ゲームの規則 [DVD]
フォーマット | ドルビー, ブラック&ホワイト |
コントリビュータ | ノラ・グレゴール, マルセル・ダリオ, ジャン・ルノワール |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 46 分 |
【まとめ買いフェア開催中】よりどり2点以上で5%OFF
アウトドア用品、ファッション、食品・飲料、母の日ギフト、父の日ギフト関連商品など、10万点を超える対象アイテムからよりどり2点以上で5%OFF。 セール会場はこちら
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
Amazonより
フランス映画界の巨匠ジャン・ルノワール監督の代表作の1本だが、我が国では製作後43年を経て、復元された完全版が公開された。『ゲームの規則』というタイトルは、ルノワールによれば「人が社会生活の中で―その中で押しつぶされまいとする限り―守らなければならない規則」とのこと。 大西洋を23時間で横断した飛行家アンドレ、その彼が想うラ・シュネイ公爵夫人クリスチーヌ、夫ロベールと愛人ジュヌヴィエーヴ、ジュリユーの親友でクリスチーヌの幼なじみであるオクターヴ(ジャン・ルノワール)といった面々がコリニエールを舞台に、恋愛騒動を繰り広げる。 堅苦しそうな印象を受けるモノクロ映画だが、実はいつの時代も変わらない、惚れたハレたの騒ぎを描いた、すこぶる楽しいラブコメディ。上流階級が登場する作品ゆえ、豪華なセット、華麗な衣装など見どころは少なくない。(斉藤守彦)
レビュー
製作: クロード・ルノワール 監督・脚本・出演: ジャン・ルノワール 脚本協力: カール・コッホ/カミーユ・フランソワ 撮影: ジャン・バシュレ 美術: ウジェーヌ・ルリエ 衣装: ココ・シャネル 録音: ジョゼフ・ド・ブルターニュ 助監督: アンドレ・ズヴォバダ/アンリ・カルティエ=ブレッソン 編集: マルグリット・ルノワール 音楽: ロジェ・デゾルミエール 出演: マルセル・ダリオ/ノラ・グレゴール/ロラン・トゥータン/ガストン・モド/ジュリアン・カレット/ミラ・パレリー/ポーレット・デュポスト
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : フランス語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4523215004985
- 監督 : ジャン・ルノワール
- メディア形式 : ドルビー, ブラック&ホワイト
- 時間 : 1 時間 46 分
- 発売日 : 2003/2/22
- 出演 : マルセル・ダリオ, ノラ・グレゴール
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Mono)
- 販売元 : 紀伊國屋書店
- ASIN : B000084TN9
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 210,021位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 21,317位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生きるための密漁行為、お楽しみのための狩り、恋愛感情すら移(うつ)ろいやすいものとして達者(たっしゃ)に考える領主貴族階級。人権なんてそこにはなく、人命よりも重要なのは起こった事実を自分たちの利益を損なわないような作り話にすり替えること。中身のない影、亡霊のような連中。ロバート・アルトマンの『ゴスフォード・パーク』(2001年)も同じテーマを扱った映画。
2014年7月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
