最初に、商品としてのDVD全四巻(『vol 0』含む)について簡単に記すと・・・
映像・音声ともに良好。ブルーレイボックスとの比較はしていないが十分以上の美しさだと思う。『vol 1』から『vol 3』の各巻にはポストカードなどが封入されており、特に『vol 3』封入リーフレットには新房監督を含む座談会・各スタッフインタビュー(キャラクターデザイン作画監督・美術・音楽)・批評が収録されており楽しい。
『vol 0』については本編発売 前 のソフトということで内容がいまひとつではあったが、他の巻は中古価格も手頃になっていることも含めポイントが高い。ブルーレイボックスよりも遥かに作品世界に合っていると思えるジャケットデザインも好ましい。
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(DVDについては以上です。以下の文章は内容についての雑文となりますので不要と思われる方は飛ばしてください)
本作のジャンルは‘ゴシックホラー&ロマン’だという(『vol 0』ジャケットより)。観てみると、ゴシックとロマンはともかくホラー的 怖さ は弱いように思えた(ホラー的 美しさ ?は強いと思う)。そんなこともあってか、表面的なジャンル分けとは違うところに魅力があるように感じられる。その核は、幻惑的な語り口(又は編集)とそれを奔放に表現する映像(構図等)ではないだろうか。その力によって本作は商業アニメとは思えないほど強靭な作家性が刻印されているのは間違いない。非常に個性的なのだ。
どんな商品ジャンルでもそうだが・・・商業アニメもまた‘売ってなんぼ’の世界だろう。関連商品を含めて利益を確実に出せなければ‘次’はないに違いない。作家性よりマーケティングを優先するのは当然かもしれないしマーケット全体を維持・拡大するためにも大事な事だ。ソコから外れた(?)作品は存在することは難しい・・・ハズだ。ところが、本作は存在している。このことを喜びたい。
タイトルの‘コゼット’とは登場する‘美少女’キャラクターの名だ。『レ・ミゼラブル』を連想するが 一応 関係ないらしい(19世紀つながり?)。‘美少女’なら‘萌え’マーケットを押えている・・・ように見えるが、それは見せかけ。本作の‘コゼット’は西洋人形(ビスク・ドール)的なリアルな画調でアニメ的‘美少女’とは縁遠い。封入リーフレットには「‘コゼット’って萌えアニメなんだよね」との監督の言葉があるが、通常(?)の‘アニメ的萌え’はない(断言!?)。同じく封入リーフレットによると当初のタイトルは『ゴスロリちゃん』だったという・・・が、本作の表層的な部分に‘ロリ’は感じない(本作のエロティシズムはもっと根深い部分にある)。もちろん、他のキャラクターも同様にリアル寄りの画調で ‘アニメ的萌え’と距離がある。‘ロリ’もなければ‘萌え’もない・・・やはり、個性的な存在なのだ。
では魅力の核は?・・・となると、上記のように映像だろう。特にベクシンスキー(1929~2005 ポーランド)などを連想させる美術(いや色彩か?)は印象的。常に雨が降っているような・・・濃い青・緑・紫を中心に据えた色調だ(晴れた映像は幻想の中だけ)。暗い湿気が強調され退廃的で蝕まれた美しさを孕んでいる。迷路のように組まれた鋭角的(?)構図と魔術的な編集リズム・錯綜した構成もポイントだろう。時に‘アニメ的’なアクションに走りつつも‘商業アニメ’とは一線を画し強靭な作家性を見せ付ける。どこか物憂げな音楽も効果的だ。結果として、ストーリーとしては寧ろ通俗的なきらいがある(意外性に欠ける)のに、異様なほど幻惑されるような感覚を持っている。澱んで混乱しているにもかかわらずスタイリッシュでもあるのが凄い。そこには観客を置いていってしまうような(いい意味での)傲慢さが滲んでいて 痛快 と感じたほどだ。特に『vol 1』にその傾向は強く一回観ただけでは戸惑ってしまう方もいるだろう。
そんなわけで・・・本作は、澱んでいるのに傲慢なほどスタイリッシュ・・・そのことに、私は‘萌え’てしまうのだった(アっ、やっぱり‘萌え’アニメだったか)。
・・・と書いてきたが、本作は商業的にはかんばしい結果を得られなかったらしい。残念なことだと思うが、上記のような作品であることを考えれば合点もいく(すみません・・・)。正直、本作のようなある種前衛的な作品が存在できた(企画が通った)ことに驚く。非常に個性的であり、澱んでおり、傲慢なほどスタイリッシュであり、かつ・・・間口は狭くとも奥は深い・・・といった性格なのだから。
そんな個性的な本作は、2004年発売と少し時間が経った作品だが、現在でも十分立ち返る価値がある作品なのは間違いない。このスタイリッシュで強靭な作家性に迸る様なドラマ性等々を交配することが、後年の傑作『魔法少女まどか☆マギカ』に繋がったということも含めて。
コゼットの肖像 Vol.1 [DVD]
¥930 ¥930 税込
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購入オプションとあわせ買い
フォーマット | 色 |
コントリビュータ | 田村ゆかり, 能登麻美子, 森田順平, 関島眞頼, 鈴木博文, 梶浦由記, 斎賀みつき, 五十嵐麗, 横手久美子, 新房昭之, 豊口めぐみ, 井上麻里奈 |
言語 | 日本語 |
稼働時間 | 38 分 |
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商品の説明
レビュー
監督: 新房昭之 脚本: 関島眞頼 キャラクターデザイン: 鈴木博文 音楽: 梶浦由記 声の出演: 井上麻里菜
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4534530006691
- 監督 : 新房昭之
- メディア形式 : 色
- 時間 : 38 分
- 発売日 : 2004/5/26
- 出演 : 能登麻美子, 森田順平, 関島眞頼, 豊口めぐみ, 田村ゆかり
- 販売元 : アニプレックス
- ASIN : B0001N1L18
- ディスク枚数 : 1
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー
5 星
アニメ界の辺境に咲いた、一輪の妖しきゴシックホラー
「ホラーしか観ないもん」- 新房昭之監督・新房昭之氏は当初、本作を『エクソシスト』みたいな感じで作れたらいいなぁ、と思っていたそうだ。結果的には『エクソシスト』ではなく「ゴシックホラー」なのだが。本作『コゼットの肖像』は、2004年にOVAとして発売された作品で、日本のアニメの歴史の中でも極めて珍しい、純粋なゴシックホラーである。後に『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』でブレイクする鬼才・新房昭之監督のスタイルが全篇に亘って横溢する、観紛うことなき代表作の一本だが、方や不遇な作品でもあった。非常に高いクオリティで制作されているのにも関わらず、ほとんど知られていないのにはいくつかの理由があり、まずは前述した通り、純粋なゴシックホラーだという事。普通のアニメにあるような、アニメおたく君たちに受けるような要素がほとんどないのである。一応「ゴシックロリータ」を売りにしていて、美少女もののように思われるが、絵はリアルタッチでアニメキャラっぽくない。いわゆる「萌え」要素が薄い絵柄である。そして、本作の中で描かれるホラー的な要素もまた、一般的なアニメのホラー描写とは違い、かなり硬派である。ヨーロッパの怪奇・幻想映画に近いロマン派のテイストで、超人のようなスゴい技を使うハンターが登場し、モンスターとバトルを繰り広げるような事は一切ない。いわゆる中二病的なセリフ回しも、アクションもない。ひたすらストレートに、「ゴシックホラー」の世界が展開するのである。