この映画、今年の夏にニュープリントで劇場でみた。
燃え上がる金閣寺(映画内では名を変えてあるが)の炎の美しいこと。
あえて、この映画の中で〇〇ではないのは、この燃え上がる金閣寺だけなのかもしれない。
以前にビデオでは見たことがあったが、そこまで炎が綺麗だとは思わなかったが、
さすがは劇場で見る価値があると思った。
内容が内容なだけに、いま、このレビューでも伏字の配慮が必要なくらいの言葉狩りの昨今では、
そのままの状態では地上波放映もできないだろうし、リメイクもできないだろう。
だが、三島由紀夫原作の代表作の映画化作品である。
主人公の雷蔵よりも、私は二代目 中村鴈治郎が大好き。
あの飄々とした小悪党をさせれば最高。
他にも脇をうますぎる個性役者が固めており、どいつもこいつも、みんな〇〇。気持ちがいいくらい〇〇だ。
いや、人間自体が、生きること自体が〇〇であるからこそ、
人間ではない金閣寺は燃え上がったらあれ程炎が美しかったのかもしれない。
つい最近まで日常会話で使ってた〇〇の単語も、国語辞書には載っていても日本語として使えない不自由な世の中。
ポリティカル・コレクトが日本を〇〇にしている気がする。
4kマスターということだが、最近劇場でみた感覚と、ほぼ同一の色彩感覚(白黒映画だがあえて使う)で、
「家庭」でこの名作を楽しめる。
葛飾北斎の北斎漫画には、たくさんの〇〇が描かれている。
むかしの日本人は、それも生活の社会の一部、構成員として認めていた証拠であり、
また自分自身もそうなっても、受け入れられる安心できる世の中だったと考える。
しかし、昨今はそれを表面的な言葉や表現だけに過剰に神経質に規制をかけるが、
人間のそこはかとない部分には、常に〇〇が息づいており、それが規制で消えることはない。
何故なら、人間が生きることそのものが、〇〇を背負う苦がつきまとうものだから。