このバンドの、暴力的な側面と、また妥協のない優しさや美しさ、そのどちらもを詰め込んだようなアルバムだと思う。
お陰で何だか「力ずく」感みたいなのも感じるが、その強引な組み合わせが、狙った通りに良いように噛み合っているのがバインの武器(今はいらないらしいが)だったのだろう。
例えるならジャイアンのような。
彼が作るシチューは、とても上手くいくとは思えない材料で構成されるが、たまにスゴく美味しくなる。
その「たまに」を狙って作れるのがこの時のバインであり、この時彼らを取り巻いた環境がそうさせたんじゃないかと思う。
何にせよ名盤です。
聴いてるとこっちまで張りつめてしまうのが難点だけど(笑)(そこもジャイアンぽい...)
イデアの水槽
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曲目リスト
1 | 豚の皿 |
2 | シスター |
3 | ぼくらなら |
4 | ミスフライハイ |
5 | 11%MISTAKE |
6 | SEA |
7 | Good bye my world |
8 | Suffer the child |
9 | アンチ・ハレルヤ |
10 | 会いにいく |
11 | 公園まで |
12 | 鳩 |
商品の説明
Amazonレビュー
バンドリーダーでもあったベーシスト西原誠の脱退という大きな出来事を経て制作された6枚目のオリジナル・アルバム。シングルとしてリリースされた「ぼくらなら」「会いに行く」を収録した本作は、静寂と轟音が交互に訪れる「豚の皿」、鋭利に空間を切り裂くギター、激しく感情を吐き捨てるようなボーカル、まっすぐに疾走するドラムが融合した「シスター」、ファットなベースを中心としたしなやかなグルーヴが印象的な「ミスフライハイ」など、ハード&ヘビィなロック・ナンバーが並んでいて、メンバー3人の気合いと心意気が伝わってくる。(森 朋之)
メディア掲載レビューほか
さらっと、コアなロックを聴かせるグレイプバインのアルバム。3人になってからは初のオリジナル・アルバムとなる本作、ポップ、ロック、はたまたプログレまで幅広い音楽性が飛び出す話題盤だ。
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
約1年ぶりとなる6枚目のアルバムだが、前作『another sky』発表直後にメンバーが脱退せざるを得ない状況に。バンドにとっては大きな試練だったはずだが、新作の高い完成度を前に考えてみると、すべてをポジティヴに昇華させた力強さを見出せる。ストレートなロックンロールで幕を開けつつ、楽曲のスタイルは予想以上にさまざま。グレイプバインらしい色合いをどこに求めるかは人それぞれとはいえ、これだけの振り幅を違和感なく聴かせられる魅力は、嗜好とは別に認めざるを得ないだろう。“最高傑作”と呼ぶ声が多いのも頷ける。 (土屋京輔) --- 2004年01月号 -- 内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- メーカー : ポニーキャニオン
- EAN : 4988013606302
- 時間 : 56 分
- レーベル : ポニーキャニオン
- ASIN : B0000ESKW2
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 149,843位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 49,012位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年11月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
田中の歌詞は独特である。他グループでも難解な詩はあるが、田中の歌詞は歌詞カードをにらみながら聴いていても分からない難解さである。なぜ分かりやすい言葉を選んでくれないのか。
多分、真にわかってほしいからこそ、分かりやすい言葉では語れないのだ。極私的感情を、通俗的な言葉に変換することに耐えられないのだ。情念をそのまま言葉にするため、脈絡をつけにくいのだ。
言葉の響きが耳に残る。言葉は、脈絡だけでなく、こうして音としても生きるのだなあ。
わからなさが、わかってほしいという叫びとなって耳を打つ。だから、投げ出されたまま説明のない言葉の羅列に、かえって私たちが真実を見いだすという逆説が成り立つ。
彼らの曲を聴くと、わからないからこそ、そこから何かを分かりたい、と私などは思う。