これはアニメおたくには受けないよね(笑)。もうひとつは、ソフト展開である。本作はセルオンリーでレンタルしないという、あまりに無謀なビジネス戦略を取ったのだ。理由は判らないのだが、これでは「レンタルで観て、クチコミで広がる」という可能性も切り捨てられ、そのため本作はごくごく一部の熱心なファンに高く支持されたのみで、実質的には、評価される以前に黙殺に近い扱いを受けた作品だった。全3話=3巻構成という短いストーリーで、ソフトを買う側としてはコストパフォーマンスの低いありがたい作品ではあるのだが、第1話:38分、第2話:36分、第3話:34分と、各話の尺数もてんでばらばらである。これは、個々のエピソードのクオリティを追求するために尺数にも捉われない、という、OVAとしては理想的な制作姿勢ともとれる。通常どんなOVAでも1話23分程度という、テレビの30分枠に合わせた作りをするのは、後にテレビ局に売り込む事ができるようにするためで、本作はそういう事もしていてないという事は、ガチでセルオンリーの勝負をするつもりで作った作品だという事になる。作り手の姿勢としては感銘を受けるのだが、結果テレビでオンエアする事もできず、本作のカルト化に拍車を掛けることになってしまった。こうした不幸が重なって、このアニメのストーリーそのもののように、暗闇の中に封印されたかのような作品になってしまった。現在、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを受けてBDソフトとして再発され、再び陽が当たり始めたのは一ファンとしては嬉しい限りだ。【STORY】骨董店「香蘭堂」でアルバイトをする画学生・倉橋永莉は、古びたカットグラスの中に映る、金髪碧眼の不思議な少女の幻影に心惹かれ、自分だけの密かな逢瀬を愉しんでいた。しかしある夜、そのグラスから鮮血が溢れ、その少女=コゼットの声の命じるままに血を飲んだ永莉は、かつて彼女を殺害した狂気の画家・オルランドの魂を受け継いでしまう。骨董店の倉庫で、コゼットの肖像画を発見する永莉。しかし、コゼットをめぐる「器物」には、呪いが掛けられていた・・・時を越え彷徨う少女の霊に憑かれた青年。二人の禁断の愛が、漆黒の夜を震わせる・・・。ちょうど本作の前に新房監督が携わった『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』で、リミッター解除の超アヴァンギャルド映像が暴走の極みに達した(笑)「新房スタイル」が、その壮絶な演出実験の果てに、色々な意味で完成形に近づいたのが本作『コゼットの肖像』だといえる。筆者が本作を観た当時はもちろん『魔法少女まどか☆マギカ』は制作されていなかったので、今回再見して感じたのは、『まど☆マギ』での演出スタイルの原型を、本作のあらゆるところに見出すことができるという事である。例えば、美術の使い方・・・アニメ業界の外からアーティストを確信犯的に招聘し、普通のアニメでは出せない「異界」めいた雰囲気を作り出す方法だ。『まど☆マギ』では「劇団イヌカレー」が担っていたプロダクションデザインの役割を、本作では漫画家・イラストレーターの「okama」氏が担当し、舞台設定や印象的な「目玉」のポスターを各所に配し、シュールな雰囲気を生み出している。あと、名コンビ梶浦由記氏の音楽が、もうほとんどこの時点で『まど☆マギ』ワールドである。これは新房監督がホラー映画ファンである事と関係があるが、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』から・・・特に音楽の使い方に多大な影響を受けたとおっしゃっているが、本作では梶浦由記サウンドもゴブリン寄りに傾いている。っていうかほとんどゴブリンだ(笑)。『ザ・ソウルテイカー』を観て、新房監督は日本のATG系映画の影響を受けている人かと思ったが、ATG系も観てはいるようだが、ほとんどホラーファンだという事なのだ。好きな映画は『死霊のはらわた』『バタリアン』『ZOMBIO 死霊のしたたり』『遊星からの物体X』などなど。だから、本作はそんな新房監督が純粋に自分がやりたかった事をやってしまった、プライヴェート・アニメと言ってしまってもいいのかもしれない(笑)。予算の問題なのか、いつもは分業で行う絵コンテも含め、演出系の仕事は全部新房監督一人で行い、自分一人で考えなければいけなかったのがきつかったようなことをおっしゃっているが、むしろ活き活きと好き放題の事をやっているように見える(笑)。時空を超えて交感する、悲劇の少女と呪われた血を受け継いでしまった青年の心を、仄昏い灯りの中にぼうっと浮かび上がらせるクラシカルな雰囲気、グラスの表面を霞めてゆく、いくつものコゼットの儚い残像、一転して猛り狂う魔界のイメージ、間欠泉の如く噴出する血、アヴァンギャルド絵画のような様式美。時に妖しく、時に寂しげにヨーロピアン・ロマンの香りを漂わせる梶浦由記の音楽。キャラクターデザインと作画監督を担当するのは、『まど☆マギ』のあのダークでカッチョ良すぎるエンディングアニメを制作した鈴木博文氏である。また上記のことから、新房監督は一見、王道のホラー映画ファンにも思えるが、コゼットが一糸まとわぬ裸形で漆黒のマント一枚のみを羽織る姿は、明らかにジェス・フランコの『吸血処女イレーナ』からの影響で、実はけっこうディープなホラーマニアだと思われる(笑)。だから本作は、ホラーファンには捨て置けないアニメだと言いたい。永らく、アニメ史の「向こう側」に忘れ去られていた本作が、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを期に、「まど☆マギのルーツ」というキャッチコピーでブルーレイとして再発され、細々とではあるが再評価が始まっている。中には「まど☆マギのルーツ」というのは便乗商法で、全然関係ないとの苦言の声もあるが、その意見にささやかながら反論させて頂くと、確かにBDとして再発した背景には『まど☆マギ』ヒットにあやかった心理があるのは否定できないとは思う。しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』は、ある日突然生まれた奇跡の作品ではない。新房昭之というアニメ界における一人の異形の監督が、ともすればアート性に片寄りかねない演出スタイルを、長い年月をかけて実験と試行錯誤を繰り返し、エンターテイメント性やストーリー性といった、より多くの視聴者に受け入れてもらえる要素とのバランスを見つけ出し、そのスタイルを完成させた結果として生まれたものなのだ。特に本作には、『まど☆マギ』で使われている演出タッチの原型を各所に見出す事ができる。アニメおたくの大多数は、自分はお金を払って商品を買っているお客さまだと思っているようだが、作品とは、決して単体の商品ではないと筆者は強く主張したい。「商品」とは、消費者のウケだけを狙って、流行りものの方程式に当てはめて作られただけの愚物である。しかし「作品」と呼べるものは、そこに作り手の情熱や思いが込められたものである。観てくれる人々に、何かを投げかけてくるものがあるのが作品である。そして、そうしたものは一朝一夕で生まれるものではない。たゆまぬ努力と試行錯誤が、そうした作品を生み出す原動力なのだ。『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』-『コゼットの肖像』-『化物語』-『魔法少女まどか☆マギカ』という4作品は、新房昭之という一人のアニメ監督のスタイルがどう変遷し、形になっていったかを知る上で密接な関わりをもった作品で、前3作なくして『まどか☆マギカ』は生まれ得なかったわけで、それをないがしろにして『まどか☆マギカ』を語ることはできない - 少なくとも新房昭之作家論を語る上ではありえない、と断言する。「ルーツ」というと、「エピソード・ゼロ」のようなものしか連想できない輩は極めて短絡思考だと言わせて頂く。