比喩なのかは判然としませんが)。
現在の彼女の行為や妄想は、「聖」と呼ばれるものへの無意識の反発からくる、被虐的で正直な汚れ堕ちる背徳の歓びか。
信仰しない神への贖罪(あるいは不感症の罪悪感の罰)として、汚れ堕ちることの受け入れか。
愛せない愛さない人間との行為に喜びを覚え、愛する者とはできないということも描かれる。

いくつかのシーンで、馬車(馬)あるいは鈴の音がシャンシャン響きます。
これが(彼女の)耳に鳴り響くとき、性的な妄想や恍惚の昂まりが表されているように感じられます。冒頭の森の加虐。
牛追いの西部らしきところでの言葉責め&泥プレイ(?)。そして謎の大金持ちの郊外のお城での「棺プレイ」(?)。
夫とユッソン(ピシェル・ピコリ)の決闘シーン。木に縛り上げられたセブリーヌを奪い合う男たち。
謎の東洋人、初めてエクスタシーを感じた(と思われる)「初仕事」の相手の手首の鈴もそうです
(行為後のベッドに伏せた顔をあげた時の「オンナ」であることを再発見したお顔の艶めかしさ・・)。

そして一見不合理で謎めいたラスト(車椅子。パリ自宅から観る森。オープニングと違い、2人が乗っていない馬車)。
どこが現実でどこが妄想か。娼館にまつわるところと夫の後遺症のところが幻想なのか。
森の馬車、鞭打ち、泥投げ、決闘シーンのみが幻想なのか(つまり娼館シーンは現実。「商売」を経て、彼女の罪悪感は治癒されたのか。
快楽を受け容れられるようになったのか)。これらもドヌーブの心理や原因をストレートに説明したり、
共感を与えるなんて無粋なことをブニュエルはしないところが偉い。

とはいうものの、こんな理屈をこねてもこねなくても、ストレートに観れば、性癖さまざまなユニークな男たち、人妻の押さえられた欲望、
深層心理、二重生活、性嫌悪の解消とこれらを巡る夫との関係修復の物語と美しいドヌーブにため息をつく作品として面白い。
あらゆるものが美しく、謎めいて滑稽で醜悪で観る者の眼を惹き付けてやまない。
ドヌーブのすべては言うに及ばず、曇り空の秋のパリや緑と赤の鮮やかな森や公園
(撮影はサッシャ・ヴィエルニ。アラン・レネ、グリーナウェイ作品、『私生活のない女』『アメリカの伯父さん』)
アブノーマルで欲望に忠実で赤裸々な男たちの本音・素。一点の曇りもない娼館女主人アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ!。
『シャーロック・ホームズの冒険』(こっちの方がお綺麗でした。70年、ワイルダー監督)でのホームズの永遠の人・・)。
ピエール・クレマンティ演じるマルセルの不安定さ、執着、幼稚さが印象的でした。ピシェル・ピコリの位置付け、内面が私には謎です。

ブニュエル監督は初鑑賞ですが、本作はそれまでのブニュエル作と一味違うような意見もお見受けします。
ぜひ追々観ていきたいですが、ブラックで辛辣で不条理な皮肉な作風と少し異なり、
リアルと妄想の間を行きかうとそのまま受けっとっても面白いチャレンジ作かとも思いました。
監督の「ははは。はったりや遊びに騙されて理屈こねやがって」「おれは撮りたいように撮っただけ。欲望に忠実に」
という嘲笑が聞こえるかも知れません。一筋縄ではいかない方のようですから。

多様な解釈が面白く(しなくても面白い)迷路みたいな本作。ニューロテックでサタイア。
新たな気づきや魅力が再発見できそうな不思議な静謐感(音楽が一切ない)な1作でした

BELLE DE JOUR 1967 FR=Italy
Theatrical Aspect : 1,66:1 画質は可もなく不可もなく。

関連キーワード:妄想・幻想、夫婦、二重生活、娼館、贖罪、セックス、パリ、特殊性嗜好、馬車、鈴、車椅子、杖、鞭、不感症
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5つ星のうち5.0 鈴の音と馬車が運ぶものは贖罪か喜びか・・?
2015年4月19日に日本でレビュー済み
なんだか水の底を歩いているような不思議な浮遊感、奇妙な遊離感が漂います。
スーパーナチュラルなことは画面上、描かれていないのですが、白昼夢のような非現実感を感じます。
それは時折り挿入される時間的空間的つながりの薄い、夢とも幻想ともつかぬシーンに留まりません。
後述するよう鈴の音が、観客までもめまいのような彼女の妄想に引きづりこみます。こちらまでボーッとしてしまいます。