多分、真にわかってほしいからこそ、分かりやすい言葉では語れないのだ。極私的感情を、通俗的な言葉に変換することに耐えられないのだ。情念をそのまま言葉にするため、脈絡をつけにくいのだ。
言葉の響きが耳に残る。言葉は、脈絡だけでなく、こうして音としても生きるのだなあ。
わからなさが、わかってほしいという叫びとなって耳を打つ。だから、投げ出されたまま説明のない言葉の羅列に、かえって私たちが真実を見いだすという逆説が成り立つ。
彼らの曲を聴くと、わからないからこそ、そこから何かを分かりたい、と私などは思う。
2011年4月28日に日本でレビュー済み
GRAPEVINE6枚目のオリジナルフルアルバム 『イデアの水槽』
まず1曲目の「豚の皿」からスケールの大きさに圧倒されます。田中氏の呻るような声・壮大なバンドサウンド・不安感を煽るようなピアノと
攻撃性と哀愁を両立させたバインならではの名曲だと思います。2曲目の「シスター」も攻撃的なギターと田中氏の声がかっこいいアップテンポ
なロックナンバーに仕上がっています。といいますかこのアルバムはサウンドもそうですが、それまでのGRAPEVINEのアルバムに比べて田中氏
の声がかなり攻撃的に表現されている曲(ミスフライハイ・suffer the child・鳩)が多いです。
当時初めて聞いたとはきょっと驚きました、といいますかシングル曲の「会いに行く」「ぼくらなら」を聞いてこういったアルバムになると予想
した人はほとんどいないのではないでしょうか。詞のメッセージ性の強さも含め、いい意味で裏切られたと当時私は思いました。
もちそんバインらしいメロディアスなバンドナンバーの「Good bye my world」、ストレートなラブソング「公園まで」と今アルバム全体を
見回してみてもバラエティが豊富なアルバムに出来あがっていると思います。といいますか名盤だと思います。
『イデアの水槽』は贔屓目を抜きにして、本当に起死回生の1枚だと思います。
普通6枚もフルアルバムを出せば大概のバンドは緩やかにセールスが落ちていく(下の世代にリスナーが移る)ものだし、特にグレイプバインは
西川氏の神経障害による脱退、メディア露出の減少など、今にして思うとかなり正念場に立たされた時期のリリースだったのは間違いないでしょう。
そんな状況下でファンの不安を笑い飛ばすような傑作をリリースしたのは本当に凄い事だと思うし、何よりバンドとしての力強さと哀愁漂う綺麗な
メロディーを両立させたアルバムをこの時期にセルフ・プロデュースで出せたことはバンドにとっても大きな自信になったに違いないと思います。
バンドとしての地肩の強さを証明したロックアルバムの傑作だと思いますので、興味のある方は一度聞いてみてはいかがでしょうか。
聞けば何故このバンドが15年近くメジャーで生き残って活動出来ているか分かると思います。
ここまで読んでくださった方、有り難うございました。
まず1曲目の「豚の皿」からスケールの大きさに圧倒されます。田中氏の呻るような声・壮大なバンドサウンド・不安感を煽るようなピアノと
攻撃性と哀愁を両立させたバインならではの名曲だと思います。2曲目の「シスター」も攻撃的なギターと田中氏の声がかっこいいアップテンポ
なロックナンバーに仕上がっています。といいますかこのアルバムはサウンドもそうですが、それまでのGRAPEVINEのアルバムに比べて田中氏
の声がかなり攻撃的に表現されている曲(ミスフライハイ・suffer the child・鳩)が多いです。
当時初めて聞いたとはきょっと驚きました、といいますかシングル曲の「会いに行く」「ぼくらなら」を聞いてこういったアルバムになると予想
した人はほとんどいないのではないでしょうか。詞のメッセージ性の強さも含め、いい意味で裏切られたと当時私は思いました。
もちそんバインらしいメロディアスなバンドナンバーの「Good bye my world」、ストレートなラブソング「公園まで」と今アルバム全体を
見回してみてもバラエティが豊富なアルバムに出来あがっていると思います。といいますか名盤だと思います。
『イデアの水槽』は贔屓目を抜きにして、本当に起死回生の1枚だと思います。
普通6枚もフルアルバムを出せば大概のバンドは緩やかにセールスが落ちていく(下の世代にリスナーが移る)ものだし、特にグレイプバインは
西川氏の神経障害による脱退、メディア露出の減少など、今にして思うとかなり正念場に立たされた時期のリリースだったのは間違いないでしょう。
そんな状況下でファンの不安を笑い飛ばすような傑作をリリースしたのは本当に凄い事だと思うし、何よりバンドとしての力強さと哀愁漂う綺麗な
メロディーを両立させたアルバムをこの時期にセルフ・プロデュースで出せたことはバンドにとっても大きな自信になったに違いないと思います。