作品があるということは、それを作った「作り手」がいるわけで、その作り手の努力を無視したところに成り立つ作品論などあり得ないのだ。だから、『コゼットの肖像』が『まど☆マギ』のルーツだという表現は、決して間違いではない、いやむしろ正しいのである。永らく陽が当たらなかった本作が再評価されるのであれば、「便乗商法」と揶揄されてもいいだろう。暗闇の中に置き捨てられたままでいるよりはずっといい。だがそう叫ぶ前に、作品の向こうにいる作り手の存在に思いを馳せてほしいと思うのだ。作品というのはすべからく血が通ったものなのだ、という事を判ってほしい。尚、筆者は旧DVD版を所有しているため、DVDソフトの方にレビューを書いた次第。最終巻の第3巻は永らく中古で高値がついていたが、現在リーズナブルな価格に値落ちしているのは、BD版が発売され、プレミアとしての価値が下がったからだという事も忘れてはならない。尚、筆者はコンセプトがあいまいで、どんな作品なのかよく判らないBD版のパッケージデザインよりも、本作のイメージを的確に伝えているDVD版パッケージデザインの方を高く評価したい、という事も書き添えておく。まあ、この硬派な姿勢のせいで売れなかったんだけどね(笑)。
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2016年11月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ホラーしか観ないもん」- 新房昭之
監督・新房昭之氏は当初、本作を『エクソシスト』みたいな感じで作れたらいいなぁ、と思っていたそうだ。結果的には『エクソシスト』ではなく「ゴシックホラー」なのだが。
本作『コゼットの肖像』は、2004年にOVAとして発売された作品で、日本のアニメの歴史の中でも極めて珍しい、純粋なゴシックホラーである。後に『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』でブレイクする鬼才・新房昭之監督のスタイルが全篇に亘って横溢する、観紛うことなき代表作の一本だが、方や不遇な作品でもあった。
非常に高いクオリティで制作されているのにも関わらず、ほとんど知られていないのにはいくつかの理由があり、まずは前述した通り、純粋なゴシックホラーだという事。普通のアニメにあるような、アニメおたく君たちに受けるような要素がほとんどないのである。一応「ゴシックロリータ」を売りにしていて、美少女もののように思われるが、絵はリアルタッチでアニメキャラっぽくない。いわゆる「萌え」要素が薄い絵柄である。そして、本作の中で描かれるホラー的な要素もまた、一般的なアニメのホラー描写とは違い、かなり硬派である。ヨーロッパの怪奇・幻想映画に近いロマン派のテイストで、超人のようなスゴい技を使うハンターが登場し、モンスターとバトルを繰り広げるような事は一切ない。いわゆる中二病的なセリフ回しも、アクションもない。ひたすらストレートに、「ゴシックホラー」の世界が展開するのである。これはアニメおたくには受けないよね(笑)。
もうひとつは、ソフト展開である。本作はセルオンリーでレンタルしないという、あまりに無謀なビジネス戦略を取ったのだ。理由は判らないのだが、これでは「レンタルで観て、クチコミで広がる」という可能性も切り捨てられ、そのため本作はごくごく一部の熱心なファンに高く支持されたのみで、実質的には、評価される以前に黙殺に近い扱いを受けた作品だった。
全3話=3巻構成という短いストーリーで、ソフトを買う側としてはコストパフォーマンスの低いありがたい作品ではあるのだが、第1話:38分、第2話:36分、第3話:34分と、各話の尺数もてんでばらばらである。これは、個々のエピソードのクオリティを追求するために尺数にも捉われない、という、OVAとしては理想的な制作姿勢ともとれる。通常どんなOVAでも1話23分程度という、テレビの30分枠に合わせた作りをするのは、後にテレビ局に売り込む事ができるようにするためで、本作はそういう事もしていてないという事は、ガチでセルオンリーの勝負をするつもりで作った作品だという事になる。作り手の姿勢としては感銘を受けるのだが、結果テレビでオンエアする事もできず、本作のカルト化に拍車を掛けることになってしまった。
こうした不幸が重なって、このアニメのストーリーそのもののように、暗闇の中に封印されたかのような作品になってしまった。現在、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを受けてBDソフトとして再発され、再び陽が当たり始めたのは一ファンとしては嬉しい限りだ。
【STORY】
骨董店「香蘭堂」でアルバイトをする画学生・倉橋永莉は、古びたカットグラスの中に映る、金髪碧眼の不思議な少女の幻影に心惹かれ、自分だけの密かな逢瀬を愉しんでいた。しかしある夜、そのグラスから鮮血が溢れ、その少女=コゼットの声の命じるままに血を飲んだ永莉は、かつて彼女を殺害した狂気の画家・オルランドの魂を受け継いでしまう。
骨董店の倉庫で、コゼットの肖像画を発見する永莉。しかし、コゼットをめぐる「器物」には、呪いが掛けられていた・・・時を越え彷徨う少女の霊に憑かれた青年。二人の禁断の愛が、漆黒の夜を震わせる・・・。
ちょうど本作の前に新房監督が携わった『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』で、リミッター解除の超アヴァンギャルド映像が暴走の極みに達した(笑)「新房スタイル」が、その壮絶な演出実験の果てに、色々な意味で完成形に近づいたのが本作『コゼットの肖像』だといえる。筆者が本作を観た当時はもちろん『魔法少女まどか☆マギカ』は制作されていなかったので、今回再見して感じたのは、『まど☆マギ』での演出スタイルの原型を、本作のあらゆるところに見出すことができるという事である。例えば、美術の使い方・・・アニメ業界の外からアーティストを確信犯的に招聘し、普通のアニメでは出せない「異界」めいた雰囲気を作り出す方法だ。『まど☆マギ』では「劇団イヌカレー」が担っていたプロダクションデザインの役割を、本作では漫画家・イラストレーターの「okama」氏が担当し、舞台設定や印象的な「目玉」のポスターを各所に配し、シュールな雰囲気を生み出している。
あと、名コンビ梶浦由記氏の音楽が、もうほとんどこの時点で『まど☆マギ』ワールドである。これは新房監督がホラー映画ファンである事と関係があるが、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』から・・・特に音楽の使い方に多大な影響を受けたとおっしゃっているが、本作では梶浦由記サウンドもゴブリン寄りに傾いている。っていうかほとんどゴブリンだ(笑)。
『ザ・ソウルテイカー』を観て、新房監督は日本のATG系映画の影響を受けている人かと思ったが、ATG系も観てはいるようだが、ほとんどホラーファンだという事なのだ。好きな映画は『死霊のはらわた』『バタリアン』『ZOMBIO 死霊のしたたり』『遊星からの物体X』などなど。
だから、本作はそんな新房監督が純粋に自分がやりたかった事をやってしまった、プライヴェート・アニメと言ってしまってもいいのかもしれない(笑)。予算の問題なのか、いつもは分業で行う絵コンテも含め、演出系の仕事は全部新房監督一人で行い、自分一人で考えなければいけなかったのがきつかったようなことをおっしゃっているが、むしろ活き活きと好き放題の事をやっているように見える(笑)。
時空を超えて交感する、悲劇の少女と呪われた血を受け継いでしまった青年の心を、仄昏い灯りの中にぼうっと浮かび上がらせるクラシカルな雰囲気、グラスの表面を霞めてゆく、いくつものコゼットの儚い残像、一転して猛り狂う魔界のイメージ、間欠泉の如く噴出する血、アヴァンギャルド絵画のような様式美。時に妖しく、時に寂しげにヨーロピアン・ロマンの香りを漂わせる梶浦由記の音楽。キャラクターデザインと作画監督を担当するのは、『まど☆マギ』のあのダークでカッチョ良すぎるエンディングアニメを制作した鈴木博文氏である。
