アラモ [DVD]
フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | リチャード・ウィドマーク, ローレンス・ハーヴェイ, ジョン・ウェイン |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 2 時間 42 分 |
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商品の説明
商品紹介
ジョン・ウェイン監督・製作・主演、西部開拓史上に残る“アラモ砦の戦い”を描いた超大作!
<キャスト&スタッフ>
デイビー・クロケット…ジョン・ウェイン
ジム・ボウイ…リチャード・ウィドマーク
ウィリアム・バレット・トラビス…ローレンス・ハーベイ
監督・製作・主演:ジョン・ウェイン
監修:ジョン・フォード
脚本:ジェームズ・エドワード・グラント
●字幕翻訳:佐藤一公
<ストーリー>
1836年。独立宣言したテキサスに対して、領主国メキシコの独裁者サンタ・アナが攻撃を仕掛けた。トラビス大佐の指揮の元、アラモの砦に立てこもるボウイ、クロケット大佐ら。かくして7千人のメキシコ軍を相手に、185名の勇者たちによる13日間に及ぶ壮絶な戦いが始まった!
<ポイント>
◆1960年度アカデミー賞録音賞受賞
●“西部劇の神様”ジョン・フォードが監修、豪放かつピュアな西部の男たちの魂を壮大に謳いあげるウェスタンの傑作!
<特典>
●ドキュメンタリー:ジョン・ウェインの『アラモ』
●オリジナル劇場予告編
Amazonより
1836年、サスの独立を目指す義勇軍はアラモ砦に立てこもった。西部の勇者デビー・クロケット(ジョン・ウェイン)やジム・ボウイ(リチャード・ウィドマーク)らも義勇軍に参加。かくして13日間におよぶ壮絶な攻防が繰り広げられていく。
アメリカ史上に名高いアラモの戦いをモチーフに西部劇の大スター、J・ウェインが初監督・主演した超大作。恩師ジョン・フォードが監修にあたっている。クライマックスの一大スペクタクル・シーンは、映画史上に残る素晴らしさ。また、その前夜に流れる主題歌「遥かなるアラモ」の調べ(原曲はロシア民謡)が、死を目前にした勇者たちの心情に安らぎを与え、観る者の涙を誘う。(的田也寸志)
レビュー
製作・監督・出演: ジョン・ウェイン 監修: ジョン・フォード 脚本: ジェイムズ・エドワード・グラント 撮影: ウィリアム・クローシア 音楽: ディミトリ・ティオムキン 出演: リチャード・ウィドマーク/ローレンス・ハーヴェイ
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : 英語
- 梱包サイズ : 19 x 13.4 x 1.4 cm; 158.76 g
- EAN : 4988142289926
- 監督 : ジョン・ウェイン
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 2 時間 42 分
- 発売日 : 2005/6/3
- 出演 : ジョン・ウェイン, リチャード・ウィドマーク, ローレンス・ハーヴェイ
- 字幕: : 英語, 日本語
- 言語 : 英語 (Dolby Digital 2.0 Surround)
- 販売元 : 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
- ASIN : B0009A48L8
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 195,951位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,182位外国の西部劇映画
- - 14,993位外国のアクション映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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エキストラを含めると万人単位がでてるかと
結末書くとネタバレになるので書かないけど
絶対お勧め