陽気なラブ・コメディの衣を纏いながら
上流階級の持つ「残酷さ」をえぐり出した
恐るべき作品であります。
まさに「華麗にして残酷な恋愛ゲーム映画」と呼びたくなる作品であると言えるでしょう。
上流階級の持つ「残酷さ」をえぐり出した
恐るべき作品であります。
まさに「華麗にして残酷な恋愛ゲーム映画」と呼びたくなる作品であると言えるでしょう。
2020年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても良い状態で楽しく視聴できました、
2016年11月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
DVD保有していましたが、がっかりの画質で落胆していました。ブルーレイは良好な画質で世紀の傑作を観るに相応しいものに仕上がっていると思いました。ありがとうございます。
2018年12月9日に日本でレビュー済み
<内容にふれ、ラストも明かしきってはいませんが近づいています>
単独大西洋横断を果たした「英雄(飛行士)を待つラジオの取材、それを取り囲む人たち(群像)の臨場感。。ラジオからの、そのニュースを聞く飛行士の恋人(人妻、公爵夫人)の部屋が次のシーン、というオープニング。群像劇的で(・・・1939年作ですから、人物の服装やお化粧といったふんいき、時代設定もその時代のものですが)演出のテンポ、リズムの軽快さ。こんなところが、本作に限らずルノワールの映画はとても魅力的です。
OPからしばらくは、パリの公爵(マルセル・ダリオ)のお屋敷。
夫妻とそれぞれの「恋人(愛人)」。奥様(ドイツ出身)クリスティーヌ(ノラ・グレゴール)の従兄弟で、彼女の父(コンダクター)の弟子でもあったらしい、またOPの飛行士アンドレ(ローラン・トゥータン)の友人でもあるオクターヴ(ルノワール自身が演じます)。奥様のお付きの小間使いリゼット(ポーレット・デュポスト、ルイ・マルの『五月のミル』など。この人の夫は別荘の森番)らが、パリのお屋敷の「間取り」を利用した中を、それぞれの思惑をからみ合わせて動き、お話が進みはじめます。。
・・・人々は、彼を「英雄」として迎えたいのに。
「彼女(公爵夫人クリスティーヌ)のためだったのに・・・彼女はここに来ていない」と、インタヴューに答えてしまう飛行士アンドレは処世術の「無い」ひと。タイトルの『ゲームの規則』からはみ出てしまうひと。
クリスティーヌを「心から愛し」自分だけのものにしたい・・・(「奥様」なのにね)。(わたしは最後まで、彼女はいったい誰をほんとうに好きなのかわからなかった・・・そういう設定なのでしたが)、彼の「直情」に、彼女は少々困惑気味なのは確か。
「噂」にもなってるだろうし・・・この後の別荘シーンで、そのあたりをうまく切り抜ける彼女のスピーチ?「タテマエ的メッセージ」があって、うるさ方(←ゲームの規則に長じた審判的な面々、でもこの人たちの描き方もどこか愛嬌があって、そういうところが魅力的な映画なんですが)から、クリスティーヌは褒められたりしています。
アンドレの「直情」、本音のまさるルールはみ出す言動を、(いわゆる「恋愛ゲーム」というより、彼らの人生そのものがゲームであって、その「規則」のお話なのだと思いますが・・・)、ゲームのルール内にいる他の人たちは、彼のことを(ただ不粋に)いぢめるのじゃなく、いかに「ルール内」でルールを駆使して「ゲーム」の秩序を守るか・・・その「お手並み拝見」がこの映画のものがたりの基盤なのだと思います。
貴族(公爵)夫妻のそれぞれの愛人とか、別荘とか、使用人たち・・・といったアイテム?の中での(ゲームの)秩序とは、一見、時代錯誤的、時局を知らず(第二次大戦前の話)浮かれている人たち(とくに上流階級)へのアイロニーのように見えますが・・・。
