ベリッシマ
仕様 | 価格 | 新品 | 中古品 |
CD, インポート, リミックス含む, 2019/8/30
"もう一度試してください。" | インポート, リミックス含む | ¥2,200 | ¥1,515 |
CD, 1988/9/21
"もう一度試してください。" | 1枚組 | ¥6,950 | ¥402 |
CD, CD, 2004/4/28
"もう一度試してください。" | 通常盤 |
—
| — | ¥900 |
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曲目リスト
1 | 惑星 |
2 | 誘惑について |
3 | 聖三角形 |
4 | ワールド・スタンダード |
5 | カップルズ |
6 | 日曜の印象 |
7 | 水泳 |
8 | セブンティーン |
9 | これは恋ではない |
10 | 神の御業 |
商品の説明
内容紹介
Subtitled - New & Bold Conceptions of Pizzicato Five. Japanese reissue of 1988 album. CBS. 2004.
メディア掲載レビューほか
ピチカート・ファイヴ流のソウル・ミュージック・コレクションともいえる、88年発表の2ndアルバム。オリジナル・ラヴの田島貴男をヴォーカルに起用し、ハイ・センスな持ち味に磨きをかけた。
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 12.07 x 13.34 x 1.27 cm; 96.39 g
- メーカー : Sony Music Direct
- EAN : 0766487372343, 4562109406191
- 製造元リファレンス : MHCL364
- 時間 : 45 分
- レーベル : Sony Music Direct
- ASIN : B0001N1ORE
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 227,678位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 68,995位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全曲通しでで飛ばさず聴きたい。田島さんの声が優しくて澄んでいてたまらない。セブンティーンがジャズっぽくて切なくてお気に入りです。
2023年9月23日に日本でレビュー済み
言わすもがな名盤中の名盤、最近のシティポップのブームのなかでは真っ先に上がらなければ成らないアーティストなのに取り上げないEDITORが多く呆れておりますがとにかくこのアルバムを知らない方は是非聞いていただきたい10代、20代、の方々にぜひこんなに素晴らしい音楽を
2016年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
野宮真貴ボーカル時代のピチカートには個人的に楽曲の息苦しさ(それは後期ピチカートで小西氏によるピチカート節として形成されてしまった、コード進行とメロディに伴う「悪い意味で喉に骨が引っかかったような息苦しい感覚」)をずっと感じている一方で、田島貴男ボーカル時代のピチカートは極上ポップスとして非常に濃厚で気持ちの良い喉ごしを感じます。特に「これは恋ではない」は、楽曲と詩が日本語ポップスの最高位レベルの高みに達しています。
2011年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
車の中で「惑星」だけをリピートして聴いています。
大変いいです。
アレンジもいいし田島貴男の声もとってもいい。
「よるぅは〜」のところの
「るぅ〜」がいいです。
大変いいです。
アレンジもいいし田島貴男の声もとってもいい。
「よるぅは〜」のところの
「るぅ〜」がいいです。
