理想的な死を描いた映画ですが
実はもっと別のところに主題のある映画です。
それゆえ、死を扱った映画であるにもかかわらず清清しい思いが残ります。
以下はネタばれのおそれがあるので
覚悟の上でお読みください。
邦題が作品の本質をわかりにくくしているものと思いますが
現代は「蛮族の侵入」です。
社会主義者として理想を求めた父にとって
資本主義者は911テロにおいてのイスラム原理主義のように
蛮族なのです。
しかしながら、父の痛みをやわらげるためにヘロインを打つ役となった
ヤク中の娘の言葉・・・
「執着してるのは過去なのね、でも過去は死んだわ」・・・
によって自分の価値観が過去のものでしかない事に
気づいた父は、対立する蛮族としてではない
息子の本当の価値に気がついたのでしょう。
そして・・・
「お前のような息子を作れ」・・・父の残す言葉として
これほど子供を肯定し、愛情を伝える言葉は初めてでした。
ひさしぶりに今夜私も父に電話してみます。
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フォーマット | 色, ドルビー, DTS Stereo, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ドゥニ・アルカン, マリー=ジョゼ・クローズ, レミー・ジラール, ステファン・ルソー |
言語 | フランス語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 39 分 |
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商品の説明
Amazonより
末期ガンの父の最後を「楽しいものにしてほしい…」と願う母親の言葉を受けた長男が、長年の父との諍いを終わりにして、幸せな最後を演出しようとする。設備の整っていない公立病院に父のための特別の病室を作らせ、父の親しい友人たちを集めて、最高の環境を作り、その中で、父は毒舌をはきながらも息子を受け入れていく…。
アカデミー賞最優秀外国映画賞を受賞した感動作。死に向かってゆく男の姿を、これほどユーモラスに楽しく感動的に描いた作品が、これまであっただろうか。主人公は人生諦めきれず、当然、悔やむ思いもある。しかし、それを家族がしっかり受け止め、愛情を降り注いで、彼の死をやさしさで包み込むのだ。誰もが主人公の最期をうらやましいと思わずにいられないだろう。(斎藤 香)
レビュー
監督・脚本: ドゥニ・アルカン 撮影: ギイ・デュフォー 出演: レミ・ジラール/ステファン・ルソー/マリ・ジョゼ・クローズ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : フランス語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4527427652354
- 監督 : ドゥニ・アルカン
- メディア形式 : 色, ドルビー, DTS Stereo, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 39 分
- 発売日 : 2004/10/22
- 出演 : レミー・ジラール, ステファン・ルソー, マリー=ジョゼ・クローズ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 日本語 (Dolby Digital 5.1), フランス語 (Dolby Digital 5.1), フランス語 (DTS 5.1)
- 販売元 : アミューズソフトエンタテインメント
- ASIN : B0001X9D4A
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 119,697位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 11,421位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2009年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とにかく、タイトルも、仕入れてあった情報からも、
「死」を扱った「泣き」の映画かと思っていたら、全く違う!
冒頭から病人だというのに元気な「好色な社会主義者」。
会話も下衆なら、息子も「資本主義」丸出しで父親のために奔走する。
でも次第にそれがこの映画の主題であり、
ドタバタしているのも、あえてそういう「社会派」にちょっとのペーソスを加えてあるのだな、
と分かってきます。
ある意味、羨ましい人生の幕引きかもしれませんが、
ただそれだけに留まらない、いろいろ深い感慨を得られる作品です。
「死」を扱った「泣き」の映画かと思っていたら、全く違う!
