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A2 [DVD]
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購入オプションとあわせ買い
フォーマット | 色, ドルビー |
コントリビュータ | 森達也, ドキュメンタリー映画, 安岡卓冶 |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 2 時間 6 分 |
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商品の説明
商品紹介
オウム真理教(現アーレフ)の広報担当部長を主体とした、出家信者たちの姿をとらえたドキュメンタリー作品『A』撮影終了から2年半ののち、森達也が再び退去直前の足立区のオウム施設を訪れ、カメラをまわしたドキュメンタリー『A2』がDVD化。
信者たちがかかえている矛盾や、社会の側に生まれ始めた「受容の萌芽」を本作で描き出し、2002年山形国際ドキュメンタリー映画祭、市民賞と特別賞を受賞した。
Amazonより
オウム真理教の広報担当者に密着取材したドキュメンタリー映画『A』で多大な反響を集めた森達也監督が、1999年にアーレフと名を変えた教団内部に再びデジタル・ビデオ・キャメラを持ち込み、密着取材の末に完成させたシリーズ第2弾。
今回は教団排斥運動に沸く地域住民にも目を向け、信者と住民との間に不思議な関係性が生まれている事実も追求。マスコミ報道とは異なり、信者もまた人間であることを肌で知った地域の人々のとまどいなどを通して、日本のみならず現代社会の持つひずみが問題意識として、観る者ひとりひとりに提示されていく。山形国際ドキュメンタリー映画祭市民賞および特別賞を受賞。前作とあわせて観ることを強くおすすめする、真の問題作。(的田也寸志)
レビュー
製作・撮影・編集: 安岡卓治 監督・撮影・編集: 森達也
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- EAN : 4932545983288
- 監督 : 森達也
- メディア形式 : 色, ドルビー
- 時間 : 2 時間 6 分
- 発売日 : 2003/7/25
- 出演 : ドキュメンタリー映画
- 字幕: : 英語
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : マクザム
- 生産者 : 安岡卓冶
- ASIN : B00009P68J
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 56,017位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 866位ドキュメンタリー (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年2月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
後半の森監督の言葉に教団の残滓がいまだ残っている理由がすべて詰まってた
2023年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「A」「A2」視聴。「A」と「A2」の間に2000年。「A」で荒木広報副部長が語ったハルマゲドンは世紀末には起きなかったが、そのことを「A2」時点で彼がどう捉えていたかは分からない。その成就に向けて教団は一連の事件を起こしたようにも思えてくる。
不思議なのは、裁判での証言にも関わらず、事件が起こされた事実について信者達の受け止め方が希薄に感じることである。事件が起こされた事実を受け止めると入信した自己が崩壊しかねず心理的防衛機制が働くのだろうか。事件を画策した人達は、実行に選ばれず遺された信者達も結果として裏切ったことにならないだろうか。古来から繰り返される、帰依する宗教への躓き、踏み絵、転び、転向問題に直面したかどうかは不明。事件後も、グルに指示されたらやりますの返答。淵をのぞかせる心の闇。
他方、明るみにされた一連の事件の衝撃が外部の過剰防衛を招き、外部から教団へ様々なプレッシャーやいわゆる迫害を引き起こした。殺人傷害事件は、不殺生に反するばかりか、法を犯し結果的に社会に教団を受け入れられなくする。
映画では、教義ポアや兵器等ついては触れられていない。上空からサリンを撒けるヘリコプター等のロシアン・コネクションは、かつての反米活動へのソ連による資金援助にオーバーラップして見える。
出家は、現世を捨てて社会との関わりを断つ。故に出家者に社会と向き合って対応することを求めても根本では響かないのかもしれない。出家後、広報担当として負担が増し重ねて出家したいと言うのも、松本サリン事件被害者の河野氏に会いに行った際の社会性欠如も同根か。
出家した理由の一つに、家族や恋人、友人と先々別れる苦を迎えないために出家したと語る。出家してもグルや信者達といずれ別れる苦を迎えることは変わらず。出会いがあれば別れがある。先の弁は自身を納得させる常套句のようにも感じた。
