サマリア [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | イ・オル, クァク・チミン, ハン・ヨルム, キム・ギドク |
言語 | 韓国語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 35 分 |
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商品の説明
商品紹介
■女子高生・援助交際~スキャンダラスな物語。
「サマリア」は、援助交際をする2人の女子高生を主人公として描かれている。10代の少女達の純粋でいて不安定な心の動きを丁寧に捉えた本作は、ふたりの少女の憧れにも似た友情が導く、美しくも残酷な物語・・・。やがて訪れる衝撃の結末へ向け物語は加速していく。
■世界三大映画祭制覇に最も近い男「キムギドク」が描く最高傑作!
本作「サマリア」でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞。続く「3-Iron」ではヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞し、今世界三大映画祭制覇に最も近いと言われ世界的に注目を浴びているキム・ギドク監督の最高傑作がこの「サマリア」である。
【特典映像内容】
1.韓国版劇場予告 2.日本版劇場予告 3.韓国版TVスポット
4.撮影風景 5.監督インタビュー 6.主演女優インタビュー
7.監督来日記者会見 8.主演来日記者会見 他
Amazonより
援助交際をしている高校生のチョヨンに嫌悪感を覚えながらも、警察に見つからないように見張りをしている親友のヨジン。ところがある日、見張りを怠ったばかりに、チョヨンのいるホテルに警察が乗り込み、逃げ場を失った彼女はホテルの窓から飛び降りてしまった。チョヨン亡きあと、ヨジンは、彼女が関係を持った男を尋ね歩き、援交で得たお金を返していく。それはチョヨンへの罪滅ぼしのようだったが…。
作品を発表するたびに話題になるキム・キドク監督作。援助交際を通して、十代の少女の友情と性、そしてそんな少女を持った父親の感情を描く。主演したクァク・チミン、ソ・ミンジョンの等身大の演技が、十代のリアルな姿を映し出し、息づかいまで聞こえてき そうな生々しさに驚いてしまう。前半はヨジンの視点で見た世界だが、後半は一転して、ヨジンの父親の視点で少女たちの世界を捉える。男たちと逢瀬を重ねる娘を目撃した父のやり場のない気持ちが怒りに転化し、男たちに向けられていく様は切なく虚しく胸に迫る。(斎藤 香)
レビュー
製作総指揮: キム・ドンジュ プロデューサー: ベ・ジョミン 監督・脚本・美術監督・編集: キム・ギドク 撮影: ソン・サンジェ 音楽: パク・ジウン 出演: クァク・チミン/ハン・ヨルム/イ・オル
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 韓国語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4907953004719
- 監督 : キム・ギドク
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 35 分
- 発売日 : 2005/9/23
- 出演 : クァク・チミン, ハン・ヨルム, イ・オル
- 字幕: : 日本語
- 言語 : 韓国語 (Dolby Digital 5.1), 日本語 (Dolby Digital 2.0 Stereo)
- 販売元 : ハピネット・ピクチャーズ
- ASIN : B00080IG9E
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 12,562位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,083位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
作品に対して賛否あるようですが、どの部分でも興味を持ったなら素直に見ていい映画だと思います。韓国の役者さんって、感情表現がある意味生々しい部分があるので、ヌルい演技に食傷気味な方にはオススメですね。かといってクドくもないですし。
韓国語と字幕で見ても吹き替えでも楽しめました。
キャスティングは問題なしですね。
『笑い』や楽しさなんてありません。ただただ切ないので1点マイナスしときます。でも、たまにはこういう映画も見たくなりますから。
父親は、援助交際によって娘が「変わってしまった」「穢れてしまった」と思い込んで悲痛な気持ちになり、報復という名の犯罪に至りますが、本当は、娘は何も変わっていないし、穢れてもいないのです。娘と二人で旅をすることで、そのことに気づいた父親が、自らのあやまちを認め、静かに娘をひとり立ちさせる。 ・・・私には、そういうストーリーに映りました。
現代人は、社会の中で、様々な有形無形のさまざまなトラブルを抱えて右往左往しています。はたから見ていると、それはばかげていたり、意味不明だったりするかもしれませんし、その過程で、死に至ったり、逆に犯罪を犯してしまったりすることもありえます。
でも、真剣に生きていない人なんて誰もいない。心が穢れてしまっているわけでもない。
みんな一生懸命で、右に左にハンドルを取られながらも、最後には、自分の力で、道を歩いていく。
この映画にこめられているのは、そうした、さ迷える人間達への応援歌ではないでしょうか?