バンドとしての地肩の強さを証明したロックアルバムの傑作だと思いますので、興味のある方は一度聞いてみてはいかがでしょうか。
聞けば何故このバンドが15年近くメジャーで生き残って活動出来ているか分かると思います。
ここまで読んでくださった方、有り難うございました。
2004年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
やっぱりグレイプバインはこうだ。と思った。狭い部屋に入れられて閉じ込められる感じがする。それさえ心地良いのは何故なのか。「豚の皿」を特によく聞く。言葉で遊ぶ田中氏。あたしたちは推測して感銘し泣いて笑い引きずり込まれて、またバインを聞く。このアルバムには愛と平和と恐怖を感じる。いとおしい歌を歌う。愛を多大に感じる。
2011年2月25日に日本でレビュー済み
まず1曲目を聴いた時点で、アルバムの張り詰めた空間に飲み込まれたような気がした。とにかく息が詰まった。
しかし、不思議なことに心地が良いのである。ピアノを背景に突き抜けるような声、突如爆発するようなバンドサウンド、内容を掴みたくなる曲名と歌詞。初っ端からやられてしまった。
もうそこから身を委ねて行くのは簡単だった。聴きやすくポップな曲、気だるく重い曲、シャウトしまくりのロック、方向性がバラバラと言ってもいい曲達がここまで違和感無く聴けるのは、やはりアルバムの完成度の高さ故だろう。
これから聴く人の為に紹介するならば、非常に攻撃的でかっこいいアルバムだ。上で述べた通り曲のバラエティが多いので、飽きないし、どれかはツボにハマると思う。そういう意味では面白い一枚である。また最後もすんなり聴き終わらせてはくれず、引っ掛けられてしまう(笑)GRAPEVINEというバンドは、本当に面白い。
とにかく非常に素晴らしいアルバムなので、迷っているなら聴くべき。
しかし、不思議なことに心地が良いのである。ピアノを背景に突き抜けるような声、突如爆発するようなバンドサウンド、内容を掴みたくなる曲名と歌詞。初っ端からやられてしまった。
もうそこから身を委ねて行くのは簡単だった。聴きやすくポップな曲、気だるく重い曲、シャウトしまくりのロック、方向性がバラバラと言ってもいい曲達がここまで違和感無く聴けるのは、やはりアルバムの完成度の高さ故だろう。
これから聴く人の為に紹介するならば、非常に攻撃的でかっこいいアルバムだ。上で述べた通り曲のバラエティが多いので、飽きないし、どれかはツボにハマると思う。そういう意味では面白い一枚である。また最後もすんなり聴き終わらせてはくれず、引っ掛けられてしまう(笑)GRAPEVINEというバンドは、本当に面白い。
とにかく非常に素晴らしいアルバムなので、迷っているなら聴くべき。
2004年11月28日に日本でレビュー済み
「豚の皿」の歌詞の「ストライプ」は、田中氏の歌い方で「スター」にも聞こえる。ストライプとスター。あの国のことを歌っているのだろう。
まぁとにかく、こんな格好いい音を作れるバンドは他には居ないのでは。
「シスター」のいきり立った感じ。
「ミスフライハイ」の絶叫とスピード感。
「Good bye my world」の鬱でどうしようもない感じ。
「アンチ・ハレルヤ」の皮肉+おとぼけな感じ。
特に「アンチ・ハレルヤ」最後のオチというかが脱力でよい。
全て、情緒不安定な私をさりげな~く救ってくれるのである。
まぁとにかく、こんな格好いい音を作れるバンドは他には居ないのでは。
「シスター」のいきり立った感じ。
「ミスフライハイ」の絶叫とスピード感。
「Good bye my world」の鬱でどうしようもない感じ。
「アンチ・ハレルヤ」の皮肉+おとぼけな感じ。
特に「アンチ・ハレルヤ」最後のオチというかが脱力でよい。
全て、情緒不安定な私をさりげな~く救ってくれるのである。
2003年11月20日に日本でレビュー済み
「会いにいく」「ぼくらなら」を含むバインの新譜。
まだ耳にしていな曲ばかりだが、タイトルや季節柄
クリスマスへのアンチテーゼが見隠れ。(あくまで
予想だが)
田中氏のシニカルな、けれどそれゆえに
甘やかな世界観には感服。
このセンスで紡がれる色は
どうなるんだろうか?
そこに亀井氏や西川氏がからむと?
きっと(ハッピーという意味よりは、 入りの
多い、という意味で)至福をくれる一枚だろう。
心待ちにしています。
まだ耳にしていな曲ばかりだが、タイトルや季節柄
クリスマスへのアンチテーゼが見隠れ。(あくまで
予想だが)
田中氏のシニカルな、けれどそれゆえに
甘やかな世界観には感服。
このセンスで紡がれる色は
どうなるんだろうか?