生を全うする、完全なる自由、解脱するとは何だろう。人生は苦であると喝破したシッタータの慧眼。然るにその苦から離れることは、視点によっては自分にとって楽な方を求めていることにならないだろうか。人生の苦に身を投じ、もがき生きることこそ人間に架された修行、苦に生きることこそ修行ではなかろうか。
不思議なのは、裁判での証言にも関わらず、事件が起こされた事実について信者達の受け止め方が希薄に感じることである。事件が起こされた事実を受け止めると入信した自己が崩壊しかねず心理的防衛機制が働くのだろうか。事件を画策した人達は、実行に選ばれず遺された信者達も結果として裏切ったことにならないだろうか。古来から繰り返される、帰依する宗教への躓き、踏み絵、転び、転向問題に直面したかどうかは不明。事件後も、グルに指示されたらやりますの返答。淵をのぞかせる心の闇。
他方、明るみにされた一連の事件の衝撃が外部の過剰防衛を招き、外部から教団へ様々なプレッシャーやいわゆる迫害を引き起こした。殺人傷害事件は、不殺生に反するばかりか、法を犯し結果的に社会に教団を受け入れられなくする。
映画では、教義ポアや兵器等ついては触れられていない。上空からサリンを撒けるヘリコプター等のロシアン・コネクションは、かつての反米活動へのソ連による資金援助にオーバーラップして見える。
出家は、現世を捨てて社会との関わりを断つ。故に出家者に社会と向き合って対応することを求めても根本では響かないのかもしれない。出家後、広報担当として負担が増し重ねて出家したいと言うのも、松本サリン事件被害者の河野氏に会いに行った際の社会性欠如も同根か。
出家した理由の一つに、家族や恋人、友人と先々別れる苦を迎えないために出家したと語る。出家してもグルや信者達といずれ別れる苦を迎えることは変わらず。出会いがあれば別れがある。先の弁は自身を納得させる常套句のようにも感じた。
生を全うする、完全なる自由、解脱するとは何だろう。人生は苦であると喝破したシッタータの慧眼。然るにその苦から離れることは、視点によっては自分にとって楽な方を求めていることにならないだろうか。人生の苦に身を投じ、もがき生きることこそ人間に架された修行、苦に生きることこそ修行ではなかろうか。
2020年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
レッテル貼りされた「報道」が如何に真実を歪めるか。
一度共有された「悪」のイメージに、一般人と言われる人たちがどれ程凶暴化して行くのか。
自称正義の住民たちが、いかに法を無視して、何かを信じる普通の人を弾圧していくかが見える一級作品です。
一連の犯罪を起こした教団の特定人物と、それ以外の一般信徒とは分けるべきでしょう。
一度共有された「悪」のイメージに、一般人と言われる人たちがどれ程凶暴化して行くのか。
自称正義の住民たちが、いかに法を無視して、何かを信じる普通の人を弾圧していくかが見える一級作品です。
一連の犯罪を起こした教団の特定人物と、それ以外の一般信徒とは分けるべきでしょう。
2018年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
もっと世の中で見られるべき映画。かつて同級生だった信者と新聞記者の再会が泣ける。「A2」と一緒に作るはずだった続編「A3」が結局作られなかったのが残念。
2023年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前作から時が経ち、世間のヒステリーも若干トーン・ダウンしてきた感があります。事件当時のキレ者揃いの幹部から一変して、かわいらしいポンコツ揃いの新幹部は、近所の住民からかわいがられたり励まされたりするシーンもあります。松本市の河野氏を訪問するシーンでは村岡代表を始め、しっかり謝罪もできないポンコツぶりに甘すぎると河野氏から苦言を呈されます。最後に作者の森氏からこれでいいのかと問い詰められ、荒木氏が言葉に詰まって終わりますが、森氏こそこんな映画でいいのかと問いたいです。オウムのおもしろさを撮りっぱなしにしているだけで、疑問を投げて終わり、これで作品と言えるでしょうか。
2014年3月30日に日本でレビュー済み
東中野のBOXで見た。前作は気になりながらも見てはいなかった。
僕はこういう「気になりつつも機を逃す」パターンが多く、ちょっと改善しようと思い行ったのだ。
まず、全くナレーションを入れないスタイルに驚いた。
ストイックなスタイルを選択しながら、映像は過剰で饒舌。
デジタルビデオの映像は、ある意味アダルトビデオのように剥き出しで生々しい。
監督の森達也自身の逡巡や綻びが見えなかった事や、
登場するオウム信者たちがとても魅力的に見える事、
逆に言えばそういう選択をしている事に対して、若干の不満は残るったけれど、
内臓をわしづかみにするような、いくつかのシーンで全てが帳消しになる。
中でも、オウム信者の若者と同じ大学の部活の友人同士である新聞記者が語り合うシーンに圧倒された。
清水(新聞記者):真理って何なのかね?
