ボーイズ・ドント・クライ [DVD]
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フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | クロエ・セヴィニー, ヒラリー・スワンク, ピーター・サースガード, キンバリー・ピアース |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 59 分 |
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商品の説明
Amazonより
1993年、ネブラスカ州フォールズシティを訪れた青年ブランドン(ヒラリー・スワンク)は、その地に住む女性ラナ(クロエ・セヴィニー)と恋に落ちる。しかし、やがてブランドンが性同一障害をもつ女性であることが発覚し、ラナの母親の恋人は怒りのあまり弟分とともにブランドンに襲いかかってしまう…。
男として生きようとしたがために悲劇を生んでしまった実在の女性をモデルにしたヒューマン・ドラマの秀作。まさに男と見まがうばかりの熱演を示し、観る者に強烈な印象を与えてくれるH・スワンクは、本作で見事アカデミー賞主演女優賞を受賞。
また、男女の別を越えて、あくまでも人間に恋をしたのだとして、ブランドンとの愛を貫こうとするラナのピュアな存在感も気高く美しいものがある。(的田也寸志)
レビュー
製作総指揮: パメラ・コフラー/ジョナサン・セリング/キャロライン・カプラン/ジョン・スロス 製作: ジェフリー・シャープ/ジョン・ハート/エヴァ・コロドナー/クリスティーン・ヴァッション 監督・共同脚本: キンバリー・ピアース 共同脚本: アンディ・ビーネン 撮影: ジム・デノールト 音楽: ネイサン・ラーソン 出演: ヒラリー・スワンク/クロエ・セヴィニー/ピーター・サースガード/ブレンダン・セクストン・サード/アリソン・フォーランド/アリシア・ゴランソン/マット・マクグラス/ロブ・キャンベル/ジャネッタ・アーネット 声の出演: 本田貴子/石塚理恵/大塚芳忠/山野井仁/阿部桐子/伊藤美紀/藤原啓治/仲野裕/火野カチコ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4988142242426
- 監督 : キンバリー・ピアース
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 59 分
- 発売日 : 2006/2/10
- 出演 : ヒラリー・スワンク, クロエ・セヴィニー, ピーター・サースガード
- 字幕: : 英語, 日本語
- 販売元 : 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント
- ASIN : B0006TPEWE
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 225,643位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 22,858位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
痛快アウトロー西部劇ふうにも、
意外かもしれないが、
(古いかもしれないが)フランス映画『冒険者たち』
(アラン・ドロン、リノ・バンチュラがここではラナとキャンディスで、
ブランドンがジョアンナ・シムカス!、という男女?逆バージョンだが)
にも見える。
つまりノワールとロマンスのテイストであって、
(不謹慎といわれるかもしれないが)(純粋に映画として見るならば)
終景でティナが撃たれて絶命するのは、ある意味で、必然であり、
これしか終わりようがないと思われる。
アメリカにそれ以外の話法の余地があるのか。
ティナの死はアメリカの死だ。
アメリカ300年の歴史(魔女裁判はおく)の達成がそこにあるだけなので、
ただそこに、希望のメロディが確実に聞こえてきた(ラストの楽曲とともに)というしかない。
それを聞かせるというのがアメリカの勝利なのだろう。
これを、いわゆる暗い映画だとはけっして思わない。
(誤解を承知いえば、それは映画の貧しい見方である)
(ティナに流す涙は偏見からくる涙でもあるとう苦い真実を噛みしめてほしい)
人生になんの目的もなく、いわ刹那的に生きたいたブランドン(ティナ)が
ラナという(めちゃいい女)と出会ってから
この映画が生き生きしてくる(そう仕組んでいる)。
アメリカとはただ、だだっぴろい土地におもしろみもなく生きている
ということを象徴的に告げるひとつとして
ラナが毎夜勤める、ほうれん草の包装作業の流れ作業、
こんな瞬間にも、あるいはアル中ぎみのラナの母親(若干ありきたりだが)
にもアメリカの空虚感がよく出ている。
それは米国人がよく知っていることだろう。
だがその日常のありがたみを思いしる
というような映画の結構のなかで
キャンディスが撃たれて死んでいく。
ブランディスの愛の手紙の
何気ない希望の言葉が終景に降ってくる。
これはいい映画だと思う。
そこに無宿者ブランドンが現れるのだから
たまったものじゃない。
これを性差別だの偏見だのと
底の浅いメッセージソングのようにみるのは
映画にも演者のすべてにも失礼なように思う。
映画にはもっと気の利いた(崇高な?)狙いがあるはずだ。
(懐古的にいえば、私はジャン・ジュネの『泥棒日記』を
書店で万引きして捕まったことがある、都内の大書店で、赤恥をかかせられ、
その動機を問われて「この本を読む資格のため」と答えて呆れられた。
多様性とやらをいう人には、この「逆説?」の意味を考えてほしい。
ジュネ自身がその後、パレスチナ寄りの態度をみせた、
そのときジュネをおしていた日本のフランス文学者とやらも、
ちゃんと「おとしまえ」をとったなど聞いたことがない。
しょせん文学者とは何なのか?)