そこに亀井氏や西川氏がからむと?
きっと(ハッピーという意味よりは、 入りの
多い、という意味で)至福をくれる一枚だろう。
心待ちにしています。
2018年3月24日に日本でレビュー済み
「日本にロックシーンというものがあるならば、それは僕じゃない誰かに背負って欲しい。そしてそれを端から眺めていたいですね。」
15年前、とある音楽雑誌の中の細目の男はケラケラと笑いながら自嘲的にこう言った。インタビュアー泣かせな口ぶりだけど、飄々としつつも軽々しくはない不思議な佇まいに惹かれ、レンタルショップで彼が所属するGRAPEVINE(読み:グレイプバイン)というバンドの最新作(当時)『イデアの水槽』を手に取って針を落とした。…のだが、クセの強い歌い回しにプログレ、ギターロック、ポップス、ファンク、バラード、コミカル…などと目まぐるしくジャンルを横断するこのアルバム、全く良いと思えなかった。今思えば、得体の知れないこの『イデアの水槽』を前にして、ウニの旨さも知らない当時14歳だった私はすっかり怯えてしまったのだろう。なんと2周と聴かずに返却してしまった。
この記事は、そんなGRAPEVINE 6thフルアルバム『イデアの水槽』の推薦文だ。本文はあくまで当時のバンドの状況とアルバム全体の内容に留め、各楽曲についての細かい記載は注釈に回した。なので、このバンドをご存知ない方も安心して読み進めていただければと思う。
あれから15年経ち、すっかり彼らの大ファンになった今でも『イデアの水槽』はとても聴きづらいアルバムだ。演奏は狂気めいたエネルギーで充満して、平たく言えばヤケっぱちにすら聴こえるのだけれども、まったくもってチグハグな曲順からはどこか綿密に練られた確信犯的な不親切さを感じる。加えてバンドが得意としていた情緒的な切なさやオールド・ロックを志向したサウンドを悉く封印、代わりにそれまでスパイスとして機能していた風刺性・天邪鬼性をアルバムのメインカラーに据えるという、従来のリスナーに対しても牙を剥く有り様である。なぜGRAPEVINEはここまでしなければならなかったのか。答えは彼らのファンになったときに知った。
それはベーシスト・西原誠の脱退。ジストニアに冒された彼の腕は、もうベースを弾ける状態ではなかったそうだ。
遅れてやってきたファンである私には、彼がバンドに所属していた頃のことを知る由もない。けれども、音源やメンバーが彼について話す言葉から察するに、西原誠はとてもコミカルな人だ。彼の曲やベースラインは「変幻自在」「浮遊感」などという洒落たワードでは言い表せない、なんだか駄菓子のような「おトボけ感」がある。きっと喫茶店で注文したコーヒーを口につけるなり「熱っっつ!!」と叫んでシャツをびしゃびしゃにするような、そんな男なのだろう。(失礼)
仏頂面が揃ったGRAPEVINEにあって、彼のような存在はきっととても貴重だったはずだ。ついつい籠もって"孤高"になりがちな彼らと世間を繋ぐ役割を担ってたと思う。裏を返せば、西原誠を失ったときに彼らが取るべき選択肢は、これまでセーブされていた"孤高"への道を拓くことだったのだろう。それは次作以降、新たなプロデューサーを迎えて実現されていくことになる。対して、西原誠脱退直後にセルフ・プロデュースで制作されたこの『イデアの水槽』に課されたミッションはその下地づくり…つまりは旧GRAPEVINE像を木っ端微塵に破壊することだったのでなないか。そういう意味では大成功のアルバムだ。
さて、このバンド・ヒストリーを踏まえて再びアルバムに耳を傾けてくると、このアップダウンの激しい曲順も愛おしいではないか。プログレかぶれの独裁者風刺『豚の皿』(※1)、シャウト連打のガレージロック『シスター』、J-POP然とした端正なミディアム『ぼくらなら』(※2)、お家芸の女蔑ナンバー『ミス・フライハイ』(※3)、早すぎたsuchmos(※4)ことエロエロファンク『11% MISTAKE』、寂寥感の暴力『SEA』(※5)…と次から次へとキャッチコピーが浮かぶほどに各曲バラバラにキャラ立ちをしている。まるでデビューアルバムか、はたまたラストアルバムかのよう(※6)に様々なジャンルへとハンドルを切ってひた走る。もちろん全曲アクセルはベタ踏みもベタ踏み、整合性などクソ喰らえ。次の曲調が全くもって予想もつかず、イントロが鳴るたびに「こうきたか!」という驚きに満ち溢れている。なるほど敢えてチグハグな曲調は、このギャップを狙ってのことか。デビュー5年間で蓄えた経験値、百戦錬磨の新メンバー、そしてリスタート特有の創作意欲が混ざり合った"偉大なる闇鍋"。調和こそしないものの、いやだからこそ、個々の曲が輝く仕上がりになっている。
