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死ぬまでにしたい10のこと [DVD]
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フォーマット | ワイドスクリーン, 色 |
コントリビュータ | スコット・スピードマン, イザベル・コヘット, ペドロ・アルモドバル, ゴードン・マクレナン, エステル・ガルシア, キャロル・ラヴァレー, サラ・ポーリー, アルフォンソ・デ・ヴィラロンガ, オグデン・ガヴァンスキ, ジャン・クロード・ラリュー, アウグスティン・アルモドバル, リザ・ジェーン・ロビンソン, カティア・スタノ, マーク・ラファロ 表示を増やす |
稼働時間 | 1 時間 46 分 |
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メーカーによる説明
死ぬまでにしたい10のこと [DVD] | 死ぬまでにしたい10のこと [DVD] | |
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カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.6
208
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5つ星のうち3.6
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価格 | ¥5,170¥5,170 | ¥1,101¥1,101 |
製品仕様 | DVD | DVD |
発売日 | 2004/4/24 | 2014/9/3 |
商品の説明
Amazonより
23歳という若さで、がんで余命2か月と宣告されたアン。彼女はやり残したことをノートに10コ、書き留める。オシャレのこと、ふたりの娘のこと、そして夫以外の男と付き合ってみること…。リストを作ったときから、アンの平凡だった人生がイキイキと動きだした。
死を目前にしながらも、その事実を誰にも明かさず、リストを作って実行していくことで、死の恐怖を回避し、幸せで甘い幕切れを求めるアン。自分の不運な運命を知っても、決して動揺せずに、残り少ない人生を最上のものにしようとするヒロインの強さが感動的。この役をほぼスッピンの自然体で演じたのはサラ・ポーリー。彼女が好演があったからこそ、アンという女性の短い人生は美しくスクリーンに息づいたといっても過言ではない。難を言えば、愛人になる男性(マーク・ラファロ)が魅力薄だったこと。夫役のスコット・スピードマンの方が華があり、逆のキャスティングだったら、感動も倍増したかも。とはいえ、死に向かっていく女性の人生を実に丁寧につづったイザベル・コヘット監督(&脚本)の手腕は見事。ペドロ・アルモドバルが彼女の才能に魅了され、製作を買って出たのも納得の映画である。(斎藤 香)
レビュー
もしも自分の命があとわずかなら、あなたは何をしたいですか? 余命2ヵ月と宣告された23歳のアン(サラ・ポーリー)は“死ぬまでにしたい”10項目を一つ一つ実行していく。「娘たちへ毎日愛してると言う」「好きなだけお酒とタバコを楽しむ」そして「夫以外の男と恋をする」なんていうちょっぴりイケナイ願望すらも、監督イザベル・コヘットは繊細に淡々と綴っている。自分がいなくなったあとの生活を思いながら、周りの人に優しさを残していくアン。原題は“My Life Without Me”。死んだあとの時間も“私の生活”と考えれば、余命わずかと知ってもヤケになって悪いことをする人なんかいないはず。製作を努めたアルモドバルも惚れ込んだ脚本の深さはそこにある。 (滝矢直) --- 2004年06月号 -- 内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
エグゼクティヴプロデューサー: ペドロ・アルモドバル/アウグスティン・アルモドバル/オグデン・ガヴァンスキ プロデューサー: エステル・ガルシア/ゴードン・マクレナン 監督・脚本: イザベル・コヘット 撮影: ジャン・クロード・ラリュー 美術: キャロル・ラヴァレー 衣装デザイン: カティア・スタノ 編集: リサ・ジェーン・ロビンソン 音楽: アルフォンソ・デ・ヴィラロンガ 出演: サラ・ポーリー/マーク・ラファロ/スコット・スピードマン/レオノール・ワトリング/デボラ・ハリー
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 19.8 x 14 x 2 cm; 258.55 g
- EAN : 4988105028371
- メディア形式 : ワイドスクリーン, 色
- 時間 : 1 時間 46 分
- 発売日 : 2004/4/24
- 出演 : ペドロ・アルモドバル, アウグスティン・アルモドバル, オグデン・ガヴァンスキ, エステル・ガルシア, ゴードン・マクレナン
- 販売元 : 松竹
- ASIN : B0001CGNJY
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,833位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,526位外国のラブロマンス映画
- - 8,773位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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自分が死んでも残された人の人生は回る。
いなくなったからこそ、残したものが残された人に伝わる。
死というのは、それでおわりではなく
周りの人たちに跡をのこしていくものだと思った。
自分がもし、同じ立場なら何をしただろう。。
何をしたいだろう。。。
そんなことを考えされれた映画だった。
邦題は”死ぬまでにしたい10のこと”なのですが、死を目前に遣り残した事を叶える物語ではないのです
