なぜか座頭市が朝鮮半島か中国大陸にでも行くかと想像していたが、タイトルにそこまでの意味は無かった。
座頭市が向かった先は四国だ。
それも、渡った後はいつも通りの展開で、取り立てて四国に意味はない。騎馬集団が登場するくらいだ。
船の中の騒動のシーンは面白かったが。
それでも本作には今までにない新基軸がある。監督によってはそうした変化も生じるのだな。
一つは、座頭市に弟を殺された娘との関係だ。従来の作品同様、男女の中にはならない。そして、娘は座頭市を好きになる。そこも同じだ。
しかし、好きなった感情を座頭市に告白することはしないし、騒動終了後も座頭市について行こうとはせず、キッパリと別れを告げる。その点が新しい。
二つ目は、いつもヤクザ集団の犠牲になる農民たちだが、彼らは座頭市を利用してヤクザ集団を壊滅させられれば良いと考え、自らは強い抵抗を示さないのだ。こうした農民たちの立ち回り方は映画「七人の侍」と同じ構図だ。座頭市はそれにも関わらず、逃げ出すことはせずにヤクザ集団と闘う。
あと、どの作品でもそうだが、ヤクザ集団の人手の人数は殺陣で減っていくはずなのに、なかなか実際には減らず、いつまでも座頭市は大人数を相手に死闘を演ずる。そして最後の方になって、ようやくはっきりと減る
のだ。この辺は不合理と言えば不合理だが、演出上止むを得ないか。つい座頭市が斬った人数を数えてしまい、おかしいなと気づくのだが。他の人はどう見ているのだろうか。