冒頭から病人だというのに元気な「好色な社会主義者」。
会話も下衆なら、息子も「資本主義」丸出しで父親のために奔走する。
でも次第にそれがこの映画の主題であり、
ドタバタしているのも、あえてそういう「社会派」にちょっとのペーソスを加えてあるのだな、
と分かってきます。
ある意味、羨ましい人生の幕引きかもしれませんが、
ただそれだけに留まらない、いろいろ深い感慨を得られる作品です。
2004年10月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
たそがれ清兵衛を押さえてアカデミー外国語映画賞を受賞し、カンヌやベルリンなど主要な映画賞を総ナメした傑作。
本編主人公である父(レミー・ジラール)は歴史の教授で、歴史を専攻したドゥニ・アルカン監督の分身でもある。原題は「蛮族の侵入」で(一般的にはローマに侵入したゲルマン民族を指すが)、911テロでアメリカの中枢が攻撃されたことと、主人公が癌(=蛮族)に冒されることを指す。ほんわりした邦題からは連想できない風刺の効いたものだが、これは86年制作の「アメリカ帝国の滅亡(ギボン著ローマ帝国衰亡史のもじり?、性的に奔放な生活でアメリカの堕落を描く)」と同じキャストであることと、監督の歴史認識が影響している(監督はフランス系カナダ人だが、フランス人らしい皮肉っぽい雰囲気を感じる)。
そのキャストによる楽天的な社会主義者たちが語るアカデミックな会話(ソルジェニツィンの収容所列島など彼らが80年代以前の社会主義に傾倒していたことが分かる。しかし(性的な)ユーモアの効いたセリフも多く、重苦しくなりがちなテーマを軽妙な雰囲気にしている)やキリスト教を絡めた(監督はカトリックに批判的?)セリフが頻繁に語られ、日本人(の特に若年層)には理解しにくい部分もある。
しかしこの作品の本質はインテリが喜びそうな小難しい会話ではなく、普遍的な親子の愛を描いていること。父が病に倒れるまで反目していた息子(ステファン・ルソー)は、クールな表情からは感情を読み取りにくいが、父が安らかな死を迎えるため、あらゆる手を尽くす。その甲斐あって最初は不機嫌だった父が、後半にかけて平静に死を受けいるようになる。「父さんのしたいようにするよ」というセリフに対して「おまえのような立派な息子を育ててくれ」というセリフが印象的で心に染みる。
本編主人公である父(レミー・ジラール)は歴史の教授で、歴史を専攻したドゥニ・アルカン監督の分身でもある。原題は「蛮族の侵入」で(一般的にはローマに侵入したゲルマン民族を指すが)、911テロでアメリカの中枢が攻撃されたことと、主人公が癌(=蛮族)に冒されることを指す。ほんわりした邦題からは連想できない風刺の効いたものだが、これは86年制作の「アメリカ帝国の滅亡(ギボン著ローマ帝国衰亡史のもじり?、性的に奔放な生活でアメリカの堕落を描く)」と同じキャストであることと、監督の歴史認識が影響している(監督はフランス系カナダ人だが、フランス人らしい皮肉っぽい雰囲気を感じる)。
そのキャストによる楽天的な社会主義者たちが語るアカデミックな会話(ソルジェニツィンの収容所列島など彼らが80年代以前の社会主義に傾倒していたことが分かる。しかし(性的な)ユーモアの効いたセリフも多く、重苦しくなりがちなテーマを軽妙な雰囲気にしている)やキリスト教を絡めた(監督はカトリックに批判的?)セリフが頻繁に語られ、日本人(の特に若年層)には理解しにくい部分もある。
しかしこの作品の本質はインテリが喜びそうな小難しい会話ではなく、普遍的な親子の愛を描いていること。父が病に倒れるまで反目していた息子(ステファン・ルソー)は、クールな表情からは感情を読み取りにくいが、父が安らかな死を迎えるため、あらゆる手を尽くす。その甲斐あって最初は不機嫌だった父が、後半にかけて平静に死を受けいるようになる。「父さんのしたいようにするよ」というセリフに対して「おまえのような立派な息子を育ててくれ」というセリフが印象的で心に染みる。
2017年6月3日に日本でレビュー済み
ネタバレにご注意ください。
妻と二人の子どもがいながら、自分の思いどおりに、奔放に生きたレミ。
愛人が二人もいながら、妻が離婚を切り出さなかったのが不可解だが、それだけ魅力的な人だったのだろうか。私には、全く思えなかったけれども。
長男が、母の頼みとは言え、末期がんに侵された父のために、病室を改装したり、かつての教え子に見舞いを頼んだり、薬物を入手したり……それも皆、金に物を言わせて。
大金持ちだから、できることばかりで、ちょっと不愉快になった。
「自分は、最期のときをどのように迎えるのだろうか?」と、考えるきっかけにはなったけれども、それだけかな?
