この名作について、とりわけアニメ版の素晴らしさの一つを取り上げて、述べてみたいと思います。
最終戦、ホセ・メンドーサとの対戦中のことです。それまで、チャンピオン・ホセの鉄壁のディフェンスに阻まれて、まったく手が出なかったジョーが、4Rでしょうか、パンチ・ドランカー症状を悪化させ、右目が霞みはじめます。しかし、これが功を奏し、なんとホセの紙一重かわしのディフェンスを破ります。右目の視力が低下したことにより、距離感がつかめなくなったジョーが、半ばやみくもにパンチを出した結果、パンチの矛先が微妙にずれて、ギリギリでよけていたホセの顔面にヒットし始めたのです。
言うなれば、まぐれで起こった好運です。行き当たりばったりです。原作では、これ以上のことは、描かれておりません。しかし、アニメ版では、この行き当たりばったりのまぐれで起こった善戦に、この上ない説得力を与えます。
ジョーの幼い頃の、孤児としての放浪生活を、少し前から挿入していたアニメスタッフは、この偶然の出来事が起こった際、ジョーにこう言わせるのです。
「見ろぉ、何とかなったじゃねぇかよ。何とかなっちまうもんさ、ほんとによ。先のことなんか、さっぱり分からなくったって、どうにか格好はついちまうもんさ。俺は今までこうやってやってきたんだ。どんなときも、一人でよ。」
そうなのです。もともとジョーは、行く当てもない、どうなるかも全然分からない一人旅を、物心ついたときから続けていたのです。行き当たりばったりへの信頼感が、彼の生き様だったのです。
私は、このシーンを見て、アニメスタッフの原作に対する解釈力の凄さに感心せざるを得ませんでした。原作での単なるまぐれの展開を、主人公の人生観という理由でもって、必然の展開に変え、主人公の生き様を、説得力に満ちた形で描いて見せたのです。実に、見事です。
これは、監督の出崎統さんが、絵コンテで入れたものでしょうか。私は、多分そうだと思っています。アニメ版パート1が原作に追いついてしまったため、中途で終了してしまい、やり残しの気持ちが、スタッフにはあったでしょう。しかし、原作終了から、パート2開始まで、たっぷりとした時間を与えられていたスタッフは、これほどまでに原作から、厚みのある解釈を深めていたのです。
この作品のよさは、これだけに尽きません。人の気持ちの温かさ、誠実さ、真剣な生き様が、フィルムの端々に表れております。
私は、『家なき子』も好きです。しかし、『あしたのジョー2』は、それとは別な意味で、出崎統監督の最高傑作です。