また上記のことから、新房監督は一見、王道のホラー映画ファンにも思えるが、コゼットが一糸まとわぬ裸形で漆黒のマント一枚のみを羽織る姿は、明らかにジェス・フランコの『吸血処女イレーナ』からの影響で、実はけっこうディープなホラーマニアだと思われる(笑)。だから本作は、ホラーファンには捨て置けないアニメだと言いたい。
永らく、アニメ史の「向こう側」に忘れ去られていた本作が、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを期に、「まど☆マギのルーツ」というキャッチコピーでブルーレイとして再発され、細々とではあるが再評価が始まっている。中には「まど☆マギのルーツ」というのは便乗商法で、全然関係ないとの苦言の声もあるが、その意見にささやかながら反論させて頂くと、確かにBDとして再発した背景には『まど☆マギ』ヒットにあやかった心理があるのは否定できないとは思う。しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』は、ある日突然生まれた奇跡の作品ではない。新房昭之というアニメ界における一人の異形の監督が、ともすればアート性に片寄りかねない演出スタイルを、長い年月をかけて実験と試行錯誤を繰り返し、エンターテイメント性やストーリー性といった、より多くの視聴者に受け入れてもらえる要素とのバランスを見つけ出し、そのスタイルを完成させた結果として生まれたものなのだ。特に本作には、『まど☆マギ』で使われている演出タッチの原型を各所に見出す事ができる。
アニメおたくの大多数は、自分はお金を払って商品を買っているお客さまだと思っているようだが、作品とは、決して単体の商品ではないと筆者は強く主張したい。「商品」とは、消費者のウケだけを狙って、流行りものの方程式に当てはめて作られただけの愚物である。しかし「作品」と呼べるものは、そこに作り手の情熱や思いが込められたものである。観てくれる人々に、何かを投げかけてくるものがあるのが作品である。そして、そうしたものは一朝一夕で生まれるものではない。たゆまぬ努力と試行錯誤が、そうした作品を生み出す原動力なのだ。『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』-『コゼットの肖像』-『化物語』-『魔法少女まどか☆マギカ』という4作品は、新房昭之という一人のアニメ監督のスタイルがどう変遷し、形になっていったかを知る上で密接な関わりをもった作品で、前3作なくして『まどか☆マギカ』は生まれ得なかったわけで、それをないがしろにして『まどか☆マギカ』を語ることはできない - 少なくとも新房昭之作家論を語る上ではありえない、と断言する。
「ルーツ」というと、「エピソード・ゼロ」のようなものしか連想できない輩は極めて短絡思考だと言わせて頂く。作品があるということは、それを作った「作り手」がいるわけで、その作り手の努力を無視したところに成り立つ作品論などあり得ないのだ。だから、『コゼットの肖像』が『まど☆マギ』のルーツだという表現は、決して間違いではない、いやむしろ正しいのである。
永らく陽が当たらなかった本作が再評価されるのであれば、「便乗商法」と揶揄されてもいいだろう。暗闇の中に置き捨てられたままでいるよりはずっといい。だがそう叫ぶ前に、作品の向こうにいる作り手の存在に思いを馳せてほしいと思うのだ。作品というのはすべからく血が通ったものなのだ、という事を判ってほしい。
尚、筆者は旧DVD版を所有しているため、DVDソフトの方にレビューを書いた次第。最終巻の第3巻は永らく中古で高値がついていたが、現在リーズナブルな価格に値落ちしているのは、BD版が発売され、プレミアとしての価値が下がったからだという事も忘れてはならない。
尚、筆者はコンセプトがあいまいで、どんな作品なのかよく判らないBD版のパッケージデザインよりも、本作のイメージを的確に伝えているDVD版パッケージデザインの方を高く評価したい、という事も書き添えておく。まあ、この硬派な姿勢のせいで売れなかったんだけどね(笑)。
監督・新房昭之氏は当初、本作を『エクソシスト』みたいな感じで作れたらいいなぁ、と思っていたそうだ。結果的には『エクソシスト』ではなく「ゴシックホラー」なのだが。
本作『コゼットの肖像』は、2004年にOVAとして発売された作品で、日本のアニメの歴史の中でも極めて珍しい、純粋なゴシックホラーである。後に『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』でブレイクする鬼才・新房昭之監督のスタイルが全篇に亘って横溢する、観紛うことなき代表作の一本だが、方や不遇な作品でもあった。
非常に高いクオリティで制作されているのにも関わらず、ほとんど知られていないのにはいくつかの理由があり、まずは前述した通り、純粋なゴシックホラーだという事。普通のアニメにあるような、アニメおたく君たちに受けるような要素がほとんどないのである。一応「ゴシックロリータ」を売りにしていて、美少女もののように思われるが、絵はリアルタッチでアニメキャラっぽくない。いわゆる「萌え」要素が薄い絵柄である。そして、本作の中で描かれるホラー的な要素もまた、一般的なアニメのホラー描写とは違い、かなり硬派である。ヨーロッパの怪奇・幻想映画に近いロマン派のテイストで、超人のようなスゴい技を使うハンターが登場し、モンスターとバトルを繰り広げるような事は一切ない。いわゆる中二病的なセリフ回しも、アクションもない。ひたすらストレートに、「ゴシックホラー」の世界が展開するのである。これはアニメおたくには受けないよね(笑)。
もうひとつは、ソフト展開である。本作はセルオンリーでレンタルしないという、あまりに無謀なビジネス戦略を取ったのだ。理由は判らないのだが、これでは「レンタルで観て、クチコミで広がる」という可能性も切り捨てられ、そのため本作はごくごく一部の熱心なファンに高く支持されたのみで、実質的には、評価される以前に黙殺に近い扱いを受けた作品だった。
全3話=3巻構成という短いストーリーで、ソフトを買う側としてはコストパフォーマンスの低いありがたい作品ではあるのだが、第1話:38分、第2話:36分、第3話:34分と、各話の尺数もてんでばらばらである。これは、個々のエピソードのクオリティを追求するために尺数にも捉われない、という、OVAとしては理想的な制作姿勢ともとれる。通常どんなOVAでも1話23分程度という、テレビの30分枠に合わせた作りをするのは、後にテレビ局に売り込む事ができるようにするためで、本作はそういう事もしていてないという事は、ガチでセルオンリーの勝負をするつもりで作った作品だという事になる。作り手の姿勢としては感銘を受けるのだが、結果テレビでオンエアする事もできず、本作のカルト化に拍車を掛けることになってしまった。
こうした不幸が重なって、このアニメのストーリーそのもののように、暗闇の中に封印されたかのような作品になってしまった。現在、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを受けてBDソフトとして再発され、再び陽が当たり始めたのは一ファンとしては嬉しい限りだ。
【STORY】
骨董店「香蘭堂」でアルバイトをする画学生・倉橋永莉は、古びたカットグラスの中に映る、金髪碧眼の不思議な少女の幻影に心惹かれ、自分だけの密かな逢瀬を愉しんでいた。しかしある夜、そのグラスから鮮血が溢れ、その少女=コゼットの声の命じるままに血を飲んだ永莉は、かつて彼女を殺害した狂気の画家・オルランドの魂を受け継いでしまう。