現代人に対する、とても力強い、肯定的なメッセージを、私は、この映画から受け取りました。
援助交際をテーマにしたものだというようなことがジャケットに書かれているせいで、話がややこしくなっているように思います。
実際に見てみると、援助交際というのは単なるモチーフでしかありません。ジャケットのコピーに惑わされると、たしかに最後までチグハグな印象の映画になってしまうと思います。
人目をひくために、商業主義的な観点から、そうしたコピーがつけられているのでしょうか。
かくいう私も、まあ、私も援助交際という言葉に興をそそられて、作品を手に取ったのですが。
やたらと露出の低い画面やBGMをただ削除しただけの「演出」は、映画に重苦しいトーンを与えたかったのでしょうか? インディー映画なんかでよく見かけますが、単に技術と演出力の欠如に思えてなりません。
思います だいたい最初の女の子途中で死ぬけどその後からまったく別の話です。
父と娘の逃亡劇みたいになって最初の女の子のことは一切ふれないままです 最初の女の子が
いた意味はなんなのでしょう エンコウを正当化するためでしょうか全然説得力無いけどね。
なんか僕には焼きまわしの感じがしてなりませんでした。 結構な駄作です。
「嘆きのピエタ」やこの「サマリア」のように、キリスト教的な意味が含まれたらしい作品が多いのですが、調べてみたところ監督がクリスチャンだと書いてあるものはみつけられませんでした。が、神学大学に入学し牧師をめざしていたということなのでそうなのかもしれません。
ここに登場する少女ヨジンとチェヨンは2人でいつか海外に飛翔しようと航空券を買うお金をためていますが、その手段は売春です。ヨジンが客を探しチェヨンが客とホテルに入っている間、ヨジンが警察が来ないか監視する役目です。
2人のやり取りを見ていると、ヨジンはとても売春などできないが、チェヨンはあまり気にしている様子はなく、むしろ客との会話で自分が知らない仕事や世間の話を聞くこともそれなりに楽しんでいるようです。ヨジンにはこれらの男どもはただ汚らわしいだけでそんなチェヨンを理解できません。むしろ楽しげに話すチェヨンに独占欲を感じているようで、それは納得の上とはいえ親友を売春させているという罪悪感の裏返しのようにも見えます。
この2人の友情は、思春期の女子によくある恋愛とも見まがうような強い強い結びつきです。このあたりは男性には理解しにくいかもしれません。ヨジンの父親は、最後まで娘の複雑な気持ちを知ることもありませんでしたが、知ったとしても理解できなかったかもしれません。
正直、突っ込みどころはたくさんあります。あれじゃ警察から逃げ切れるはずないだろう、チェヨンを運び込んだ病院は不審に思わなかったのか?また、チェヨンの家族はどうしたのか?ヨジンの父親はどうしてヨジンが売春している理由を問い詰めようともしなかったのか?話し合っていればこのように不幸な展開にはならなかったはず。最も悲劇的な結末に持っていきたかったから、ストーリー展開に無理が出てしまったように思えます。
ヨジンがチェヨンの元売春相手に自分の体を売り、しかもお金を返していったのは、チェヨンと同じ行為をすることによって体験を共有し、自分をチェヨンと同じレベルに落とし汚すことで、チェヨンに対する贖罪をしている気持ちだったのではないでしょうか。
それにしてもこちらのレビューを拝見していると、見る人の数だけ違うとらえ方があるようです。男女の違いで自分を少女の立場に置くか、父親に感情移入するか、またはその時の気持ちや価値観の違いによっても見解が分かれるかもしれません。
過激でHなシーン目当てで見ると完全に期待はずれになります。深く暗く重いテーマなので楽しむには不向きです。見る人を選ぶ映画でしょう。
妻の亡き後、娘を男手一人で育てる刑事の父親。話の端々からおそらくは敬虔なクリスチャンであろう父親は、娘を溺愛してやまなかった。しかし、あるきっかけで自分の娘が援助交際をしていることを知ってしまう。