秋山(信者):真理? ・・・何で魂が流転してるのかを知って、
どういうふうにこれから流転していったらいいかを指し示すものじゃないですかね?
清水:うーん、やっぱり分からないな。
秋山:うん、だって普通の人なんだもん。
清水:心配してる人は、たくさんいるんだよ。
秋山:誰が?
清水:アダチとかさ。
秋山:アダチ、心配してるかねぇ。だって電話くれないじゃん。
清水:あいつ、あいつ何かね、こう言っちゃ何だけどね、
何か「えーっ」って怖がっているような・・・
秋山:怖がっているのか。
清水:俺が「見たよ」って言った時もちょっとショックを受けていて、
オウムに入ったんじゃないと思っていたというか・・・・・・・
そういう可能性もちょっとあると思ってて、そっちのほうを信じてたから、ちょっとショックを受けたみたい。
秋山:そうか。他は?
清水:他は? あと・・・モリワケさんとかさ。
秋山:モリワケか。モリワケは・・・いいじゃん、君から説得すれば。
清水:説得・・・。
秋山:付き合ってるんでしょ。
清水:うん。
秋山:いやぁ、ちょっとマスコミの人はあんまり信じていないから。
(「A2」現代書館より)
理論的に見れば「俗世間」と「教団」の狭間でのわずかな揺らぎを表すシーン、みたいな事なのだろうけれど、
それ以上に僕には、この「他は?」という言葉が痛かった。
他に誰が自分の事を心配しているのだろうか?
そんな事を考えて、不安でたまらなくなった時、それは自分にも確かにあったからだ。
映画では反対運動の住民とも親しくなり仏教本の差し入れを受けたり、
テレビカメラの前でヘッドギアをかけながら携帯をかけたりと、
一面的なオウム信者像を裏切る、かなり人間力のある存在として描かれていた信者。
それが、この「他は?」という言葉の瞬間、わずかな感情の揺れを表す。
不安な一人の青年の顔がそこに覗いたような気がした。
友達というのはとても不安だ。
当たり前の話だけれども、自分が大切な友人だと思っていても、相手は全然そんな事を思っていないかもしれない。
時期が過ぎて離れるようになったら、気にもとめられないかもしれない。
利害だけでの付き合いの方が、よっぽど気楽なように思える。
学生時代、他人との距離感をつかみきれずに、落ち込んだり傷つけたりしていた時にそんな事をよく考えた。
そして今も、仕事関係の付き合いの方が、気分的に楽な事が多い。
関係が定まっている方が心が揺れないから、だ。
「信者」である時の強者としての存在と、一人のナイーブな「青年」。
異なる側面が共存するあり方に森達也はこだわる。
そして「住民運動」と「近所のおっちゃん」が、同一人物の中に現れる姿が、それと相似形を作る。
たぶん何も無ければ、話をする事も無かったような人たちが、
「敵」「味方」の、のっぴきならない関係になる所から交流が生まれていく。
そんなコミニュケーションのあり方を、映画は映し出していく。
疑い始めたら、とてつもなくあやふやだけど、
全く異なる者同士でも、何かを共有しているように感じる事ができる。
人と人とのつながりの不思議さだけが、強く印象に残る。
垣根を境にして、オウムの若者と親子のように話す人々。
警察と対峙し、左翼的なデモまで行ってオウムとの対話を求める右翼。
そこには対話不能と思ってきた相手とのコミニュケーションに対する、過剰な欲求と喜びが感じられる。
極端に言えば、森はそれを「恋愛」に近い関係として描いているように思える。
「世界はもっと豊かだし 人はもっと優しい」
A2のタイトル候補だったというこのコピー。
それが指し示すのは、他者を排除する事で安心するのではなく、
他者とコミニュケーションする事で豊かになる可能性、だ。
もっと言えば、この不安で曖昧な世界の輪郭をはっきりとさせる為に
「他者」は積極的に必要とされているのではないか、という事だ。
秋山:まぁでもね。私から見ると非常に不思議なんですよ。何でマスコミっていうのは、事実と違っても、
