機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- [DVD]
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フォーマット | 色, ドルビー, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | 大河原邦男, 富野由悠季, 飛田展男, 安彦良和, 池田秀一, 古谷徹, 鈴置洋孝 |
稼働時間 | 1 時間 35 分 |
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商品の説明
Amazonより
1985年から86年にかけて制作・放映された、「機動戦士ガンダム」の正式な続編「機動戦士Zガンダム」を再構成し、さらに現在の視点で捉えたエピソードなどを盛り込んだ“ニュー・トランスレーション”版。3部作からなり、その第1部「星を継ぐ者」は、「ガンダム」で描かれた1年戦争から7年後の宇宙が舞台となる。スペースコロニーに住む少年カミーユが、エリート軍人組織ティターンズが開発したガンダムMk-IIを奪還し、スペースノイドの自治権確立を目指すエウーゴと合流し、共闘するまでの経緯を中心に描いている。
さすがに20年前のTVアニメとあって、画質の劣化という宿命からは逃れられず、エッジングなどの新技術で補完しているものの、やはり今日の主流とは異なる絵柄は時代を感じさせてしまう。加えて新たに付け足された作画部分も、同一のキャラクターでありながら従来の作画よりもキャラの顔が幼く描かれているあたりにも違和感を感じる。だが冨野由悠季総監督の演出は意欲的で、TVシリーズではさほど強調されていなかった、カミーユの父母を巡るエウーゴとティターンズの闘いの顛末を緻密に描写し、ジャブロー侵攻からアムロとシャアの再会までのクライマックスも、さすがの盛り上がりを見せている(斉藤守彦)
レビュー
製作: 吉井孝幸 プロデューサー: 松村圭一/久保聡 総監督・原作・脚本・絵コンテ: 富野由悠季 企画: 内田健二 原案: 矢立肇 キャラクターデザイン: 安彦良和 メカニカルデザイン: 大河原邦男/藤田一巳 キャラクター作画監督: 恩田尚之 メカニカル作画監督: 仲盛文 美術監督: 東潤一/甲斐政俊 音楽: 三枝成彰 声の出演: 池田秀一/飛田展男/古谷徹/鈴置洋孝/岡本麻弥/勝生真沙子/新井里美/井上和彦/郷里大輔/島田敏
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 19.6 x 14.2 x 2 cm; 200 g
- EAN : 4934569623157
- 監督 : 富野由悠季
- メディア形式 : 色, ドルビー, ワイドスクリーン
- 時間 : 1 時間 35 分
- 発売日 : 2005/10/28
- 出演 : 池田秀一, 飛田展男, 鈴置洋孝, 古谷徹
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : バンダイビジュアル
- ASIN : B0009VHUF8
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 21,003位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 3,829位アニメ (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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作画の新旧を問わずにワイドスクリーンのテレビ画面のフルサイズで視聴出来るので驚いた。
三部作とも題名が美しい。いい名前をつけられましたね。
物語と演出の構成で気になった点を評していきます。
一部の大人への反発やバカにしたものに対する執着心が強いカミーユが
ガンダムに搭乗してから何をやったかと言えば特定の軍人に恐怖を与えることだった。しかも笑ってた。
ニュータイプとして稀有な素質を持っていることや家庭環境と繊細な年齢期の重なりで
小さい頃からいっぱいいっぱいだったのでしょう。
母親が亡くなったのを知りながらも父親が設計に携わった新型を見て若い愛人の性的な雰囲気を
醸し出している姿を思い出しながら興奮しているのはエグい構造です。
何気ない日常を楽しんでいる思い出とは違い、性的なことが中心なんです。
