ハスラー 2 [DVD]
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フォーマット | ドルビー, ワイドスクリーン, 色 |
コントリビュータ | メアリー・エリザベス・マストラントニオ, リチャード・プライス, ウォルター・テヴィス, ヘレン・シェイバー, トム・クルーズ, マーティン・スコセッシ, ポール・ニューマン |
言語 | 英語 |
稼働時間 | 1 時間 59 分 |
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商品の説明
Amazonより
25年の時を経て、『ハスラー』(1961年製作)の主人公エディ(ポール・ニューマン)のその後を描いた続編。
かつてハスラー=勝負師として鳴らしたエディは、ビリヤード場で天才的なキューさばきを見せる青年ビンセント(トム・クルーズ)に出会い、彼を一人前ハスラーに育てようと各地のビリヤード場を回るツアーに出かける。懐かしい場所で、ふとボールを突いてみたくなるエディだが…。
積年の思いをくすぶらせる中年男が、ハスラーたちの真剣勝負に感化されて微妙に変化していくさまを演じきったP・ニューマンが見事。フォレスト・ウィテカーとのゲームのシーンで見せる、崩れ落ちそうな演技は忘れられない。惨めさと孤独に向きあった後にこそ手に入る希望というモチーフは、マーチン・スコセッシならではか。ボールの動きをシュノーケル・カメラが追うダイナミックなゲーム・シーンの迫力も見どころ。いわゆる“パート2”とは異なる趣で出来がよく、P・ニューマンはこの作品でオスカーを獲得した。(茂木直美)
レビュー
製作: アーヴィン・スクセラッド/バーバラ・デフィーナ 監督: マーティン・スコセッシ 原作: ウォルター・テヴィス 脚本: リチャード・プライス 出演: ポール・ニューマン/トム・クルーズ/メアリー・エリザベス・マストラントニオ/ヘレン・シェイヴァー
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
原材料・成分
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使用方法
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登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 80 g
- EAN : 4959241943248
- 監督 : マーティン・スコセッシ
- メディア形式 : ドルビー, ワイドスクリーン, 色
- 時間 : 1 時間 59 分
- 発売日 : 2006/1/25
- 出演 : ポール・ニューマン, トム・クルーズ, メアリー・エリザベス・マストラントニオ, ヘレン・シェイバー
- 字幕: : 日本語, 英語
- 言語 : 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
- ASIN : B0009Y29DI
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,917位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 115位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
重要なお知らせ
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
とても貴重な作品だと思います、ありがとうございました。
それまで日本でビリヤードと言えば四つ玉だったが、本作を機にポケット、特に展開が速い映画のナインボールか世間を席巻し、プールバーや脱サラのビリヤード場が雨後の竹の子の様に増えたが、ちゃんと教えられる人が不在のブームはやはり短命だった。
映画の方は枯れかけた往年の勝負師が、街に流れ着いた若者の才能を目の当たりにして裏方のマネージャー役に身を引くつもりが、大会出場を前に最後まで現役で闘う気持ちに再び火が点くストーリー。
象徴的なのはポールがフォレスト・ウィティカーにカモられるシーンで、衰弱した自己能力の現実に男のプライドが復活する心境変化が痛々しくも心が踊るターニングポイントだ。成功するかしないかに関係なく、25年を経ても最後まで枯れずに足掻こうとするポール・ニューマンの生涯現役志向の気概に世の中高年層が触発された作品だ。同時に傍若無人な切れ味鋭いトムに惹かれたカップルも多かった。
シナリオはシンプルで捻りはないが、一度しかない自分の人生を諦めない魂の訴えに心が震える傑作。物理的思考と玉を生き物のように操るテクニック、精神力と集中力を駆使するビリヤードの真髄に迫る稀少な作品、是非お楽しみ下さい。
学生時代に老舗ビリヤード場で夜通し突いた四つ玉やスリークッション、またしたくなった。
どんでん返しやハスラーのテクニックに酔いしれました。
ポール・ニューマンの演技も渋い。