骨董店の倉庫で、コゼットの肖像画を発見する永莉。しかし、コゼットをめぐる「器物」には、呪いが掛けられていた・・・時を越え彷徨う少女の霊に憑かれた青年。二人の禁断の愛が、漆黒の夜を震わせる・・・。
ちょうど本作の前に新房監督が携わった『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』で、リミッター解除の超アヴァンギャルド映像が暴走の極みに達した(笑)「新房スタイル」が、その壮絶な演出実験の果てに、色々な意味で完成形に近づいたのが本作『コゼットの肖像』だといえる。筆者が本作を観た当時はもちろん『魔法少女まどか☆マギカ』は制作されていなかったので、今回再見して感じたのは、『まど☆マギ』での演出スタイルの原型を、本作のあらゆるところに見出すことができるという事である。例えば、美術の使い方・・・アニメ業界の外からアーティストを確信犯的に招聘し、普通のアニメでは出せない「異界」めいた雰囲気を作り出す方法だ。『まど☆マギ』では「劇団イヌカレー」が担っていたプロダクションデザインの役割を、本作では漫画家・イラストレーターの「okama」氏が担当し、舞台設定や印象的な「目玉」のポスターを各所に配し、シュールな雰囲気を生み出している。
あと、名コンビ梶浦由記氏の音楽が、もうほとんどこの時点で『まど☆マギ』ワールドである。これは新房監督がホラー映画ファンである事と関係があるが、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』から・・・特に音楽の使い方に多大な影響を受けたとおっしゃっているが、本作では梶浦由記サウンドもゴブリン寄りに傾いている。っていうかほとんどゴブリンだ(笑)。
『ザ・ソウルテイカー』を観て、新房監督は日本のATG系映画の影響を受けている人かと思ったが、ATG系も観てはいるようだが、ほとんどホラーファンだという事なのだ。好きな映画は『死霊のはらわた』『バタリアン』『ZOMBIO 死霊のしたたり』『遊星からの物体X』などなど。
だから、本作はそんな新房監督が純粋に自分がやりたかった事をやってしまった、プライヴェート・アニメと言ってしまってもいいのかもしれない(笑)。予算の問題なのか、いつもは分業で行う絵コンテも含め、演出系の仕事は全部新房監督一人で行い、自分一人で考えなければいけなかったのがきつかったようなことをおっしゃっているが、むしろ活き活きと好き放題の事をやっているように見える(笑)。
時空を超えて交感する、悲劇の少女と呪われた血を受け継いでしまった青年の心を、仄昏い灯りの中にぼうっと浮かび上がらせるクラシカルな雰囲気、グラスの表面を霞めてゆく、いくつものコゼットの儚い残像、一転して猛り狂う魔界のイメージ、間欠泉の如く噴出する血、アヴァンギャルド絵画のような様式美。時に妖しく、時に寂しげにヨーロピアン・ロマンの香りを漂わせる梶浦由記の音楽。キャラクターデザインと作画監督を担当するのは、『まど☆マギ』のあのダークでカッチョ良すぎるエンディングアニメを制作した鈴木博文氏である。
また上記のことから、新房監督は一見、王道のホラー映画ファンにも思えるが、コゼットが一糸まとわぬ裸形で漆黒のマント一枚のみを羽織る姿は、明らかにジェス・フランコの『吸血処女イレーナ』からの影響で、実はけっこうディープなホラーマニアだと思われる(笑)。だから本作は、ホラーファンには捨て置けないアニメだと言いたい。
永らく、アニメ史の「向こう側」に忘れ去られていた本作が、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを期に、「まど☆マギのルーツ」というキャッチコピーでブルーレイとして再発され、細々とではあるが再評価が始まっている。中には「まど☆マギのルーツ」というのは便乗商法で、全然関係ないとの苦言の声もあるが、その意見にささやかながら反論させて頂くと、確かにBDとして再発した背景には『まど☆マギ』ヒットにあやかった心理があるのは否定できないとは思う。しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』は、ある日突然生まれた奇跡の作品ではない。新房昭之というアニメ界における一人の異形の監督が、ともすればアート性に片寄りかねない演出スタイルを、長い年月をかけて実験と試行錯誤を繰り返し、エンターテイメント性やストーリー性といった、より多くの視聴者に受け入れてもらえる要素とのバランスを見つけ出し、そのスタイルを完成させた結果として生まれたものなのだ。特に本作には、『まど☆マギ』で使われている演出タッチの原型を各所に見出す事ができる。
アニメおたくの大多数は、自分はお金を払って商品を買っているお客さまだと思っているようだが、作品とは、決して単体の商品ではないと筆者は強く主張したい。「商品」とは、消費者のウケだけを狙って、流行りものの方程式に当てはめて作られただけの愚物である。しかし「作品」と呼べるものは、そこに作り手の情熱や思いが込められたものである。観てくれる人々に、何かを投げかけてくるものがあるのが作品である。そして、そうしたものは一朝一夕で生まれるものではない。たゆまぬ努力と試行錯誤が、そうした作品を生み出す原動力なのだ。『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』-『コゼットの肖像』-『化物語』-『魔法少女まどか☆マギカ』という4作品は、新房昭之という一人のアニメ監督のスタイルがどう変遷し、形になっていったかを知る上で密接な関わりをもった作品で、前3作なくして『まどか☆マギカ』は生まれ得なかったわけで、それをないがしろにして『まどか☆マギカ』を語ることはできない - 少なくとも新房昭之作家論を語る上ではありえない、と断言する。
「ルーツ」というと、「エピソード・ゼロ」のようなものしか連想できない輩は極めて短絡思考だと言わせて頂く。作品があるということは、それを作った「作り手」がいるわけで、その作り手の努力を無視したところに成り立つ作品論などあり得ないのだ。だから、『コゼットの肖像』が『まど☆マギ』のルーツだという表現は、決して間違いではない、いやむしろ正しいのである。
永らく陽が当たらなかった本作が再評価されるのであれば、「便乗商法」と揶揄されてもいいだろう。暗闇の中に置き捨てられたままでいるよりはずっといい。だがそう叫ぶ前に、作品の向こうにいる作り手の存在に思いを馳せてほしいと思うのだ。作品というのはすべからく血が通ったものなのだ、という事を判ってほしい。
尚、筆者は旧DVD版を所有しているため、DVDソフトの方にレビューを書いた次第。最終巻の第3巻は永らく中古で高値がついていたが、現在リーズナブルな価格に値落ちしているのは、BD版が発売され、プレミアとしての価値が下がったからだという事も忘れてはならない。
尚、筆者はコンセプトがあいまいで、どんな作品なのかよく判らないBD版のパッケージデザインよりも、本作のイメージを的確に伝えているDVD版パッケージデザインの方を高く評価したい、という事も書き添えておく。まあ、この硬派な姿勢のせいで売れなかったんだけどね(笑)。
「ホラーしか観ないもん」- 新房昭之
監督・新房昭之氏は当初、本作を『エクソシスト』みたいな感じで作れたらいいなぁ、と思っていたそうだ。結果的には『エクソシスト』ではなく「ゴシックホラー」なのだが。
本作『コゼットの肖像』は、2004年にOVAとして発売された作品で、日本のアニメの歴史の中でも極めて珍しい、純粋なゴシックホラーである。後に『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』でブレイクする鬼才・新房昭之監督のスタイルが全篇に亘って横溢する、観紛うことなき代表作の一本だが、方や不遇な作品でもあった。