2014年2月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今頃になってピチカート・ファイブの音楽を聴きました。 貪欲に色々な音楽を聴いてきたのですが邦楽より洋楽中心に探求してたので… 本アルバムは名作ですねジャケットも良いしもっと早く聴けば良かった(後悔してます) これからは邦楽にもウェイトをおいて良い音楽を探求していきます。
2013年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度も聴くごとに好きになっています。
歌詞も奥が深く、心地よい音達が重なることで
心にすっと溶けていくような感覚がします。
夜のドライブに連れて行きたいアルバムです。
歌詞も奥が深く、心地よい音達が重なることで
心にすっと溶けていくような感覚がします。
夜のドライブに連れて行きたいアルバムです。
2017年5月4日に日本でレビュー済み
とても好きなアルバムで、言いたい事はたくさんあるが、もうベリッシマ!に関しては、マジアレ先輩がこれ以上ない程の評し方をしているので、マジアレのレビュー参照!としておきたいのだが、もういなくなってしまったので、いつネット上の掲載も消えるかわからないので、村松氏に敬意を払いつつ、ここにそれを引用してみよう。
〜
『Bellissima!』だ。
『Bellissima!』に殴打されてる。
『Bellissima!』は僕を夜に溶かす。
『Bellissima!』が僕に溢れジャブジャブ濡らす。
『Bellissima!』は僕の背骨を抜きウインクをくれズラかる。僕はへたりこむばかりだ。もっかい聴く。
『Bellissima!』だ。
『Bellissima!』だ。
—
僕の脳裡で“惑星”のベースラインが、上手のテンプテーションズ、下手のフォートップス、まんなかにはミラクルズに、揃いの華麗なステップを踏ませる。
しかし、とうの『Bellissima!』は、若く未成熟で、青臭く、世間知らずで、まちがいも多く(ドラムスのミキシングはなんとかならんかったんか、ファッコフ……!)、永遠に未完成だ。
だから、ひょっとしたならそのゆえに、俺らは『Bellissima!』を死ぬまでくりかえして聴けるのかもしれない。
俺らは年老い、死ぬまで『Bellissima!』と情交をかさね、そのときどきで『Bellissima!』のすがたを望むべきかたちに結ぶべく汗し、苦心できるだろう。糊のきいたシーツの替えが何枚も必要だ。
—
『Bellissima!』は、それが東京だとばかりに、ぺらんぺらんに薄っぺらい漂白されたソウルミュージックを装ってみせてる。
しかし、ヴァイブスのままに自由に情感を踊らせることを(たぶん)禁じられ、その手脚を(たぶん)もがれたのだろう田島貴男のキリキリ締めあげられた声帯は、『Bellissima!』で、唯一無二の、せかいじゅうのどこを捜してもみあたらない、東京でしかありえないソウルを吐きだしてみせた。
『Bellissima!』における、どこまでも不安定な田島貴男の歌唱は、魂を掻き乱さずにおかない。そこには(たぶん)俺らのすべてが、ほんとうはもてあまして始末におえないでいる不安や焦燥、なにより胸を覆う欠落、そして嘘がある。それは俺らを殴打する。
そうしたかたちで東京のソウルがスモーキー・ロビンソンに拮抗するなんて、それまでは夢にも思われなかったことだろう。そう、そこには、さらには、かすかな、しかし力強い希望だってある。それは俺らを殴打する。
馬鹿野郎。
それは、奇跡的な逆説といっていい。とびきりのすばらしいポップスは奇跡を手なづけてのけてるものだ。ピチカート・ファイヴは『Bellissima!』でそれをやってのけた。
僕は『Bellissima!』を愛してる。僕は、俺らは、『Bellissima!』をくたばるまで聴く。くりかえし、くりかえし、くりかえし、聴く。
『Bellissima!』に殴打されてる。
ヘヴィウェイトチャンピオン、『Bellissima!』……!