「日本にロックシーンというものがあるならば、それは僕じゃない誰かに背負って欲しい。そしてそれを端から眺めていたいですね。」
ここで、冒頭の細目の男、GRAPEVINEのヴォーカル・田中和将の言葉に話を戻してみる。なるほど『イデアの水槽』はロックシーンを"背負えない"アルバムだろう。ライトリスナーをバッサリ切り捨てる不親切設計からは、シーンの玉座を巡る闘争から降りたことを宣言しているように見える。だが、なおもバンドはコンスタントに活動を続け、遂にはデビュー20周年を迎えて国内指折りの楽曲数と歌唱・演奏力を持つ長寿バンドになった。ただ只管に己を研ぎ澄ませていくGRAPEVINEの"武器なき闘争(※7)"は、このとき明確に始まったのかもしれない。
『イデアの水槽』が名盤か?と問われれば、やはり少し首を捻ってしまう。迷盤と評されても致し方ないとっ散らかり具合だけれど、バンドのヒストリーにおいて最も重要な1枚であり、GRAPEVINEがもつ多様性が最も網羅された1枚であり、私の音楽に対する許容範囲を最も押し拡げた1枚。発売から15年経ちかなり廉価で手に入る(※8)ようなので、ここまでお付き合い頂いたあなたにも、恐る恐る口に運んでいただければ幸いだ。
___
※1:『豚の皿』
今作の歌詞の大きな特徴は"風刺性"。それが最も顕著に現れているのがこの曲だ。某独裁者(複数)をモチーフにした不穏な歌詞がプログレ紛いの大仰なサウンドに乗っかり聳え立つ。アルバム一曲目にしていきなりリスナーをふるいにかける暴挙であるが、ライブ定番曲のためファンはすっかり聴き慣れてしまったのが切ない。ああ、この曲を未聴のあたなたが羨ましい。曲のインパクトに気を取られてしまうが「群がりだす群がりだす / 豚の皿を満たす腹を満たす」が掻き立てる"群れ"への嫌悪も見落としてはならない。『イデアの水槽』に通底するテーマだ。
ちなみに先日ライブで演奏された際の照明は赤と青のストライプ。ザ・律儀。
※2:『ぼくらなら』
端正。不自然なほど端正な仕上がりだ。ギターのタイム感やシンバルの鳴りなど、どうにもキッチリしすぎるというか。そこで改めてクレジットに目を通すと、どうやらサポートメンバー・高野勲(Key.)がピンで編曲しているとのこと。当初から鍵盤で好き勝手かき回してた陽気でパーマなオジさんだったが、なるほどプロデューサーの椅子に座るのは少々勝手が異なるか。彼のカタい表情が垣間見えるレア曲。
※3:『ミス・フライハイ』
もう一人のサポートメンバー・金戸覚(Ba.)命のアッパーな曲。前ベーシスト・西原誠が駄菓子のようだとするならば、金やんベースは重厚な赤身肉。どちらも唾液腺をよく刺激するが、金やんベースは女子供の立ち入れないオトナなオトコの音である。そんなダンディでエロい金やんベース、この曲では「なぜ皆わたしを傷付けるのよ / でもそんな自分が愛おしいのよ」と倒錯する女性を描いた歌詞が絡んでより一層エロい。エロい。
※4:早すぎたsuchmos(『11% MISTAKE』)
将来有望な若手の芽は可及的速やかに摘むのがGRAPEVINEの流儀。これまでもNICO Touches the WallsやUNISON SQUARE GARDENなどを籠絡してきたが、suchmosも無事舎弟入り。これまで何度か対バンが行われる中で、2016年2月の恵比寿LIQUIDROOM公演にてsuchmos YONCEを迎えた『11%MISTAKE』が披露された。超高音ファルセットを駆使したこの曲だが、YONCEのファルセットはsuchmos『Fallin'』で披露した通りのハイ・クオリティ。絶対ハマると皆が予想していたはずだが、我が物顔で堂々と歌いこなすYONCEのエロス(韻)は想像以上。これには我々GRAPEVINEファンも「麿Satisfy」であった。
