高校の仲良し5人組の、社会に出てからの成長物語。
わかる、その感じ。いつまでもあの頃のままじゃないんだよね。
寂しくもあり、切なくもあり、でもみんな、前を向いてる。
約20年前の映画だが、韓国社会のリアルな一端が垣間見える。
まだ少女の面影を残すペ・デゥナの演技、やはり当時から光ってます。
大好きな俳優だけど、昔からいい俳優だったのだなぁと改めて。
子猫をお願い [DVD]
フォーマット | ドルビー, ワイドスクリーン, 色 |
コントリビュータ | チョン・ジェウン, イ・ウンシル, イ・ヨウォン, ベ・ドゥナ, イ・ウンジュ, オク・ジヨン |
言語 | 韓国語 |
稼働時間 | 1 時間 52 分 |
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商品の説明
レビュー
監督・脚本: チョン・ジェウン 出演: ペ・ドゥナ/イ・ヨウォン/オク・ジヨン/イ・ウンシル/イ・ウンジュ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 韓国語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 75 g
- EAN : 4988013843905
- 監督 : チョン・ジェウン
- メディア形式 : ドルビー, ワイドスクリーン, 色
- 時間 : 1 時間 52 分
- 発売日 : 2005/1/19
- 出演 : ベ・ドゥナ, イ・ヨウォン, オク・ジヨン, イ・ウンシル, イ・ウンジュ
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 韓国語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : ポニーキャニオン
- ASIN : B0006OFLKY
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 100,851位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月6日に日本でレビュー済み
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2024年1月12日に日本でレビュー済み
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楽しく過ごした高校生活から実社会に入り、社会のあらゆる格差に直面する若者たちの姿を見ていると、どんどん格差が広がる日本社会と二重写しになり、見ていて胸が痛い。
2023年1月12日に日本でレビュー済み
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これは良い映画だった。5人の高校時代の仲良しが、徐々に離れて独立していく話である。また、親から本当に独立するとはどういうことかを考えさせられる話である。親から独立するというのは、自分の価値観で自分にとって本当に大切な人を選ぶということではないだろうか?主人公は親から独立し本当に大切な友達を選び取ったのである。韓国社会だからこその難しさや、2000年代初期の韓国社会の貧しさも描かれる。その中であえいできた人がいることを知らされる。そしてこうした貧しさに苦しむ人は日本にも韓国にもいるのである。自分の夢を不条理に奪われるような貧しさである。その貧しさ自体は決して美しいものではなく、変えていかなければならない社会の問題である。そういうことも考えさせられた。
2022年6月28日に日本でレビュー済み
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登場人物それぞれの物語がうまくバランスよく描かれていて好感(こうかん)が持てる。撮影も良く、マーケットでの登場人物がそれぞれ一時的に別れるところや、あの当時の携帯電話の使い方も上手い。貧困についての描写も必要以上に悲惨(ひさん)な感じや愁嘆(しゅうたん)なく、しかし決して余裕(よゆう)かまして貧困楽しんでますみたいにならないところもいい。他にも微細(びさい)ないいシーンいっぱいな青春映画の秀作(しゅうさく)。
2023年9月22日に日本でレビュー済み
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伊東順子さんの「続・韓国カルチャー」を読んで、どうしてももう一度見たくなって、買い求めた(2001年チョン・ジェウン監督)。実は韓国に行き始めた最初の頃に、この映画に触発されて仁川の街を半日ほど歩いたこともある。元中国人街があったという辺りを歩いたはずなのだが、歴史的経緯を何も知らなくて横浜中国人街をイメージして歩いたものだから、何も見つけることができずになんの印象も持たないで終わった。あれから20年、伊東さんの説明を聞いてやっとわかった。伊東さんも全く同じ体験をしていた。横浜街とは違うのだ。この辺りは1950年までは中国人街として賑わっていたが、朝鮮戦争で仁川は一度壊滅したのだ。更には朴正煕政権下に「華僑には大型店舗の経営は許さない」という法律ができて、人々は離れて行った。その後中韓国交正常化(1992)を受けて、再び中国人がやってくる。この映画(2001)は、だから中国人街が再び復活する過渡期の作品だったのだ。映画もよく見ればほんの一瞬しか、中国食堂は出てこない。今はどうなっているのだろう?
