子供が学校で観て、「すごく感動する映画だから、是非、みんな(他の家族)にも観て欲しい」と言うので、購入しました。
子供は、クライマックスで、私が泣くと思ったみたいですが、私は命について考えてしまいました。
とてもいい映画なので、私としてはオススメです。
レンタル落ちでしたが、DVDケースを購入すれば保管できるので、そこは気にしていません。
サイモン・バーチ [DVD]
11パーセントの割引で¥1,405 -11% ¥1,405 税込
参考価格: ¥1,572 参考価格: ¥1,572¥1,572
他に注記がない場合、参考価格とは、製造業者、卸売業者、輸入代理店(「製造業者」)などの小売業者以外が設定した、商品のカタログなど印刷物で発表された、または製造業者が小売業者に提示する参考価格・推奨小売価格を意味します。ただし、Amazonが製造・販売するデバイスの参考価格については、他に注記が無い場合、個人のお客様向けに最近相当期間表示されていた価格を意味します(注記の内容を含む参考価格の詳細については、該当する商品詳細ページをご確認ください)。なお、割引率の表示は1%毎に行われており小数点以下は四捨五入しています。
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25パーセントの割引で¥1,181 -25% ¥1,181 税込
参考価格: ¥1,572 参考価格: ¥1,572¥1,572
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フォーマット | 色, ドルビー, レターボックス化 |
コントリビュータ | ジョゼフ・マッゼロ, イアン・マイケル・スミス, アシュレイ・ジャッド, マーク・スティーヴン・ジョンソン, オリバー・プラット, ジョン・アーヴィング |
言語 | 英語, 日本語 |
稼働時間 | 1 時間 54 分 |
商品の説明
Amazonより
生まれつき体が小さく、いつ死ぬかわからない奇病を抱えて生きるサイモン(イアン・マイケル・スミス)と、彼の用心棒的存在でもある親友のジョー(ジョゼフ・マゼロ)。やがて、ある事件をきっかけにジョーは自分の実の父親を探し、サイモンはこの世に生を受けた自分の使命とは何かを考えるようになっていく。
ジョン・アーヴィングの『オーエンのために祈りを』を土台に、脚本家出身のマーク・スティーヴン・ジョンソン監督が手掛けたヒューマン・ドラマ。いわゆる難病ものだが明るくウィットを利かせた作りになっているのがよく、また信仰に根差した神々の問題にも辛口で触れているあたりが妙味だ。ふたりの少年の好演も忘れ難い余韻を残してくれている。(的田也寸志)
レビュー
監督・脚色: マーク・スティーヴン・ジョンソン 原作: ジョン・アーヴィング 出演: ジョゼフ・マッゼロ/イアン・マイケル・スミス/アシュレイ・ジャッド
-- 内容(「CDジャーナル」データベースより)
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : 英語, 日本語
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4959241943286
- 監督 : マーク・スティーヴン・ジョンソン
- メディア形式 : 色, ドルビー, レターボックス化
- 時間 : 1 時間 54 分
- 発売日 : 2005/9/21
- 出演 : ジョゼフ・マッゼロ, オリバー・プラット, イアン・マイケル・スミス, アシュレイ・ジャッド
- 字幕: : 日本語, 英語
- 言語 : 英語 (Dolby Digital 5.1)
- 販売元 : ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
- ASIN : B0009Y29E2
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 37,722位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 3,420位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何度も何度も観ています
ハンデがあっても信仰心を忘れずに僕は神様の道具なんだ、と信じ続ける強い心に涙した
その親友のジョセフマッゼロの思春期の演技も素晴らしかったです