妻と二人の子どもがいながら、自分の思いどおりに、奔放に生きたレミ。
愛人が二人もいながら、妻が離婚を切り出さなかったのが不可解だが、それだけ魅力的な人だったのだろうか。私には、全く思えなかったけれども。
長男が、母の頼みとは言え、末期がんに侵された父のために、病室を改装したり、かつての教え子に見舞いを頼んだり、薬物を入手したり……それも皆、金に物を言わせて。
大金持ちだから、できることばかりで、ちょっと不愉快になった。
「自分は、最期のときをどのように迎えるのだろうか?」と、考えるきっかけにはなったけれども、それだけかな?
2009年2月8日に日本でレビュー済み
社会主義思想や政治問題に対する登場人物たちの発言。
痛みをやわらげるためにヘロインを使用する所など、
シニカルな場面が随所に現れ、単純な人生讃歌の映画とは一線を画している。
理想主義の時代を生きた主人公と、資本主義の代弁者であるかのような息子。
監督はどちらにも客観的な視線を向け、それぞれの抱える問題を浮き彫りにしている。
正反対の性格で全く相容れない感じであった親子が、
少しずつお互いの心を重ね合わせていく。その瞬間はとても穏やかで優しい。
単なる泣ける映画で終わらない、奥深い映画だった。
痛みをやわらげるためにヘロインを使用する所など、
シニカルな場面が随所に現れ、単純な人生讃歌の映画とは一線を画している。
理想主義の時代を生きた主人公と、資本主義の代弁者であるかのような息子。
監督はどちらにも客観的な視線を向け、それぞれの抱える問題を浮き彫りにしている。
正反対の性格で全く相容れない感じであった親子が、
少しずつお互いの心を重ね合わせていく。その瞬間はとても穏やかで優しい。
単なる泣ける映画で終わらない、奥深い映画だった。
2010年8月18日に日本でレビュー済み
小難しいことは抜きにして、この映画のお父さんのような死に方、素敵だなあ…としみじみ感じた映画でした。家族や友と最後のときを過ごし、最後の別れをし、自分の死にたいときを選んで死にゆく…海に面した風景の中でタイトル通り「みなさん、さようなら」です。うーんいいなあー。忘れられない映画の一つになりました。
2011年1月9日に日本でレビュー済み
「アメリカ帝国の滅亡」は、4人の大学教授が赤裸々にセックス談義を繰り広げ、そこから垣間見える現代社会に鋭くメスを入れるという内容。
そこではプレイボーイの社会主義者、炯眼の持ち主として描かれる本作主人公のレミが、死の淵でそのときの友人らと再会し、最後を迎えるまでを追っている。
いわば「性と死」を対比した2作品。
前作があるからこそ、あのころはこうだった、ああだったと過去を見つめるレミたちのまなざしは深い。
この映画は、コミカルな要素を交えながら、美しい最後を描いた映画として見ることもできる。
しかし、要所要所にでてくる、レミのお固い社会主義の知識。インテリ教授でありながら、白人による大量虐殺を皮肉る場面。
自身をバカな白人と嘲笑する場面。資本主義を真っ向から否定する台詞。
難しいことをいうわりに、自身が人生で最もよかったと感じるのは女だと明言するところ。
息子の嫁は、愛ではなく、子どものために温かい家庭をつくるという。これはレミの友人である女性達のあけっぴろげな性に対する意識とは対比的。
きっとこの映画を本質的に理解するには、世界の歴史や社会的思想、そのための犠牲を知らなければいけない。
そういった主義や思想、また戦争にうとく育った私には、実際すこし距離が感じられた。
性と死、制と死、生と死。自分の人生にはありとあらゆる記憶や思想がのっかるが、その片方の天秤には、いつも死がある。
恋人と自分、家族と自分、国と自分、世界と自分。その関係は、自らの死によって終焉を迎える。
その無力さになげくレミ。
その中で、ただ友人だけは、自分と世界の関係の間を縫うように、自分の位置を知らせてくれる。
思えば自分達は馬鹿な時代に生まれたもんだ、レミが生トリュフも食べられないなんて、とレミに語りかけられる言葉は、
時代の中で、関係性の中で生きた自分の姿に反射して、自然とレミに客観性を取り戻させる。
息子は、ただ黙って愛してるよと父親を抱きしめる。
私がこの映画をみて、改めて家族と友人との距離の違いの大切さに気付かされた。
私も、あなたがプリンを食べられないなんて!と友人に笑われて死にたい。