商業高校卒業生女子5人の群像劇。ソウルの証券会社に勤めるヘジュ(イ・ヨウォン)、父親のサウナ店を手伝わされるテヒ(ペ・ドゥナ)、両親を亡くしバラック小屋に祖父母と住む無職のジヨン(オク・チヨン)、中国系2人姉妹で露天商売のピリュ、オンジョ。社会に出て彼女たちの気持ちは次第と離れてゆく。でも、20年後の今ならタメ口で話せる間柄だろうとも思う。
この20年間、韓国社会はいろいろ変わったが、子猫の立ち位置は格段に大きく変わった。01年は映画にもある通り「猫は神秘的な生き物だ。家で飼うのは良くないよ。不吉なことが起きるかも」と言われていた頃だ。拾い猫は、高校仲良し5人組の手を次々と渡り歩くことになる。現代韓国では、猫は犬に並ぶ代表的なペットに昇格している。
この作品は、「子猫救出運動」として「インディーズ映画再上映運動」の最初となった作品らしい。この運動は、3つの意味でエポックメイキングだった。一つは、これを機にアート・シアターが建設されて助成金制度もできた。独立系映画や低予算映画が成功するようになったのだ。一つは、インターネットを使いこなす若者が主体だったために、「行動する映画ファン」の嚆矢となった。2002年の盧武鉉大統領勝利につながってゆく。一つは、当時は極めて珍しい女性監督作品の先駆けだった。男性監督のポン・ジュノのデビュー作でペ・ドゥナの出世作である「ほえる犬は噛まない」と、「子猫」は、良い意味で対照的だ。
再見して、フェミニズム映画の先駆けだったことにビックリする。商業高校を出たばかりの5人組は、経済的な格差はあるものの、みんなそれぞれにジェンダー差別を受けている。ホントにさりげなく‥‥。ほとんど「82年生まれ、キム・ジヨン」の「新社会人編」と言われても納得する場面が至る所にある。気の弱いボーイフレンドが、タバコを吸うヘジュにさりげなく「身体に悪いものを吸うんだな、将来母親になるのに」というところもそうだ。テヒの父親から受ける偏見も、キム・ジヨンばりだ。
ラストを突発に感じた観客もいたようだ。けれども、今見ると、出来上がったばかりの仁川国際空港で終わらしたのは、とても象徴的だった。映画内容は、5人全員、社会からすり減らされているものだったけど、テヒはジヨンを連れて一転外に「飛ぼう」とする。ペ・ドゥナだからその行動は許されたし、仁川国際空港の成功は、その後の彼女たちの運命も暗示しているようにも思える。実際、俳優としてのペ・ドゥナのその後の活躍を見ると、あの選択が決して暗いものではないように思えるのである。
現在の仁川駅、旅客ターミナル、中国人街、海岸、もう一度歩いてみたい。そのためにもう一度観て、必要なところをスマホに保存しておきたい。
商業高校卒業生女子5人の群像劇。ソウルの証券会社に勤めるヘジュ(イ・ヨウォン)、父親のサウナ店を手伝わされるテヒ(ペ・ドゥナ)、両親を亡くしバラック小屋に祖父母と住む無職のジヨン(オク・チヨン)、中国系2人姉妹で露天商売のピリュ、オンジョ。社会に出て彼女たちの気持ちは次第と離れてゆく。でも、20年後の今ならタメ口で話せる間柄だろうとも思う。
この20年間、韓国社会はいろいろ変わったが、子猫の立ち位置は格段に大きく変わった。01年は映画にもある通り「猫は神秘的な生き物だ。家で飼うのは良くないよ。不吉なことが起きるかも」と言われていた頃だ。拾い猫は、高校仲良し5人組の手を次々と渡り歩くことになる。現代韓国では、猫は犬に並ぶ代表的なペットに昇格している。