なんにせよ今夜、僕は『Bellissima!』に蹂躙されてる。
—
朝、目が覚めても『Bellissima!』が余韻し、横溢してる。
『Bellissima!』。『Bellissima!』。『Bellissima!』。
僕は、リリースから30年ちかく(!)たっても、『Bellissima!』に、面白いように籠絡されてる。すばらしいことで、かけがえなく、愉しいことだ。
ピース。
—
そうして、『鬼火』が灯る。
“日曜日の印象”が急襲する。
突然降りだしたように、涙が止まらない(きょうは日曜日じゃない)。
“日曜日の印象”は、むしろ、泣けないことをうたったうただ(それを聴いて泣くかどうかはまたべっこの話だ)。
“日曜日の印象”は、僕を洗う。
馬鹿野郎。
ピース。
—
さらには、“神の御業”が、せかいのふりをする。それはせかいを覆い、水しぶきをたてるようだ。
大仰なチェンバロも、ヴィブラフォンも、おためごかしのストリングスも、みんないっぺんにプールに沈んでブクブク泡をたてるようだ。
過剰な残響音(エコーだ、ウォールオブサウンドだ……!)がそれらをつつんで、それこそがせかいだといいたてる。神はせかいをつつむだろうか。
“神の御業”は、恋愛が神に敗北することをうたうけれど、そうすればするほど、そううたえばうたうほど、恋愛は、残響音を後景に追いやり、神の面前で屹立する。
—
『Bellissima!』の主題は“悲しみ”だ。愛の欠落だ。『Bellissima!』は愛を渇望してやまない。だから『Bellissima!』は止まらない。色褪せない。朽ち果てることはない。
『Bellissima!』め。
『Bellissima!』はベッドにうなだれ、頬杖をつき、目線を落とし、気怠げだけれど、俺らを誘惑せずにはおらない。下着のしたの躰の線はあらわだ。
『Bellissima!』はこれからも、俺らを夜に溶かすだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らの涙をしぼりとるだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らの背中に爪をたてるだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らのために祈るかのようなソウルミュージックでありつづけるだろう。
『Bellissima!』だ。
—
「顔も見たくないほど 愛してしまった」(聖三角形)
「ふたり 何も話すことのないふたり そして きみは泣きだしてしまう」(これは恋ではない)
「夜はぼくらをひどく悲しくする」(惑星)
「ごらんよ 太陽が 月に かくれてゆくよ」(誘惑について)
4 notes
Jan 12th, 2015
〜
『Bellissima!』だ。
『Bellissima!』に殴打されてる。
『Bellissima!』は僕を夜に溶かす。
『Bellissima!』が僕に溢れジャブジャブ濡らす。
『Bellissima!』は僕の背骨を抜きウインクをくれズラかる。僕はへたりこむばかりだ。もっかい聴く。
『Bellissima!』だ。
『Bellissima!』だ。
—
僕の脳裡で“惑星”のベースラインが、上手のテンプテーションズ、下手のフォートップス、まんなかにはミラクルズに、揃いの華麗なステップを踏ませる。
しかし、とうの『Bellissima!』は、若く未成熟で、青臭く、世間知らずで、まちがいも多く(ドラムスのミキシングはなんとかならんかったんか、ファッコフ……!)、永遠に未完成だ。
だから、ひょっとしたならそのゆえに、俺らは『Bellissima!』を死ぬまでくりかえして聴けるのかもしれない。
俺らは年老い、死ぬまで『Bellissima!』と情交をかさね、そのときどきで『Bellissima!』のすがたを望むべきかたちに結ぶべく汗し、苦心できるだろう。糊のきいたシーツの替えが何枚も必要だ。
—
『Bellissima!』は、それが東京だとばかりに、ぺらんぺらんに薄っぺらい漂白されたソウルミュージックを装ってみせてる。
しかし、ヴァイブスのままに自由に情感を踊らせることを(たぶん)禁じられ、その手脚を(たぶん)もがれたのだろう田島貴男のキリキリ締めあげられた声帯は、『Bellissima!』で、唯一無二の、せかいじゅうのどこを捜してもみあたらない、東京でしかありえないソウルを吐きだしてみせた。
『Bellissima!』における、どこまでも不安定な田島貴男の歌唱は、魂を掻き乱さずにおかない。そこには(たぶん)俺らのすべてが、ほんとうはもてあまして始末におえないでいる不安や焦燥、なにより胸を覆う欠落、そして嘘がある。それは俺らを殴打する。
そうしたかたちで東京のソウルがスモーキー・ロビンソンに拮抗するなんて、それまでは夢にも思われなかったことだろう。そう、そこには、さらには、かすかな、しかし力強い希望だってある。それは俺らを殴打する。
馬鹿野郎。
それは、奇跡的な逆説といっていい。とびきりのすばらしいポップスは奇跡を手なづけてのけてるものだ。ピチカート・ファイヴは『Bellissima!』でそれをやってのけた。
僕は『Bellissima!』を愛してる。僕は、俺らは、『Bellissima!』をくたばるまで聴く。くりかえし、くりかえし、くりかえし、聴く。
『Bellissima!』に殴打されてる。
ヘヴィウェイトチャンピオン、『Bellissima!』……!
