娘を銃で「撃たれた」父親が、その銃の素性を明らかにすべく、製造工場から誰から誰に渡っていってこうなったのか、ひとつひとつたどって確かめることで、娘の死を受け入れようとする話しだと思って、誰もが見始めることだろう。銃社会アメリカで常に起きている悲劇をなぞるように話しは進む。しかし実際は「娘を銃で「撃たれた」父親」ではないことが、孫娘への告白の形で明らかにされる。衝撃的な一瞬である。コバーンはこの作品に出演の際、そうとうからだが弱っていたと思われる。その痛々しい姿が、ストーリーを更に悲劇的なものにしている。
アメリカにとって「銃」とは?一丁の銃のたどった道筋は、当然ながら悲劇にたどり着くしかないのだと思い知らされる。