関係ないが、死に際にものを食べられなくなったら、、それが死なんだと思う。
レミは人生の最後になって、ヘロインを体験する。
息子のお金で、幸せな最後を送る。
人生の最後になって、昔自分が大恥をかいてしまった美しい女性とのやり取りを思い出し、悔いる。
そんな、新しい体験も、懐かしく身近な記憶も、すべて、死と同時に終わる。
難しい主義・思想でなくてもいい。今自分がもっている価値観、こだわり、頑固さ、不器用さ。
それが受け入れられて自分はここに存在している。世界は否定できない。自分と世界はつながっている。それが生だ。
レミの最後の日々を逆に追いかけると、そういうことになる。
そこではプレイボーイの社会主義者、炯眼の持ち主として描かれる本作主人公のレミが、死の淵でそのときの友人らと再会し、最後を迎えるまでを追っている。
いわば「性と死」を対比した2作品。
前作があるからこそ、あのころはこうだった、ああだったと過去を見つめるレミたちのまなざしは深い。
この映画は、コミカルな要素を交えながら、美しい最後を描いた映画として見ることもできる。
しかし、要所要所にでてくる、レミのお固い社会主義の知識。インテリ教授でありながら、白人による大量虐殺を皮肉る場面。
自身をバカな白人と嘲笑する場面。資本主義を真っ向から否定する台詞。
難しいことをいうわりに、自身が人生で最もよかったと感じるのは女だと明言するところ。
息子の嫁は、愛ではなく、子どものために温かい家庭をつくるという。これはレミの友人である女性達のあけっぴろげな性に対する意識とは対比的。
きっとこの映画を本質的に理解するには、世界の歴史や社会的思想、そのための犠牲を知らなければいけない。
そういった主義や思想、また戦争にうとく育った私には、実際すこし距離が感じられた。
性と死、制と死、生と死。自分の人生にはありとあらゆる記憶や思想がのっかるが、その片方の天秤には、いつも死がある。
恋人と自分、家族と自分、国と自分、世界と自分。その関係は、自らの死によって終焉を迎える。
その無力さになげくレミ。
その中で、ただ友人だけは、自分と世界の関係の間を縫うように、自分の位置を知らせてくれる。
思えば自分達は馬鹿な時代に生まれたもんだ、レミが生トリュフも食べられないなんて、とレミに語りかけられる言葉は、
時代の中で、関係性の中で生きた自分の姿に反射して、自然とレミに客観性を取り戻させる。
息子は、ただ黙って愛してるよと父親を抱きしめる。
私がこの映画をみて、改めて家族と友人との距離の違いの大切さに気付かされた。
私も、あなたがプリンを食べられないなんて!と友人に笑われて死にたい。
関係ないが、死に際にものを食べられなくなったら、、それが死なんだと思う。
レミは人生の最後になって、ヘロインを体験する。
息子のお金で、幸せな最後を送る。
人生の最後になって、昔自分が大恥をかいてしまった美しい女性とのやり取りを思い出し、悔いる。
そんな、新しい体験も、懐かしく身近な記憶も、すべて、死と同時に終わる。
難しい主義・思想でなくてもいい。今自分がもっている価値観、こだわり、頑固さ、不器用さ。
それが受け入れられて自分はここに存在している。世界は否定できない。自分と世界はつながっている。それが生だ。
レミの最後の日々を逆に追いかけると、そういうことになる。
2016年2月18日に日本でレビュー済み
最後のシーンでみんなが食事を食べている時に父親がもうワインを飲めなくなるのが印象的
悲しいけれども、みんなが父親と向き合った結果一番望ましい死に方が出来たと思う
自分で死にたいと思った瞬間に死ねるのは幸せなのかもしれない
結局、この映画を撮った人も出てる人も、映画を見た人も全員間違いなくいつか死ぬわけで
父親の死を悲しんでいる人達も遅かれ早かれ自分たちにその場面が来るし、その時にこの父親と同じように死ねるんだろうか?
さようならと言って死にたい
悲しいけれども、みんなが父親と向き合った結果一番望ましい死に方が出来たと思う
自分で死にたいと思った瞬間に死ねるのは幸せなのかもしれない
結局、この映画を撮った人も出てる人も、映画を見た人も全員間違いなくいつか死ぬわけで
父親の死を悲しんでいる人達も遅かれ早かれ自分たちにその場面が来るし、その時にこの父親と同じように死ねるんだろうか?
さようならと言って死にたい