Amazonで、このCDを購入したのは2009年2月下旬のこと。その数年前から、このCDの存在を知っていて、是非トンコリの音色を聴いてみたいものだと思いつつ、なかなか手が出ないでいた。まだ十代だった頃、ムックリの演奏を聴く機会があったのだが、その当時トンコリはというと演奏者自体が少なかったのだと思う。トンコリは見知らぬ楽器で、アイヌ文化の入門書に添えられたイラストや物語の挿絵でしか存在を知らずにいた。
今ならばYouTubeで検索を掛ければ誰もが簡単に、想い想いにトンコリを奏でるアーティストや愛好家が自らアップした曲や歌を聴くことができるだろう。だが、ネットそのものがなかった当時は何を手掛かりにしたらトンコリの音色を聴けるのか分からなかった。人と同じように魂を持ち、心臓も耳も持っていて、その音色は自らの歌声なのだというトンコリとは、いったいどんな音がするのだろう、そしてどんな曲が歌い継がれてきたのだろうと、思いを馳せるばかりだった。
ネットが一般に普及してからもネットは私にはまだまだ近付き難い世界で、足を踏み入れたのはずっと先のことだった。ようやく慣れたてきた頃も、遠い昔に鬼籍に入られた演奏者とその曲が断片的に紹介されたものを聴けるのがやっとだった。唯、探し方が拙かっただけかもしれないが、トンコリとはもう途絶えてしまった楽器なのだろうかという思いを強くし、演奏者が現代にいるということ自体も長らく知らずにいた。
そんな中、やっとみつけたアルバムが このCDだった。だからこそ、購入するのには勇気が入ることだった。知らないうちから、あまり想いを込めるとガッカリするかもしれないし、そんな風に思うのはトンコリを胸に、その曲と歌を伝え残してきた先人に対してとても失礼だと思うし、OKIさんその人に対しても、とても失礼なことだと思えたからだ。
でも、人から人へと伝わってきた過去の記憶と記録でもあるトンコリの音色が絶えることなく、この現代で聴くことが出来るのなら、何を臆することがあるのだろう。知りたい、聴きたいと思っているのに、そのまま素通りするなんて、なんてもったいないことかと思い立ち、その日、ここでこのCDを購入したのだった。購入後、Amazonからレビュー投稿を促すメールが届いた。自分でもここを利用して初めてのレビューをと投稿を試みたのだが、何故かそのときは言葉が途切れ途切れで繋げられなかった。考えるよりも感じる、そんな曲と歌を聴いた後に、想いを文章にするのが難しかった。
このCDのリーフレットには、曲に纏わる様々な逸話がOKIさん自らの手で書かれていて意気込みが感じられる。だが、演奏そのものは肩の力が抜けているというのか、自然体で素直な音色で一つ一つ丁寧に曲が紡がれているように感じられる。そこには上手くみせようというような図らいなどはなく、何か大層で堅苦しい宿命的なものを背負っているのでもなく、子守歌が人から人へ伝えられていくように、時が決して止まることなく大きな河が枯れることなく何処までもずっと遠くへと流れていくように、ごく当たり前のこととして人々と自然の営みが浮かんでくるのだ。全ての命が親から子へと受け継がれていくように、曲そのものが生命を持ち、深く呼吸しているように感じられるのだ。
そこには色というものはなくて、何色にも染まらない世界が広がっているように思える。強いて言うのなら白が一番近いのだと思う。ここにはOKIさん自身の初心とOKIさんが、このCDを生み出すまでに関わってきた先人たちの初心が込められているように感じられるのだ。
風には色がないのに、色について書こうとしたら、何も言葉は浮かばない。
あの日、レビューを書こうとしても言葉が出てこなかったのは、そういうことだったんだと今なら思う。
ときに鋭く、あるいは懐かしく響いてくるこのCDアルバムは、今も私の傍らにあり、これからもずっと当たり前のこととして、ともにあるのだと思う。
ふと息抜きがしたくなったときに手に取りたくなる、そんなお気に入りの一枚だ。