号泣作品です
ハンデがあっても信仰心を忘れずに僕は神様の道具なんだ、と信じ続ける強い心に涙した
その親友のジョセフマッゼロの思春期の演技も素晴らしかったです
号泣作品です
2022年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
気に入らなかったところは全くありませんでした。
人として優しい思いやりのある映画でした是非小さいお子さんには見せてあげて欲しいです
人として優しい思いやりのある映画でした是非小さいお子さんには見せてあげて欲しいです
2019年9月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「僕には神様の特別な計画がある」と信じ続け、それを言い続けたサイモン。周りの大人たち、友人たちはそれを否定しようとするが、サイモンの信仰は揺るがない。そして、それが実現する時が来たが、それは、サイモンがいのちをかける時だった。いのちをかけて信じ通したサイモンの信仰に感動した。信仰の強さと素晴らしさを改めて教えられた。
2021年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
友人に勧められて観た一本
僕の母の使命はなんであろう
僕の父の使命はなんであろう
僕の姉の使命はなんであろう
そして
僕の使命はなんであろうか
サイモン・バーチから
そんなことを考えさせられました。
人生で1番好きな映画です
僕の母の使命はなんであろう
僕の父の使命はなんであろう
僕の姉の使命はなんであろう
そして
僕の使命はなんであろうか
サイモン・バーチから
そんなことを考えさせられました。
人生で1番好きな映画です
2015年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
二人の少年の友情と人生が爽やかで清々しい印象で描かれる良い作品である。私はこの映画の中で二人の友に出逢ったような気がしている。それはサイモン・バーチと親友のジョーである。ジョー役のジョゼフ・マッゼロは映画「マイ・フレンド・フォーエバー」で主人公デクスター役を演じており、私はこの映画で彼がその後成長し、少し大人びて凛々しくなった姿に出逢えたような気がして感無量の思いであった。「マイ・フレンド・フォーエバー」(母親のリンダと息子デクスターの愛情と親友のエリックとの友情が最高に素晴らしい!)が大好きな方であれば、この映画もきっと感動されることだろうと思う。
双方、少し不遇な境遇にある少年たちの爽やかな友情を描いている。この映画でジョゼフ・マッゼロは「マイ・フレンド・フォーエバー」とは逆の立場を演じているが(サイモン役のイアン・マイケル・スミスの好演も光る)どちらも本当に良い、感動的で心に残る作品である。観終った後も爽やかで清々しい印象があると思う。命や時の流れのように川が印象的に映し出され、深刻なことをあまり深刻ぶらずに描く、という点にも共通点があるように思うし、どちらも涙なくしては観られない。
サイモン・バーチが司祭を論破する言葉はある真理をついていて印象的である。「物事には理由があるはず。でも前ほど確信が持てない。神様は僕に計画があるのですか。僕たちはみんな。教えてください」ーこの問いかけに明確にこうだ、と答えられる人が一人でもいるだろうか?彼は不遇な境遇の中で「僕が生まれたのには理由があるはずだ」と信じることで自分を保ちながら生きている。
ベンとジョーと囲む焚火で語る悟ったかのような彼の言葉は印象深く心に残る。彼の信念は「僕は英雄になる」という運命を信じることであり「ずっと待っているけどもう時間がない」、とも感じている。きっと答えなどいつまでたってもわからないのだと思う。それを考えつつ生きるしかないのだ。答えのわかるとき、それは命が終わるときであるのかもしれないし、またわからないまま命を終えるのかもしれない。きっと誰にもわからないのだ。それが生きるということ、人生なのだと思う。
ジョーはサイモンとの友情について、のけ者の気持ちが理解し合えるからかな、と話すが、私にもその疎外感がよく理解できるような気がして、だからなのかこの二人が親友のように思われて仕方がなかった。二人とも何か欠落したものを抱えて辛抱して生きている。ジョーが「不公平だよ」と嘆く場面があるが、本当に人生って不公平だ。辛くても耐えて生きるしかない人もいるし、生きる意味を問いつつ厳しい人生を歩まねばならない人もいる。そのこともこの映画ではきちんと描かれているし、ただ救いもあるはずだからなんとか生きてゆけるよ、と人生の肯定ということもしっかりと伝えようとしているのが感じられる。映画の始まり方と終わりの結び方も良いと思う。
