列車に乗った男 [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | パトリス・ルコント, ジャン・ロシュフォール, ジョニー・アリディ |
言語 | フランス語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 30 分 |
商品の説明
商品紹介
パトリス・ルコント監督による感動ドラマ。特典ディスク付きの2枚組。
【映像特典】
●メイキング(making of...)
●インタビュー(パトリス・ルコント、ジョニー・アリディ、脚本家クロード・クロッツ、ジャン・ロシュフォール)
●サウンドトラックについてのメイキング・インタビュー
●オリジナル予告編
●日本版予告編
●初回生産限定! スペシャル・パッケージ仕様
《監督》 パトリス・ルコント
《製作》 フィリップ・カルカッソンヌ
《脚本》 クロード・クロッツ
《出演》 ジャン・ロシュフォール ジョニー・アリディ ジャン = フランソワ・ステヴナン シャルリー・ネルソン
Amazonより
愛の奥深さや人生の本質を、一風変わったストーリーで追求するパトリス・ルコント監督。その個性が最大限に発揮された秀作。銀行強盗を目論んだ中年男が、列車に乗って小さな町の駅に降り立つ。泊まる場所に困った彼は、元教授がひとりで暮らす屋敷に身を寄せる。男の計画を知った元教授は、その決行日が自分の手術と同じ日であると知り、ふたりには奇妙な友情を育まれる。
オープニングの列車のシーンから、強盗を演じるジョニー・アリディの複雑な表情に引き込まれる。そしてジャン・ロシュフォールが、死への恐怖と、退屈な日々を生きる恐怖の両方に怯えつつ、その感情を抑えようとする老教授をしみじみと演じる。ふたりの名演で、パンを買いに行くだけのエピソードにも、さまざまな人生の局面が映し出されるのだ。やがて、ふたりに湧き起こる“相手と入れ替わりたい”思い。その願望が導く結末は、観る者によって解釈が分かれるはずだ。それぞれの人生は未来が予測できないように、映画が語る物語も予測できない。人生と映画が重なる希有な瞬間が、この映画には存在する。(斉藤博昭)
レビュー
製作: フィリップ・カルカッソンヌ 監督: パトリス・ルコント 脚本: クロード・クロッツ 撮影: ジャン=マリー・ドルージュ 音楽: パスカル・エスティーヴ 出演: ジャン・ロシュフォール/ジョニー・アリディ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : フランス語, 日本語
- 梱包サイズ : 19.6 x 13.8 x 1.8 cm; 199.58 g
- EAN : 4988013779709
- 監督 : パトリス・ルコント
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 30 分
- 発売日 : 2004/10/20
- 出演 : ジャン・ロシュフォール, ジョニー・アリディ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Dolby Digital 5.1), 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : ポニーキャニオン
- ASIN : B0002XVT1E
- ディスク枚数 : 2
- Amazon 売れ筋ランキング: - 58,199位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 5,274位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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オープニング・クレジットの中に物語のopを少しずつ見せつつ本編に入ってゆく・・・
この入り口の映像がとても魅力的なパトリス・ルコント監督の『列車に乗った男』。ジョニー・アリディ演じるミランのテーマのように使われる曲もカッコイイ(音楽はパスカル・エスティーヴ)・・・が、ミランは頭が痛い。鎮痛剤を求めて入った町の薬局で、もう1人の主役マネスキエ氏(ジャン・ロシュフォール)と偶然出会い二人の人生が交錯し始める。
