エディターレビューには「若者たちの成長する過程が描かれる」とありますが、本作の主人公クラウスは、物語の冒頭から、むしろ「理想的な少年」として描かれているのではないかというのが、個人的な印象です。本作全体を通しても、「成長の物語」という色彩は希薄ではないでしょうか(タチアナを除いて)。
本作の物語の展開や人物の台詞まわしには、なかばお約束のようなところが、多数見受けられます。本作の物語は、いわば高度に理想化された物語です。この作品の中にあっては、物語は映像・音楽を圧迫しない範囲でその存在を主張しているに過ぎません。作品全体を貫いている支配的な価値は、あくまで視覚的、或いは聴覚的な美ではないかと思います。
登場人物の台詞にはコトバとしてのプリミティブな美の問題がついてまわるように、物語にも記号的な美の問題があります。そのような観点から、本作の物語の魅力を考えるならば、それはいわば予定的な(お約束的な)魅力だと言えるのではないでしょうか。
ですから、この巻の個人的な見所は、17話後半の「クラウスが自分の原点へと回帰する」シーン、18話クライマックスの「ソフィアの戴冠式」ということになります。17話では物語のダイナミズムが、18話では映像的な美しさが満喫できます。貴重な21世紀型輸出産業の頼もしい実力を感じました(笑)。