サイモンが血縁の家族とは縁が薄くジョーの母レベッカが母親のようであったように、またジョーの父親の一件についても(ベンの「誰にでもおかしくなる権利はある。人生は楽じゃない」という言葉はなんと思い遣りのこもったやさしい言葉だろう)、人と人との繋がりは決して血縁によって決まるのではなく、内面的な深い結びつきや愛情、思い遣りこそが大切なのだということをこの映画はあらためて考えさせてくれた。それは「赤毛のアン」や「マイ・フレンド・フォーエバー」という作品でも教えられたことである。天涯孤独になったとき、はたして人は自分を保って生きてゆけるのだろうかーふとそんなことを考え込んでしまう自分もいた。
サイモンが橋の上でその小さな体でめいいっぱい悲痛に叫ぶ「I'm sorry(ごめんなさい)!」という言葉が心に焼き付いて離れない。その言葉はかつて私が叫んだ言葉そのものであり、また未だに叫び続けている言葉でもあるからだ。愛するものを自分のせいで失うほど、こんな悲しいことはない。できれば自分が代わりたいのに代わることができない。謝りたいのに謝ることも叶わない。いや謝って済むことではないのだ。命は取り返しがつかないのだから。それなのに自分はなぜのうのうと生きているのだという心の叫びがそこにはある。死ぬより重い人生を生きる人もいる。哀しく優しい人。それでもサイモンはその小さな体で健気に耐えて生きてゆく。明るさも友情も失わない。本当に偉いと思った。
生きてゆくということは、大人であっても子供であっても辛くて厳しいことではある。が、そこにはたまにではあるが救いがあることがあって、だからこそ人はなんとか生きることができる。そして、亡くなった人の心とともに永遠と思うときを耐えて生きてゆく。映画では時折真理をついた奥行きの深い言葉が語られる。印象に残った言葉を挙げて終わりたいと思う。
ー「時間は飼い馴らせない怪物。待ち望んでも現れず ー とどまってほしい時には逃げ去る。僕たちは答えを見つけようと焦り ー "合図" に気づかなかったがすべてがある方向に向かっていた」
爽やかで清々しい二人の少年の友情を軸に、深刻なことをあまり深刻ぶらずに人生を、生きるということを肯定的に描いた良い作品である。サイモン・バーチとジョー。この二人の少年を、「赤毛のアン」のアンとダイアナ、「マイ・フレンド・フォーエバー」のデクスターとエリック、とともに心の友として私は永遠に忘れないだろう。
双方、少し不遇な境遇にある少年たちの爽やかな友情を描いている。この映画でジョゼフ・マッゼロは「マイ・フレンド・フォーエバー」とは逆の立場を演じているが(サイモン役のイアン・マイケル・スミスの好演も光る)どちらも本当に良い、感動的で心に残る作品である。観終った後も爽やかで清々しい印象があると思う。命や時の流れのように川が印象的に映し出され、深刻なことをあまり深刻ぶらずに描く、という点にも共通点があるように思うし、どちらも涙なくしては観られない。
サイモン・バーチが司祭を論破する言葉はある真理をついていて印象的である。「物事には理由があるはず。でも前ほど確信が持てない。神様は僕に計画があるのですか。僕たちはみんな。教えてください」ーこの問いかけに明確にこうだ、と答えられる人が一人でもいるだろうか?彼は不遇な境遇の中で「僕が生まれたのには理由があるはずだ」と信じることで自分を保ちながら生きている。
ベンとジョーと囲む焚火で語る悟ったかのような彼の言葉は印象深く心に残る。彼の信念は「僕は英雄になる」という運命を信じることであり「ずっと待っているけどもう時間がない」、とも感じている。きっと答えなどいつまでたってもわからないのだと思う。それを考えつつ生きるしかないのだ。答えのわかるとき、それは命が終わるときであるのかもしれないし、またわからないまま命を終えるのかもしれない。きっと誰にもわからないのだ。それが生きるということ、人生なのだと思う。
ジョーはサイモンとの友情について、のけ者の気持ちが理解し合えるからかな、と話すが、私にもその疎外感がよく理解できるような気がして、だからなのかこの二人が親友のように思われて仕方がなかった。二人とも何か欠落したものを抱えて辛抱して生きている。ジョーが「不公平だよ」と嘆く場面があるが、本当に人生って不公平だ。辛くても耐えて生きるしかない人もいるし、生きる意味を問いつつ厳しい人生を歩まねばならない人もいる。そのこともこの映画ではきちんと描かれているし、ただ救いもあるはずだからなんとか生きてゆけるよ、と人生の肯定ということもしっかりと伝えようとしているのが感じられる。映画の始まり方と終わりの結び方も良いと思う。