非常に高いクオリティで制作されているのにも関わらず、ほとんど知られていないのにはいくつかの理由があり、まずは前述した通り、純粋なゴシックホラーだという事。普通のアニメにあるような、アニメおたく君たちに受けるような要素がほとんどないのである。一応「ゴシックロリータ」を売りにしていて、美少女もののように思われるが、絵はリアルタッチでアニメキャラっぽくない。いわゆる「萌え」要素が薄い絵柄である。そして、本作の中で描かれるホラー的な要素もまた、一般的なアニメのホラー描写とは違い、かなり硬派である。ヨーロッパの怪奇・幻想映画に近いロマン派のテイストで、超人のようなスゴい技を使うハンターが登場し、モンスターとバトルを繰り広げるような事は一切ない。いわゆる中二病的なセリフ回しも、アクションもない。ひたすらストレートに、「ゴシックホラー」の世界が展開するのである。これはアニメおたくには受けないよね(笑)。
もうひとつは、ソフト展開である。本作はセルオンリーでレンタルしないという、あまりに無謀なビジネス戦略を取ったのだ。理由は判らないのだが、これでは「レンタルで観て、クチコミで広がる」という可能性も切り捨てられ、そのため本作はごくごく一部の熱心なファンに高く支持されたのみで、実質的には、評価される以前に黙殺に近い扱いを受けた作品だった。
全3話=3巻構成という短いストーリーで、ソフトを買う側としてはコストパフォーマンスの低いありがたい作品ではあるのだが、第1話:38分、第2話:36分、第3話:34分と、各話の尺数もてんでばらばらである。これは、個々のエピソードのクオリティを追求するために尺数にも捉われない、という、OVAとしては理想的な制作姿勢ともとれる。通常どんなOVAでも1話23分程度という、テレビの30分枠に合わせた作りをするのは、後にテレビ局に売り込む事ができるようにするためで、本作はそういう事もしていてないという事は、ガチでセルオンリーの勝負をするつもりで作った作品だという事になる。作り手の姿勢としては感銘を受けるのだが、結果テレビでオンエアする事もできず、本作のカルト化に拍車を掛けることになってしまった。
こうした不幸が重なって、このアニメのストーリーそのもののように、暗闇の中に封印されたかのような作品になってしまった。現在、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを受けてBDソフトとして再発され、再び陽が当たり始めたのは一ファンとしては嬉しい限りだ。
【STORY】
骨董店「香蘭堂」でアルバイトをする画学生・倉橋永莉は、古びたカットグラスの中に映る、金髪碧眼の不思議な少女の幻影に心惹かれ、自分だけの密かな逢瀬を愉しんでいた。しかしある夜、そのグラスから鮮血が溢れ、その少女=コゼットの声の命じるままに血を飲んだ永莉は、かつて彼女を殺害した狂気の画家・オルランドの魂を受け継いでしまう。
骨董店の倉庫で、コゼットの肖像画を発見する永莉。しかし、コゼットをめぐる「器物」には、呪いが掛けられていた・・・時を越え彷徨う少女の霊に憑かれた青年。二人の禁断の愛が、漆黒の夜を震わせる・・・。
ちょうど本作の前に新房監督が携わった『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』で、リミッター解除の超アヴァンギャルド映像が暴走の極みに達した(笑)「新房スタイル」が、その壮絶な演出実験の果てに、色々な意味で完成形に近づいたのが本作『コゼットの肖像』だといえる。筆者が本作を観た当時はもちろん『魔法少女まどか☆マギカ』は制作されていなかったので、今回再見して感じたのは、『まど☆マギ』での演出スタイルの原型を、本作のあらゆるところに見出すことができるという事である。例えば、美術の使い方・・・アニメ業界の外からアーティストを確信犯的に招聘し、普通のアニメでは出せない「異界」めいた雰囲気を作り出す方法だ。『まど☆マギ』では「劇団イヌカレー」が担っていたプロダクションデザインの役割を、本作では漫画家・イラストレーターの「okama」氏が担当し、舞台設定や印象的な「目玉」のポスターを各所に配し、シュールな雰囲気を生み出している。
あと、名コンビ梶浦由記氏の音楽が、もうほとんどこの時点で『まど☆マギ』ワールドである。これは新房監督がホラー映画ファンである事と関係があるが、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』から・・・特に音楽の使い方に多大な影響を受けたとおっしゃっているが、本作では梶浦由記サウンドもゴブリン寄りに傾いている。っていうかほとんどゴブリンだ(笑)。
『ザ・ソウルテイカー』を観て、新房監督は日本のATG系映画の影響を受けている人かと思ったが、ATG系も観てはいるようだが、ほとんどホラーファンだという事なのだ。好きな映画は『死霊のはらわた』『バタリアン』『ZOMBIO 死霊のしたたり』『遊星からの物体X』などなど。
だから、本作はそんな新房監督が純粋に自分がやりたかった事をやってしまった、プライヴェート・アニメと言ってしまってもいいのかもしれない(笑)。予算の問題なのか、いつもは分業で行う絵コンテも含め、演出系の仕事は全部新房監督一人で行い、自分一人で考えなければいけなかったのがきつかったようなことをおっしゃっているが、むしろ活き活きと好き放題の事をやっているように見える(笑)。
時空を超えて交感する、悲劇の少女と呪われた血を受け継いでしまった青年の心を、仄昏い灯りの中にぼうっと浮かび上がらせるクラシカルな雰囲気、グラスの表面を霞めてゆく、いくつものコゼットの儚い残像、一転して猛り狂う魔界のイメージ、間欠泉の如く噴出する血、アヴァンギャルド絵画のような様式美。時に妖しく、時に寂しげにヨーロピアン・ロマンの香りを漂わせる梶浦由記の音楽。キャラクターデザインと作画監督を担当するのは、『まど☆マギ』のあのダークでカッチョ良すぎるエンディングアニメを制作した鈴木博文氏である。
また上記のことから、新房監督は一見、王道のホラー映画ファンにも思えるが、コゼットが一糸まとわぬ裸形で漆黒のマント一枚のみを羽織る姿は、明らかにジェス・フランコの『吸血処女イレーナ』からの影響で、実はけっこうディープなホラーマニアだと思われる(笑)。だから本作は、ホラーファンには捨て置けないアニメだと言いたい。
永らく、アニメ史の「向こう側」に忘れ去られていた本作が、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを期に、「まど☆マギのルーツ」というキャッチコピーでブルーレイとして再発され、細々とではあるが再評価が始まっている。中には「まど☆マギのルーツ」というのは便乗商法で、全然関係ないとの苦言の声もあるが、その意見にささやかながら反論させて頂くと、確かにBDとして再発した背景には『まど☆マギ』ヒットにあやかった心理があるのは否定できないとは思う。しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』は、ある日突然生まれた奇跡の作品ではない。新房昭之というアニメ界における一人の異形の監督が、ともすればアート性に片寄りかねない演出スタイルを、長い年月をかけて実験と試行錯誤を繰り返し、エンターテイメント性やストーリー性といった、より多くの視聴者に受け入れてもらえる要素とのバランスを見つけ出し、そのスタイルを完成させた結果として生まれたものなのだ。特に本作には、『まど☆マギ』で使われている演出タッチの原型を各所に見出す事ができる。