自分の報道局の方針でバンバン報道しちゃうっていう印象が非常に強いから。
それで傷つく人ってけっこう多いと思うんですよ。当事者なんかは。
何で、そういう職業に就くのかなって・・・・・・。それはね、非常にいつも不思議に思っていたんだけど。
清水:俺も不思議に思うよ。そんなさぁ、親とも離れて、好きな人とも離れて。けっこう、それが不思議なんだな。
・・・・・どうしても分からない。
秋山:そうか。
清水:うん。
秋山:5年前は一緒の部活をやっていたのに。
清水:うん。また。
秋山:はいはい、また電話ください。
清水:ごめんね。
秋山:ええ。・・・いい記事を書いてくれるように期待してますんで。
清水:じゃ。
秋山:じゃぁがんばってくださいね。
そして「友人」と「マスコミ/教団」の狭間を行き来する、
不安と確信の狭間を行き来する二人のシーンの美しさも、おそらくそこにあるのだ。
それがオウムであり、他の会社組織であれ、
どんな集団性で誤魔化そうとしても、僕らの個人としての不安や孤独は消される事はない。
オウムの事がわからないと言うのならば、
全ての他人の事を、僕らはわかる事ができない。
話をそこから始めようと、森は言っているように思う。
「また電話ください」
信者と新聞記者の対話のシーンは、そんな信者の言葉で終わる。
逆光の中去っていく新聞記者の背中を、二人から等距離のポジションでカメラは撮影を続ける。
一人一人である事の不安や孤独を、中途半端に抱えながら、僕らはバラバラで、でもグチャっと固まって生きている。
でも、そこから出発して何をつかむ事もできるのではないか。
この映画は、そんなヒントの集まりであるように感じた。
僕はこういう「気になりつつも機を逃す」パターンが多く、ちょっと改善しようと思い行ったのだ。
まず、全くナレーションを入れないスタイルに驚いた。
ストイックなスタイルを選択しながら、映像は過剰で饒舌。
デジタルビデオの映像は、ある意味アダルトビデオのように剥き出しで生々しい。
監督の森達也自身の逡巡や綻びが見えなかった事や、
登場するオウム信者たちがとても魅力的に見える事、
逆に言えばそういう選択をしている事に対して、若干の不満は残るったけれど、
内臓をわしづかみにするような、いくつかのシーンで全てが帳消しになる。
中でも、オウム信者の若者と同じ大学の部活の友人同士である新聞記者が語り合うシーンに圧倒された。
清水(新聞記者):真理って何なのかね?
秋山(信者):真理? ・・・何で魂が流転してるのかを知って、
どういうふうにこれから流転していったらいいかを指し示すものじゃないですかね?
清水:うーん、やっぱり分からないな。
秋山:うん、だって普通の人なんだもん。
清水:心配してる人は、たくさんいるんだよ。
秋山:誰が?
清水:アダチとかさ。
秋山:アダチ、心配してるかねぇ。だって電話くれないじゃん。
清水:あいつ、あいつ何かね、こう言っちゃ何だけどね、
何か「えーっ」って怖がっているような・・・
秋山:怖がっているのか。
清水:俺が「見たよ」って言った時もちょっとショックを受けていて、
オウムに入ったんじゃないと思っていたというか・・・・・・・
そういう可能性もちょっとあると思ってて、そっちのほうを信じてたから、ちょっとショックを受けたみたい。
秋山:そうか。他は?
清水:他は? あと・・・モリワケさんとかさ。
秋山:モリワケか。モリワケは・・・いいじゃん、君から説得すれば。
清水:説得・・・。
秋山:付き合ってるんでしょ。
清水:うん。
秋山:いやぁ、ちょっとマスコミの人はあんまり信じていないから。
(「A2」現代書館より)
理論的に見れば「俗世間」と「教団」の狭間でのわずかな揺らぎを表すシーン、みたいな事なのだろうけれど、
それ以上に僕には、この「他は?」という言葉が痛かった。
他に誰が自分の事を心配しているのだろうか?