※5:『SEA』
描かれるは押し寄せる寂寥感、退廃。はたまた完璧に、潔癖に浄化された世界か。歌われるは『イデアの水槽』が幾重にも連なり織りなす広大な海。「誰にも触れさせず / 誰にも触れられず / 忘れられた 忘れられた」と隔絶された自己。イデア(=真実在)がどの様な姿形であれ、それは認知され得るものではない…つまりは"無い"のだが、その実やはり"在る"のだから厄介だ。群衆を見下ろす「浮かれた独裁者の / 狂える瞼(M1.『豚の皿』)」も、孤独の果てに「さして暑くも寒くもなく / きつく瞼を閉ざして」しまう市民も、他者への嫌悪・拒絶する者が行き着く先は等しく『イデアの水槽』。そこに救いは、無い。
なお、アルバムが進むにつれ「急いで 会いに行きたいだろ / 見てごらんよ 目の前を(M10.『会いに行く』)」「オレはひとりじゃイヤ(M12.『鳩』)」という曲が顔を出すことも併せてお伝えしておく。
※6:デビューアルバムか、はたまたラストアルバムかのよう
新体制に移行して1枚目のアルバムなのでデビューアルバムのようなのだが、このアルバムが発売されたのは2003年。前後数年でイエモン、ジュディマリ、ミッシェル、ナンバーガール、スーパーカーなど数々のバンドが解散するなど時代の節目感が色濃かった当時、『イデアの水槽』の無軌道っぷりからGRAPEVINEの解散を想像したファンも少なくなかったはず。
※7:"武器なき闘争"
デビュー20周年を迎えた2017年に発売されたシングル『Arma』で歌われた「例えばほら きみを夏に喩えた / 武器は要らない 次の夏が来ればいい」からは、シーンで勝ちに行くための武器など余分である、という彼らなりのスタンスが透けて見える。逆説的にはなるが、"武器は要らない"と言い切れる強さが、彼らと僕らに幾度も"夏"を運んで来たのかも。群衆を嫌悪する独裁者を描いたM1.『豚の皿』と並べて聴いても実に味わい深い。
※8:かなり廉価で手に入る
調べてみたところ、現在Amazonにて中古盤がなんと50円ほどで売り出されている。なんと、送料込みでも大衆カフェのコーヒーよりお安くこの闇鍋を味わえる!奥様、これを聴かない手はございません。どうかお口に合いますように…
15年前、とある音楽雑誌の中の細目の男はケラケラと笑いながら自嘲的にこう言った。インタビュアー泣かせな口ぶりだけど、飄々としつつも軽々しくはない不思議な佇まいに惹かれ、レンタルショップで彼が所属するGRAPEVINE(読み:グレイプバイン)というバンドの最新作(当時)『イデアの水槽』を手に取って針を落とした。…のだが、クセの強い歌い回しにプログレ、ギターロック、ポップス、ファンク、バラード、コミカル…などと目まぐるしくジャンルを横断するこのアルバム、全く良いと思えなかった。今思えば、得体の知れないこの『イデアの水槽』を前にして、ウニの旨さも知らない当時14歳だった私はすっかり怯えてしまったのだろう。なんと2周と聴かずに返却してしまった。
この記事は、そんなGRAPEVINE 6thフルアルバム『イデアの水槽』の推薦文だ。本文はあくまで当時のバンドの状況とアルバム全体の内容に留め、各楽曲についての細かい記載は注釈に回した。なので、このバンドをご存知ない方も安心して読み進めていただければと思う。
あれから15年経ち、すっかり彼らの大ファンになった今でも『イデアの水槽』はとても聴きづらいアルバムだ。演奏は狂気めいたエネルギーで充満して、平たく言えばヤケっぱちにすら聴こえるのだけれども、まったくもってチグハグな曲順からはどこか綿密に練られた確信犯的な不親切さを感じる。加えてバンドが得意としていた情緒的な切なさやオールド・ロックを志向したサウンドを悉く封印、代わりにそれまでスパイスとして機能していた風刺性・天邪鬼性をアルバムのメインカラーに据えるという、従来のリスナーに対しても牙を剥く有り様である。なぜGRAPEVINEはここまでしなければならなかったのか。答えは彼らのファンになったときに知った。
それはベーシスト・西原誠の脱退。ジストニアに冒された彼の腕は、もうベースを弾ける状態ではなかったそうだ。