邦題はこの作品の本質を誤解させる命題
「死ぬまでにしたい10のこと」という邦題で本作を観たら、もし自分が余命宣告をされたら、どんな生き方をするだろう?どんな風に人生を終わりたいだろうか?と自分本位の物語だと感じ取ってしまうであろう
しかし、本作は自分の死んだ後に残された人に対しての思い遣りを込めた物語りであって、決して悔いのない人生を生きようなどというメッセージではない
自分のこれからの生き方について考えさせられる映画である事は間違いないのですが、邦題だとニアンスが全く異なりこの作品のメッセージは全く違く受け取られてしまう
彼女の生活は、不遇な境遇ではあるが、彼女は決して不幸なんかではない
寧ろ愛に満ちた生活で幸せだと思うし、彼女自身もそう感じているのです
彼女は自分の望んだ人生を生きていないにしても、夫に愚痴の1つも言ったこともないのです
貧乏だとしても、愛する家族に囲まれ、惜しまれながら人生を終えられるのです
淡々と過ぎていく毎日が愛に満ちているってだけで、本当に幸せだと思います
その上、仕事もあって食べていけて、健康だったら・・・これ以上何を望むというのだろうか?と問われているように感じます
この映画の感動ポイントは、彼女の残された人達への想いに共感してしまったり、その優しさに心打たれるからだと思う
ナレーションの部分では、主人公を指す代名詞に you (あなた)が使われ、あたかも、映画を見ている側が、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるような構成になっているので、感情移入し易いだろう
しかし、日本語字幕では 私 と表示されているので、日本人には1部の人にしか感じ取れなく非常に残念です
※※※※※※※※ここからネタバレ※※※※※※※※
「死ぬまでにしたい10のこと」の内、重要なのは、1・2・3
・Tell my daughters I love them several times a day.
娘たちに毎日何回も「愛してる」と言う
・Find Don a new wife who the girls like.
娘たちの気に入る新しいドンの妻を見つける
・Record birthday messages for the girls for every year until they're 18.
娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
であり、1・3は、説明不要だと思うので省略するが、2の・Find Don a new wife who the girls like.を解説する
ラストシーンで主人公アンは、隣に引っ越してきた出産恐怖症だけど子供好きのたまたま同じ名前のアンという女性を家に招くが、具合が悪くなり床についている
しかし、癌の事は周囲の人々には告げていないので、医者以外誰も知らない
主人公アンは、自分の代わりに家族の世話をして夫や子供たちに好かれるもう一人のアンをカーテン越しに見ている
夫や娘たちが「アン」と呼ぶのは別の女性
ベッドで寝込むアンは、カーテンの向こう側に自分が死んでも幸せに生きていける家族の人生を見て安堵している
「私のいない人生の1コマ」
それが『My Life Without Me』ということなのである
彼女は、「失われた人生に未練はない」と言っているように自分の事などどうでもいいのである
それは何故かと言うと、「死んでしまったら何も感じない」と言っているように無意味だと悟っているからなのである
「もう死ぬのだから」抗っても仕方がないとの覚悟がちゃんと出来ているという事
どうして、うら若くして死んでしまうのに、覚悟が出来ているのかというと、愛のある人生を生きたという実感がちゃんとあるからだ
地位や名声、物質的な満足などは、人生の終わりにおいては、全く重要ではないのである
生きてる間は、このような蛇足こそが生きるモチベーションにはなるだろうが、そんな欲の獲得に労力を浪費するよりも、精神的な充足こそが大切であり、それを叶える為には”人に対して誠実に!”ということであり、どう生きるべきか改めて考えなおす機会を与えてくれているのだと思います
淡々とした描き方なので、どこも説教臭くなくが非常に好感が持てる良作だと思います
日本のお涙頂戴の難病映画とはまるで違う
最後に・・・浮気するのは如何なものか?という批判的な感想が見られるので、擁護しておく
・Make love with other men to see what it is like.だが、訳では「夫以外の人とつきあってみる」となっているが、この訳だから誤解を生むのであって、だいぶニアンスが違くて、「他の男と愛しあうのがどういうものなのか様子を見てみる」という感じなので、単なるセックス願望では無いのです
この願望は、浮気でも遊びでもなく・・・そもそも本当の愛というものを彼女は知らないのだ
彼女は母親の傍で暮らしてはいるものの愛ある家庭でも育っていないし、夫とも真に愛して結ばれた訳でもないのだ
愛されるということを知りたいし、自分は愛される価値があるのか?という答えを求めているのだ
これがなければ、生きた意義という最低限の充足さえ感じられないであろう
・Make love with other men to see what it is like.と・Make someone fall in love with me.はセットなのです
単体で見るからおかしな解釈になるのだと思います
常に一人称で話が進むので、そこは好みが分かれるところだと思います。
私自身はいちいち死を持ち上げたり、
美化したりと過剰な演出がないのに非常に好感を持ちます。
何よりも、一番きつくて辛いはずの主人公の周りにいる人間が、
どうでもいい下らない愚痴ばかり零し、人生を悔いている様と対比させているのは秀逸です。
死というものエンターテイメント化してない良作だと思いました。
そんな若いガキンチョママみたいのはぎょうさんいるわな〜
そんなガキンチョママが余命幾ばくもない状況下でケーキ&コーヒータイムになにやらノートに書き綴る
いやーまあ〜解らんでもない
だってまだ23歳とかでしょ?