ただそれだけでなく、これは、どういう世界(時、場所)にもあてはまり、今も(これから先も)「規則」のマイナー・チェンジ、部分的にゆるやかになったりはあったとしても、人の世の大筋は変わらず・・・アレコレと・・・結局「ゲームの規則」なんだろうな、と。(巧妙で複雑、ちょっと見にはまったく「あるように見えない」かもしれない)・・・そんな、大いなるアイロニーを(映画の中の舞台設定の枠を超えて)描いてしまえるのが、ルノワール監督の力量なのだと思います。。
・・・
飛行士アンドレの懇願(どうしてもクリスティーヌを・・・)を、友人オクターヴは・・・別荘の「狩り」への招待を、公爵夫妻に納得させ協力してあげようとします。
ルール上okの付き合いらしい公爵の愛人は別荘で大きい顔できる様子や(これも、皆ととても楽しくやりとりする様子で描かれるのが見ていて嬉しいところです)・・・別荘客たちの、アンドレと奥様のことへの興味津々ムードや・・・貴族たちを評する使用人たちの仕事場での会話もおもしろくて、こういうところからいろいろと浮かび上がるのを見るのもおもしろいのです(アルトマンの『ゴスフォード・パーク』もこういうところありましたね)。
また、今でいうとキャリア・ウーマン的に働き、奥様のファンでもあり、友人でもあるようなお付きのリゼットの、この「ゲーム」と「規則」を肯定的に自分の人生を豊かにするために使っている感じなところとかは、見ていていっそ気持ちよく・・・こういったあたりからも、ルノワールはアイロニカルな視線は送っていますが、ただ否定的に自分のメッセージの矛先にはしていないので、この映画の「ゲーム」が見ていておもしろいのですね、きっと。。「ま、人の世ってこんなもんさ!」という感じ。
見どころはとてもたくさん。
別荘にあつまるところの(群像劇的)「ワサワサ感」。
1Fと2F、階段、何部屋かを通すように奥行き深い画面を、人間関係の小さな変化や搖れとともに見せ(アンドレの「直情」は搖れませんが・笑)・・・狩場のドキュメンタリ的見せ方や、自然の美しさ。夫(公爵)と愛人の決定的瞬間を、クリスティーヌが、梢の可愛らしい栗鼠を見ていた双眼鏡で発見、の演出。
余興の「寸劇」上演を、客席・舞台裏(袖)・伴奏の自動ピアノ・公爵の趣味の機械仕掛けのおもちゃ(というには大きい装置)など、絡み合わせ、息つく間もなく・・・その間に(ただ一人「まとも」ともいえる謹厳実直な、杓子定規ともいえるが・・・)森番の妻リゼットの、(相手は半分ルンペンのようなのが)公爵のはからいで急遽召使となった男との「よろめき」に怒り狂った行動やら、どうにも煮え切らないクリスティーヌの不可思議な「ふらつき」。。?ここら辺では、彼女はほんとうは、オクターヴが好きなのか?と見えて、少し自嘲気味なオクターヴのつかの間の喜びや希望のようなものも・・・また、一本筋の通った(とおりすぎてゲームに「突き刺さってしまう」)アンドレとの、あと一歩でクリスティーヌもゲームの外へ・・という危惧などなどなど描かれます。
ほんとうにもうなんと!・・・この大勢の(アンドレを好きらしい公爵の姪っ子や、公爵の愛人もなにやかや絡むし、使用人たちのところもチマチマとおもしろい話があったな・・・と)アレコレと満艦飾のように繰り広げられるお話を、ほぼ別荘の中で、なんとうまくまとめて見せていることか!と思いますが、華やかに怒涛のように「悲劇的」な終盤へと向かいます。
奥様(クリスティーヌ)、アンドレ、オクターヴ、そして森番、その妻、新入り召使・・・たちの恋愛(のような)話、そのなりゆきが、(うねりのたうち?)「伏線」のように終盤へと押し寄せ大変なことに・・・
それを・・・このゲームとルールにいちばん馴染み精通し(とことん利用しなければ、彼は安泰ではいられないわけですが)、公爵が「回収」いたします。。。(オクターヴは「回収」しやすいよう自分の身を処し、クリスティーヌとリゼットは、アンドレを好きだった若い姪っ子を大人になるようルール遵守の叱咤のよう・・・でしたね。。)