遅れてやってきたファンである私には、彼がバンドに所属していた頃のことを知る由もない。けれども、音源やメンバーが彼について話す言葉から察するに、西原誠はとてもコミカルな人だ。彼の曲やベースラインは「変幻自在」「浮遊感」などという洒落たワードでは言い表せない、なんだか駄菓子のような「おトボけ感」がある。きっと喫茶店で注文したコーヒーを口につけるなり「熱っっつ!!」と叫んでシャツをびしゃびしゃにするような、そんな男なのだろう。(失礼)
仏頂面が揃ったGRAPEVINEにあって、彼のような存在はきっととても貴重だったはずだ。ついつい籠もって"孤高"になりがちな彼らと世間を繋ぐ役割を担ってたと思う。裏を返せば、西原誠を失ったときに彼らが取るべき選択肢は、これまでセーブされていた"孤高"への道を拓くことだったのだろう。それは次作以降、新たなプロデューサーを迎えて実現されていくことになる。対して、西原誠脱退直後にセルフ・プロデュースで制作されたこの『イデアの水槽』に課されたミッションはその下地づくり…つまりは旧GRAPEVINE像を木っ端微塵に破壊することだったのでなないか。そういう意味では大成功のアルバムだ。
さて、このバンド・ヒストリーを踏まえて再びアルバムに耳を傾けてくると、このアップダウンの激しい曲順も愛おしいではないか。プログレかぶれの独裁者風刺『豚の皿』(※1)、シャウト連打のガレージロック『シスター』、J-POP然とした端正なミディアム『ぼくらなら』(※2)、お家芸の女蔑ナンバー『ミス・フライハイ』(※3)、早すぎたsuchmos(※4)ことエロエロファンク『11% MISTAKE』、寂寥感の暴力『SEA』(※5)…と次から次へとキャッチコピーが浮かぶほどに各曲バラバラにキャラ立ちをしている。まるでデビューアルバムか、はたまたラストアルバムかのよう(※6)に様々なジャンルへとハンドルを切ってひた走る。もちろん全曲アクセルはベタ踏みもベタ踏み、整合性などクソ喰らえ。次の曲調が全くもって予想もつかず、イントロが鳴るたびに「こうきたか!」という驚きに満ち溢れている。なるほど敢えてチグハグな曲調は、このギャップを狙ってのことか。デビュー5年間で蓄えた経験値、百戦錬磨の新メンバー、そしてリスタート特有の創作意欲が混ざり合った"偉大なる闇鍋"。調和こそしないものの、いやだからこそ、個々の曲が輝く仕上がりになっている。
「日本にロックシーンというものがあるならば、それは僕じゃない誰かに背負って欲しい。そしてそれを端から眺めていたいですね。」
ここで、冒頭の細目の男、GRAPEVINEのヴォーカル・田中和将の言葉に話を戻してみる。なるほど『イデアの水槽』はロックシーンを"背負えない"アルバムだろう。ライトリスナーをバッサリ切り捨てる不親切設計からは、シーンの玉座を巡る闘争から降りたことを宣言しているように見える。だが、なおもバンドはコンスタントに活動を続け、遂にはデビュー20周年を迎えて国内指折りの楽曲数と歌唱・演奏力を持つ長寿バンドになった。ただ只管に己を研ぎ澄ませていくGRAPEVINEの"武器なき闘争(※7)"は、このとき明確に始まったのかもしれない。
『イデアの水槽』が名盤か?と問われれば、やはり少し首を捻ってしまう。迷盤と評されても致し方ないとっ散らかり具合だけれど、バンドのヒストリーにおいて最も重要な1枚であり、GRAPEVINEがもつ多様性が最も網羅された1枚であり、私の音楽に対する許容範囲を最も押し拡げた1枚。発売から15年経ちかなり廉価で手に入る(※8)ようなので、ここまでお付き合い頂いたあなたにも、恐る恐る口に運んでいただければ幸いだ。
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※1:『豚の皿』
今作の歌詞の大きな特徴は"風刺性"。それが最も顕著に現れているのがこの曲だ。某独裁者(複数)をモチーフにした不穏な歌詞がプログレ紛いの大仰なサウンドに乗っかり聳え立つ。アルバム一曲目にしていきなりリスナーをふるいにかける暴挙であるが、ライブ定番曲のためファンはすっかり聴き慣れてしまったのが切ない。ああ、この曲を未聴のあたなたが羨ましい。曲のインパクトに気を取られてしまうが「群がりだす群がりだす / 豚の皿を満たす腹を満たす」が掻き立てる"群れ"への嫌悪も見落としてはならない。『イデアの水槽』に通底するテーマだ。
