「フェードラ」の魅力は、なんといっても「幽玄の美」だ。アルバムのジャケットが、この雰囲気をよく表している。
シンセサイザーに、シーケンサーによる正確無比な反復リズムが加わえられながらも、そのサウンドは、禅の水墨画のような、なんとも不思議な幽玄美が展開する。最終楽章「Sequent C」の尺八のようなサウンドが、さらに、この印象に拍車をかける。
リマスター以前の「旧盤」は、クリアさのない、こもった音となっている。しかし、それが、霧の向こうに見え隠れするかのような幽玄美を生み出している。
また、このクリアではない音の感じが、もともとのシンセの音の悪さを感じさせなくし、シンセの音を、まろやかな、優しく、太い音に変質させている。
リマスタリングでは、そうした「幽玄の霧」が取り除かれ、生々しい音が現れ、音がクリアになり、左右の広がりも出た。
でも、そのことで、「フェードラ」の魅力であった「幽玄の美」が失われてしまった。
「フェードラ」のリマスターに期待する人は多いだろう。私もその1人だった。
しかし……、昔(LPレコード時代)からのファンの人は、手に取らない方が無難だ。
「フェードラ」のアウトテイク集を含む3CDエディションを聴いて思うのは、やっぱり、アウトテイクはボツになった駄作。正規盤に収録されたものの方が、はるかに素晴らしいということだ。
なので、「フェードラ」は、余計なオマケのつかないオリジナルアルバムを、リマスターされていない「旧盤」の、本来の音で聴くのがベストだ。
各楽器の音をクリアにし、音の分離を良くして、左右の広がりを増やしたリマスター盤は、大抵、歓迎されるものだ。
しかし、「フェードラ」に関しては、これは当てはまらない。
銀閣は、あの古びた感じが良いのであって、それをわざわざ、金箔をはって、金閣のようにキラキラさせる必要はない。キラキラになって幽玄の美を失った銀閣は、もはや、銀閣ではない。
「フェードラ」は、それに似ている。
「フェードラ」に漂う「幽玄の美」を味わうなら、リマスターされていない「旧盤」の音にひたった方がいい。ハマったら抜けられない、不思議な世界を味わえる。
星は5つつけたが、盤の評価ではなく、オリジナル楽曲の評価。
以上、原音が良くわかると定評のソニーのモニターヘッドホンのMDR-CD900STで「フェードラ」の様々なパージョンを聴いて比較してみました。参考になれば幸いです。