単独大西洋横断を果たした「英雄(飛行士)を待つラジオの取材、それを取り囲む人たち(群像)の臨場感。。ラジオからの、そのニュースを聞く飛行士の恋人(人妻、公爵夫人)の部屋が次のシーン、というオープニング。群像劇的で(・・・1939年作ですから、人物の服装やお化粧といったふんいき、時代設定もその時代のものですが)演出のテンポ、リズムの軽快さ。こんなところが、本作に限らずルノワールの映画はとても魅力的です。
OPからしばらくは、パリの公爵(マルセル・ダリオ)のお屋敷。
夫妻とそれぞれの「恋人(愛人)」。奥様(ドイツ出身)クリスティーヌ(ノラ・グレゴール)の従兄弟で、彼女の父(コンダクター)の弟子でもあったらしい、またOPの飛行士アンドレ(ローラン・トゥータン)の友人でもあるオクターヴ(ルノワール自身が演じます)。奥様のお付きの小間使いリゼット(ポーレット・デュポスト、ルイ・マルの『五月のミル』など。この人の夫は別荘の森番)らが、パリのお屋敷の「間取り」を利用した中を、それぞれの思惑をからみ合わせて動き、お話が進みはじめます。。
・・・人々は、彼を「英雄」として迎えたいのに。
「彼女(公爵夫人クリスティーヌ)のためだったのに・・・彼女はここに来ていない」と、インタヴューに答えてしまう飛行士アンドレは処世術の「無い」ひと。タイトルの『ゲームの規則』からはみ出てしまうひと。
クリスティーヌを「心から愛し」自分だけのものにしたい・・・(「奥様」なのにね)。(わたしは最後まで、彼女はいったい誰をほんとうに好きなのかわからなかった・・・そういう設定なのでしたが)、彼の「直情」に、彼女は少々困惑気味なのは確か。
「噂」にもなってるだろうし・・・この後の別荘シーンで、そのあたりをうまく切り抜ける彼女のスピーチ?「タテマエ的メッセージ」があって、うるさ方(←ゲームの規則に長じた審判的な面々、でもこの人たちの描き方もどこか愛嬌があって、そういうところが魅力的な映画なんですが)から、クリスティーヌは褒められたりしています。
アンドレの「直情」、本音のまさるルールはみ出す言動を、(いわゆる「恋愛ゲーム」というより、彼らの人生そのものがゲームであって、その「規則」のお話なのだと思いますが・・・)、ゲームのルール内にいる他の人たちは、彼のことを(ただ不粋に)いぢめるのじゃなく、いかに「ルール内」でルールを駆使して「ゲーム」の秩序を守るか・・・その「お手並み拝見」がこの映画のものがたりの基盤なのだと思います。
貴族(公爵)夫妻のそれぞれの愛人とか、別荘とか、使用人たち・・・といったアイテム?の中での(ゲームの)秩序とは、一見、時代錯誤的、時局を知らず(第二次大戦前の話)浮かれている人たち(とくに上流階級)へのアイロニーのように見えますが・・・。
ただそれだけでなく、これは、どういう世界(時、場所)にもあてはまり、今も(これから先も)「規則」のマイナー・チェンジ、部分的にゆるやかになったりはあったとしても、人の世の大筋は変わらず・・・アレコレと・・・結局「ゲームの規則」なんだろうな、と。(巧妙で複雑、ちょっと見にはまったく「あるように見えない」かもしれない)・・・そんな、大いなるアイロニーを(映画の中の舞台設定の枠を超えて)描いてしまえるのが、ルノワール監督の力量なのだと思います。。
・・・
飛行士アンドレの懇願(どうしてもクリスティーヌを・・・)を、友人オクターヴは・・・別荘の「狩り」への招待を、公爵夫妻に納得させ協力してあげようとします。
ルール上okの付き合いらしい公爵の愛人は別荘で大きい顔できる様子や(これも、皆ととても楽しくやりとりする様子で描かれるのが見ていて嬉しいところです)・・・別荘客たちの、アンドレと奥様のことへの興味津々ムードや・・・貴族たちを評する使用人たちの仕事場での会話もおもしろくて、こういうところからいろいろと浮かび上がるのを見るのもおもしろいのです(アルトマンの『ゴスフォード・パーク』もこういうところありましたね)。