アニメおたくの大多数は、自分はお金を払って商品を買っているお客さまだと思っているようだが、作品とは、決して単体の商品ではないと筆者は強く主張したい。「商品」とは、消費者のウケだけを狙って、流行りものの方程式に当てはめて作られただけの愚物である。しかし「作品」と呼べるものは、そこに作り手の情熱や思いが込められたものである。観てくれる人々に、何かを投げかけてくるものがあるのが作品である。そして、そうしたものは一朝一夕で生まれるものではない。たゆまぬ努力と試行錯誤が、そうした作品を生み出す原動力なのだ。『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』-『コゼットの肖像』-『化物語』-『魔法少女まどか☆マギカ』という4作品は、新房昭之という一人のアニメ監督のスタイルがどう変遷し、形になっていったかを知る上で密接な関わりをもった作品で、前3作なくして『まどか☆マギカ』は生まれ得なかったわけで、それをないがしろにして『まどか☆マギカ』を語ることはできない - 少なくとも新房昭之作家論を語る上ではありえない、と断言する。
「ルーツ」というと、「エピソード・ゼロ」のようなものしか連想できない輩は極めて短絡思考だと言わせて頂く。作品があるということは、それを作った「作り手」がいるわけで、その作り手の努力を無視したところに成り立つ作品論などあり得ないのだ。だから、『コゼットの肖像』が『まど☆マギ』のルーツだという表現は、決して間違いではない、いやむしろ正しいのである。
永らく陽が当たらなかった本作が再評価されるのであれば、「便乗商法」と揶揄されてもいいだろう。暗闇の中に置き捨てられたままでいるよりはずっといい。だがそう叫ぶ前に、作品の向こうにいる作り手の存在に思いを馳せてほしいと思うのだ。作品というのはすべからく血が通ったものなのだ、という事を判ってほしい。
尚、筆者は旧DVD版を所有しているため、DVDソフトの方にレビューを書いた次第。最終巻の第3巻は永らく中古で高値がついていたが、現在リーズナブルな価格に値落ちしているのは、BD版が発売され、プレミアとしての価値が下がったからだという事も忘れてはならない。
尚、筆者はコンセプトがあいまいで、どんな作品なのかよく判らないBD版のパッケージデザインよりも、本作のイメージを的確に伝えているDVD版パッケージデザインの方を高く評価したい、という事も書き添えておく。まあ、この硬派な姿勢のせいで売れなかったんだけどね(笑)。
監督・新房昭之氏は当初、本作を『エクソシスト』みたいな感じで作れたらいいなぁ、と思っていたそうだ。結果的には『エクソシスト』ではなく「ゴシックホラー」なのだが。
本作『コゼットの肖像』は、2004年にOVAとして発売された作品で、日本のアニメの歴史の中でも極めて珍しい、純粋なゴシックホラーである。後に『化物語』や『魔法少女まどか☆マギカ』でブレイクする鬼才・新房昭之監督のスタイルが全篇に亘って横溢する、観紛うことなき代表作の一本だが、方や不遇な作品でもあった。
非常に高いクオリティで制作されているのにも関わらず、ほとんど知られていないのにはいくつかの理由があり、まずは前述した通り、純粋なゴシックホラーだという事。普通のアニメにあるような、アニメおたく君たちに受けるような要素がほとんどないのである。一応「ゴシックロリータ」を売りにしていて、美少女もののように思われるが、絵はリアルタッチでアニメキャラっぽくない。いわゆる「萌え」要素が薄い絵柄である。そして、本作の中で描かれるホラー的な要素もまた、一般的なアニメのホラー描写とは違い、かなり硬派である。ヨーロッパの怪奇・幻想映画に近いロマン派のテイストで、超人のようなスゴい技を使うハンターが登場し、モンスターとバトルを繰り広げるような事は一切ない。いわゆる中二病的なセリフ回しも、アクションもない。ひたすらストレートに、「ゴシックホラー」の世界が展開するのである。これはアニメおたくには受けないよね(笑)。
もうひとつは、ソフト展開である。本作はセルオンリーでレンタルしないという、あまりに無謀なビジネス戦略を取ったのだ。理由は判らないのだが、これでは「レンタルで観て、クチコミで広がる」という可能性も切り捨てられ、そのため本作はごくごく一部の熱心なファンに高く支持されたのみで、実質的には、評価される以前に黙殺に近い扱いを受けた作品だった。
全3話=3巻構成という短いストーリーで、ソフトを買う側としてはコストパフォーマンスの低いありがたい作品ではあるのだが、第1話:38分、第2話:36分、第3話:34分と、各話の尺数もてんでばらばらである。これは、個々のエピソードのクオリティを追求するために尺数にも捉われない、という、OVAとしては理想的な制作姿勢ともとれる。通常どんなOVAでも1話23分程度という、テレビの30分枠に合わせた作りをするのは、後にテレビ局に売り込む事ができるようにするためで、本作はそういう事もしていてないという事は、ガチでセルオンリーの勝負をするつもりで作った作品だという事になる。作り手の姿勢としては感銘を受けるのだが、結果テレビでオンエアする事もできず、本作のカルト化に拍車を掛けることになってしまった。
こうした不幸が重なって、このアニメのストーリーそのもののように、暗闇の中に封印されたかのような作品になってしまった。現在、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを受けてBDソフトとして再発され、再び陽が当たり始めたのは一ファンとしては嬉しい限りだ。
【STORY】
骨董店「香蘭堂」でアルバイトをする画学生・倉橋永莉は、古びたカットグラスの中に映る、金髪碧眼の不思議な少女の幻影に心惹かれ、自分だけの密かな逢瀬を愉しんでいた。しかしある夜、そのグラスから鮮血が溢れ、その少女=コゼットの声の命じるままに血を飲んだ永莉は、かつて彼女を殺害した狂気の画家・オルランドの魂を受け継いでしまう。
骨董店の倉庫で、コゼットの肖像画を発見する永莉。しかし、コゼットをめぐる「器物」には、呪いが掛けられていた・・・時を越え彷徨う少女の霊に憑かれた青年。二人の禁断の愛が、漆黒の夜を震わせる・・・。
ちょうど本作の前に新房監督が携わった『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』で、リミッター解除の超アヴァンギャルド映像が暴走の極みに達した(笑)「新房スタイル」が、その壮絶な演出実験の果てに、色々な意味で完成形に近づいたのが本作『コゼットの肖像』だといえる。筆者が本作を観た当時はもちろん『魔法少女まどか☆マギカ』は制作されていなかったので、今回再見して感じたのは、『まど☆マギ』での演出スタイルの原型を、本作のあらゆるところに見出すことができるという事である。例えば、美術の使い方・・・アニメ業界の外からアーティストを確信犯的に招聘し、普通のアニメでは出せない「異界」めいた雰囲気を作り出す方法だ。『まど☆マギ』では「劇団イヌカレー」が担っていたプロダクションデザインの役割を、本作では漫画家・イラストレーターの「okama」氏が担当し、舞台設定や印象的な「目玉」のポスターを各所に配し、シュールな雰囲気を生み出している。
あと、名コンビ梶浦由記氏の音楽が、もうほとんどこの時点で『まど☆マギ』ワールドである。これは新房監督がホラー映画ファンである事と関係があるが、ダリオ・アルジェントの『サスペリア』から・・・特に音楽の使い方に多大な影響を受けたとおっしゃっているが、本作では梶浦由記サウンドもゴブリン寄りに傾いている。っていうかほとんどゴブリンだ(笑)。
『ザ・ソウルテイカー』を観て、新房監督は日本のATG系映画の影響を受けている人かと思ったが、ATG系も観てはいるようだが、ほとんどホラーファンだという事なのだ。好きな映画は『死霊のはらわた』『バタリアン』『ZOMBIO 死霊のしたたり』『遊星からの物体X』などなど。
だから、本作はそんな新房監督が純粋に自分がやりたかった事をやってしまった、プライヴェート・アニメと言ってしまってもいいのかもしれない(笑)。予算の問題なのか、いつもは分業で行う絵コンテも含め、演出系の仕事は全部新房監督一人で行い、自分一人で考えなければいけなかったのがきつかったようなことをおっしゃっているが、むしろ活き活きと好き放題の事をやっているように見える(笑)。