サイモンが血縁の家族とは縁が薄くジョーの母レベッカが母親のようであったように、またジョーの父親の一件についても(ベンの「誰にでもおかしくなる権利はある。人生は楽じゃない」という言葉はなんと思い遣りのこもったやさしい言葉だろう)、人と人との繋がりは決して血縁によって決まるのではなく、内面的な深い結びつきや愛情、思い遣りこそが大切なのだということをこの映画はあらためて考えさせてくれた。それは「赤毛のアン」や「マイ・フレンド・フォーエバー」という作品でも教えられたことである。天涯孤独になったとき、はたして人は自分を保って生きてゆけるのだろうかーふとそんなことを考え込んでしまう自分もいた。
サイモンが橋の上でその小さな体でめいいっぱい悲痛に叫ぶ「I'm sorry(ごめんなさい)!」という言葉が心に焼き付いて離れない。その言葉はかつて私が叫んだ言葉そのものであり、また未だに叫び続けている言葉でもあるからだ。愛するものを自分のせいで失うほど、こんな悲しいことはない。できれば自分が代わりたいのに代わることができない。謝りたいのに謝ることも叶わない。いや謝って済むことではないのだ。命は取り返しがつかないのだから。それなのに自分はなぜのうのうと生きているのだという心の叫びがそこにはある。死ぬより重い人生を生きる人もいる。哀しく優しい人。それでもサイモンはその小さな体で健気に耐えて生きてゆく。明るさも友情も失わない。本当に偉いと思った。
生きてゆくということは、大人であっても子供であっても辛くて厳しいことではある。が、そこにはたまにではあるが救いがあることがあって、だからこそ人はなんとか生きることができる。そして、亡くなった人の心とともに永遠と思うときを耐えて生きてゆく。映画では時折真理をついた奥行きの深い言葉が語られる。印象に残った言葉を挙げて終わりたいと思う。
ー「時間は飼い馴らせない怪物。待ち望んでも現れず ー とどまってほしい時には逃げ去る。僕たちは答えを見つけようと焦り ー "合図" に気づかなかったがすべてがある方向に向かっていた」
爽やかで清々しい二人の少年の友情を軸に、深刻なことをあまり深刻ぶらずに人生を、生きるということを肯定的に描いた良い作品である。サイモン・バーチとジョー。この二人の少年を、「赤毛のアン」のアンとダイアナ、「マイ・フレンド・フォーエバー」のデクスターとエリック、とともに心の友として私は永遠に忘れないだろう。
2009年7月28日に日本でレビュー済み
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私が20代のころに一度、視聴しました。その頃は、主人公の信仰心の深さ、そしてそれを表現したこの映画に、深く感動しました。主人公は、不自由な身体で、両親からの仕打ちにもめげずに、神を信じ続けて、最後には、物事を成し遂げます。見終わった後は、とても、さっぱりとして、こういう生き方をしたものだと思いました。
しかし、30代になったいま、観てみると、違った見方になっていました。キリスト教会へ集う人々がすべて理想的な信者ではないということや、さまざまな多様性があるということ。それへの、許しの問題があったように思います。
しかし、一番感じたことは、主人公が両親から不遇な待遇をうけながら、どうしてこんなに神を信じられるようになったのか、ということへの説明がなく、現実的にはどうなのかな、と思いました。不遇な処遇を受けたからこそ、信仰が深くなったのだ、という説がありそうですが、実際には、逆なのではないか?とも思うし。こんなに愛さなかったら、きっと神をうらむのではないか
しかし、30代になったいま、観てみると、違った見方になっていました。キリスト教会へ集う人々がすべて理想的な信者ではないということや、さまざまな多様性があるということ。それへの、許しの問題があったように思います。
しかし、一番感じたことは、主人公が両親から不遇な待遇をうけながら、どうしてこんなに神を信じられるようになったのか、ということへの説明がなく、現実的にはどうなのかな、と思いました。不遇な処遇を受けたからこそ、信仰が深くなったのだ、という説がありそうですが、実際には、逆なのではないか?とも思うし。こんなに愛さなかったら、きっと神をうらむのではないか