また、今でいうとキャリア・ウーマン的に働き、奥様のファンでもあり、友人でもあるようなお付きのリゼットの、この「ゲーム」と「規則」を肯定的に自分の人生を豊かにするために使っている感じなところとかは、見ていていっそ気持ちよく・・・こういったあたりからも、ルノワールはアイロニカルな視線は送っていますが、ただ否定的に自分のメッセージの矛先にはしていないので、この映画の「ゲーム」が見ていておもしろいのですね、きっと。。「ま、人の世ってこんなもんさ!」という感じ。
見どころはとてもたくさん。
別荘にあつまるところの(群像劇的)「ワサワサ感」。
1Fと2F、階段、何部屋かを通すように奥行き深い画面を、人間関係の小さな変化や搖れとともに見せ(アンドレの「直情」は搖れませんが・笑)・・・狩場のドキュメンタリ的見せ方や、自然の美しさ。夫(公爵)と愛人の決定的瞬間を、クリスティーヌが、梢の可愛らしい栗鼠を見ていた双眼鏡で発見、の演出。
余興の「寸劇」上演を、客席・舞台裏(袖)・伴奏の自動ピアノ・公爵の趣味の機械仕掛けのおもちゃ(というには大きい装置)など、絡み合わせ、息つく間もなく・・・その間に(ただ一人「まとも」ともいえる謹厳実直な、杓子定規ともいえるが・・・)森番の妻リゼットの、(相手は半分ルンペンのようなのが)公爵のはからいで急遽召使となった男との「よろめき」に怒り狂った行動やら、どうにも煮え切らないクリスティーヌの不可思議な「ふらつき」。。?ここら辺では、彼女はほんとうは、オクターヴが好きなのか?と見えて、少し自嘲気味なオクターヴのつかの間の喜びや希望のようなものも・・・また、一本筋の通った(とおりすぎてゲームに「突き刺さってしまう」)アンドレとの、あと一歩でクリスティーヌもゲームの外へ・・という危惧などなどなど描かれます。
ほんとうにもうなんと!・・・この大勢の(アンドレを好きらしい公爵の姪っ子や、公爵の愛人もなにやかや絡むし、使用人たちのところもチマチマとおもしろい話があったな・・・と)アレコレと満艦飾のように繰り広げられるお話を、ほぼ別荘の中で、なんとうまくまとめて見せていることか!と思いますが、華やかに怒涛のように「悲劇的」な終盤へと向かいます。
奥様(クリスティーヌ)、アンドレ、オクターヴ、そして森番、その妻、新入り召使・・・たちの恋愛(のような)話、そのなりゆきが、(うねりのたうち?)「伏線」のように終盤へと押し寄せ大変なことに・・・
それを・・・このゲームとルールにいちばん馴染み精通し(とことん利用しなければ、彼は安泰ではいられないわけですが)、公爵が「回収」いたします。。。(オクターヴは「回収」しやすいよう自分の身を処し、クリスティーヌとリゼットは、アンドレを好きだった若い姪っ子を大人になるようルール遵守の叱咤のよう・・・でしたね。。)
2015年1月15日に日本でレビュー済み
ジャン・ルノワールで一番すきなのは「ピクニック」だが、この「ゲームの規則」がルノワールの最高傑作と言われても納得が行く。
「大いなる幻影」よりもずっと面白いし、ブルジョワ共の狂騒と没落していく様子を愉快に描いた傑作コメディです。
貴族たちの色恋沙汰、そしてこの映画そのものが“ゲーム”なのです。
第二次大戦開戦前夜、戦争の足音も聞こえず、オープンな性と浮かれきった貴族たちの危うさが生々しく描かれる。
社交場での絶えない笑い声、裏舞台で本音を洩らすように辛辣に語り合う人々、ユダヤ人に対する使用人たちの声など皮肉たっぷりの会話も怖い。
大陸を渡った英雄も、この狂騒に包まれた社交場では一人の人間でしかない。
まず、ファースト・シーンで一気に引き込まれる。冒頭の闇夜、熱狂的に騒ぐ民衆がひしめく場面から物語は始まる。
どうやら何かを待っているらしい。観衆の声と音がとにかくうるせえ。初っ端からカオスだ。
闇夜を切り裂き現れる飛行機と、降り立つパイロット。
彼は大西洋を23時間で横断した英雄だそうだ。しかし当の本人は「俺の女が来ていないので喜べない」そうだ。好きな女のために大西洋を渡ったのか?