ちなみに先日ライブで演奏された際の照明は赤と青のストライプ。ザ・律儀。
※2:『ぼくらなら』
端正。不自然なほど端正な仕上がりだ。ギターのタイム感やシンバルの鳴りなど、どうにもキッチリしすぎるというか。そこで改めてクレジットに目を通すと、どうやらサポートメンバー・高野勲(Key.)がピンで編曲しているとのこと。当初から鍵盤で好き勝手かき回してた陽気でパーマなオジさんだったが、なるほどプロデューサーの椅子に座るのは少々勝手が異なるか。彼のカタい表情が垣間見えるレア曲。
※3:『ミス・フライハイ』
もう一人のサポートメンバー・金戸覚(Ba.)命のアッパーな曲。前ベーシスト・西原誠が駄菓子のようだとするならば、金やんベースは重厚な赤身肉。どちらも唾液腺をよく刺激するが、金やんベースは女子供の立ち入れないオトナなオトコの音である。そんなダンディでエロい金やんベース、この曲では「なぜ皆わたしを傷付けるのよ / でもそんな自分が愛おしいのよ」と倒錯する女性を描いた歌詞が絡んでより一層エロい。エロい。
※4:早すぎたsuchmos(『11% MISTAKE』)
将来有望な若手の芽は可及的速やかに摘むのがGRAPEVINEの流儀。これまでもNICO Touches the WallsやUNISON SQUARE GARDENなどを籠絡してきたが、suchmosも無事舎弟入り。これまで何度か対バンが行われる中で、2016年2月の恵比寿LIQUIDROOM公演にてsuchmos YONCEを迎えた『11%MISTAKE』が披露された。超高音ファルセットを駆使したこの曲だが、YONCEのファルセットはsuchmos『Fallin'』で披露した通りのハイ・クオリティ。絶対ハマると皆が予想していたはずだが、我が物顔で堂々と歌いこなすYONCEのエロス(韻)は想像以上。これには我々GRAPEVINEファンも「麿Satisfy」であった。
※5:『SEA』
描かれるは押し寄せる寂寥感、退廃。はたまた完璧に、潔癖に浄化された世界か。歌われるは『イデアの水槽』が幾重にも連なり織りなす広大な海。「誰にも触れさせず / 誰にも触れられず / 忘れられた 忘れられた」と隔絶された自己。イデア(=真実在)がどの様な姿形であれ、それは認知され得るものではない…つまりは"無い"のだが、その実やはり"在る"のだから厄介だ。群衆を見下ろす「浮かれた独裁者の / 狂える瞼(M1.『豚の皿』)」も、孤独の果てに「さして暑くも寒くもなく / きつく瞼を閉ざして」しまう市民も、他者への嫌悪・拒絶する者が行き着く先は等しく『イデアの水槽』。そこに救いは、無い。
なお、アルバムが進むにつれ「急いで 会いに行きたいだろ / 見てごらんよ 目の前を(M10.『会いに行く』)」「オレはひとりじゃイヤ(M12.『鳩』)」という曲が顔を出すことも併せてお伝えしておく。
※6:デビューアルバムか、はたまたラストアルバムかのよう
新体制に移行して1枚目のアルバムなのでデビューアルバムのようなのだが、このアルバムが発売されたのは2003年。前後数年でイエモン、ジュディマリ、ミッシェル、ナンバーガール、スーパーカーなど数々のバンドが解散するなど時代の節目感が色濃かった当時、『イデアの水槽』の無軌道っぷりからGRAPEVINEの解散を想像したファンも少なくなかったはず。
※7:"武器なき闘争"
デビュー20周年を迎えた2017年に発売されたシングル『Arma』で歌われた「例えばほら きみを夏に喩えた / 武器は要らない 次の夏が来ればいい」からは、シーンで勝ちに行くための武器など余分である、という彼らなりのスタンスが透けて見える。逆説的にはなるが、"武器は要らない"と言い切れる強さが、彼らと僕らに幾度も"夏"を運んで来たのかも。群衆を嫌悪する独裁者を描いたM1.『豚の皿』と並べて聴いても実に味わい深い。
※8:かなり廉価で手に入る
調べてみたところ、現在Amazonにて中古盤がなんと50円ほどで売り出されている。なんと、送料込みでも大衆カフェのコーヒーよりお安くこの闇鍋を味わえる!奥様、これを聴かない手はございません。どうかお口に合いますように…