この作品は、「子猫救出運動」として「インディーズ映画再上映運動」の最初となった作品らしい。この運動は、3つの意味でエポックメイキングだった。一つは、これを機にアート・シアターが建設されて助成金制度もできた。独立系映画や低予算映画が成功するようになったのだ。一つは、インターネットを使いこなす若者が主体だったために、「行動する映画ファン」の嚆矢となった。2002年の盧武鉉大統領勝利につながってゆく。一つは、当時は極めて珍しい女性監督作品の先駆けだった。男性監督のポン・ジュノのデビュー作でペ・ドゥナの出世作である「ほえる犬は噛まない」と、「子猫」は、良い意味で対照的だ。
再見して、フェミニズム映画の先駆けだったことにビックリする。商業高校を出たばかりの5人組は、経済的な格差はあるものの、みんなそれぞれにジェンダー差別を受けている。ホントにさりげなく‥‥。ほとんど「82年生まれ、キム・ジヨン」の「新社会人編」と言われても納得する場面が至る所にある。気の弱いボーイフレンドが、タバコを吸うヘジュにさりげなく「身体に悪いものを吸うんだな、将来母親になるのに」というところもそうだ。テヒの父親から受ける偏見も、キム・ジヨンばりだ。
ラストを突発に感じた観客もいたようだ。けれども、今見ると、出来上がったばかりの仁川国際空港で終わらしたのは、とても象徴的だった。映画内容は、5人全員、社会からすり減らされているものだったけど、テヒはジヨンを連れて一転外に「飛ぼう」とする。ペ・ドゥナだからその行動は許されたし、仁川国際空港の成功は、その後の彼女たちの運命も暗示しているようにも思える。実際、俳優としてのペ・ドゥナのその後の活躍を見ると、あの選択が決して暗いものではないように思えるのである。
現在の仁川駅、旅客ターミナル、中国人街、海岸、もう一度歩いてみたい。そのためにもう一度観て、必要なところをスマホに保存しておきたい。
2022年6月23日に日本でレビュー済み
『子猫をお願い』のタイトルにいつどごて結びつくのか長い目で見ていました。
つまり子猫との出会いから面倒まではほんとうは優しい良心で拾われている話ですが、あえて映画のレビューとしてわかりやすくいうと、他愛もない若者の日常的にのなかで、同情心であったり動物愛護的な気持ちから拾われているように捉えるべきです。「はじめはそうであった」が正しい言い方かな。そして皆さん誰でも一度は経験したことでしょう。
しかしながら『育て続けること』に関しては、生活環境であったり、家族が猫を嫌がったりとか、よくある理由で子猫は「たらい回し」になってしまう。
でもこれは当然のことで、それだけ現実世界のなかで若者自身が成長していくうえで邪魔になるものになったりしてしまうのは当たり前。
誰だって親より友達より、子猫より自分優先にならなければいけない時がある。
友人たちは友達からの頼みで『子猫』を預かるが、またその友人も「自分優先」にしなければいけないときが来て次の友人に願いを託す。
子猫をお願いはそのあたりかな。。
日本映画のように特別に良いおはなしに作り上げてる所がなく、自然で若者ならではの『冷めた感情』も見え隠れして、雰囲気やゆったりした流れは大好きです。
【一つを除けば】
しかし物語の中で一瞬で、冷めてしまった部分が 何処で祖父母への殺人容疑がかけられたのかわからないが身柄を拘束されている嫌疑という時点でなにかしらの容疑がかけられないと【あり得ない】話です。
他のレビューでも気づいている人が居ましたが、ここではどう考えても祖父母殺人容疑 「放火殺人」か「殺害後の証拠隠滅」しか見当たらない。
「彼女が黙秘していたから逆に面倒になった」などというあらすじ話になっているが、黙秘するもしないも『容疑』がかけられていないと黙ろうが喋ろうが全く関係ない。