一方で、本作の底に流れる宗教的イメージ。私はキリスト教に明るくありませんが、カソリック系の儀式の際に、
聖体(ウェハース様の白い煎餅みたいなもの)を司祭さんが信者?の口に含ませるシーンを見かけます。本作にも出てきます。
少女時代のセヴリーヌがこれを頑なに拒むシーンがあります(回想なのか比喩なのかは判然としませんが)。
現在の彼女の行為や妄想は、「聖」と呼ばれるものへの無意識の反発からくる、被虐的で正直な汚れ堕ちる背徳の歓びか。
信仰しない神への贖罪(あるいは不感症の罪悪感の罰)として、汚れ堕ちることの受け入れか。
愛せない愛さない人間との行為に喜びを覚え、愛する者とはできないということも描かれる。

いくつかのシーンで、馬車(馬)あるいは鈴の音がシャンシャン響きます。
これが(彼女の)耳に鳴り響くとき、性的な妄想や恍惚の昂まりが表されているように感じられます。冒頭の森の加虐。
牛追いの西部らしきところでの言葉責め&泥プレイ(?)。そして謎の大金持ちの郊外のお城での「棺プレイ」(?)。
夫とユッソン(ピシェル・ピコリ)の決闘シーン。木に縛り上げられたセブリーヌを奪い合う男たち。
謎の東洋人、初めてエクスタシーを感じた(と思われる)「初仕事」の相手の手首の鈴もそうです
(行為後のベッドに伏せた顔をあげた時の「オンナ」であることを再発見したお顔の艶めかしさ・・)。

そして一見不合理で謎めいたラスト(車椅子。パリ自宅から観る森。オープニングと違い、2人が乗っていない馬車)。
どこが現実でどこが妄想か。娼館にまつわるところと夫の後遺症のところが幻想なのか。
森の馬車、鞭打ち、泥投げ、決闘シーンのみが幻想なのか(つまり娼館シーンは現実。「商売」を経て、彼女の罪悪感は治癒されたのか。
快楽を受け容れられるようになったのか)。これらもドヌーブの心理や原因をストレートに説明したり、
共感を与えるなんて無粋なことをブニュエルはしないところが偉い。

とはいうものの、こんな理屈をこねてもこねなくても、ストレートに観れば、性癖さまざまなユニークな男たち、人妻の押さえられた欲望、
深層心理、二重生活、性嫌悪の解消とこれらを巡る夫との関係修復の物語と美しいドヌーブにため息をつく作品として面白い。
あらゆるものが美しく、謎めいて滑稽で醜悪で観る者の眼を惹き付けてやまない。
ドヌーブのすべては言うに及ばず、曇り空の秋のパリや緑と赤の鮮やかな森や公園
(撮影はサッシャ・ヴィエルニ。アラン・レネ、グリーナウェイ作品、『私生活のない女』『アメリカの伯父さん』)
アブノーマルで欲望に忠実で赤裸々な男たちの本音・素。一点の曇りもない娼館女主人アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ!。
『シャーロック・ホームズの冒険』(こっちの方がお綺麗でした。70年、ワイルダー監督)でのホームズの永遠の人・・)。
ピエール・クレマンティ演じるマルセルの不安定さ、執着、幼稚さが印象的でした。ピシェル・ピコリの位置付け、内面が私には謎です。

ブニュエル監督は初鑑賞ですが、本作はそれまでのブニュエル作と一味違うような意見もお見受けします。
ぜひ追々観ていきたいですが、ブラックで辛辣で不条理な皮肉な作風と少し異なり、
リアルと妄想の間を行きかうとそのまま受けっとっても面白いチャレンジ作かとも思いました。
監督の「ははは。はったりや遊びに騙されて理屈こねやがって」「おれは撮りたいように撮っただけ。欲望に忠実に」
という嘲笑が聞こえるかも知れません。一筋縄ではいかない方のようですから。

多様な解釈が面白く(しなくても面白い)迷路みたいな本作。ニューロテックでサタイア。
新たな気づきや魅力が再発見できそうな不思議な静謐感(音楽が一切ない)な1作でした

BELLE DE JOUR 1967 FR=Italy
Theatrical Aspect : 1,66:1 画質は可もなく不可もなく。

関連キーワード:妄想・幻想、夫婦、二重生活、娼館、贖罪、セックス、パリ、特殊性嗜好、馬車、鈴、車椅子、杖、鞭、不感症
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