パリからそう遠くない小さな静かな町が舞台。
鏡に向かってマネスキエ氏がウエスタン映画のガンマンを真似るシーンがあったり、ミラン(バリバリに硬派なジョニー・アリディ)のムードなどから何となくウエスタン的でもあるけれど、ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品のような沈んだブルーで描かれるフランス映画なのがとても好きなのです。マネスキエ氏のお邸も、15年前母が亡くなってから何も変えていないという部屋の中もロケだと思うのですがとても好み。庭に住んでいる白いメンフクロウがいきなり飛び出してヒゲの庭師の出現へと続く所は、少し怖くて楽しい。
それにしても、見るほどに気の毒に思えてくるマネスキエ氏・・・旧家に生まれてとくに不自由なこともなく、壁いっぱいの本をほとんど読み、フランス語(国語)教師の職を全うしてマイペースで老後にたどり着いたのですが・・・「自分は本当はこんな風にしてみたかった」という点では全くそうは行かず、何の縁かミランとのこの数日間を迎えることになった。ヴィクトリア期の「お嬢さん」の教養を(刺繍以外は)身につけているよ、とユーモラスに(少し自嘲気味に)ピアノに向かう彼のテーマ曲のようなシューベルトの即興曲第二番が何ヶ所かに使われています。
さて・・・町の薬局で「発泡剤(の鎮痛剤)をよこしやがった!(←ミランのセリフ)」ため、コップの水がいるという経緯でマネスクエ邸に寄ったミランは、秋休みでホテルは休業のため「土曜日の用事」の日まで数日間ここにとどまることになり、マネスキエ氏もやっぱり土曜に何か「用事」があるという。
タイプの全く違うおじさん2人が、隔たりや戸惑いもなく旧い友のように馴染む様子が本作のいちばんの魅力と思え、それプラスこの家のムードと映像・音楽が一体となった「映画力」のようなもの、そして土台にあるしっかりした物語の「作り」が素晴らしく、それぞれの「用事」に向けて徐々に準備が進むのをマネスキエ&ミラン、2人いっしょに過ごすシーンの中に編み込むように描いています。
部屋の箪笥に隠した3丁のピストルを見つけたマネスキエ氏は、ミランの「用事」とは何か、すぐに気づいてしまう。町の金融機関を「下見中」のミランに、(偶然を装って)マネスキエ氏がヒタヒタと接近するムードもたまらなく面白い。そういう少し「ヘン」でもある感じをジャン・ロシュフォールが持ち前のとぼけた感じで自然に好演。後半はハードと言えば大変ハードなのですが、こうした不思議なムードに覆われてユーモラスなのも好みです。
中盤・・・ミランにピストルの撃ち方を習いたいと申し出て「違う人生」にふれてみようとするマネスキエ氏。それと交換のように、「ポン・ヌフで私は会った・・・」という詩の続きを教えて欲しいというミランの頼みにとても嬉しそうなマネスキエ氏とミランの人生がここで交差し、あのラストへと繋がってゆくように思えます。マネスキエ氏の個人的な生徒らしい少年の(この子の役柄もすごく面白い)「ボケ」のような返答をミランがフォローして詩や文学への感性の閃きのようなものを見せ、マネスキエ氏に喜びをもたらす、こうしたシーンも忘れられない・・・
そうした中、ミランの「土曜日」に向けての準備シーンがたいへんに見どころで、こちらメンバーのキャラが濃い。
① マックスという名のリーダー格のデブ(になってしまったと言っているこの人は強面)。② マックスの連れてきた運転係(←かなり悪的顔立ち)というのが、毎日AM10:00に「ひとこと」蘊蓄のある言葉を発するだけで他は何も喋らないのですが、土曜日の「ひとこと」は予言的(というより「予告」というべきなのか?あのラスト・・・)。③ 約束に一日遅れてやってきたルイジ(←ジャン=フランソワ・ステヴナン。この人は実際に太られたようですが、演技派の域に達せられ、フランソワ・トリュフォーの『トリュフォーの思春期』の初々しい熱血的先生や、ジャック・リヴェットの『北の橋』のマックスだった頃とは感じが違っている)は、アルコールの渦中にあるのを少し無理を承知で「土曜の件」に起用したようで、ミランはすごく不安に駆られもするのです。「土曜日」の前夜、マネスキエ氏はミランに「別の人生」を提供しようというのですが、(仲間とのことなどで)難しい局面にあったと思われ、それを断ったミラン。