なんにせよ今夜、僕は『Bellissima!』に蹂躙されてる。
—
朝、目が覚めても『Bellissima!』が余韻し、横溢してる。
『Bellissima!』。『Bellissima!』。『Bellissima!』。
僕は、リリースから30年ちかく(!)たっても、『Bellissima!』に、面白いように籠絡されてる。すばらしいことで、かけがえなく、愉しいことだ。
ピース。
—
そうして、『鬼火』が灯る。
“日曜日の印象”が急襲する。
突然降りだしたように、涙が止まらない(きょうは日曜日じゃない)。
“日曜日の印象”は、むしろ、泣けないことをうたったうただ(それを聴いて泣くかどうかはまたべっこの話だ)。
“日曜日の印象”は、僕を洗う。
馬鹿野郎。
ピース。
—
さらには、“神の御業”が、せかいのふりをする。それはせかいを覆い、水しぶきをたてるようだ。
大仰なチェンバロも、ヴィブラフォンも、おためごかしのストリングスも、みんないっぺんにプールに沈んでブクブク泡をたてるようだ。
過剰な残響音(エコーだ、ウォールオブサウンドだ……!)がそれらをつつんで、それこそがせかいだといいたてる。神はせかいをつつむだろうか。
“神の御業”は、恋愛が神に敗北することをうたうけれど、そうすればするほど、そううたえばうたうほど、恋愛は、残響音を後景に追いやり、神の面前で屹立する。
—
『Bellissima!』の主題は“悲しみ”だ。愛の欠落だ。『Bellissima!』は愛を渇望してやまない。だから『Bellissima!』は止まらない。色褪せない。朽ち果てることはない。
『Bellissima!』め。
『Bellissima!』はベッドにうなだれ、頬杖をつき、目線を落とし、気怠げだけれど、俺らを誘惑せずにはおらない。下着のしたの躰の線はあらわだ。
『Bellissima!』はこれからも、俺らを夜に溶かすだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らの涙をしぼりとるだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らの背中に爪をたてるだろう。
『Bellissima!』はこれからも、俺らのために祈るかのようなソウルミュージックでありつづけるだろう。
『Bellissima!』だ。
—
「顔も見たくないほど 愛してしまった」(聖三角形)
「ふたり 何も話すことのないふたり そして きみは泣きだしてしまう」(これは恋ではない)
「夜はぼくらをひどく悲しくする」(惑星)
「ごらんよ 太陽が 月に かくれてゆくよ」(誘惑について)
4 notes
Jan 12th, 2015
2010年1月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ピチカートの歴史上、野宮vo.が唯一のピチカート・ファイブのリード・ボーカリストであり、「他のボーカリストはピチカートには存在すらしていないと認識されがち」な人気欧米シーンにも佐々木・田島、両ボーカリストの存在と参加アルバムをもっと明確化させる必要があるかといつも想いながら聴いています。
耳にもいい意味でシンプル、喉が渇いたから思わずソーダ水を買って飲んだらすっきりした。そんなこざっぱりとしたソウル色豊かな一枚。
耳にもいい意味でシンプル、喉が渇いたから思わずソーダ水を買って飲んだらすっきりした。そんなこざっぱりとしたソウル色豊かな一枚。
他の国からのトップレビュー
Mitch
5つ星のうち5.0
A Great, Ambient, Guests-Over-For-Dinner Album.
2012年8月23日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Bellissima is from the older/former members era. There are some repeats on this album as with most of the older works. Collectors will want this one for the Easter Eggs on this album. The casual listeners will greatly enjoy this one as well-it's just not in English. Very polished and perfected as can be. If your just getting into P5's older works, Bellissima is an excellent beginning.
Robert C. Rudolph
5つ星のうち5.0
Five Stars
2018年7月12日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
Thank you
B. Fortin
5つ星のうち5.0
Five Stars
2014年11月4日にアメリカ合衆国でレビュー済みAmazonで購入
excellent thank you