うんうん解りますとも!
なんて言うのはタテマエでね
この後の展開
嫌な予感しかしないのでもう見ません
ただ、残り僅かな時間を家族の愛に囲まれ
そして最愛の夫が号泣してみたいなどっかに転がってそうな邦画展開もノーサンキュー
つまりはうっかり見始めたオレが悪いのだ
そうさなあ‥
ジンジャー味の飴ちゃんめっちゃ舐め続けてたら奇跡的に治癒してしまって、どうせ死ぬんだからと違法薬物ヤリまくってたのがバレて捕まったけどめでたしめでたしチャンチャン♪
っていうエンディングなら満点
一縷の望みを持って早送りしてみようかな
うーん
そりゃないだろうね(笑)
何も感じない病気だとか、ただの不倫映画だとか自分勝手だとか、
色々とおっしゃってる方もいらっしゃいますが、
そんなふうにしか映画を観られないだなんて、ずいぶんと味気ないなぁ。
映画に何を求めてるんですかねぇ。
何もかも現実の常識尺度で測ってしまうと、
映画なんてツッコミどころだらけで、
どれもつまらないことになっちゃいます。
お父さんはちょっとしか出てきませんが、
その存在は意外と核心的な伏線だったりする気がするんです。
アンはきっとお父さんが大好きだった、
お母さんも愚痴ばかりだけど、それでもやっぱり好きだった。
なのに大好きなお父さんとお母さんの仲がうまくいかず、
いつも心痛めていた、そしてお父さんは刑務所に入ったきり。
アンの淡々とした性格は、大きな喪失、辛さ、悲しみを
胸のうちに押し込めて生きてきたことで
培われたものではないかと。
ところどころのセリフの中から、
彼女が形作られていった要素がチラホラと感じ取れます。
両親の不和のもとで育った子供の中には、
人一倍、周囲に気を遣う子がいたりします。
誰もが嫌な思いをしないように、と。
自分さえ我慢していれば、ものごとは丸く収まるのだ、と。
きっとアンもたくさんの思いを内に押し込むことで
平穏を保ってきたのではないかしら。
それが根底から揺るがされたのが余命宣告。
もはや自分でも忘れてしまった本当の自分。
消えていくのは一体誰なんだろう?
相変わらず周囲を思いやることを優先しながらも、
自分自身であろうとするアンが不器用ながら愛おしく感じられました。
不倫と言ってしまうと、なんだか汚らしいことのように捉える人が多いけれど、
結婚していようとしていまいと、人を好きになることは自然なこと。
アンは別に不倫がしたかったわけじゃなくて、
アンと夫の間にあったような、若者どうしのじゃれあいみたいな恋愛じゃなくて、
大人の恋がしてみたかっただけだと思う。
実際、既婚者の知り合いが「恋がしたい!」と叫んでいたことがありました。
夫は好きだしそこそこ円満だけど、家族になってしまってもう「恋」ではないんですね。
同志的な愛情と、ときめきはまた別物。
最初は真似事のつもりが嘘から出た誠になってしまった。
結婚や子供や家庭ではなく、ただ純粋に人を好きになる、
止めようとしても心の中から湧き出る思いに気づいていく・・・、
そんな一つのプロセスだったのではないかと思います。
こういう静かに淡々と、それでいて胸にジーンとくる映画って、
その時々の自分の心の状態によって
毎回違う気づきや感じ方があるので、時を置いては、また見たくなります。