バンド「メレンゲ」としての初のミニアルバム。「偽薬」といった意味の「プラシーボ」をタイトルに用いるなど、歌詞の面では、「嘘」だったり「サヨナラ」だったりといったクボワールドが前作にも増して展開されているが、サウンド面ではギターバンドとしての色彩がより強まる一方で、前作以上にメロディはポップに仕上がっており、全体を通して聴きやすい作品である。
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ギンガ
」のような轟音系ギターで始まる「輝く蛍の輪」は、音的には盟友とされるGOING UNDERGROUNDやフジファブリックとの距離の近さを感じさせる和テイストの楽曲だが、そこで歌われる歌詞は、他人からは絶対に気づかれないように、ただただ傍観者としてドライに周りの出来事を眺める1人遊びといった赴きだ。ここでもまた「嘘」という言葉が登場する。その「嘘」は決して人を騙すためのものではなく、誰もが傷つかないための「嘘」なのだが、楽曲がリスナーにとって真実の感情として共有される一方で、作者にとってのそれは塗り固めた「嘘」に他ならないというねじれた側面に対するクボなりの誠実さの現れのように感じる。
一見ポップな「燃えないゴミ」もまた歌詞が面白い。「ハリボテの見せかけだから横からは見ないで欲しい」と言いながら「君には覗かれてみたい」と歌う、見せる勇気はないけど本当は理解されたいという二律が背反するジレンマを隠している癖に、そんな自分や相手をどこか冷静な目でも眺めているという非常にややこしいヤツである。
とにかく曲を聴いてくれといったMCを苦手とする彼のメンタリティはもしかしたらこんなところに隠れているのかも知れない。
イントロのキラキラしたギターが天気雨のような明るさと湿っぽさを含んだ「春雨の午後」は、同時にガラスビンに閉じ込められた街のような閉じた閉塞感と、それが思い込みだったという妙な安堵感に包まれた不思議な楽曲だが、メロディはメレンゲの楽曲の中でも白眉の出来であり、ゆったりしたアレンジは細野晴臣の「恋は桃色」のような雰囲気を醸し出している。
本作で最もアップテンポな「カッシーニ」は、直球系のギターロックらしくストレート?な曲である。或いはプロとしてデビューして昔のように「寄り道しなくなった」彼は「ただ近いだけの近道を急ぎ」「ホントは怖いのに笑わせなきゃいけない」と恐れながら「何をすれば良いのか分からない」けど「ホントは君にちょっと分かって欲しい」。とにかく「あと一つ先の電柱までは走るよ」という頑張る曲だ。
今となればそんな気持ちで走り続けてきた10年ではないかと思うと感慨深い。
最後の「ユキノミチ」はメレンゲには珍しいバラードだがとにかくメロディが美しい。色々あって「サヨナラ」しなきゃいけない2人。だけど「雪の道に残る足跡の一つ一つから枯れない花が咲いている」。ほんの僅かな刹那に、これだけの思いが駆け巡ったかのような魔法をかけるクボワールド。道理で切なさも加速して飛び散るわけだ。