こういう映画を観るときに、つねに、そんな思いにかられる。
映画についていえば。
ティナが映画でいう「いい女」に
すぐに気をもっていかれうのがおもしろい。
それは「男のまなざし」であり、そのことは男の視聴者から見ると
よく分かる(つまり、いかにもティナは男なんだなと分かる)のだが、
このへんのことを女性の視聴者はどう見るのだろうか。
こういう映画にしかできない「まなざし」の存在論として
この映画を見ることもできる。
たしかにティナの死は悲しいが、悲しいことはいくらもある、
ティナは青春そのものだ(無力で、全能感に満ちていて、ロマンティックで、惨めで
嘘つきで、だれよりも優しくて、そして自分の死を悟っている)。
だからこの映画は絶望することを拒否した
(まなざしのイロニーに面と向かった)
アメリカの映画なのだと思う。
トランスに対するリンチ殺人がある世の中でこの作品はインパクトに欠けました。
また美形でここまで周りの人達に「男」と信じさせる事が出来たのもどうかと。
アメリカは自由の国と言われていますが、偏見の激しさ強さはコロンブス新大陸発見の頃からほとんど変わっていないような気がします。おおっぴらに表に出さなくなっただけ。
これで銃社会なんですから怖すぎます。地獄ですよ。
でも負けないでほしい。この実話を映画にして世に出してくれた人は価値のある仕事をしたと思います。
映画として必然だとか、納得しようとして楽な道に逃げちゃいけない。
どれだけ間違ってると思っても、好きな人を助けたくてもいざその場にいたら恐怖で体は動かない。
意見はあってもいいと思う。
ただ愛する存在が、受け入れられない者に取られてしまうという一瞬の情動で人を殺す奴になっちゃいけない、それだけだと思う。
わたしは同性愛とが避難される時代が早く終わればいいと思いました。
主演の女優さんの作品はいくつか観てます。素晴らしい俳優さんです。
さすがです。
3回見ました。
性同一性障害みたいは自分ではどうする事も出来ない待つしかないそれがとても悔しい。時間は過ぎ去っていくばかり…もう野党と与党の足元すくいあいばかりの反乱議論なんて国民にはなんのためにもならない。
僕達はそうなりたくて生まれてきたじゃないのに難病してもされないから、国からの保護ももらえない。
アメリカの自由と柔軟性と愛は日本の政治にはない。
アメリカ人になりたい。
話はそれましたが、この物語の結末は悲しすぎる。
人の偏見と差別の怖さを知りました。
他の国からのトップレビュー
2019年10月18日にインドでレビュー済み
Ce film inspiré d'une histoire véridique (encore en cours puisque le personnage masculin principal attend son injection dans le couloir de la mort du Nebraska) m'a totalement bouleversé, à un point où je ne sais ce qu'il faut exprimer de plus important et où je crains que les mots ne réduisent les émotions ressenties.
Je me limiterai simplement à une scène : l'examen quasi silencieux par un médecin de Teena-Bill violé(e) (Hilary Swank débutait après des cachetons dans Buffy !!), peu de mots : des murmures, un corps martyrisé, grisâtre, un regard perdu vers un univers de non vie. Ce plan sans mouvement ou presque me hantera longtemps.
Chloë Sevigny (Lana) porte son personnage de grande adolescente boudeuse vers la maturité tragique de l'adulte en se découvrant une tendresse ou un amour ambigu envers son étrange "ami(e)". Car à l'évidence, elle a compris très tôt un mystère dans le corps de bill. Mais elle ne sait comment l'interpréter voire ne veut pas comprendre pour retenir celui(celle) qui lui apporte enfin un peu de lumière entre son bled noir et sa mère monstrueuse. "Tu es si mignon", on pourrait ajouter "qu'importe ce que tu es vraiment".
Respect inné de l'autre, tout simplement, et prouesse d'actrice réputée extravagante.
En ajouter ne serait que du baratin de ma part.
Vive le cinéma indépendant (Hollywood avait refusé le scénario).