伝説のファースト・エディがカムバックするまでを描く。
◆対戦相手は1に比べると印象が弱かったが内容は面白かったです。
◆勝敗はどうなったんだろう?それが見たいのに!と思う最後でした。
※当方所有のDVDは2003年頃購入のモノで現在販売中のものとは仕様が異なる
可能性もあります。
確かに解像度や色ノリなどはDVDと大差ないですが、フィルムのスクラッチノイズや
ダストノイズは一応キレイに消してありますので、見比べるとやはりBD版のほうが
それなりにキレイです。
そして、これはメリットかどうか微妙ですが、字幕の日本語訳がDVD版とは微妙に違います。
一番に気付いたのは冒頭のナレーションで「つまりナインボールは運のゲームだ」のアト、
DVD版では「だが時には運も芸術である」と訳されているのに対しBD版では
「だが時には運も実力である」と字幕が出ます。
原文は「luck itself is an art」と言ってますから直訳では「芸術」ですが、日本語的には
「運も実力」のほうがしっくりはきますね。
パッケージを見るとBD版には「字幕翻訳:戸田奈津子」と書かれていましたが、DVD版には
翻訳者の記載はありませんでした。
冒頭以外にも何か所か言い回しの違いがありましたが、まったく同じ訳の場面のほうが
圧倒的に多かったので、元々DVD版も戸田さん翻訳だったのをBD化に伴って若干修正したのかも
しれません。
個人的には「時には運も芸術である」のほうが、ありきたりな「運も実力のうち」よりは
より深い気がして好きですけどね。
というかもう何度も「芸術」で観てるので今さら「実力」って言われても違和感あります。
私はこの映画がきっかけで巻き起こったビリヤードブームの頃は若くてお金もなかったし、
一度もやらなかったのですが、なぜか完全に下火になった頃に始めてドハマリし、この映画も
何度も何度も観返して、球屋に行ってはビンセントとエディのプレイを再現したりしてました。
もちろんストーリー的にも素晴らしい映画だとは思いますが、私にとってこの作品は
物語というよりは、なんというか使い込んだ参考書的な感覚ですね。
それだけに観るたび当時のコトが思い出され、なんとも切ない気持ちになります。
バラブシュカ(作中のものは実際は「JOSS」らしいですが)とはいかないまでも、それなりに高価だった
マイキューも、もう何年も押入れにしまいっ放しですし、おそらく私はエディのように「カムバック」
することはもうないでしょうが、私にとってこの作品は在りし日の青春の日々を思い出させてくれる
大切な大切な1本です。
ハスラーとは渡りの職業撞球師のこと。アメリカでは町の撞球場に行きずりの愛好者がふらりと立ち寄り、なにがしかの金を賭けて、地元の連中と玉突きの腕を競うのは珍しくない。ハスラーはその行きずりの素人を装って芝居を打つ。相手にまず勝たせ、乗り気になったころをみはからって賭け金を吊り上げ、最後にごっそりいただくという手順だ。しょせんは詐欺、一歩まちがえば袋叩きに合う。第一作では、主人公は両手の親指をへし折られた。
『ハスラー2』は、前作から25年後という設定。いわゆるカムバックものである。事実、映画の最後で主人公が、「さあ、カムバックだ!」と宣言するところがある。
前作と同様、主演はニューマン。トム・クルーズ演じる若者の才能に惚れこみ、一人前のハスラーとしてかれを育てようとする初老の元ハスラーを好演している。
若者に夢を託し、勝負師としての技量を会得させようと世話を焼くうち、主人公は懐疑にとらわれ出す。若者に夢を託す? それは自分に対するごまかしではないか。自分の人生は自分で生きるべきだ。とうとう25年前に捨てたキューを手に取る。失われたカンを取り戻そうとあれこれ試みる。だが初心に戻るしかない。ハスラーたちの失笑・憫笑・嘲笑を浴びながら、玉を並べた台の上で一人黙々と研究する。
ハスラーになるにはいくつか条件があろう。まず、自分を抑制しながら硬軟自在に使い分けられる撞球の腕。次に相手を吊り込む駆け引きの技術。そして負けた相手に対する心遣い。負けたのは腕が拙だからではなく、その日のツキがなかっただけだと相手に思わせなければいけない。
だが、勝者の心遣いはときとして欺瞞的だ。かえって相手を傷つける。では、真に必要なものはなにか。
心遣いや優しさは大事だが、才と技術を至上価値とする世界に生きる以上、だれでもいちどは事実の非情さに打ちひしがれる。上には上があり、さらに上があることを思い知らされる。勝つか負けるかを価値の階梯とするこの世の狭隘な梯子を、どうやって超えられるだろう。超えられるのは自己に謙虚であり得る人間だけだ。謙虚さがもう一つの価値観をかれに発見させる。それはセンス・オヴ・グロウス、つまり人間的成長の感覚である。
だから、自分よりも数段優る技術を持った若者に勝負を挑む主人公を、「捨て鉢」や「ダメもと」のたぐいと混同したらまちがう。
「さあ、カムバックだ!」という宣言は、「これからがグロウアップだ!」という自己成長への能動的な賭けを意味するのだ。
人間を老い込ませるのは簡単である。おのれに賭ける意志を放棄させるか、だれか他人に意志を預ければよい。おのれに賭け続ける人間に、老いを知る暇などあろうか。