ミランらの「土曜日」への準備風景が、町の物寂しい場所を使って(あまりカッコ良くはない)ノワール風に描かれるのも味があって面白い。その一方で「土曜日」の用事についてマネスキエ氏は、「体のパーツを調整するんだよ。」と心臓の手術のことを夜のベランダで語りますが、これとは別にマネスキエ氏の(エディット・スコブ演じる)姉のことや、(母の死後)長く付き合っている恋人未満の女の人ヴィヴィアンヌのことなどがこの数日間に絡んできて、どちらも「簡単にはいかないこと」が長い年月の間に横たわり、「マネスキエ氏の身辺事情」のようなことも何となく分かってくる気がしましたが、それは見た方それぞれのもの。
2人それぞれの「土曜日の用事」の大詰めに、双方を交互に見せる相乗効果で息詰まるような緊迫感。これはとても文章では説明し切れません、ご覧ください。(どちらも不測の事態と言えなくもないが、ミランたちはどうも筒抜けだったらしく、ラストのルイジ(J=F・ステヴナン)の表情が記憶に深く刻まれてしまう。ミランとマネスキエ氏はああいうことになってしまったけれど、そのあと二人の「すり替わる穏やかなシーン」はパトリス・ルコント監督からのプレゼントなのだと私は思う。)
秋、閑散としているリゾート地にミラン(ジョニー・アリディ)という男が列車で降り立つ。薬局に立ち寄ったことから、同じように薬を買いに来ていたマネスキエ(ジャン・ロシュホール)という初老の男と知り合う。
季節はずれのためホテルが休業中で、ミランはマネスキエの家に泊めてもらうことになる。
ミランは流れ者で、ここで仲間と落ち合い、3日後に銀行を襲撃するためにやってきたのだ。一方、マネスキエは元教師で、ずっとこの町に住み、今は古ぼけた旧家にひとりで住んでいる。心臓が悪く、3日後に手術の予定だった。
おしゃべりなマネスキエと寡黙なミラン。生き方も考え方もまるで正反対なのだが、お互いに相手のような人生を送りたかったと思っている。
西部劇に憧れ、アウトローを夢見て、この町を出たかったマネスキエ。下履きを履き、書物に囲まれ、子供たちに勉強を教えながら、のんびりとした余生を送りたかったミラン。
2人はお互いの中に自分の願望の姿を見つけ、3日間を過ごすことになる。
相変わらずパトリス・ルコントの演出は憎らしいぐらいに手慣れていてスキがない。各シーンの緩急のつけ方には思わずため息が出る。どこまでを撮って、どこから切るか、そのリズム感は天才的だと思う。
多分、ルコントは深く考えずに、自然とこうした演出が出来るに違いない。頭で考えるのではなく、本能で撮ってしまうというタイプだ。恐らく、相当な早撮りではないかと思っている。
あえて欠点を言えば、テンポが優先されてしまい、キャラクターの造形が浅くなってしまうことだと思う。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。だから、ルコントはダメなのだ、などと言ってしまったら、パーフェクトな監督などひとりもいないことになる。ルコント作品はその心地よいリズムに体を預けるものだと思っている。それでいいのである。
だから、あまりにもパーフェクトにお互いのことを理解し過ぎてしまう2人の描写も(大体、すべてが「あ、うん」の呼吸でわかってしまい、スムーズでスタイリッシュ過ぎる)、予想通りの結末も、それらすべてを承知の上でルコント流の演出さばきに身を任せるのみである。
だけど、人によっては物足りないと感じるに違いないだろうなぁ。
全編に渡って存在するのは、徹底的とも思えるダンディズムの存在。
なんと切なくて愛しい男達の物語なんだろう。
エンディングは想像力を多いに刺激してくれた。
映画を見ている時よりも、見終わった後で内容を反芻した時の方が物語に魅入られてしまった自分に気付く。
燻し銀の魅力を放つ良作。ただ、出だしが少し強引すぎるような気もするが、それを補っても余りある作品。
銀行強盗を目論んで街を訪れた男は、病気の老教授の家にやっかいになります。
男は教授の安定した日常に憧れ、教授は男の人生に憧れを抱きます。
まず冒頭!