娘は変わってしまったのかという悲しみ、そして相手の男たちに対する強烈な怒り。こういう感情を男性のマッチョイムズと言ってしまえばそれまでだが、素朴な感情の表出であるとも思う。父親の復讐?はエスカレートし、相手方の男の一人を自殺に追いやり、また別の一人を公園のトイレで殺してしまう。
本作のクライマックスである第3部では、第1部で親友を失った娘と、第2部で殺人を犯した父が、山奥にある母親のお墓へドライブに出かけ、山中の小屋で一晩を過ごす。お互い自らの失ったものについて多くを語るわけではない。父は昔のように優しい父であり、娘は昔のように父親思いの純真な娘である。
サマリアという題名は聖書の善きサマリア人のたとえ話(ルカ福音書)から取られたもの。傷ついた人に寄り添うことが、神を愛することであり、隣人を愛することであるという聖書のメッセージが意識されているのであろう。
十分に見応えのある作品なのだが、最近「息もできない」や「誰も知らない」のような物凄い映画を見てしまったせいか、そこまでのインパクトはなかった。第1部で娘の友人が亡くなるシーンや、第2部の父親の復讐の暴力シーンは、少しオーバーなようにも感じた。これに対し自然の中での父と娘の心の交流が描かれる第3部は静かで美しい。もっとも、第1部、第2部のような日本人には少し激しすぎるような感情の爆発と、第3部のような静寂さのコントラストこそが、韓国映画らしさ、もっといえば韓国文化の深みなのかもしれない。
なぜ援助交際に少女達は走るのか、それは分かりません。
様々な理屈や道徳を持ち出してそれを批判するのは易しいことです。
けれど一番必要な事は、そのような空虚な心に寄り添う事です。
監督がここで徹底的にやっているのは、その寄り添うという事です。
「サマリア」とは聖書の中の「よきサマリア人」の事です。
世間の人からすれば、援助交際は、ユダヤ人からみたサマリア人にようにおぞましい存在でしょう。
ヨジンは、そのようなおぞましい行為をしながら傷ついたチョヨンにひたむきに寄り添うのです。
ヨジンにはチョヨンが援助交際をする理由が分かりません。チョヨンだって分からないんです。
チョヨンは友達であるはずのヨジンにも家を教えていない。
チョヨンは笑ってばかり居るけれど、心は真っ暗で見えないのです。
だから平気で窓から飛び降り、笑って死んでいくのです。
彼女にとっては死はいたたまれないこの世からの解放なのでしょう。
ヨジンに出来るのは、チョヨンに反対しつつも、非難したり批判したりすることではなくただ協力すること、
そしてチョヨンが死んでしまった後は、いわばフィルムを逆に回わすような形で、チョヨンが寝た相手と寝てお金を返していくこと。そうする事でチョヨンの行為を無垢なものにして、その魂を慰めることだけです。
ヨジンにしていることは、親(社会)にしてみればとんでもない行為だけれど、ヨジンの行為はチョヨンに対する一番自然で素直な愛情の表現です。思いあまって心中でも考えて旅に連れ出した父親ですが、ヨジンの無垢な優しさが分かって、思いとどまるわけです。父親もまた、ここでヨジンにひたすら寄り添う事を決意します。
チョヨンの心の闇は直接は描かれません。描いたらまた別物になってしまったでしょう。
父親の怒りも「援助交際」にむけられているわけではありません。父親の「改心」の為に描かれているのです。
あえて言えば、少女の心の闇を利用する大人に対しての怒りです。
でも相手に怒ることは、少女の心に寄り添う事には到底及ばないのです。
ですからこの映画は怒りの映画ではなくて、愛情の映画なのです。
この作品が優れている所以はただ一点に集中し、そのほかは観客の自由な想像に任せ、創造的な鑑賞を可能にした点にあります。
もし自分なら、ヨンギと同じ事をするかもしれません。
当人達は驚くほど罪の意識に希薄、それが恐ろしい。
「援助交際」なる言葉が悪いのです。社会から葬るべき。
「売春」と呼びましょう。