ジョン・カサヴェテスは、生涯13本の映画を残している。
その殆どが、硬質なドキュメント性と文学的深遠さを感じさせるのだが、そんなカサヴェテスの数少ないハリウッド的な商業主義映画が、コロンビア・ピクチャーズで撮った「グロリア」と「ビッグ・トラブル」。
ただし、この2本の評価は、一般的にはなんとも好対照。
評論家から絶賛され、映画ファンの間でも人気が高い「グロリア」に比べ、今作は、劇場未公開の憂き目にあっただけでなく、結局遺作となったものの、カサヴェテス自身が自分の作品とは認めないと発言した呪われた映画なのである。
でも、この映画、カサヴェテス作品との先入観を外してみれば、中々どうして出来の良いコメディだ。
アメリカの閑静な住宅地の早朝に響き渡るモーツァルト「アンネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の三輪唱。
歌っているのは、保険会社営業マン、アラン・アーキンの三つ子の息子たち。
揃って、名門エール大学への入学を決めた優秀な子供たちに、アーキン鼻高々、の筈が、そうとも見えず。
何しろ、4年間で総額20万ドルにも及ぶ学費の捻出に頭が痛い毎日。
そんな折、ある大富豪の若き夫人から、余命幾ばくもない夫の安楽死と称した保険金殺人を持ちかけられ、三人の素直な息子たちの寝顔が浮かび、アーキン、あろうことか、承諾してしまう(笑)。
物語はこれから、大富豪の殺人計画に乗せられ、おっかなビックリでそれに加担していくものの、実は、それは富豪夫妻による狂言偽装であった事が分かり、一転今度は、保険金詐欺の方棒を否応なしに担ぐ羽目に陥ってしまうアーキンの、あたふたとした七転八倒ぶりが実にオカシイ展開となっていく。
「アメリカ上陸作戦」(65年)で喜劇俳優として頭角を現す一方で、「愛すれど心哀しく」(68年)から「暗くなるまで待って」(68年)まで、シリアスな障害者から、サイコな殺人者まで演じ切ったアーキンの久しぶりのコメディアンとしての真骨頂。
余談だが、この後長らく低迷していたアーキンが、ここ数年見事にカムバックし、アカデミー助演賞を獲得したのは、前述の傑作での演技派ぶりを知る者には嬉しかった。
そして、もうひとり、富豪役(実は詐欺師)のピーター・フォーク!
富豪として登場したその瞬間から、いかにもな胡散臭さと奇天烈な行動ぶり(笑)。
そして、見え見えの大芝居を、ぬけぬけと、臆面もなく続ける大胆不敵さ(笑々)。
アーキンを立てながらも、しっかりと場面をさらい、美味しい処を持っていくような千両役者ぶり。
カサヴェテスの親友として、カサヴェテス映画ではいつもシリアスな演技を見せるフォークだが、フォークもまた、元々が、喜劇俳優として名を挙げた事を思い出させる快演だ。
撮影監督のビル・バトラー、音楽のビル・コンティとも、ハリウッドの良質なエンタメ映画を中心にキャリアを積んできた名手だし、観れば観るほど、ウエルメイドな感覚。
確かに、カサヴェテスらしいタッチは感じられないし、カサヴェテスでなくても撮れる題材だが、決して駄作ではない。
自身のフィルモグラフィーから消し去りたいとカサヴェテスは生前語ったらしいが、その言葉を以て封印するには惜しいコメディの佳作だと断言したい。