初めて観たときもうわぁ・・・と強烈な場面でしたよ。
エマさんとレコアさんの二人と人生の大先輩であるクワトロがいなかったら
もっと荒れていたかもしれない。
魅力的な女性キャラも多いのですが迷っている男性に向かって坊やと言い放つのは印象深かった。
人物によっては心配してるというより見下している。
戦闘以外での場面では熱くなっている男性たちや状況を冷静に見ている。
現実的という単語が気になりましたね。理想ばかり話したり見ていてもしょうがないでしょと。
逞しくて慈愛とも言える一面を描くと同時に女性の違う一面も描いている。
一部の視聴者に都合の良いような女性キャラは登場しない。
救出されたレコアさんがカミーユに抱き着く場面はすこし驚いた。カミーユも驚いていたけど。
逞しい女性が見せるギャップなのだろうか。
短い言葉にも含みを感じさせる声優・俳優陣の実力も良かった。
世界観やドラマに厚みを出している。役者によってこんなに出るんだと思いました。
絵の方が押されている場面が多かったほどです。そこが惜しかった。
冒頭から主題歌を流しながら短い語りが入るのですがああいう曲調で歌がある音楽を用いると
テレビのようになるのに映画的に見える。曲の終わりに風切り音のようなものが入り
宇宙から狭いコクピットに視点が移動して見ている側の集中点を切り替えさせる手腕はさすがですね。
クワトロと女性たちが食事をする場面を見せずに
料理に力を入れているのよと食後に会話する場面や
幼馴染と再会して短く経緯を話したあとに、関連する内容をブライトたちも話始め、
その後ろで何か会話らしきことをしている二人を見せているなど映画的だと思いました。
テレビシリーズだと長く描いてもいいのですが映画でやると変になることがありますからね。
世間話やちょっとした会話でもこの情報いるかなというのがほとんどない。
映像の演出のみらず、会話で世界観を支えているのも並みの巨匠じゃないですよ。
待機しているガンダムをカミーユが乗り込んで初めて動かして見る場面では
ガンダムの下の部分を見せて起動音を鳴らしこれから動くんだぞというの
が伝わってきて良い演出ですね。
モビルスーツのみならず、人物もあまりアップで見せず、
すこし引いて全体を見せる構図が大半なんです。
アップが悪いわけじゃないんですけど第三者の視点を得るためには大事で
しかも会話をしている人物以外の状況を確かめることができますからね。
同じ手法を用いても富野さんの演出は印象的なんです。
ただ、後半も後半の戦闘場面はなぜかテレビスペシャルっぽく見えた。なんであろう。
戦闘場面が多いと中身のない映画になりがちなのですが戦場行動中の会話や
映画として見せるに核と考えた場面を編集して見せる類まれな編集能力と
富野監督の人間を描く視点の鋭さとバランスによって
ドラマのある映画になっています。
いうことではなく、今の技術なども使い20年前の作品を作ったら。
というのがコンセプトにあるはずで、監督もそれに近いことを
メイキングムービーetcで仰っているはずです。
尚且つ、もともと50話もあるストーリーを三部作にするということも、
公開前から周知の事実だったし、もしそれを知っていながら、
そこを極端に否定する方がいるのであれば、
寂しい限りです。多少なりガンダムという異色な作品を観るにあたって、
こちらは気をつかわなければならないのかも知れません。
更に、次回作のことも、付け加えると、
「声優が 20年前と違う!!」 などということで、
作品全体を極端に否定的に観てる方達は、ガンダムでいうところの、
「地球の重力に魂をひかれた人間」にしか見えません。
申し訳ありませんが、そんな感性・・・虚しく感じます。
(余談ですが、否定的な感性は、自分の意思で時間を
極端にかけずとも、なんにでも(全てにではない)
肯定的な感性に
変えることができますし、そこから見えてくるものも
多いと自分は思います)
何故、観る側が映画に、気をつかって観なければならないのか。
それは、ガンダムという作品(SEEDはよくわかりませんが^^;)が、
観る側を中心に作品を作っているわけではないからだと思います。
あくまで、観る側がどう思おうが、思った側の勝手である。
というスタンスで作品を作られているのだと・・・。
また、それが様々な人に支えられている証拠になるのではないでしょうか。
文章を、ほぼ思った言葉の通り書いてしましました。
読みにくいところ、意味がわからない部分もあると思います。(*_ _)ペコリ
このレビューもあくまで、1つの意見として読んでいただければ幸いです。