男が席から窓を見つめていますが、その表情がなんとも言えず、
「ぐぐっ」と引き込まれます。
印象的なシーンの多い映画ですが、特に印象深いのは下記3つでした。
拳銃を練習している男の傍に教授がたたずみ、
教授は拳銃を手にします。
その時の教授の視線をカメラワーク絶妙に追ってます!意味深。
男が教授の家のピアノを弾きます。
(ものすごい下手くそ)
その時の男の幸せを手に入れたような表情。
うーん。正直キます、このシーンは。
多分、色々取りざたされているであろうラストシ
ーン。
サイレントで延々と続くかに思われる男と教授の流れ。
二人の目線・投げられた鍵・落ちてしまう鍵・交差点・曲がり角・・・
色々気になるものを散りばめられて物語は幕を引きます。
いい映画でした。僕はこういうの大好きです。
(「はっきりしない」って人もいると思うけど)
素晴らしい一作です!
やっぱりハリウッドみたいな派手なものばっかりじゃなくて、こういうしっとりした映画を見たいよね。
・・・なんて感想を言いたくて小洒落アトモスフィア漂う軽い気持ちで見た作品でしたが、想像以上に良かったです。
全く違う道を歩いてきた二人の運命が交錯して、そして。
丁寧に作られた画面が作品の奥行きとなり、人物の情動を知る手がかりとして効果的に働いています。
たぶん5年後に見たらまた違う印象を抱くだろうと思わせる良作。
ああ、いいねえ。こういうのいいねえ。
人生の岐路を数日後に迎えるマネスキエは、人生に悲観をにじませている。
元・スタントマンで強盗犯のミラン。
暗い影を引きずりながら、単身列車に乗ってやってくる。
偶然入った薬局でマネスキエと出会い、宿無しのミランは彼の自宅に居候させてもらうことになる。
マネスキエにとって、ミランは異邦人だ。
静かで退屈な半隠居生活を送っていたマネスキエには、根無し草のミランは憧れを体現する存在だった。
二人は対話を通じて心を通わせ、淡い友情を育んでゆく。
決して交わるはずのなかった二人の人生が交わり、それぞれの道を進んでゆく。
中年二人のしみったれた物語。
口の中には挫折の味がいっぱいに広がってくる。
だがしかし、人生の悲哀と男の生き様を教えてくれる映画である。
ヨーロッパ映画が好きな人ならば、見ても損のない良作であるだろう。
もう一方は銀行強盗。偶然、しばしの時を一緒に過ごすうち、思い
始める。もし自分のではなく、この人の人生を生きていたらと。
強盗は教師の履いている室内履きのスリッパを借りたがる。スリッパ
が履きたいからじゃない。そんなもの、今まで履いたことがないから。
教師は強盗の皮ジャンをこっそり着て、鏡の前でワイアット・アープ
のポーズをとる。
男2人には、しかし一つ共通点がある。相手の人格を見ぬく目だ。
強盗は犯罪者だ。でもほんとうは悪人じゃない。教師は一見、日々を
大過なく過ごす老人。でも心の底には情熱への憧れがある。
映画の最期で、2人は自分の居場所、人生を交代する。なんとも不可思議
で美しい場面だ。乗っていた列車からおりた男、新たに列車に乗った男。
2人はこれからどこへ行くのだろう。
一遍の詩のような、エスプリとエレガンスにあふれた作品。10分ごとに
観客を刺激しなければ、という思いこみに毒されていない珠玉の一作
です。