なんだろう。
相手が人であろうと、物であろうと
その外部の存在を自分の中に確固として知るためには、
目の前の対象物として、描くということが最も確実なような気がする。
全体から細部まで、中心から輪郭まで。
自分を極限まで無にして、対象を観察し描き出せば
脳内のその対象物はインプットされる(ように思う)。
性愛が身体で相手を認識する行為なら、
デッサンは眼で相手を理解する行為という人もいる。
性愛は故に曖昧であり、想像力を高めるものであるけれど、
デッサンに嘘は許されない。故に一瞬一瞬自己を排除する苦しみの果てに、忘れないという幸いを持つ(ように思う)。
愛情が強い程、その対象を描きたくなる人もいて。
この映画にはそんな感じで、究極の愛のカタチを感じました。
身体の内側まで観察するんだから。
当然、そんなことをすると人はおかしくなるんだろうけど、
それさえ物語が虚構と現実の狭間に整合性を保ち、絵は透明で。
最後の言葉も心地よく。
良かったです。