実に男らしさを感じさせるが、同時にたった一人の女のために大金をポンッと使ってしまう貴族社会の道楽振りすら感じさせる。
最初30分は、そんな貴族たちの日常を穏やかに描く。
退屈するかと思ったが、その内、個性豊かな登場人物たちのやり取りや、群像劇として徐々に騒然となってきて楽しくなってくる。
車の衝突音だの、銃の発砲音だの音楽とかマジでうるせええええっ!
「大いなる幻影」や「十字路の夜」はパンッパンッとリアルな音だったが・・・拳銃の発砲音まで狂騒してやがる。
「大いなる幻影」では静かに泣くように発砲音は小さかった。この映画は、貴族たちの笑い声のように音がデカい。
食事会の場面や、その後のパーティーで起こる騒動は正にカオスだ。
時折現れる人形の不気味なこと。
狩りの場面は、とても神秘的で俺が好きな場面の一つだ。貴族たちのスポーツとして、余興として、滅びゆく貴族たちの絶頂が垣間見れる場面でもある。
林にわんさかいるウサギや鳥たちを、木に棒を打ちつける音で林の外へと追い立てていく。まるで祭りの囃子のようにカンカンカンと。
猟銃を持った狩人たちは、獲物が出てくる瞬間をひたすら狙う。
獲物が出た瞬間に一斉射撃。爆音が辺りに響きまくり、次々と獲物は地に倒され堕ちてゆく。本当に撃ち殺しているのだから凄い。
まるで戦争映画みたいだ。
銃声が響く中で情事にふけようとする男女の様子が印象的。
後半におけるパーティーでの狂騒ぶりもクスクスと笑ってしまう。
夫人に仕える従女が夫がいるにも関わらず召使と浮気、それにブチ切れて拳銃まで抜いて殺そうとする森番たちの追いかけっこは笑いが止まらなかった。着ぐるみを脱ぐシーンのドタバタも楽しかった。何してんだよルノワール(爆)
つうか、女性の腰に手を回そうとする時のやらしい手つきは何なんだよ。やっぱルノワールはムッツリ野郎だぜ。
360度を少しずつパンしていく画面とか、凝りに凝った画面も面白い。
パーティーで催される劇も可笑しいったら。
「大いなる幻影」や「黄金の馬車」といい、ルノワールは劇中劇が好きだな。ところであのピアノは自動ピアノ?
余りの馬鹿騒ぎに発狂しそうな女性、もう少しでパンツが見え(ry
パーティーの後の静けさ、そして騒ぎを咎められてショボーンと落ち込む森番の姿が可愛い。
「私はもうどうしたらいいんだ」という具合に涙までうっすら流しています。カワイソス。
そんな森番と召使の男が仲直りする場面が微笑ましい。
そして最後の最後。
再び情事を目にしてしまった森番。
いままでの怒りをぶつけるように、森番としての責任を貫くように、彼は銃を撃つ・・・。
そして一夜の狂騒を締めくくるように言葉を添えるルノワール。
面白かった。
「大いなる幻影」よりもずっと面白いし、ブルジョワ共の狂騒と没落していく様子を愉快に描いた傑作コメディです。
貴族たちの色恋沙汰、そしてこの映画そのものが“ゲーム”なのです。
第二次大戦開戦前夜、戦争の足音も聞こえず、オープンな性と浮かれきった貴族たちの危うさが生々しく描かれる。
社交場での絶えない笑い声、裏舞台で本音を洩らすように辛辣に語り合う人々、ユダヤ人に対する使用人たちの声など皮肉たっぷりの会話も怖い。
大陸を渡った英雄も、この狂騒に包まれた社交場では一人の人間でしかない。
まず、ファースト・シーンで一気に引き込まれる。冒頭の闇夜、熱狂的に騒ぐ民衆がひしめく場面から物語は始まる。
どうやら何かを待っているらしい。観衆の声と音がとにかくうるせえ。初っ端からカオスだ。
闇夜を切り裂き現れる飛行機と、降り立つパイロット。
彼は大西洋を23時間で横断した英雄だそうだ。しかし当の本人は「俺の女が来ていないので喜べない」そうだ。好きな女のために大西洋を渡ったのか?