「ちょっとお話しを聞かせてくれる?」だけじゃ日本だろうが韓国だろうが法治国家ならどの世界でも身柄を拘束できません。
その後いつのまにか自由になれちゃう部分も『嫌疑が晴れた』→『逮捕であった』=やはり「殺人容疑」
この部分は小学生でもわかるような話で、原作だか脚本があったとして、このくだりが通ってしまう映画には、どんなに良い物語であっても一瞬で冷めてしまう。
韓国映画、日本映画、中国映画どの映画にもたまにこのような幼稚な映画があります。
肝心な部分を濁して誤魔化す作り方を今まで洋画では見たことがない。
その部分が完全に冷めてしまった。なければホント好きなタイプの映画になっていた。
つまり子猫との出会いから面倒まではほんとうは優しい良心で拾われている話ですが、あえて映画のレビューとしてわかりやすくいうと、他愛もない若者の日常的にのなかで、同情心であったり動物愛護的な気持ちから拾われているように捉えるべきです。「はじめはそうであった」が正しい言い方かな。そして皆さん誰でも一度は経験したことでしょう。
しかしながら『育て続けること』に関しては、生活環境であったり、家族が猫を嫌がったりとか、よくある理由で子猫は「たらい回し」になってしまう。
でもこれは当然のことで、それだけ現実世界のなかで若者自身が成長していくうえで邪魔になるものになったりしてしまうのは当たり前。
誰だって親より友達より、子猫より自分優先にならなければいけない時がある。
友人たちは友達からの頼みで『子猫』を預かるが、またその友人も「自分優先」にしなければいけないときが来て次の友人に願いを託す。
子猫をお願いはそのあたりかな。。
日本映画のように特別に良いおはなしに作り上げてる所がなく、自然で若者ならではの『冷めた感情』も見え隠れして、雰囲気やゆったりした流れは大好きです。
【一つを除けば】
しかし物語の中で一瞬で、冷めてしまった部分が 何処で祖父母への殺人容疑がかけられたのかわからないが身柄を拘束されている嫌疑という時点でなにかしらの容疑がかけられないと【あり得ない】話です。
他のレビューでも気づいている人が居ましたが、ここではどう考えても祖父母殺人容疑 「放火殺人」か「殺害後の証拠隠滅」しか見当たらない。
「彼女が黙秘していたから逆に面倒になった」などというあらすじ話になっているが、黙秘するもしないも『容疑』がかけられていないと黙ろうが喋ろうが全く関係ない。
「ちょっとお話しを聞かせてくれる?」だけじゃ日本だろうが韓国だろうが法治国家ならどの世界でも身柄を拘束できません。
その後いつのまにか自由になれちゃう部分も『嫌疑が晴れた』→『逮捕であった』=やはり「殺人容疑」
この部分は小学生でもわかるような話で、原作だか脚本があったとして、このくだりが通ってしまう映画には、どんなに良い物語であっても一瞬で冷めてしまう。
韓国映画、日本映画、中国映画どの映画にもたまにこのような幼稚な映画があります。
肝心な部分を濁して誤魔化す作り方を今まで洋画では見たことがない。
その部分が完全に冷めてしまった。なければホント好きなタイプの映画になっていた。
2022年12月15日に日本でレビュー済み
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世知辛い世の中だけど、友情があれば楽になる。社会の荒波に揉まれている現代人に響く作品。相手に自分の時間を費やすと、相手が調子に乗ってどんどん搾取されてしまうものだなあと、改めて実感。自分を優先して切り捨てることも必要。