この映画の音楽はディミトリー・ティオムキンが着けました。彼はウクライナ出身、1895年に生まれ、1925年にアメリカに亡命。「スミス都へ行く」「素晴らしき哉、人生」「真昼の決闘」「ジャイアンツ」「リオ・ブラボー」など、そうそうたる名作の音楽を作曲しています。19世紀末のロシアの作曲家グラズノフの教えを受け、正統的なクラシック音楽を学んでいたティオムキンは、ハリウッド映画の全盛期を支えたのでした。
この「アラモ」の音楽もティオムキンでした。事実上の主題歌となった「The Green Leaves of Summer」この曲は、名曲だけど、あまり西部劇の主題歌っぽくないと言われたようですが、実はティオムキンのベースである東欧民謡のメロディに近いんじゃないかと個人的には思っています。
この曲は最後の戦いを前にした夜のアラモの砦で、ジョン・ウエィンが「今何を考えているんだ?」と訊かれ「考えているんじゃない、思い出しているのさ」と答える場面で流れたように覚えています。ウエィンらしいアメリカ愛国映画でもあるのですが、この歌詞自体は、国歌や理想を讃えるのではなく、かっての若き日々、自然と共に、又家族や親しい友人と共に生きた日々の様々な思い出を美しく想起する歌。そこが切なく、本当の愛国心とはそういう郷土愛あってこそ成り立つのだと語っているような曲でした。
独裁者サンタ・アナ大統領率いるメキシコ軍5000名を迎えつアラモ砦のテキサス義勇軍の話だ。
総数わずか185。衆寡敵せず、攻撃開始後13日目にして、ついに全滅した。
映画全編の迫力は、指揮官トラヴィス大佐(ローレンス・ハーヴェイ)、ボゥイ大佐(リチャード・ウィドマーク)、クロケット大佐(ジョン・ウェイン)ら、出演者たちの個性と個性との激突によって、徐々に大団円の決戦場面へと積み上げられてゆく。主演はウェインだが、わたしは以前からハーヴェイが演じたトラヴィス大佐のほうに、むしろ興味をそそられてきた。
指揮官としての任務に誇りを持つかれは、人間には大別して二通りしかないというのが持論だ。
すなわち、保身に汲々とする大衆と、ごく一握りの高潔な人間と。
義勇兵と称する連中は前者で、自分は後者だとかれは言うが、その気位の高さは周囲を辟易させずにおかない。現に、かれに指揮権を与えるヒューストン将軍にしても、「わたしは君がきらいだ」とはばからず言う。また、トラヴィスの副官を務める旧友ディキンスン大尉は、「なんでおれたちの友情が続くのか、ときどき不思議に思うよ」と言うほどだ。
それにもかかわらず、どうしてわたしはこの人物に人間的魅力を感じるのだろう。
たとえば、こういう場面が映画の前半にある。まだ敵が姿を現わす前だが、サン・アントニオの市長が自ら砦に出向いて、重要な情報を伝える。敵軍は数においても武装においても、圧倒的に優勢であると。それを、トラヴィスは流言の域を出ないと一蹴する。
そのあと、自室に入ったトラヴィスはがっくりと肩を落とす。その一瞬の苦悩の表情を、わたしは見すごすことができない。敵の優勢を味方が知れば浮き足立つに決まっている。指揮官の制止など無視して、援軍到着前にみな逃げ出すだろう。
つまり、トラヴィスの指揮官としての有能さは、超人的な不屈の精神からくるというより、克己の人であろうとするかれの努力からくる、とわたしは思う。
そう考えると、ひときわ深い感銘とともによみがえるのは、後半大詰めの次の場面だ。
攻防十日目にして、援軍は来ないと知らされたトラヴィスは、クロケット、ボゥイらをはじめ、義勇兵全員を営庭に集結させると、こう言明する。
「砦が落ちるのはいまや必至だ。だれ一人、名誉の撤退を非難する者はいない。わたしとわたしの隊は残るが、勇敢にして高貴な兵士である諸君は、堂々と去られよ。神のご加護を祈る。」
見捨てられかけている人間が、これほどのことをめったに口にできるものではなかろう。
しかし、門が開け放たれると、まずボゥイが馬を降りる。ついで全員が。かくして砦を去る者は一人もいない。
このとき、トラヴィスは目の当たりにするのだ。人間はかならずしもつねに「保身」から行動するわけではないことを。高潔な人間は、「ごく一握り」というわけでもないことを。実際、185人と言えば、かなりの数ではなかろうか。
かれら全員が陣没者となるのはこの3日後だ。歴史はその日を、1836年3月6日と伝える。
こちらは1960年公開の、忠実でない方、
圧倒的にこちらが面白いそうである、
娯楽映画だから、面白い方がいいような気が
するが、それでも、基本は外していないような
きがするのだ、