時空を超えて交感する、悲劇の少女と呪われた血を受け継いでしまった青年の心を、仄昏い灯りの中にぼうっと浮かび上がらせるクラシカルな雰囲気、グラスの表面を霞めてゆく、いくつものコゼットの儚い残像、一転して猛り狂う魔界のイメージ、間欠泉の如く噴出する血、アヴァンギャルド絵画のような様式美。時に妖しく、時に寂しげにヨーロピアン・ロマンの香りを漂わせる梶浦由記の音楽。キャラクターデザインと作画監督を担当するのは、『まど☆マギ』のあのダークでカッチョ良すぎるエンディングアニメを制作した鈴木博文氏である。
また上記のことから、新房監督は一見、王道のホラー映画ファンにも思えるが、コゼットが一糸まとわぬ裸形で漆黒のマント一枚のみを羽織る姿は、明らかにジェス・フランコの『吸血処女イレーナ』からの影響で、実はけっこうディープなホラーマニアだと思われる(笑)。だから本作は、ホラーファンには捨て置けないアニメだと言いたい。
永らく、アニメ史の「向こう側」に忘れ去られていた本作が、『魔法少女まどか☆マギカ』のヒットを期に、「まど☆マギのルーツ」というキャッチコピーでブルーレイとして再発され、細々とではあるが再評価が始まっている。中には「まど☆マギのルーツ」というのは便乗商法で、全然関係ないとの苦言の声もあるが、その意見にささやかながら反論させて頂くと、確かにBDとして再発した背景には『まど☆マギ』ヒットにあやかった心理があるのは否定できないとは思う。しかし、『魔法少女まどか☆マギカ』は、ある日突然生まれた奇跡の作品ではない。新房昭之というアニメ界における一人の異形の監督が、ともすればアート性に片寄りかねない演出スタイルを、長い年月をかけて実験と試行錯誤を繰り返し、エンターテイメント性やストーリー性といった、より多くの視聴者に受け入れてもらえる要素とのバランスを見つけ出し、そのスタイルを完成させた結果として生まれたものなのだ。特に本作には、『まど☆マギ』で使われている演出タッチの原型を各所に見出す事ができる。
アニメおたくの大多数は、自分はお金を払って商品を買っているお客さまだと思っているようだが、作品とは、決して単体の商品ではないと筆者は強く主張したい。「商品」とは、消費者のウケだけを狙って、流行りものの方程式に当てはめて作られただけの愚物である。しかし「作品」と呼べるものは、そこに作り手の情熱や思いが込められたものである。観てくれる人々に、何かを投げかけてくるものがあるのが作品である。そして、そうしたものは一朝一夕で生まれるものではない。たゆまぬ努力と試行錯誤が、そうした作品を生み出す原動力なのだ。『ザ・ソウルテイカー ~魂狩~』-『コゼットの肖像』-『化物語』-『魔法少女まどか☆マギカ』という4作品は、新房昭之という一人のアニメ監督のスタイルがどう変遷し、形になっていったかを知る上で密接な関わりをもった作品で、前3作なくして『まどか☆マギカ』は生まれ得なかったわけで、それをないがしろにして『まどか☆マギカ』を語ることはできない - 少なくとも新房昭之作家論を語る上ではありえない、と断言する。
「ルーツ」というと、「エピソード・ゼロ」のようなものしか連想できない輩は極めて短絡思考だと言わせて頂く。作品があるということは、それを作った「作り手」がいるわけで、その作り手の努力を無視したところに成り立つ作品論などあり得ないのだ。だから、『コゼットの肖像』が『まど☆マギ』のルーツだという表現は、決して間違いではない、いやむしろ正しいのである。
永らく陽が当たらなかった本作が再評価されるのであれば、「便乗商法」と揶揄されてもいいだろう。暗闇の中に置き捨てられたままでいるよりはずっといい。だがそう叫ぶ前に、作品の向こうにいる作り手の存在に思いを馳せてほしいと思うのだ。作品というのはすべからく血が通ったものなのだ、という事を判ってほしい。
尚、筆者は旧DVD版を所有しているため、DVDソフトの方にレビューを書いた次第。最終巻の第3巻は永らく中古で高値がついていたが、現在リーズナブルな価格に値落ちしているのは、BD版が発売され、プレミアとしての価値が下がったからだという事も忘れてはならない。
尚、筆者はコンセプトがあいまいで、どんな作品なのかよく判らないBD版のパッケージデザインよりも、本作のイメージを的確に伝えているDVD版パッケージデザインの方を高く評価したい、という事も書き添えておく。まあ、この硬派な姿勢のせいで売れなかったんだけどね(笑)。
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2004年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
vol.0から観ていますが、とても面白いです。
まだ、あまり物語りの内容が分からない所為で意味不明な部分も多々ありますが、それも続き物の醍醐味でしょう。
ホラーというよりはミステリー系で、苦手な人でも十分楽しめます。
主題歌『宝石』も素敵な曲で、聞き入ってしまいますよ。
まだ、あまり物語りの内容が分からない所為で意味不明な部分も多々ありますが、それも続き物の醍醐味でしょう。
ホラーというよりはミステリー系で、苦手な人でも十分楽しめます。
主題歌『宝石』も素敵な曲で、聞き入ってしまいますよ。
2004年5月25日に日本でレビュー済み
一見してよく出来てます。Vol.0のプロモ映像と比較すると、さらに画質を煮詰めてきているのは良いです。世界観を出す為に、やたらとカットバックを多用しているのは、賛否ありそうですが、意図的にやっているので、仕方の無いところでしょう。さらに、語り口が唐突、しかも説明不足なので、とっつきにくいかもしれません。音楽は無難な出来で、梶浦由記の起用は当たりだったと言えるでしょう。
正直、グラフィックのクオリティは非常に良いのですが、物語の部分と値段で損してます。38分一話でこの値段は、幾らなんでも高いです。人物・美術設定と絵コンテ、フィルム、コメントの3画面をマルチアングルで同調させて観れる特典映像が有りますが、何か中途半端です。これなら、オーディオ・コメンタリーを収録した方が良かったですね。
次回から本格的に物語りは始まりますが、それに期待しましょう。81点
正直、グラフィックのクオリティは非常に良いのですが、物語の部分と値段で損してます。38分一話でこの値段は、幾らなんでも高いです。人物・美術設定と絵コンテ、フィルム、コメントの3画面をマルチアングルで同調させて観れる特典映像が有りますが、何か中途半端です。これなら、オーディオ・コメンタリーを収録した方が良かったですね。
次回から本格的に物語りは始まりますが、それに期待しましょう。81点
2004年5月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
梶浦由記さんの音楽目当てだったのですが、キャラクター、構成、脚本ともに満足の行く作品です!怪奇と幻想というキャッチコピー通り、見る人の感性を揺さぶる作品です。
全三巻なのでいろんな意味で御手頃だと思います。
全三巻なのでいろんな意味で御手頃だと思います。
2005年4月2日に日本でレビュー済み
イイ!
久しぶりに曳き込まれるようなアニメでした。
これは好き、嫌い、がわかれるんじゃないかと思います。
このアニメは、暗くちょっとホラーで、まっすぐな純愛、絵がものすごく綺麗、流れる音楽でより世界観がひきたち、Vol.3まで見おわった時には、しばらくよいんが残ります☆
ぜひ!観てみてください!
久しぶりに曳き込まれるようなアニメでした。
これは好き、嫌い、がわかれるんじゃないかと思います。
このアニメは、暗くちょっとホラーで、まっすぐな純愛、絵がものすごく綺麗、流れる音楽でより世界観がひきたち、Vol.3まで見おわった時には、しばらくよいんが残ります☆
ぜひ!観てみてください!