画像はクリア。制作は昭和48年だが、敢えてモノクロで制作されているため、一つ一つのエピソードが重厚感を持っている。
まだ介護保険制度も存在しない時代、デイサービスは老人クラブと言う名前であり、老人ホームは養老院と呼ばれ、そのような場所へ行く事は、一家の汚点や恥に近く、あまり公にはされなかった。
老人性痴呆症と言う名称は消えた訳ではなく、言われなくなっただけであり、場所や人によっては、まだ現役だったりする。
認知症は大きく分けて、アルツハイマー型、脳血管性、レビー小体型がある。
恐らく立花茂造氏は、典型的なアルツハイマー型だと思われる。
作中、茂造氏が認知症を発症したのは、妻の死がきっかけとされているが、明らかにこれは誤りだ。何故なら、妻が幾ら声をかけても起きないと言う前に、既に雨の中を彷徨していたではないか。更に、それより前から、恐らく前兆はあった筈。家族はそれに気付かなかったか、或いは見て見ぬふりをしていたか。ましてや冷たくあしらわれていたとこぼす嫁・昭子にしてみれば、受け入れがたい事実だったに違いない。
茂造は昭子のみに心を開く。それは勿論、孫が言うような、食事を与えてくれる飼い主と言う意味では全く無い。
小説が書かれた1971年頃に84歳と言う事は、1887年位の生まれ。明治中期の生まれだ。それを考えたら、女性に優しい言葉などそうはかけないだろうし、茂造氏の性格から考えたら、不器用な言動しか出来なかったろう。昭子側から見れば昭子は被害者だが、それは茂造氏の見地に立って考えれば同じとも言える。昭子も、心の何処かで薄々気付いていたのではないか?だから、あのラストに繋がるのだ。
認知症への対応がまずいが為、どんどん認知症症状が悪化して行く。やってはならない対応のオンパレードだ。
この頃はまだ、アリセプト(1999年発売)もメマリー(2011年8月23日発売)も発売されていない。処方箋に書かれるのは睡眠薬だ。強制的に睡眠を促し、おとなしくさせる。だが薬に体が慣れ、効かなくなれば終わりだ。勿論、アリセプトやメマリーが良いとか、問題無いと言うわけではない。問題は当然ある。だが、ただ眠らせるよりは、進行遅延と言う意味で効果的だ。
介護に接する、携わる者は必ず観て欲しい。これは介護の教科書的意義も含んでいる、まさしく映画遺産である。