『タンポポ』(Tampopo)('85)
出演∶山崎努、宮本信子、役所広司、渡辺謙、桜金造、安岡力也、加藤嘉、大滝秀治、黒田福美、長江英和、松本明子、大友柳太朗、池内万平、嵯峨善兵、成田次穂、田中明夫、高橋長英、加藤賢崇、橋爪功、岡田茉莉子、里木佐甫良、都家歌六、MARIO ABE、高木均、二見忠男、ギリヤーク尼ヶ崎、洞口依子、藤田敏八、鈴木美江、北見唯一、南麻衣子、柴田美保子、篠井世津子、横山あきお、原泉、津川雅彦、中村伸郎、林成年、田武謙三、井川比佐志、三田和代、大月ウルフ
監督:伊丹 十三
1984年、伊丹十三が『お葬式』で突然、商業映画の世界に50歳過ぎで監督デビューした時の驚きは忘れない。1960年代以降、テレビの急速な普及に押されて映画界の斜陽が叫ばれて久しかった。当時の伊丹十三氏は、俳優・文筆業その他多彩な顔を持つ才人として知られていた。その独自の切り口が新鮮だった。単純な劇映画でなく、日本社会の土壌にある"冠婚葬祭"のうち「葬儀」にスポットを当てて掘り下げたニュータイプ・エンターテインメントだった。
彼が続いて製作した第2作が本作『タンポポ』だった。今度のテーマは「食」。なかんずく日本人の"国民食"で、今や世界に広まる人気食ラーメンを取り上げた。(約40年前の映画。ちょっと先取りし過ぎたかも……(笑)) 海外からの観光客たちが、日本のラーメン店に群がる現状を見ると、伊丹監督のテーマ選びの非凡な感覚には驚きを禁じ得ない。
初公開時に劇場で鑑賞し、以後は一度ぐらいレンタルビデオで見た程度で、今回30年以上ぶりに鑑賞したが、驚いたことに本筋とはあまり関係のない様々なエピソードの大部分がしっかり記憶に残っていた。たしかに、本筋とは直接関係のない人物たちのエピソードが随所に挟まれる構成なので、劇映画としてはチト散漫な印象があったが、短いエピソードの数々がこんなにハッキリ記憶されているとは驚きだ。恐るべし伊丹脚本 !
[物語] ある雨の夜、タンクローリーの運転手ゴロー(山崎)と相棒のガン(渡辺)は、空腹を満たそうと、通りかかった来々軒というラーメン屋に入る。一人で店を仕切る未亡人タンポポ(宮本)が作るラーメンは不味かった。店に屯する土建屋でタンポポの幼馴染のピスケン(安岡)と子分たちは、ふとした行き掛かりからゴローと喧嘩になり、ボコボコにやられたゴローは、一晩店で休んでタンポポに介抱されることになる。
タンポポは夫の死後、一人息子のターボー(池内)を抱え、見様見真似でラーメンを作って切り盛りしていた。見かけによらず食通のゴローとガンから正直な意見(タンポポが作るラーメンは不味い)を聞いたタンポポは、一人前のラーメン屋になりたいと、二人に弟子入りを志願する。ゴローの指導で、体力づくりや客の観察の大事さを学び、他店のスープ作りの研究(盗む?)などに励む。ゴローはタンポポに、センセイ(加藤)を指導者として紹介する。
センセイは元医者で、"食"にのめり込むあまり、家族に見放され今やホームレスのグルメ集団の総帥(?)だった。ある日、ゴロー・タンポポ・ガン・センセイは、そば屋でのどを詰まらせた富豪老人(大滝)の命を救う。老人はその御礼に、ラーメン作りに非凡な腕を持つお抱え運転手のショーヘイ(桜)を協力者として貸し出す。さらに、ゴローとサシの勝負をつけに来た土建屋ピスケンも意気投合して仲間に加わり、新店舗の内外装を請け負う。店の名前は「タンポポ」と改められ、一同は"名店誕生"を目指す……。
ストーリー的には、他愛ないと言えば他愛ない。アラン・ラッドの『シェーン』やジョン・ウェインの『ホンドー』、ヘンリー・フォンダの『胸に輝く星』など、風来坊のガンマンが義により母子を助ける西部劇のパターンのイタダキだ。この映画の面白さは本筋よりもむしろ、本筋に絡まない登場人物たちの脱線エピソードにある。
これらのエピソードが強烈に記憶に残る。食の名店の残飯でグルメになったホームレスが作る絶品オムライス。海女の少女が手ずから食わせる獲れたて生ガキ。食通ヤクザが情婦に口移しで食わせる生タマゴの卵黄。マナー教室の上品な婦人方のヨコで、スパゲティをズルズル〰ッと音高くすする外人さん。(←この人、洋菓子の名店ルコントの創業者で有名なパティシエ、アンドレ・ルコント氏が演じている(笑))
伊丹監督は、「葬儀」「食」をテーマに掘り下げて日本中を大いに笑わせたあとは、「税金」「民事介入暴力」「身辺警護」「終活」「商店経営」などユニークな視点の作品を次々と放って日本映画に一つの時代を築いたと言ってもいいだろう。大ヒットして批評家の評価も最上級だった『お葬式』と『マルサの女』の2作に挟まれた『タンポポ』は、評価的にはあまり高くないかもしれないが、個人的には大好きな作品です。