そんな事を考えて、不安でたまらなくなった時、それは自分にも確かにあったからだ。
映画では反対運動の住民とも親しくなり仏教本の差し入れを受けたり、
テレビカメラの前でヘッドギアをかけながら携帯をかけたりと、
一面的なオウム信者像を裏切る、かなり人間力のある存在として描かれていた信者。
それが、この「他は?」という言葉の瞬間、わずかな感情の揺れを表す。
不安な一人の青年の顔がそこに覗いたような気がした。
友達というのはとても不安だ。
当たり前の話だけれども、自分が大切な友人だと思っていても、相手は全然そんな事を思っていないかもしれない。
時期が過ぎて離れるようになったら、気にもとめられないかもしれない。
利害だけでの付き合いの方が、よっぽど気楽なように思える。
学生時代、他人との距離感をつかみきれずに、落ち込んだり傷つけたりしていた時にそんな事をよく考えた。
そして今も、仕事関係の付き合いの方が、気分的に楽な事が多い。
関係が定まっている方が心が揺れないから、だ。
「信者」である時の強者としての存在と、一人のナイーブな「青年」。
異なる側面が共存するあり方に森達也はこだわる。
そして「住民運動」と「近所のおっちゃん」が、同一人物の中に現れる姿が、それと相似形を作る。
たぶん何も無ければ、話をする事も無かったような人たちが、
「敵」「味方」の、のっぴきならない関係になる所から交流が生まれていく。
そんなコミニュケーションのあり方を、映画は映し出していく。
疑い始めたら、とてつもなくあやふやだけど、
全く異なる者同士でも、何かを共有しているように感じる事ができる。
人と人とのつながりの不思議さだけが、強く印象に残る。
垣根を境にして、オウムの若者と親子のように話す人々。
警察と対峙し、左翼的なデモまで行ってオウムとの対話を求める右翼。
そこには対話不能と思ってきた相手とのコミニュケーションに対する、過剰な欲求と喜びが感じられる。
極端に言えば、森はそれを「恋愛」に近い関係として描いているように思える。
「世界はもっと豊かだし 人はもっと優しい」
A2のタイトル候補だったというこのコピー。
それが指し示すのは、他者を排除する事で安心するのではなく、
他者とコミニュケーションする事で豊かになる可能性、だ。
もっと言えば、この不安で曖昧な世界の輪郭をはっきりとさせる為に
「他者」は積極的に必要とされているのではないか、という事だ。
秋山:まぁでもね。私から見ると非常に不思議なんですよ。何でマスコミっていうのは、事実と違っても、
自分の報道局の方針でバンバン報道しちゃうっていう印象が非常に強いから。
それで傷つく人ってけっこう多いと思うんですよ。当事者なんかは。
何で、そういう職業に就くのかなって・・・・・・。それはね、非常にいつも不思議に思っていたんだけど。
清水:俺も不思議に思うよ。そんなさぁ、親とも離れて、好きな人とも離れて。けっこう、それが不思議なんだな。
・・・・・どうしても分からない。
秋山:そうか。
清水:うん。
秋山:5年前は一緒の部活をやっていたのに。
清水:うん。また。
秋山:はいはい、また電話ください。
清水:ごめんね。
秋山:ええ。・・・いい記事を書いてくれるように期待してますんで。
清水:じゃ。
秋山:じゃぁがんばってくださいね。
そして「友人」と「マスコミ/教団」の狭間を行き来する、
不安と確信の狭間を行き来する二人のシーンの美しさも、おそらくそこにあるのだ。
それがオウムであり、他の会社組織であれ、
どんな集団性で誤魔化そうとしても、僕らの個人としての不安や孤独は消される事はない。
オウムの事がわからないと言うのならば、
全ての他人の事を、僕らはわかる事ができない。
話をそこから始めようと、森は言っているように思う。
「また電話ください」
信者と新聞記者の対話のシーンは、そんな信者の言葉で終わる。
逆光の中去っていく新聞記者の背中を、二人から等距離のポジションでカメラは撮影を続ける。
一人一人である事の不安や孤独を、中途半端に抱えながら、僕らはバラバラで、でもグチャっと固まって生きている。
でも、そこから出発して何をつかむ事もできるのではないか。
この映画は、そんなヒントの集まりであるように感じた。
2023年6月25日に日本でレビュー済み
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前作から住民の方へ軸足が移り、オウムの異様さが減った。
その分冷めてしまった。
その分冷めてしまった。
2006年3月6日に日本でレビュー済み
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前作は広報部を主体とした内部のドキュメンタリーだったが、今作はアーレフ(オウム)対右翼、地域住民、行政、松本サリン事件の河野義行さんなどキャスト豊富?で森監督もそれを意識した作りになっていた。
そのなかでもやはり行政は顔が見えなかった。
住民票不受理の問題もあったのではないかとおもうが、入居反対運動にしても住民の顔は見えたが、行政側は見られなかった。
行政、司法、メディア、それとアーレフに対する森監督のうっ積した主張や葛藤がA2にはよく表れていた。サブタイトルの「世界はもっと豊かだし人はもっとやさしい」がそれを表している。
そのなかでもやはり行政は顔が見えなかった。
住民票不受理の問題もあったのではないかとおもうが、入居反対運動にしても住民の顔は見えたが、行政側は見られなかった。
行政、司法、メディア、それとアーレフに対する森監督のうっ積した主張や葛藤がA2にはよく表れていた。サブタイトルの「世界はもっと豊かだし人はもっとやさしい」がそれを表している。