実に男らしさを感じさせるが、同時にたった一人の女のために大金をポンッと使ってしまう貴族社会の道楽振りすら感じさせる。
最初30分は、そんな貴族たちの日常を穏やかに描く。
退屈するかと思ったが、その内、個性豊かな登場人物たちのやり取りや、群像劇として徐々に騒然となってきて楽しくなってくる。
車の衝突音だの、銃の発砲音だの音楽とかマジでうるせええええっ!
「大いなる幻影」や「十字路の夜」はパンッパンッとリアルな音だったが・・・拳銃の発砲音まで狂騒してやがる。
「大いなる幻影」では静かに泣くように発砲音は小さかった。この映画は、貴族たちの笑い声のように音がデカい。
食事会の場面や、その後のパーティーで起こる騒動は正にカオスだ。
時折現れる人形の不気味なこと。
狩りの場面は、とても神秘的で俺が好きな場面の一つだ。貴族たちのスポーツとして、余興として、滅びゆく貴族たちの絶頂が垣間見れる場面でもある。
林にわんさかいるウサギや鳥たちを、木に棒を打ちつける音で林の外へと追い立てていく。まるで祭りの囃子のようにカンカンカンと。
猟銃を持った狩人たちは、獲物が出てくる瞬間をひたすら狙う。
獲物が出た瞬間に一斉射撃。爆音が辺りに響きまくり、次々と獲物は地に倒され堕ちてゆく。本当に撃ち殺しているのだから凄い。
まるで戦争映画みたいだ。
銃声が響く中で情事にふけようとする男女の様子が印象的。
後半におけるパーティーでの狂騒ぶりもクスクスと笑ってしまう。
夫人に仕える従女が夫がいるにも関わらず召使と浮気、それにブチ切れて拳銃まで抜いて殺そうとする森番たちの追いかけっこは笑いが止まらなかった。着ぐるみを脱ぐシーンのドタバタも楽しかった。何してんだよルノワール(爆)
つうか、女性の腰に手を回そうとする時のやらしい手つきは何なんだよ。やっぱルノワールはムッツリ野郎だぜ。
360度を少しずつパンしていく画面とか、凝りに凝った画面も面白い。
パーティーで催される劇も可笑しいったら。
「大いなる幻影」や「黄金の馬車」といい、ルノワールは劇中劇が好きだな。ところであのピアノは自動ピアノ?
余りの馬鹿騒ぎに発狂しそうな女性、もう少しでパンツが見え(ry
パーティーの後の静けさ、そして騒ぎを咎められてショボーンと落ち込む森番の姿が可愛い。
「私はもうどうしたらいいんだ」という具合に涙までうっすら流しています。カワイソス。
そんな森番と召使の男が仲直りする場面が微笑ましい。
そして最後の最後。
再び情事を目にしてしまった森番。
いままでの怒りをぶつけるように、森番としての責任を貫くように、彼は銃を撃つ・・・。
そして一夜の狂騒を締めくくるように言葉を添えるルノワール。
面白かった。
2017年1月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本語訳はDVD版と変わらず疑問だらけ、画面は柔軟さのないギスギスな表現。私はこれで本作を友人に推薦できない。